日本専門評論

日本国内の問題を、専門的に、あれこれ評論します。

中国では食べる物が無い

2006年11月27日 19時11分23秒 | 社会

本当に食べるものがない

市民の食欲は旺盛だが・・・
 25日締め切りの原稿を仕上げて、ほっと一息。今回の連載は、「上海の食の安全」について書いてみました。 この連載は日本の飲食店の業界紙向けなので、読者の大半は飲食業関係者。儲けだけでなく、 食の安全についても十分に考えてほしいという願いをこめて執筆しました。

 このネタを書こうと思ったのも、11月にさんざん取り上げられたイシヒラメ(多宝魚)事件の抗生物質発覚がきっかけです。 この事件も、上海だけでなく中国全国に広がる勢いです。今回は、イシヒラメが取り上げられましたが、まだまだほかの魚介類・ 農産物でも同じようなケースがあることでしょう。

 少しでも儲けたい農民・漁民。かれらが決して口にしない食品だけに、やりたい放題のことが行われている現状。 中国で生活するにあたっての新しいリスクとなるのではないでしょうか?


 中国で報道された記事をちょっと析するだけでも、これだけの問題点が出てきました。


上海市民が日常的に注意している食品

ニラ…河北省で毒ニラ問題が暴露
マッシュルーム…硫黄を使った漂白
豆腐…病院で入らなくなったギブス用の石膏を原料に
生姜…色の鮮やかなものは、硫黄を使って発色している恐れあり
みかん…洗剤につけたみかんは表面がピカピカ
スイカ…甘味料を注射、着色料を使って赤く染める
イチゴやビワ…ホルモン剤の注射で大きく成長
漬物類…工業用の塩で製造
スッポン…避妊薬を服用させている
異常にでかい淡水魚…成長ホルモン剤の使用
イカやブタの皮など…保存のためにホルマリン漬け
鶏やアヒルの卵…スーダン紅など着色料の使用して卵の色つきをよくする
クッキーやケーキ…人工脂肪を大量に使用 欧米では厳しく制限されている
豚肉…興奮剤を使用して、脂肪を少なく 上海で集団中毒も発生
白酒…工業用のアルコールを使うなどした偽酒による中毒

強いて「etc.」とつけておきましょう。


 そして、今朝のニュース。上海市の水源のうち、飲用水源としての基準を満たしている水源はたった1%。長江や黄浦江の水は豊かなのに、 下流だから殆ど使い物にならないのが現状のようです。

以上抜粋。

(私のコメント)

中国の毒野菜が問題になって久しいですが、他にも沢山あるのです。中国人の感覚では、体に害があるものでも使うのです。 中国産は本当に食べられないのかもしれません。

ところで長江や黄浦江の水が使い物にならないというのは、中国が水不足で崩壊する予兆なのでしょうか?


毎日なんだから、モッタイナイ運動にも言及したら?

2006年11月23日 20時51分56秒 | 社会

体罰:奈良の 「熱血校長」小4男児に ご飯粗末にした

 奈良県三郷町の町立三郷北小学校で今月14日、給食のご飯を粗末に扱ったとして、岡本喜代治校長(59) が4年の男児の尻を強くたたいて転倒させるなどし、約1週間のけがを負わせていたことが分かった。岡本校長と同町教委は 「行き過ぎた指導だった」として男児の家族に謝罪した。岡本校長は教育困難校の立て直しなどで実績があり、 子どもと教師の心理についての著書も執筆。地元では「熱血校長」で知られている。

 同町教委によると、男児の担任教師が13日、給食で茶わんに残った米を団子状にして天井に投げるのを目撃し、岡本校長に報告した。 岡本校長は翌朝、登校してきた男児を校門前で見つけると、ほおをつかんで引き寄せ、尻を6~8回たたいた。男児は転倒し、足をすりむき、 ほおにはつめ跡が残って血がにじんだという。男児はそのまま授業を受けたが、帰宅後、傷に気付いた家族が病院に連れて行き、 全治1週間と診断された。岡本校長は同日夕、男児宅を訪れて謝罪。町教育長には15日朝、報告した。

 同小によると、岡本校長は「食べ物を遊び道具にするのは許されず、ここで指導しておかなければと強く思った」と説明したという。

 岡本校長は1995年、「子どもの心と教師の心」(日本教育研究センター)を出版。同小は今年度、 文部科学省が全国の9小学校を指定した「総合的な学習のモデル校」にも選ばれている。

以上抜粋。

(私のコメント)

「給食で茶わんに残った米を団子状にして天井に投げる」なんて、まさにモッタイナイでしょう。で、体罰は「ほおをつかんで引き寄せ、 尻を6~8回たたいた」だけで、被害は「転倒し、足をすりむき、ほおにはつめ跡が残って血がにじんだ」だけです。 ガタガタ騒ぐほどでもなければ、謝罪するほどのことでもありません。

それより毎日なんだから「給食で茶わんに残った米を団子状にして天井に投げるというモッタイナイ行為を目撃し」としたら?


いじめ問題に思うー教育の本質ー

2006年11月18日 19時30分40秒 | 社会

日教組と全教、 教育基本法改正案の裁決に抗議

 日本教職員組合(日教組)は15日、与党の教育基本法改正案の単独採決に抗議し、審議のやり直しを求める声明を出した。 東京都内で記者会見した森越康夫委員長は「非常に残念。いじめ自殺など直面する緊急の課題に何ら答えていない」と与党を批判。 衆院本会議での採決回避を、議長に申し入れるという。

 全日本教職員組合(全教)も15日、基本法改正は憲法改正につながるとして、単独採決に抗議する談話を発表した。

以上抜粋。

(私のコメント)

「いじめ自殺など直面する緊急の課題に何ら答えていない」という主張が正しいとして、 果たして現行の教育基本法がいじめ問題の解決に寄与できるのでしょうか?

(1)現行の教育基本法は、役に立つとした場合を考えましょう。いじめ問題が解決されない現実があるわけですから、 現行の教育基本法の理念を実現できない現状に問題があることになります。学校教育において、一義的には現場の教師の手腕次第であり、 したがって日教組・全教組を初めとする教師の力量不足がいじめを生んでいるということになります。

(2)現行の教育基本法は、役に立たないとした場合はどうでしょうか? 役に立たないのだから改正するのは当然でしょう。

もっとも、いじめの問題は教育基本法とは無関係です。というのは現在の教師の異常性が、いじめを生み出しているからです。

そもそも教育とは、倫理面では正しいとされる価値観を押し付けることであり、技術面では職業に必要なスキルを見に付けさせることです。 双方身に付けて初めて、子供から大人になれるのです。

いじめは倫理の問題ですから、正しいとされる価値観を押し付ける教育という視点で考えなければなりません。人を殺してはいけない、 人の嫌がることはしてはいけない、といった当たり前の考えを正しいものとして子供に押し付けることは当然のことでしょう。 これに反発する自由を認めるわけにはいきません。認めてしまったら、人を殺しても良い、 人の嫌がることをしても良いということになってしまいます。

しかし現在の日本では正しいとされる価値観を押し付けられた場合、これに反発することを正当化させています。 子供の意思を尊重すべきだなどというくだらない考えが、それです。子供が何故子供なのかといえば、 正しいとされる価値観に基づいた思考ができず、自分の勝手気ままな感情から行動してしまうからです。そんな子供の意思を尊重したとしたら、 子供は正しいとされる価値観に基づいて行動をするはずもありません。だからいじめが生じるのです。

さらに教師自身が国歌や国旗に反対する行為を示しており、正しいとされる価値観に反対しても構わないと子供たちに教えています。 だから、いじめは悪いと言われても、子供はいじめは悪いという考えに反対するのです。だって子供にしてみれば、 教師が国歌や国旗の問題でやっているように、誰かをいじめたいという感情を優先させても構わないだろうというわけです。

そういうわけで教育の本質は、正しいとされる価値観を押し付けることなんだから、 押し付けは良くないという馬鹿らしいことは放っておいて、 押し付けるべきことと押し付ける必要はないことを区別していくことの方が大事なのです。

例えば、子供の信教の自由を尊重して、子供に宗教を押し付けることを止めたらどうでしょうか?  少なくとも幼少期からカルトに染まってしまうことから救えるはずです。


売国マスコミの言論統制

2006年11月13日 21時19分38秒 | 社会

メディアよ、 日本を売り渡すことなかれ!

「政府に自制を求めたい」と報じる日経新聞

 日本経済新聞(11月11日)の社説には、件のNHK国際短波放送の政府依頼について、「菅義偉総務相は、 橋本元一NHK会長に対し、NHKの短波ラジオ国際放送で北朝鮮による拉致問題を重点的に取り上げるよう命令した」と報道。

 「放送法はNHKの国際放送に対し政府が放送事項などを命令できるとしているが、放送内容まで命令するのは憲法が保障する表現・ 報道の自由に抵触するおそれがある。国際的な情報発信は重要である。同時に報道機関であるNHKの中立性のために政府に自制を求めたい」 と述べている。

 このように「中立」と「報道の自由」を盾にし、真正の日本国民のための稼動を拒否するメディアは、何も日本経済新聞だけではない。 だが、同紙の水面下における中共との結びつきは尋常ではない。良民による「メディア」選択の権利を行使し、 不買により淘汰すべき媒体の1つである。
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“富田メモ”掲載を指示した杉田社長

 丁度、7ヶ月前の4月13日、訪中した日本経済新聞社・杉田亮毅社長が、唐家セン氏(国務委員)と会見。 「日本メディアは関係改善へ役割発揮を」との言葉を受けた。

 「日本経済新聞など日本のメディアが、中日関係や中国の対日政策に対する日本国民の正しい認識を促し、 中日関係の改善と発展に積極的かつ建設的な役割を果たしていくことに、期待している」人民網が報じたメッセージは、胡錦濤氏(国家主席) の肝いりであった。

 そして3ヶ月を経た7月20日トップ(日本経済新聞)における“富田メモ”の報道。 検証無き作為報道との指摘を集めたことでご記憶に新しい事件と思う。実物であることを証明する検証プロセスを公開せよ、 との声にも誠意ある態度を示さなかった日本経済新聞。

 同メディアが無反応に過ぎる間に、あらかじめ示し合わせていたかのように、『だから 私あれ以来参拝していない』 を昭和天皇の御言葉とするデマが、屈中(朝)議員や反日マスコミ、在日ジャーナリストの手によって広がった。同時に、 衛星中継に登場した中共首脳が、この“メモ”を引用して騒いでいた点も不可解に映った。

 昭和天皇の御言葉と称しながらも、『朕』ではなく『私』とするの誤り、 メモの当該部分が全く新しい紙で添えられている写真からの検証にもとづく疑問の声に、未だに応えていない。同記事の掲載は、 社長指示によるものであり、その後、疑問を持つ読者を「相手にする必要はない」との指示を出していたことが、 系列記者から新たに伝わってきた。

 この杉田氏は、表題の写真にもあるとおり、公式、非公式を含めて年に幾度も中共と日本との間を往来する「ズブズブ」 の浸中派であることは、知る人ぞ知る事実である。こうしたメディアが、次に中共をどう代弁するか、どのようなスクープを持ち出してくるのか、 良識による注視を続けていきたい。短稿にて。
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【筆者記】

 作為報道には、概ね次の3種類がある。?社長や経営陣による指示または意図の反映、 ?スポンサーや広告主による指示または意図の反映、?権益等にもとづく記者や担当による捏造。

 また、作為報道への批判に対する対応にも3通りあるそうだ。?個人が勝手にやった、とするトカゲの尻尾切り(責任逃れ)、 ?社長や経営陣による平謝り(涙を見せると効果的、とアドバイスする弁護士もいるそうで、演技はタレント並になっているそうだ)、 ?沈黙を続けて「騒ぎ」が喉元(のどもと)を過ぎるまで待つ。

 喉元を過ぎても「忘れない」のが良識である。このことをメディアは知るべきである。国民の良識による「メディアの再編成」が必要。 日本の「正気」を国民の手で取り戻そう。

強まるネット言論統制の動き

 Yahoo!にまつわる現今の言論統制の動きについては、有志のブログで詳細に採り上げておられるため、 小稿での引用は最小限とさせていただき、以前において、「博士の独り言」が受けた「制御」「削除」 の前段階に起きた出来事について少々述べたい。

Yahoo! 検索エンジンにおける不表示

 先ず、5月下旬から6月にかけて、Yahoo!で「博士の独り言」が検索不能になる、という事態が時々起きた。決まって、 その現象は、創価学会、公明党、半島に関するエントリーをアップした後に起こり、読者からの知らせで筆者も知るにいたった。

 ためしに筆者も、博士の独り言で検索してみると、豆博士の独り言、ずみし博士の独り言、青松博士の独り言、と「博士の独り言」 とは無関係のものが出るが、筆者のブログ、および記事に関する記述は、まったく表示されなかった。

 この現象は、発生から3日ほど経てば、「博士の独り言」に関するものが少しずつ表示されはじめる。そして、 また関連記事をアップすると同様の現象が起こり、一定期間後にまた復旧する、といった繰り返しであった。

 この不可解な現象については、小ブログの古くから(といっても4月開設だが)の読者数名が確認し、様子をよく記憶している。
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不可解なコメントとTB

 前版が消滅してしまった今は、詳細な日付や書き込み者の特定が困難だが、外部からのコメントとトラックバックを「事後承認」 制とした8月上旬以降、1日に500件以上におよぶアダルトや外国語サイトによるトラックバックを受け、 1日に50件以上の不可解なコメントが入る期間があった。

 むしろ7月下旬から、その兆候があったために、読者への迷惑、不快感を回避するために事後承認の形式に設定したのであった。 いずれも表示しなかったが、あまりの苛烈さのため、その一部を画像化し、記事の中で紹介した記憶がある。この現象も、 上記と同じ趣旨のエントリーをアップした直後からはじまったのであった。

 一方、中共の矛盾や不法に対するエントリーをアップした後に、「お前の口をふさいでやる」「文章が書けないようにしてやる」 等の日本語の書き込みも増えていた。

 また、以上のコメントとTBの中に、URLが埋め込まれているものが多く、どのようなサイトの連中かと思い、 うかつにも筆者がクリックしてしまったことがあった。以来、ブログに新しいエントリーを書き込む際に、違和感を感じることがしばしば起きた。

 さらに、アップしたはずの記事の文面の大部分が消えていたり、異なる文に書き換えられているケースが幾度かあった。 読者から後にいただいたアドバイスをもとに、今振り返れば、いわゆるスパイウエアによってパスワードが盗用され、 第三者がリモートで侵入していた。その可能性が極めて高いことが判った。

 当時は、不肖にも明確に気づかなかったことだが、こうした現象は、特に、8月後半から著しくなり、PCに向かう時は、 第三者から常に監視を受けているような違和感を感じるようになった。
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Yahoo! を信頼できない理由

 先ほど、読者から頂戴したコメントに、Yahoo!の言論統制を証明する「メールのやり取り」の様子が記されているので、 小稿に引用させていただく。

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(以下、引用)

■問合せメール(と思われる)

YAHOO! の言論統制 佐賀県庁からの返信 (1143)

[ 2006.11.12(Sun) 12:12]

YAHOO! の言論統制  毎日新聞編 (1133)
YAHOO!の掲示板では、投稿するとき

「韓国の真実」や「韓国の批判」に関するHPをのアドレスを記載すると、


注意: 利用規約をお読みください。利用規約またはガイドラインに抵触する投稿は禁止されています。
Yahoo! JAPAN ID(およびYahoo!メールアドレス)を削除する場合もございますのでご注意ください。


となり、投稿できなくなります。

YAHOOの言論統制は暴走し、なんと、佐賀県の公式HPを「ガイドラインに抵触」するものとして取り扱うようになりました。

佐賀県 こちら知事室です 記者会見
http://www.saga-chiji.jp/kaiken/06-9-28/shitsumon1.html  ← 有害HPと認定

皆さん、実際に試してみましょう。

   ↑
YAHOO!掲示板 投稿サイト

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■佐賀県知事室からの返信(問合せ者に対する返信)

[ 2006.11.12(Sun) 19:12]

送信者: ●◎ ○■ <●◎-○■@pref.saga.lg.jp> 
宛先: ▲▲@▲.▲.ne.jp
件名: 県政へのご意見ありがとうございました
日時: 2006年11月10日 19:21:08

こんにちは。
佐賀県危機管理・広報課 報道・危機管理担当の●◎と申します。

このたびは県政へのご意見をいただきましてありがとうございました。

ご連絡いただいた「こちら知事室です」の9月28日の記者会見の質疑
応答のページについて、Yahoo!japan様に、Yahoo!掲示板への掲載を行え
ないように設定されているのか、また、掲載を規制されているとすれば、
その理由は何かという点について問い合わせてみました。

その結果、確かにYahoo!japan様の掲示板に掲載できないように、Yahoo!
japan様側で設定されているようです。

ただ、ご依頼の件につきましては、一般企業であるYahoo!japan様が運営
しているサイトであり、Yahoo!japan様の御判断で質疑応答のページのURL
へのリンクを規制されていることから、これを解除するように県から依頼
することは難しいと考えます。

なお、県HP「こちら知事室です」は、正常に運用していますので、これ
までどおり御覧いただけます。

今後も県政についてお気づきの点等ございましたら、ご意見をいただけれ
ば幸いです。

(以上、引用)

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 奇しくも、佐賀県知事室ご担当の誠実な返信から、件のYahoo!の言論統制の事実を確認できる内容である。

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今後の動きに留意

 しかし、まだまだ、規制は序の口といえるのかもしれない。ここで引用すべき「公明新聞」の記事がある。 「ネット上の有害情報削除に指針」と題する内容には、「(1)わいせつ関連(2)薬物関連(3)振り込め詐欺関連―など。 その他の権利侵害や自殺予告などについても、それぞれのガイドラインを参照するよう求めている」としているが、 これは表向きの項目であることは想像に難くない。

 「自殺や薬物乱用を促すサイト、わいせつ画像など、インターネット上にはびこる違法・有害情報を、プロバイダー(接続業者) などが削除する際の判断基準を明示したガイドライン(指針)が10月25日、総務省などによって作成された。パブリックコメントを経て、 今月(11月)末には公表される見通しだ」とある。「公明党語」を意訳すれば、当該時期に、いよいよ本格的な規制に乗り出すぞ、 という意味である。

 彼らの云う「インターネット上にはびこる違法・有害情報」とは、この集団にとって「違法・有害」な「情報」であって、表向きの 「わいせつ」「薬物」等は単なる看板でしかない。それがカルト集団の常套手段であるからだ。

 さて、このカルト集団とYahoo!の結びつきについては、あの竹岡誠治による、 Yahoo!BBの大量のユーザー情報流出事件で露呈している。この竹岡は、後に有名になった共産党委員長宅盗聴事件の主犯格の人物であり、 創価学会の幹部であり、情報工作員である。

 この有名な前科者を、何故、孫正義は関連会社に受け入れたのか。事件になり、表に露呈しなければ、 今も孫の下の子会社で働いていたはずである。今考えるべきは、半島系出身者とともに、カルト系が多いYahoo!が、一部の新聞社、 政治家と権益を共有し合い、今後、何をして来るか、どう出て来るのか、という先々のことである。

 良識によるこの勢力の駆逐は、日本の健全な将来を願う上で、非常に重要な課題である。

以上抜粋。

(私のコメント)

売国・反日マスコミが、大手を振って闊歩しています。外国の手先となる新聞を賞賛し、 上場後12年間で2000億円の赤字を出している経営者を英雄扱いするマスコミはどこか狂っているのではないでしょうか?


日本の裏社会は90%が同和と在日であり、右翼団体は100%裏社会と繋がっている

2006年11月11日 21時31分28秒 | 社会

日本を知るには裏社会を知る必要がある

東京(10月19日)―元公安調査庁の菅沼光弘氏(95年退官)が、19日、外国特派員協会で講演し、やくざ(暴力団構成員) が単なる犯罪組織にとどまらず、日本の政治経済と密接にかかわってきた歴史や現状について語った。

「やくざの活動と、日本の表の活動である政治、経済、外交は、複雑な絡まり合いのなかで運営されているのが現状。 日本の本当の姿を知るためには、裏社会の問題について十分な知識がないと正確な分析はできない」菅沼氏はそう述べたたうえで、 日本の裏社会の構成要素として「やくざ・・在日」の3つを挙げた。また、やくざの6割を関係者、3割を在日韓国・ 朝鮮人が占めていると明らかにした。

警察白書(平成17年版)によると、暴力団構成員・準構成員の総数は96年以降増加傾向にあり、その数は8万7千人にのぼる。山口組、 稲川会、住吉会の主要3団体で構成員総数の7割を占めるなど寡占化が進んでおり、最大規模の山口組の収入は大企業に匹敵する。 菅沼氏によると、5代目山口組・渡辺組長の時代には、当時のトヨタ自動車の純益が1兆円だったのに対し、 山口組は8000億円の収入を得ていたという。

92年に「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」、いわゆる「暴力団対策法」が制定されたことにより、賭博、覚せい剤、 競馬・競輪からの収入など伝統的な収入源が「完全に絶たれた」(菅沼氏)。その結果、近年はその経済活動が巧妙になっており、 ITベンチャーから産業廃棄物処理事業まで一般企業に活動の場を広げていると菅沼氏は言う。

また、暴力団対策法はFBIがマフィアを撲滅した例をもとに「日本に機械的に適用」したもので、法律施行後は、 山口組のように全構成員に警察との接触を禁止する組も出てきており、「警察がやくざの問題について、ほとんどわからなくなってしまった」 実態を明らかにした。

菅沼氏は暴力団が日本の社会に浸透している背景について、「やくざは日本の文化の一端を担ってきた組織。神社のお祭り、相撲、 芸能界といったものはやくざと渾然一体となって日本の社会で育ってきた」ことや、 「トラブルシューターとしてだけではなく様々な仕事ができるやくざを、日本の社会は必要としてきた」ことを要因として挙げた。

公安調査庁は、設置当初、共産主義勢力を調査するのが主たる目的だったが、共産主義運動の衰退やオウム事件の機に、 仕事の重心が国内の治安維持に移ってきた。その結果、対外情報機関としての能力は低下したことについて菅沼氏は、 「北朝鮮問題や拉致について、第一次情報を持っているのは外務省でも警察でもなく、公安調査庁」と述べ、 対外情報機関としての存在意義を主張する。

また、外国による諜報活動に対抗する日本のカウンターインテリジェンス(対工作防衛)について問われた菅沼氏は、「日本はスパイ天国。 脆弱なんてものじゃない、何もない」と指摘し、日本の伝統的な縦割り行政・セクショナリズムや法律の不備がその背景にあると述べた。

元公安職員が語る「日本の裏社会」

2006年10月19日にプレスクラブでおこなわれた元公安調査庁調査第二部長、菅沼光弘氏の講演がhttp://vision.ameba.jp/watch.do?movie=569570912.phpで見られます。

内容を要約すると下記のようになります。

・ヤクザの活動と、日本の表の活動である政治・経済・外交は、複雑な絡まり合いのなかで運営されている。

・裏社会とは、ヤクザ・・在日。

・日本の裏社会にいるヤクザは8万~9万人。

・21組織で全体の90%以上。

・山口組・稲川会・住吉会の3組織で70%以上。

・山口組だけで50%以上。

・ヤクザのうち、60%が、30%が在日(うち1/3が北朝鮮で、麻薬を統括している)、 残りの1割がチャイニーズとではない日本人。

・1992年に警察はヤクザを犯罪組織と認識し、暴力団対策の法律を作る。

・その法律でそれまでのヤクザの収入源(ドラッグ、ギャンブル等)が絶たれた。

・その法律から逃れるためにヤクザがはじめたのが右翼団体。街宣活動は金になる。例→竹下総理へのホメ殺し。今日では自民党・ 中川幹事長の女性スキャンダル。

・一般企業へも参入→産業廃棄物事業、ITベンチャーで融資(補助金のこと?)を受ける。

・暴対法により警察がヤクザ問題について、ほとんどわからなくなってしまった。

・5代目山口組・渡辺組長の時代には、当時のトヨタ自動車の純益が1兆円だったのに対し、山口組は8000億円の収入を得ていた。

・その金をサラ金に融資、ベンチャー企業やファンドにも投資。六本木ヒルズに入っている企業にはたくさんのヤクザ資金が入っている。

・北朝鮮には米国からも宗教団体を通じて資金が流れているが、主な資金は在日(ヤクザ、パチンコ等)から。

・朝鮮総連と税務当局では協定があり、北朝鮮系の人や企業は無税だった。

・万景峰号から北朝鮮へいろいろなモノが運ばれたが、それらもずっとノーチェックだった。

・政治団体・右翼民族団体の資金は、ほぼ100%ヤクザから来ている。

・日本の企業は仕事をする上でトラブルシューター等でヤクザを必要としている。

・ただし、ヤクザは巧妙なので決して癒着の証拠は残さない。

・統一教会と北朝鮮の関係。金日成とは良好だったが金正日とはあまり良好ではない。しかし、今でも北朝鮮のために働いてはいる。

・日本はスパイ天国。

・日本の最大の脅威、中国に日本からたくさんのモノが行っている。日本は自分で自分の首を絞めている。

以上抜粋。

(私のコメント)

日本のヤクザは、60%が、30%が在日朝鮮人(うち1/3に相当する10%が北朝鮮系で、麻薬を統括している)、残りの10% が中国人とではない日本人です。そして、いわゆる政治団体・右翼団体の100%がヤクザの資金で活動しているのです。

日本を立て直すには、政治団体・右翼団体の健全化が必要であり、ヤクザとの関係を絶たなければなりません。 また統一協会は北朝鮮のために働いているのであり、カルト規制法を制定して、取り締まっていく必要があります。


共同通信とNHKの嘘

2006年11月06日 20時27分37秒 | 社会

華やかに四天王寺ワッソ 古代の交流を祭りで再現
 朝鮮半島の民族衣装をまといパレードする「四天王寺ワッソ」=5日午後、大阪市中央区
 
 古代日本と東アジアの交流をテーマとする祭り「四天王寺ワッソ」が5日、大阪市中央区の難波宮跡公園で開かれ、 聖徳太子が朝鮮半島などからの使節団を出迎える様子を華やかに再現した。

 「ワッソ」は「来た」を意味する韓国語で、「わっしょい」の語源とされる。2005年は雨天中止だったため、 2年ぶりの開催となった。

 聖徳太子の衣装に身を包んだタレント浜村淳さんが現れると、会場からは大きな歓声と拍手。 仏教や漢字などアジアの文化が日本に伝来する場面をみやびやかに再現した後、朝鮮半島の古代衣装に身を包んだ使節団を船だんじりに乗せ、 「ワッソ、ワッソ」の掛け声で公園内をパレードした。

 夫婦で訪れた大阪市の主婦藤原千代さん(56)は「朝鮮の伝統的な衣装はなかなか見る機会がないので楽しい。 古い文化がどこから伝来したかを知るのは大切。隣の国をもっと尊重しようと思った」と笑顔で話した。

パンティ学・入門~語源学・ 仮入門

「語源」(「語原」とも書く)というとどうしても思い出してしまう話がある。

 金田一春彦さんが隠岐に旅行された時である。

 トイレに入ったら、当時はまだトイレットペーパーがなくて草の葉が置いてあった。

 それが「蕗」(ふき)の葉だった。

 国語学者の金田一さんは「なるほど、これが蕗の語源だったのか」と納得したという。


 人は、ある日突然、語源を意識する。

 父とは50歳近くも離れていてあまり思い出がないのだが、小さい頃、連れられて富山市の大和(だいわ)デパートの食堂で「親子丼」 を食べたのが唯一の楽しい思い出かもしれない。

 だから、「親子丼」というのは親子で仲良く食べるから「親子丼」だと思っていた。

 大きくなってから「他人丼」というのを初めて食べた時に「親子丼」の語源が分かった(余談だが、「ラーメンライス」 という言葉を知った時にどんな食べ物か想像できなかった)。

 こんな思い出は誰でもが持っていることだろう。

 「ままはは」って初めて聞いた時に「ぱぱちち」はいるのだろうかとか、「ねこばば」と聞いて「いぬじじ」 はいるのだろうかと思ったことはないだろうか?

 ないと知ったら、「継母」や「猫糞」の語源に興味を抱くはずである。語源から言葉に興味を持つ。「猫舌」と聞いたら「犬舌」 は冷たいものが苦手なのかと誰もが考える。

 正月になると「鏡餅」というのが分からない。調べると「鏡」には丸いものという意味があったようで、ただ「丸い餅」 といっているに過ぎない。

 こうした語源意識をもっているとNHKを見たときに加賀美幸子アナウンサーの名前はこの「鏡」から来ていることに気付くのである!?


 池上嘉彦は『記号論への招待』(岩波新書)の中で次のように書いている。

 日頃見慣れた景色が、ある時ふとしたことから急に、初めて見る時のような新鮮な美しさに輝いて見えることがある。 ことばにも同じことが起こる。『蛤(はまぐり)』というのは日常のことばではある種の貝を指す符号にすぎないけれども、 改めて見直してそこに『浜』と『栗』を見出すなら、われわれのこの語に対する印象は一変するであろう。


 これがメタ言語能力というもので、特に語源への興味は「語源意識」という。

 だから、学生たちには語源意識を持つようにと話している。語源意識が言葉への関心につながると思うからである。


 語源というとすぐに「サンドウィッチ」を挙げる人がいるが、これは誰でも知っていることだし、これだけではちっとも面白くない。 むしろ、面白いのは日本語で賭博場のことを「鉄火場」ということから「鉄火巻」の語源にも気付くこと、つまり、 同じような現象を身の回りでも見つけることである。

 岡山で「ままかり」という魚を食べたがこれ「まま(ご飯)を借りてきても食べたくなるようなおいしさ」から来ている。なるほど、 と思うが、酒の肴に「酒盗」というのもある。これは「酒をぬすんできても飲みたくなる」肴だからだ。 そんなにおいしいものが他にもあるか考えてみると一時流行った「ティラミス」がそうである。これはTira mi su.「私を上(天) に連れていって」という、おいしさのお菓子なのだ。 一説によると18世紀のヴェネツィアで夜の街で遊ぶための栄養補給源のデザートだったという。 また別の説ではこのお菓子に含まれている強いエスプレッソのカフェインが興奮をもたらすための命名だという。 スポンジにコーヒーリキュールをひたしてあることから、アルコールがほんのりといい気分にさせてくれるとも考えられる。文字通りの「語源」 は分かるが、それ以上は証明しようのないことだ。

 お菓子といえば、「金平糖」がポルトガル語のconfeito(英語のconfection砂糖菓子、 confectioneryお菓子屋)から来ているというのも有名である。

 なお、「サンドウィッチ」のように人名などがモノの名前になるのは「エポニム」(eponym 名祖なおや)と呼ばれる。日本では 「出歯亀」(池田龜太郎という出っ歯の変態性欲者の名から)「土左衛門」(水死体が成瀬川土左衛門という力士に似ていたから)「八百長」 (これも相撲社会から起こった語で八百屋長兵衛という人の名によると言う)などが知られるが、名前を優先させる欧米よりも随分少ない(大体、 「ヨーロッパ」だって、「アメリカ」だって、神様の名前や人の名前に由来している)。

 こんな風に語源についての蘊蓄を語りたかったら、本屋にいっぱい並んでいる『面白語源辞典』なんていう本を読めば十分である。 ここではむしろ、語源をどう考えるかを述べてみたい。


 語源学というのは言語学の中で地位が低い。専門家の仕事ではなくて、素人学者の仕事だと思われているフシがある。ちょうど、 クラシックの愛好家に“蘊蓄屋”とでも呼ぶべき人々がいて、演奏家が彼らを嫌うのに似た精神構造かもしれない。 知らないことを知ることが大切なのに“蘊蓄屋”は知っていることだけ知っていて自慢する。言語学の場合、“蘊蓄屋” の性癖は誰も知らないような語源を述べて、だから「○×だ」という結論を出すものだ。

 例えば、次のようにギリシャ語やイタリア語を駆使すると蘊蓄らしくなる。リンゴのことをギリシア語では melon (μηλον) という。これは別に歴史の過程でリンゴがメロンに化けた訳ではない。メロンや瓢箪の類を pepon といい、のちにその pepon の一種が melon と pepon を合わせて melonpepon と名づけられた。その melonpepon の前半だけが俗語の中で切り取られ呼び名とされたのが、今日のメロンである。強弱自在の音が出せるというので pianoforte と名づけられた楽器が今日ピアノといわれるのと同じ原理である…。

 語源的思考ができれば文章は簡単だ。どれだけでも書ける。例えば、

 先日、ひょんなことから友人に「ひょんな」って何だと聞かれた。お前は言語学者だろう、調べろ、といわれて「ひょんなー」 なんて思ったものだ。

 研究室に戻って調べてみるとなかなか面白い。

 大体、「ひょんな」という言い方は江戸時代からある。

 じゃあ、「ひょん」て何だろうと思って、これまた調べてみると、江戸時代、柞(いすのき)のことを「ひょん」と呼んだらしい。 つまり、「ひょん」とできるからだと思っていたら、この常緑の高木である柞には葉に大きな虫こぶができて、子どもたちが笛にして遊んだ。 そこから方言で「ひょんのき」といったらしい。

 昔の人はこの「ひょん」を取って、頭にかざしたともいう。目出度い印とされたのである。「ひょん」 を神聖なものとして考える古代人の心性に触れたような気がする。

 そこから、「ひょん」というのを予期しない出来事のことを指すようになってきたのだ。

最近は間違って「ひよんな」と書く人も増えてきたが、発音が「ひよんな」とはっきりいうためだろう。

 中には、いい年をした大人までが若者に媚びて「ひよんな」と書いている。

 私はいいたい。

 お前ら、ひよんな!    ←日和るな、でしょ。

 しかし、これは元の意味を知らないでも生きていける現代人にとって、また、 言語学を専門とする者にとってもあまり生産的な話ではない。「さかな」というのは「酒+菜」からできているが、 いちいちそんな風に分解して考える人はいないし、いたら、おかしい。

 そんなことを言ったら「本腰を入れる」(NHKでは使ってはいけない言葉になっている)とか「女性上位」(時代) などを使う度に顔を赤らめなければならない。

 とはいえ、言語学の分野の中で一番か二番目に素人受けがよくて言語学者が言語学を習っていてよかった、と思える瞬間を作ってくれる。 何しろ、それまで変人とかにしか思われてなかったのが、いきなり「物知り」と認められるようになるからだ。

 まあ、僕も生意気そうなことをいう人がいて気分が悪い時には、語源を使って、ケムに巻くことを覚えた。英語のヴァニラはヴァギナと 「莢」(さや)という意味で語源が同じとか、相手に合わせて適当に語源の蘊蓄を傾けておけばいいのだ。


 もう一つ、素人受けのいいのは「日本語起源論」である。こちらは言語学界の忠臣蔵のような人気を保っている。 10年位の周期で思い出したように新しい説が出てきて、マスコミを巻き込んで大騒ぎとなる。学者の系統論だけでも、1889年の大矢透、 白鳥庫吉に始まり、1930年代の新村出、小倉進平、金田一京助、50年代の泉井久之助、大野晋、服部四郎、70年代の亀井孝、村山七郎、 西田龍雄、80年代の川本崇雄、大野晋、中本正智などがある。

 もっとも素人受けしたのは1955年の安田徳太郎の「レプチャ語説」である。チベットのレプチャ語で万葉集は読める、 というものだったが、金田一春彦がすぐに「万葉集の謎は英語でも解ける」(『文藝春秋』1956年7月号)を書いた。「万葉集」というのは 「たくさんの頌歌のの陳列」“many+ode+shew(showの古形)”であると喝破した。 最近では藤村由加というグループで書いている『人麻呂の暗号』(新潮社1989)などを揶揄して安本美典が『朝鮮語で万葉集は解読できない』 (JICC出版局1990)という本を書いた。これによれば「万葉集」は「あなたの手を見せよ」「男たちの昔の船」「農民兵による戦争」 「若者たちがくちびるを当てる」「累々たる骨は、だれのものか」という5つの可能性があるという。つまり、どの可能性もないのである。 李寧煕の『もう一つの万葉集』(文藝春秋1989)なども同様である。

 富山でも方言を全部アイヌ語で説明しようという人がいる(間方徳松『アイヌ語は日本語の源,北陸篇・南方篇』)。

 そんな人は清水義範の「序文」(『蕎麦ときしめん』講談社1986)というパスティーシュを読んでほしい。 ここには吉原源三郎なる学者が日本語を英語で説明するために次のような語を挙げている。

 

汁(ju)→juice(ジュース)
斬る(kiru)→kill(殺す)
だるい(darui)→dull(だるい)
坊や(boya)→boy(少年)
名前(namae)→name(名前)
下司(gesu)→guess(下司の勘ぐり)
負う(ou)→owe(負う)
たぐる(taguru)→tag(引き寄せる)
疾苦(sikku)→sick(病気)
場取る(batoru)→battle(戦い)
抛る(horu)→fall(落ちる)
述べる(noberu)→novel(小説)
 どれだけ馬鹿馬鹿しいか分かってもらえると思うが、本人たちは必死である。

 と学会・編『トンデモ本の世界』(宝島社文庫)にはドン・R・スミサナ『古代、アメリカは日本だった!』(徳間書店) があげられているが、例えば、次のような説明が並んでいるという。

テキサス=敵刺す
ミズーリ=水入り江
マサチューセッツ=鱒駐節
カンザス=関西
ケンタッキー=関東京
カナダ=金田
ナイアガラ=荷揚げ場
アパッチ=あっぱれな者
エスキモー=アシカの肝
 そして、まさかと思うだろうが、「オハイオ」は「お早う」と説明しているのだ。

 こんなのは偶然の一致だ。ドイツ語の“Namen”と「名前」が似ているのは知られているが、“Nanu”というのもある。 これは驚きや不審の念を表す際に使う感嘆詞で、日本語の「あれっ?」「何だって?」と同じように「なぬっ?」と使う(短く「ナヌッ」 と発音するパターンと「ナヌー」と伸ばして発音するパターンがあり、唇をとがらせて言う)。ドイツ語で“Ach so”といえば日本語の 「あ、そうか!」という意味だ。イタリア語で「乾杯」は「チンチン」(Cin cin!)というが、オノマトペであって、 日本語のチンチンとは無関係だ(「君の瞳にチンチン」なんて…)。

 他にも探せば「スケベニンゲン」という土地がオランダに、「エロマンガ島」がフィジーにある。 どんなところか男としては興味があるが、言語学者としては興味がない。ただ、これらはトンデモ本だけど、よく売れるから、 儲からない言語学の人間としては本当に羨ましい。

 こうしたトンデモ本、妄想史観のルーツは明らかに『成吉思汗ハ源義経也』という本を出した小谷部全一郎である。 ジンギスカンはニロンの落人だったのだが、ニロンは日本に他ならず、母ホエルン・イケは池の禅尼、父エゾカイは蝦夷海、 テムジンは天神であり、ジンギスカンという名前も源義経(ゲンギケイ)がゲン・ギ・スとなまったものである。という。 トンデモ本は病理的現象であり、妄想史観だから、小谷部の精神史を徹底的に調べたのが長山靖生『偽史冒険世界 カルト本の百年』(筑摩書房) である。そして、これ以上の言及はそちらに譲る。


 英語で「台風」のことを“typhoon”だということを学ぶと、日本語から来ているように思うが、 英語の方は16世紀に登場している。逆で明治時代末に、当時の中央気象台長・岡田武松が「颱風(たいふう)」を使ったのだ。中国語の「大風」 とギリシャ神話のテュポン“typhon”の話が混ざった語源のようである。そして、“typhoon”の翻訳として「颱風」「台風」 が日本語に入ってきた。テュポンは黒い舌のちらつく100ものヘビの顔を持ち、目からは炎を噴く怪物で、その口は、雄牛のようにほえ、 シュウシュウと音をたてたという。その強さもゼウス相手に壮絶な立ち回りを演じ、一時は手足の腱(けん) を切って動けなくするまで追い詰めたほどだという。だが、人間の食物を食べると急に弱くなり、 結局はゼウスの雷を受けて地底の闇に追いやられてしまう。彼はそこで人に害をなすすべての風の父となった。 袋をかかえた少しひょうきんな日本の風神とは違ったすさまじい神だ。しかし、アラビア語で、ぐるぐる回る意味の「tufan」が、 「typhoon」となり「颱風」となったという説もある。


 言語の起源と民族の起源は違うが、一致する場合もある。日本人の起源に関しては2001年に「NHKスペシャル 日本人」 でブリヤート族とDNAが近いことが紹介された。縄文人とアイヌ民族のDNAが近いことも検証されている。

 日本語起源論は新しい段階に来ているように思える。


 NHKのクイズ番組「日本人の質問」に寄せられる質問の半数以上は語源についてのものだという。 語源に対する関心は非常に強いのである。にもかかわらず、国語学者の反応は鈍い。

 例えば、柴田武『日本語を考える』(博文館新社1995)の「語源について」には次のように書いてある。

現在、「わたしは語源が専門だ」と語源学者を名のっている専門の国語学者は五人といないのではないか。 毎年発表されるおびただしい数の論文の題目を見ても「……の語源について」というものは少ない。あっても、それは、 素人や素人に近い人の手になる随想的なものである。専門の国語学者は、語源に研究に対して冷たい態度をとり続けているかに見える。

 2002年には語源が訴訟になった。フジテレビのクイズ番組「クイズ$ミリオネア」に出演した静岡県沼津市の男性会社員が、 答えが間違っていないのに不正解とされ、賞金が得られなかったとして、フジテレビを相手取り、 賞金650万円の支払いを求める訴えを起こした。 男性は今年2月21日放送の同番組に出演。マヨネーズの語源を問われた4択問題に対し、 「人の名前」と解答したが、番組では「町の名前」が正解とされた。男性は、正解なら750万円を獲得できるはずだったが、 不正解とされたため、それまでの正解分として100万円しか得られず、「事典などで人の名前という説も有力に主張され、間違いではない」と、 差額分650万円を求めている。一般にはリシュリュー公爵が1756年スペインのメノルカ島にある港町 Mahon 港を攻め落とした後、 食事を求めたが、調理してなく、食べられるものをかき混ぜて食べたことから「マオネーズ」と呼ばれ、後に「マヨネーズ」 となったという説がよく知られている。元々はバイヨネーズといい、フランスのベアルヌ地方のバイヨンヌ(生ハムが有名)にちなむ、 マイエンヌ公爵の料理人が作ったから、あるいは卵黄を意味する古いフランス語のモワイユという言葉からきているなどともいわれる。 果たしてどうなるか?【裁判で新阜裁判官は34の文献を取り上げた上で「いずれの文献も町名説に触れているが、 人名説に触れているのは一つしかない」と指摘して「人名説があることを考慮して選択肢から除外するなどの配慮を欠いた面はあるが、 フジテレビの正解設定には相当性が認められ、正解は町の名前のみというべきだ」と述べた。 男性の弁護士は 「少数説が正解とされないことや正解権限が被告側にあるというのは納得できない」と話している】


 昔から語源に関して多くの人が興味を持っていた。あのプラトン君の話によれば、ソクラテスさんだってheros(英雄) の語源をeros(恋愛)としたようだが、理由は恋愛から英雄が生まれたからというのだ。

 もっと前に遡ると聖書にも例えばish(男)から生まれたからissha(女)だという。現在でもman(男) から生まれたからwoman(女)だという人がいる。つまり、womb(子宮)から生まれたからwomanなどといいかねない。 本当はwif(wife)+manでmanは別に「男」の意味ではなかったのだが、そういう説明の方が人気がある。

 というのも、語源というのは証明が難しい。

 その前に、語源といっても単語のでき方に2種類あることに注意しておきたい。

 つまり、「梅干し」というのは「梅を干し」たたものだからという具合に合成語はある程度説明ができるけど、 元の名前がどうしてそう決まったかは神様にも分からない。「梅」は中国語の「梅」(メとか発音されていたはず)から来ている(「馬」 もマから)が、どうして中国語で「梅」がメなのか、日本語で「干す」ことを「干し」といういうのか(「ほ」+「し」かもしれないが) 誰にも分からない。「ダフ屋」は「札」を隠語として逆さまにした「ダフ」から来ていることは言えるが、どうしてチケットのことを「札」 というようになったか説明はできない。「チケット」と「エチケット」の関係は分かるが、なぜ「チケット」 というようになったか分からないのである。


 語源に遡り、原義を知れば、「真」なるもの(etymos)が判明する、という論理(logos)がある。これを「語源的論理」 といってもいいだろう。

 しかし、これは一種の「歴史主義」ともいえ、タマネギのように剥いていったら最後には何も残らないことも多い。

 なぜかといえば、「さかな」が「酒+菜」、「みなと」が「水+の+門」などと語源に遡ることができる。そして、こうした「歴史主義」 は「魚」の語源が「酒+菜」だからといって、子どもに食べさせないようなものだ。

 なぜ「酒」が日本語で「さけ」というか「水」を「み」というかまでは分からない。

言語の体系はすべて、記号の恣意性という・ 万一無制限に適用されたならばこの上ない紛糾をもたらすに相違ない不合理な原理にもとづくものであるが、さいわいにして精神は、 記号の集合のある部分に秩序および規則性の原理を引き入れてくれるのである。これこそ相対的有縁の役割にほかならない。

 などとソシュールは難しく書いて(語って)いるが、言語記号は指示内容(意味されるもの)と無関係であるから、 遡ることができないということだ。

 いや、日本語はどこかの言語から生まれたのだから、それを求めれば答えが分かる、という人がいるかもしれない。実際、 印欧語の場合は研究が進んでいる。

 中にはこれを突き詰めて、世界の言葉は全て「ヤフェテ語」から生まれたとした学者がいた。ソ連のマールという学者で「マーリズム」 とあだ名される。「ヤフェテ語」というのはハム、セムの兄弟である。つまり、ノアの方舟に乗った男なのであるが、ハム・ セム語などと同様な言語があったはずで、勝手に「ヤフェテ語」と名付けて人類言語の元だとした。

 この問題はこれだけで長くなるので、はしょるが、マールはソ連の御用学者となり、多くの立派な言語学者の粛清にもつながった。 しかし、スターリンはマールを批判した論文「マルクス主義と言語学の諸問題」(『弁証法的唯物論と史的唯物論』 国民文庫=新版には載っていない)を書いて彼の時代は終わったのだ。スターリンの論文は唯一、自己批判した文章だといわれている。

 また、「ノストラ語」説というのもある。全ての言語は「ノストラ」(ラテン語「我々」から命名)から生まれているとする説である。 これに関してはディクソンが『言語の興亡』(岩波新書)で徹底的に批判している。

 これらは言語起源論とも関係があり、際限のない話で、何とでも思弁的な結論を見いだせるので、1866年パリ言語学会創立に際し、 同学会規約第二条で「当学会は言語の起源や普遍言語考案に関するいかなる論文も受理しない」ことが決められている。

 源泉主義はミロのビーナスの両腕を探そうとするようなものである。


 ある言葉を誰が使いだしたか分からないと同様、語源というのは証明できないものである。「うるち米」の「うるち」 がサンスクリットのvrihiから来ていると言われても、誰も一緒にその語を見守ってきたわけではないので分からない。

 稀に証明できるものもある。金田一京助の本に出てくるが、彼は「バリカン」の語源を知りたくてずっと調査していた。ある日、 古いバリカンが見つかって、それを見たらBarriquand et Marreというフランスの製造会社の名前が刻んであった。

 最近では黒板消しを「らーふる」と呼ぶのが宮崎、鹿児島、愛媛だけに見られる「方言」だということで、騒がれた。 普通はそんな分布をしないはずである。よく調べてみると、 実は名古屋のしにせ業者の商品名でいつの間にかこの三県だけが黒板消しそのものを指すようになったという。

 英語っぽいけれどそうではなく、当の業者も語源は分からないと言う。宮崎国際大助教授だった岸江信介さん(方言学・現徳島大) によると、鹿児島では七十代でも使うが、宮崎ではせいぜい 四十代まで。まず鹿児島で教員が広め、宮崎に移ってきたらしい・・・ 宮崎日日新聞

 そして、驚くべきことに、「ラーフル」というのは内田洋行などでごくごく普通の普通名詞として使われていた。そして、 日本理化学工業ではもっと衝撃的な記述があったという。それはオランダ語のRAFELから来ているというものだ。 英語のRAVELに相当して「こする、磨く」だというが本当だろうか?

 これを確かめるためにはオランダへ行ってRAFELで通じるかどうか、レアリアが分からなければならない。つまり、 オランダ人が黒板消しを「ラーフル」と呼んでいれば問題ない(オランダ語の専門家で『エクスプレス・オランダ語』 白水社などを書いている桜井隆さんに聞いたが、思い当たる言葉はないという)。

 他の可能性を勝手に考えると「ウエス」(英語の“waste”から)が「ボロ布」から「雑巾」の意味で使うのと同様、英語の “raffle”(「ゴミ、がらくた」)から黒板拭きになったというものである。

 さて、ここで思い出すのは富山方言である。富山弁ゼミナールには次のような記述がある。

 富山市近在では、今でも70歳を越えた人であれば、時には消防自動車のことを「らふらんす」と言うことがはずである。

 大正10年(1921)8月に富山市は、新威力を誇るロータリー式消防自動車を1台購入した。赤一色に塗られ、 異様なサイレンのうなりをあげて街を疾走する姿は、市民の目を大きく奪ったことであろう。この消防自動車が、 アメリカのラフランス会社製であったので、人々は消防自動車のことを「らふらんす」と呼ぶようになったわけである。

 消防車のことは他の地方でも「らふらんす」と呼んだはずである。ということは「火消し」からの類推で「黒板消し」を「らふらんす」 と呼んだ地域があっていいはずである。その「らふらんす」を縮めて「らふる」、そして「らーふる」になった。

 なんて推測が成立すれば面白いのだが、今となっては誰にも分からない。

 分からない語源で一番有名なのはOKの語源かもしれない。この語源説は30ほどある(とハッタリをきかせると相手は聞いてくれる 「色々あるけれど、Oll Korrect<All Correct=All Rightから来ているという説が有力だね……」)。

 こうなるとほとんど呪文の世界だ。幸田露伴は娘の文に掃除を稽古させた。鍛錬と呼べるほどの厳しさで、ぞうきんの絞り方、用い方、 バケツにくむ水の量まで指導は細かい。終わると「あとみよそわか」と呪文を唱えさせたという。「あとみよ」は「跡を見て、もう一度確認せよ」 、「そわか」は成就を意味する梵語“svaha”で密教で呪文の最後につける語で、密教ではさまざまに解釈するが、元来は仏への感嘆・ 呼びかけの語だという。江戸の草双紙にも「後看世蘇和歌」(蘇婆訶/薩婆訶とも表記)とあり、露伴の造語ではないらしい。「馬鹿」 というのも語源が分からなくなっていて、既に呪文になっているが…。


 語源を遡ると、いろいろのことが判ってくる。

 僕らには日が「暮れる」と「暗い」は無関係のように思われる。ところが古くは夜の「明ける」と「明るい」、夜が「ふける」と「深い」 など、これらの動詞と形容詞は密接な関係にあった。「暮れる」と「暗い」は、明りのない古代の人たちの生活を考えれば、 まったく自然の関係だった。


 最初の使用者がどういう意味で使ったか、なんてことはその人に聞かなければ分からないし、ある人が一人で「犬」を「ゴッド」 といっても聞いた方が理解できなければ言葉は成立しない。

 メディアが発達すると最初に使った人が誰だか分かることもある。例えば、「エッチする」 という言葉でセックスという重さから解放したのは島田紳助だということが分かっていて『現代用語の基礎知識85年版』に初めて載った (これさえ明石家さんまという説がある)。好きな言葉ではないが、「視線」と言わず、「目線」 と最初に言い出したのは連合の初代事務局長山田精吾だと、ある経済団体の機関紙に書いてあった。視線だと冷たい。目線ならあったかい。 山田は、目線を低くして組合員に語りかけたという。「情報」という訳語もドイツのクラウゼヴィッツ(Clausewitz)の『戦争論』 の翻訳の際、森鴎外がNachsicht(敵情報知)の訳語として使用して日本語として定着させたというのが定説だが、 実際にはさまざまな説が出ている。

 作家のペンネームだって、津島修治がどうして「太宰治」になったか分からないし、『男はつらいよ』の「車寅次郎」 という名前も様々な理由が見つけられる。ごく最近のことなのに、語源を探ることは容易ではない。

 しかも、聞いても使っているうちに意味が変わっているなんてことが多い。作家の場合は都合のいい、 面白い説があるとその説で通してしまうこともある。「根暗」という言葉を作ったのはタモリであることは間違いないし、「笑っていいとも」 という番組であることも、時期も分かっている。しかし、タモリは後に「この言葉は表面は明るいが実は暗い内面を持つような人を指していた」 と述べているように、「ひたすら暗い人」を指しているのではなく、屈折した気持ちをもつ人を指していたのである。当然、差別語ではなかった。

 差別語でいえば、「馬鹿チョン」カメラの「馬鹿チョン」があるが、カメラに付いている時は意識しないが、「馬鹿でもチョンでも…」 というと意識せざるを得ない(しかし、 これは江戸時代からあった表現で差別ではないという説もある---だからといって現在使っていいということにはならない)。

 大好きなのは「ちちんぷい」の語源だ。気休めのまじないなのだが、徳川家光の乳母の春日局が「智仁武勇御代(ごよ)の御宝 (おんたから)」の略が語源だという説がある。病弱だった家光が徳川幕府の基礎固めを果たしたのだから威力がある。


 命名論とも関わるのだが、最初に名付けた人の命名の理由は一つではない。自分の子どもにどんな名付け方をしたか、 たった一つの理由という人はいないだろう。

 アニメ『となりのトトロ』の由来は「所沢のお化け」というのを、子どもが所沢をいいにくくて「トトロ」 となったというのが通説である。ところが、映画の中で小さいメイがお姉さんのサツキに自分が出会ったお化けを説明する時に「トトロ」という。 「トトロって、絵本に出ていたトロルのこと?」というサツキの問いかけに対して「コックリするメイ、大まじめ」 と宮崎監督のト書きにも書かれているから、メイ本人は確かに「トロル」のことだと思って「トトロ」と発音したようだ。うまく「トロル」 と発音できなかったメイは、舌足らずに「トトロ」としか言えなかったということだ。

 語源と原典(“あやかり”のモデル)を区別した方がいいかもしれない。


 「しゃれこうべ」というのを考えてみると「舎利(骨)+頭」だと思えてくるが、辞書をみると「晒れ+頭」という具合に書いてある。 僕の頭がただの「しゃれ頭(こうべ)」だった!

 こんなのは笑い話だというかもしれないが、例えば「ねずみ」の語源について説がいっぱいある。

  

『大言海』などは「根住・根棲」の意味。『東雅』も「ネは幽陰の所をいう。スミは栖の義」
『日本古語大辞典』などはアナズミ(穴住)説。
『菊池俗言考』などはネズミ(不寝魅)説で夜も寝ないからという。
『和訓栞』は人が寝た後、「寝盗」からという。
『名言通』は人が寝た後、出てネイツミ(寝出見)からという。
『日本釈名』はヌスミの転だという。
 一つだけ見ると、すごい学者だと思うかもしれないが、実際にはこんな風にして、親父ギャグ大会になっている。特に大槻文彦の『大言海』 には大限界がある。その文彦先生だって苦労はしていたのである(『言海』「ことばのうみのおくがき」明治二十四年四月)。

 某語あり、語原つまびらかならず、或人、偶然に「そは何人か西班牙語ならむといへることあり」といふ、さらバとて、 西英對譯辭書をもとむれど得ず。「何某ならば西班牙語を知らむ」「君その人を識らば添書を賜え」とて,やがて得て,その人を訪ふ、不在なり。 ふたゝび訪ひて遇へり、「おのれは深くは知らず、某學校に、その國の辭書を藏せりとおぼゆ」「さらば添書を賜へ」とて、 さらにその學校にゆきて、遂にその語原を、知ることを得たりき。

 ロシアの亡命作家ナボコフも珍種の蝶々を収集するようにロシア語っぽい英語の単語を探すことに熱中していたという。 駄ジャレをいわずにはいられない人がいるように、外国語の中に母国語の痕跡を探さずにはいられないというのは母国を失った人の性(さが) なのである。

 「テキヤ」の語源にも諸説あるが、仏教の教えを分かりやすい言葉で説きながら香や仏具を売り歩いた武士「香具師(こうぐし)」が 「野士(のし)」と呼ばれるようになり、やがて祭礼や縁日で者を売る商人全体を指すようになる。これが明治以降「ヤー的」に、 更に上下を逆にして「テキヤ」になったという説が強い。他に「目の前の通行人はすべて敵と思って商売せよ」 という意味からテキヤになったという説もある。面白いと思う説を信じるしかないのである。こうして、語源学者は「テキヤ」と変わらなくなる。

 昔話の「花咲かじいさん」になぜか「ポチ」という犬が出てくるが、「ポチ」というのは日本語としてかなり珍しい音形である。 これを英語の“Spotty”だとする人もいる。スポット、つまり、ぶち犬でなければならないのである。更に“pooch” とかフランス語の“petit”からという説もある。調べてみるとポチという犬の名前が流行したのは明治3,40年だという。少なくとも 「花咲かじいさん」が今の形になったのはそんなに昔のことではないようだ。が、本当のことは誰にも判らない。


 最初に書いたように言葉の起源は分からない。起源とか根源を求めても、何もないのが本当だ。ニーチェは「始まりの拒否」 をしたというのはミシェル・フーコーの言葉だが、語源といっても始まりを考えないことが大切だ。 19世紀のパリの言語学会で言語の起源についての論文は認めないことになっているように、起源や根源はない。

 言語学で問題にすべきは「民間語源」のような「発生」である。 どのように発生してきたかで民衆の言葉に対する力が見えてくるのである。

 「たぬきそば」の語源は『新明解国語辞典』によれば「東京、世田谷の砧(キヌタ)家で始めたキヌタソバがその始まりという」 としっかり書いてあるのだが、「きつねうどん」(もちろん、きつねは油揚げが大好きだから)が先にできていて、キツネ:タヌキ=うどん: そばという図式があって初めて定着したのである。定着するためにも民間語源の力が必要なのだ。

 ところで、関東ではうどんもそばも具材が揚げ玉だったら「たぬき」、油揚げがのったら「きつね」になる。「きつね」 は1893年創業の大阪のうどん屋で考案され、後にそば版のたぬきが登場したという。東京では天ぷらの「タネ」を抜いたものだから「たぬき」 となったという説もあるのだ。東洋水産が「緑のたぬき」を出した直後には違うという苦情もあったという。


 柳田国男は「節用禍」という言葉で語源に対して戒めている。つまり、『節用集』という辞書に載っているから語源はこうである、 ああである、という態度は間違っているという。文字や文書の知識が言葉の姿を歪めたり、解釈を曲げたりする現象を批判している。 英語で語源はOEDに載っている通りだと決めつけてしまうようなものだ。

 「ねずみ」の語源のように、ある本に書かれていたから語源はこうだ、という決めつけてはいけない。もっと言えば、 日本人は文字信仰というものがあって、印刷されたものに権威をみつけ、そこで思考停止することが多い。文字から脱却しなければならない。 それはどんな学問でも同じだ。

 語源の場合は、特に後から漢字を当ててあって、「あんばい」が「塩梅」で梅干しを付けるのにちょうどの塩の量だ、 という語源説が人口に膾炙される。「案配、按配、按排」(ほどよく配列する)という漢字もあるし、柳田のように「間(あわい)」 が変わったものだという説もある。

 しかし、柳田がどんなに偉大でもこの説が正解とはいえないのである。


 もう一つ大切なことは借用である。自国語だと思っているのに、元は外来語ということがままある。天ぷらは日本独特の料理だが、 ポルトガル語である。「合羽」や「南瓜」(読める人もすくなくなっただろうけど)なども日本に定着している。

 逆にアイヌ語で「神」は“kamui”、「高坏」は“tukui”などの言葉になっているが、 同源と考えるよりは借用と考えた方がよさそうだ(ただし、縄文学や遺伝子研究の進展で見方が違ってくるかもしれない)。


 学者の説も民間の説もそんなに変わらない。だから「民間(民衆)語源」(folk etymology)が生まれてくる。

 「民間語源」というのは古今東西を通じて民衆がいつの間にか言葉を分解して考えているような例である。 民衆の語るこじつけの語源解釈だが、なかには的をはずしていないものがある。へたな役者のことを「大根」というが、これは「素人」の「しろ」 から「大根」になったとか、下手な役者のことを「馬の脚」というが、これとの連想からという説があるが、大根は生でも煮ても、決して 「あたらない」というのは後からできた説でも説得力がある。英語では“ham”というが、不器用な人間を賞賛する minstrel show の歌 The Hamfat Man からの造語で“hamfatter ”の短縮という説があるが、一説には米国の Hamish McCullough(1835-85)の劇団 Ham's Actors からという説もある。

 武士などが使った「一所懸命」が「一生懸命」に変わったのは「一所」を「一生」だと民間の人たちが間違えたからである。

 柴田武が書いているが、「青大将」は「青い」「大将」(お仲間!?)だからと民間語源で考えがちだが、実は「青大蛇」 が訛ったものである。「大将」はタイシヤウ、「大蛇」はダイジヤと書かれたことから証明できる(タイシヨウだったら「大蛇」 とは結びつかないことになる)。

 こんな風に表記が変わって語源から遠ざけられることが多い。「稲妻」というのは「稲の夫(つま)の意味で、古代、 いなびかりによってイネの穂が孕むと信じられていたことから呼ばれたが、今の表記は「いなづま」だけでなく、「いなずま」でもいいとされる。 そして、「いなずま」となると語源から離されることになる。

 「むすびの神」は結婚式を司る、ただの「縁結びの神」だと民間では思われているが、もともと「産霊」と書かれていて、「ムス・ピ」 から出ていることが国語史から分かってくる。ムスは「苔むす」のムスで「生む」「生み出す」の意味。ピは「霊」のことをいう。つまり、 「むすびの神」は、男女に「子を生み出させる神」のことで、結婚しても子どもを生まない夫婦は「むすびの神」 に見離された存在ということになる。

 民間語源の典型的なのは「夜這い」であろう。「夜這っていく」からと思われるが、「呼び合う」が縮まったものである。「歌垣」 (うたがき)とか「かがい」と呼ばれた行為と同じ風習に遡る。

 日本語の語源を考える時に注意することは、もともと音声だったのが、それに合わせた漢字で書かれた途端に、 漢字に引っ張られて解釈することが多く、惑わされるということだ。地名や姓名などの語源などもカタカナで考えなければならない。


 英語だとasparagusをa sparrow+grassと分析して「雀」+「草」だと思っているアメリカ人も多い(実際には “spark”と近い語源を持ち、ギリシャ語の「膨らむ」から来ている)。

 ハンバーガーの語源は「ハンバーグ」から来ているが、「ハンバーグ」はドイツのハンブルグから来ている。 都市の名前が語源になっているのだが、問題は「ハンバーガー」から「チーズバーガー」とか「月見バーガー」というのができた瞬間に、 これは民間語源でできた語という(「異分析」という)。だって、「バーガー」という代物はなかったのだ。そのうち、 ダイエット用で半分にした「4分の1バーガー」なんてものも生まれるかもしれない。

 「帝王切開」(Caesar/Caesarean section/operaion)というのはジュリアス・ シーザーが帝王切開して生まれたからという説があるが、実際にはラテン語のcaesarea「切る」とCaesar「シーザー」 とをドイツ人がお節介にも間違ってしまい、「シーザー(帝王)の切開」となってしまったのである。

 スコットランドで、新種のゲームが考案され、そのゲームのうたい文句が Gentlemen Only, Ladies Forbidden... (紳士のゲームにして、ご婦人の為すこと能わず...)ということからGOLFになった、というのはウソである。

 面白い話はいくらでも作れる。「ベーコン」の起源はイギリスの哲学者フランシス・ベーコンである。 ベーコンは内臓を取り出した鶏に雪を詰めて保存する実験をしていて死亡した。寒空の下で風邪を引いたとも、 食した肉にあたったとも伝えられている。冷凍食品づくりの先駆者だろう。その道に携わった人の経験談によれば冷凍の技術よりも、 いかにして鮮度を保ちつつ常温に戻すか、解凍の技術に頭を悩ませたという。ベーコンは政策に携わる者に戒めを残している。「いわく遅緩、 いわく腐敗、いわく傲慢、いわく軽挙」だという。…というのは全くのガセネタである。


 腐ったような大豆が「納豆」で、箱に納めてもないのに「豆腐」は逆ではないか、などと民間語源がジョークに使われることも多い。

 民間語源が洗練されると物語になる。竹取物語も富士山の民間語源の物語(沢山の兵士が登ったので「士が富める」、 不死の薬を燃やしたので「不死」の二つの説)と考えることもできる。そう言えば、かぐや姫が求婚者の一人、あべの右大臣に出した難題は 「火鼠(ひねずみ)の皮衣」の入手だった。右大臣は唐に使いを出したが、ニセモノをつかまされ、燃えぬはずの皮衣はめらめら燃えてしまう。 「あべなし=あえなし」という語呂合わせで終わるあっけない結末だった。竹取の作者は駄ジャレが好きだったのだ。

 どうして「部屋」というようになったか、という次のような昔話もある。

 結婚したばかりのお嫁さんが、亭主がいなくなると姑と二人きりになる。お嫁さんは窮屈で、何とか夫婦の部屋がほしい。 若夫婦なので欲求不満も募ってくる。そして、姑とケンカをして、追い出されてしまう。 原因はお嫁さんの放屁がストレスからやたら大きかったということだ。

 家を出て、通りすがりに商人が牛の背に商品をいっぱい載せてやってくる。そこにあった梨の木を見上げて、あの梨を全部もらえらば、 俺の荷物を全部あげてもいいのに、と口走った。たまたま、梨の木の下にいたお嫁さんがおならを一発ならした。 すると振動があまりにも大きくて、梨の実が全部落っこちた。それで商人の荷物を全部自分のものにすることができた。 そこへ亭主が追いかけてきたので、二人で商品を町にもっていき、大金を手にした。そして、とうとう自分たちだけの部屋を持つことができた。

 これが「屁屋」、つまり、「部屋」の語源である。


 もう一つ、日本独自の「民間語源」がある。言葉と次元が違う、漢字の起源に関する「民間字源」である。

 例えば、「漢字って面白いですね。良い時代は“娘”と書いて、家に入るから“嫁”になって、古くなると“姑”になって、 顔に波が出ると“婆”になる」なんて説明をする人がいる。「アリは義理堅い虫だから“蟻”って書くんですね」なんていう人がいる。「“泊” と“晒”は逆ではないか、だって、白くする方は“泊”で、陽が西に傾いた時に“晒”のではないですか?」という質問をする人がいる。

 子育ての話で「“親”という漢字は“木の上に立って見る”ですから、そんな風に子どもを見守ってください」とも言われる。

 面白いのだけれど、これらの多くは漢字の起源を無視した議論なのである。(実際の発音は少し違うが)“娘”をリョウ、“嫁”をカ、 “姑”をコ、“婆”をバなどという発音が先にあって、これらを表す漢字の左を意味、右を音としたのであって、右側の旁(つくり) に積極的な意味はない。

 アリのことをギ、船が泊まるのをハク、布を晒すことをセイと言ったから“蟻”や“泊”や“晒”になった形声文字なのであって、 中国語の音を忘れて日本人が勝手に面白いということはできない。

 民間語源ではないが、「頁」は中国で「頁」の近代音「よう」が「葉」と同音であることから用いたもので、 漢字なのにカタカナ表記するところは非常に奇妙に思える。

 今の漢字で考えると間違えることもある。例えば、「親切」はそのままだと「親を切って」何が親切かと思うが、漱石などの頃は「深切」 と書いて、「身を深く切られるように、身に沁みること」という意味だったという。今の漢字によって元の意味が裏に隠れてしまう。

 でも、今度から、“「愛」という字は「心」を「受」けると書く”なんて話をして女の子を口説こう!


 語源は証明が難しい。方法論としては文献調査、比較、内的再建というのがあるのだが、難しい。「竹取物語」 のように文献に書いてあったからといって正しいとは限らない。比較は日本語の場合、同源の言語が知られていないから無理だ。 内的再建というのは「さけ」と「さか」が「酒」と「酒屋」で交替する現象を通してどちらが先か考えていくものである。

 「民間語源」に対して「学者語源」ということがあるが、学者だって人の子だ。

 「神」と「上」は同じ語源かという問題がある。貝原益軒、新井白石、賀茂真淵らは「上」からだといっていたが、実は「神」と「上」 では使われる漢字の種類が違うのである。同じイの音でも「神」の方は乙音と呼ばれる音で「上」は甲音と呼ばれる音なので違う物なのだ。 だから語源は違う、なんてことにはならない。つまり、少なくとも“kam-”の部分は共通していて、ここが同源なのかもしれないのである。

 今の若い人は使わないし、状況自体少なくなっているが「えんこ」という言葉がある。これは「エンジン・故障」 の省略だと考えられるが、実は江戸時代の『柳多留』の中でも使われていて、子どもが動かなくなった状況を「えんこ」 というから違うことが分かる。語源学では、こうした「○×の語源は△□ではない」という否定的な言い方しか生まれてこない。

 『岩波古語辞典』はそうした証明を飛ばしてできた辞典の一つである。これは言語学者ではなく、 国語学者の大野晋が編纂したもので自分の知っている言語で説明できるものは説明してある。「ツマ」というのは端にあるもので「爪」や「妻」 というのはここから派生した、というのは構わないにしろ、これを朝鮮語で説明するのは、学会で承認されたものではない。

 英語やフランス語などで「語源学」が成立するのは、インド・ヨーロッパ語族の研究が進んでいて、 どの語がどういう派生をしたかすぐに分かるからである。英語の語源を調べたかったらOxford English Dictionaryを調べさえすればいい。American Heritage Dictionaryでも十分に調べられる。

 もちろん、それにも限度があって、風間喜代三先生は『印欧語の故郷を探る』(岩波新書)で次のように描いている。

 どの印欧語をみても、その語彙には語源不明のものがかなり含まれている。ギリシア語についてフランスのP・ シャントレヌの語源辞書のあげる全語彙のうち、52.2パーセントが語源不明、残る語彙の6分の1(全体の8パーセント) がセム系などからの借用語で、印欧語起源を持つものは全体の40パーセント以下といわれている。最も古い資料であるヒッタイト語の場合。 対応が認められるのは約2割にすぎない.【…】

 比較文法にとってギリシア語は重要な言語である。しかしはたしてその全語彙の何割が印欧語系であろうか。 いわゆる地中海文明を担った人たちのものと思われる出所不明の形が,ギリシア語には数えきれないほど見られるが、ホメーロスの「イーリアス」 の最初の2行の詩句の中で、印欧語系と思われる語彙は一つも含まれていない。 一つの言語の長い歴史を考えればこのような語彙の混合は当然のことである。


 日本語で成立しないのは日本語の起源が分かってないからである。

 今まででもっとも面白かった語源論は村山七郎の「ティダ考」だった。沖縄で太陽のことを「ティダ」という。だから灰谷健次郎の小説 『太陽の子』はルビが「てぃだのふぁ」となっている。この語源をいろいろ調べたがなかなか分からず、ようやくたどり着いたのが、「お天道様」 と同源で「天道」だった!とするものである。これは沖縄方言との音韻対応など比較が学問的にしっかりできているから成功したのである。 それ以外は望み薄だ。実は、村山七郎は日本語が南島語から来ているとする説を唱えていて、日本語起源論は本当に難しいと思う。

 大野晋は朝鮮語で説明することもあるが、タミール語で説明することが多い。しかし、 言語学者は誰もタミール語と日本語が同系だとは思っていないのである。

 語源は証明が難しいので「本物」の言語学者は手を染めないものである。

 

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 僕は国語学では素人なので手を染めてみる。

 金田一春彦がウメモドキの語源について書いていたが、「梅に似ているから」というのは間違いで、「もどく(挑く)」は非難する、 抵抗するという意味の動詞。中世の芸能では主役と張り合う役を「もどき」といった。つまり赤い実を付けて「梅にだって負けないぞ」 と張り合っているように見えるのでウメモドキと名付けた、という。僕は言語学者モドキなのである。

 あくまで一つの例として「パンティ」の語源を考える。

 まず、「パンティ」というのは間違った英語だ。正確にはpantiesと複数形にしなければならない。これは「はさみ」 scissorsとか「ズボン」trousersとか「眼鏡」glassesのように対になったものを示すための複数形である。

 「パンティーズ」で正しいとしても「パンツ」に対して「ィー」というのは何か。

 これは言語学で指小辞と呼ばれるもので、英語ではbirdにbirdie,babeにbaby,pussにpussy【子猫ちゃん】 などが知られる。日本語だと「小鳥」「小賢しい」「小理屈」「夕焼け小焼け」の「小」やロシア語では-ka (vodka<voda 水)などがある。

 では、「パンツ」は何かというと日本語は「ブリーフ」など下着を指していてこれもおかしいが、 元々はイギリス英語で下着の方をpantsと言っていたからである。アメリカ英語でpantsが「ズボン」の意味になったのだが、 最近の日本人がちゃんと「ズボン」の意味で「パンツ」を使っているようにイギリスでもアメリカ英語に押されてpantsで「ズボン」 の方を指すようになってきたようだ。

 そのため、日本の年寄りvs.若者と同じことがイギリスでも起きているようで、 誤解を避けるためには下着の方はunderpantsという。

 男性の下着のパンツは日本でブリーフとトランクスに区別されている。英語ではbriefsとかshortsとかいう。 女性用はpantiesになる。

 なお、下着デザイナーの鴨居羊子は1955年に日本で紐のようなパンティであるスキャンティを発表(紹介)したのだが、当時は 「スキャンダル」と「パンティ」を合わせた言葉だとされていた。これは「わずかな」という意味のscantyから来ていて、 “scanties”はRandom House English Dictionaryによれば、“a very brief underpants, especially for women”となっていて和製英語ではない。

 さて、「パンツ」の語源はフランス語などの「パンタロン」に由来する。ところが、 これもおかしくて日本ではラッパ形に開いた女性用のズボンを指す。

 ではどうして、長いズボンを「パンタロン」といったかというと、19世紀になってからコメディア・ デラルテの中で長いズボンをはいた人物として描かれたパンタレオーネPantaleoneという登場人物が長いズボンをはいていたからである。 パンタレオーネは女のコロンビーネのお父さんということになっている。もう一人の登場人物はハーレクィン(アルルカン)である。

 喜歌劇の原型とされるペルゴレージの『奥様女中』に出てくる主人のウベルトはまさにパンタレオーネの流れをくんでいる。

 では、この男がパンタレオーネと呼ばれたかというと、彼は出身がヴェネツィアということになっていて、 ヴェネツィアの代表的な人名から採ったのである。それは4世紀のヴェネチアの聖パンタレオーネで、「パンタレオーネ」(すべての獅子) という名前の聖パンタレオーネはヴェネツィアの守護神だったからである。この神様はだぶだぶのズボンをはいていた。 どうしてヴェネツィアの守護神になったかまでは定かでない。しかし、彼がキリスト教の殉教者だったということまでは調べることができた。 ヴェネツィアには彼の名前を取って名付けた人が多かったことは容易に想像できるし、そのため、 ヴェネツィア人の代表的な名前の一つになったことも想像できる。

 ヴェネツィアの水夫たちはこの種のズボンを着用していたが、市民服にズボンが登場するのは18世紀のフランス革命時である。 キュロット(culotte“半ズボン”)をはいた貴族に対して、サンキュロット(sans-culotte“キュロットなし”) とよばれた愛国党員は縞のパンタロンをはいて、これ以後男子服にパンタロンが定着していった。

 OEDによれば、パンタレオーネの意味で最初に使われたのが1590年で、ズボンの意味で使われたのが、 王政復古の頃の1661年だということも分かる。

 この後は言語学の問題ではなく、歴史学や社会学など別の分野のお話になっていく。


 クレオパトラなどはチュニックと呼ばれる、下着みたいな上着みたいなものを着ていたが、パンティははいてなかった。 シーザーの方は英語で“loin cloth”と呼ばれる腰巻きみたいなものをつけていたが、同じくノーパンだった。ただ、 これが現在のパンツのルーツになっているという。

 クレタ島の女性たちに胸を強調したシルエットが流行して、胸は大きく開き、スカートの裾はふわりと広がった。

 15世紀になって十字軍を契機に東方文化が流れ込んできた。留守の間、心配なものだから「貞操帯」(chastity belt) が発明された。金属製の鍵がかかる立派なものだったが、もちろん、鍵なんて簡単に開けられただろうし、逆に、これが取れなくて、 不潔になって病気になった女性も多かった【今も売られているので興味ある人は自分で検索してね】。

 フランスでは16世紀にイタリアからルネサンスをもたらしたカトリーヌ・ド・ メディシスがカルソンと呼ばれるズロースを履いたことが知られている。乗馬が趣味だったが、 脚線美が自慢だったカトリーヌは横乗りはしないで、脚部が見えるように左足だけをあぶみに乗せて、 右足は折り曲げて鞍の上にのせるスタイルを好んだという。するとスケートがめくれて美脚が見せられることになったのだが、 はずみで奥の方まで見えてしまうというジレンマに陥った。ということで、男がつけていたパンツをつけることにしたのだという。

 男女平等のルネサンスの精神が服装でも花開いたのだが、宗教改革のためにあっさりと姿を消した。やがてフランス革命の後、 パンタロンが女性に広まったが、娼婦たちが履いたこともあって「不作法だ」とか「ふしだらで悪魔的」とブルジョワから攻撃された。 こうして一進一退を繰り返しながら浸透していき、修道院も「慎みの筒」として認めるようになってきた。

 ジョージ3世(1806年)の時代、王宮で開かれた華やかなパーティで、シャーロット姫が椅子にスカートをふわりと広げて腰掛けた。 お姫様の従姉妹が見てびっくりした。スカートの裾から下着が丸見えなのだが、姫はこれがおしゃれだと言ったという。 穿いていたのはスリムなモンペ【古い!】みたいなものだった。これが「パンタレット」(pantalets)と呼ばれて大流行した。 みんな目立つために、スカートの裾からのぞく下着の足首の紐にリボンやレースをつけて飾ったという。

 1830年代を過ぎてビクトリア王朝時代になると再びノーパンになったという。この時代はフランス革命の反動で、性は汚らわしい、 嫌らしい、下品な、隠すべきものと考えられ、女性の体の輪郭があらわになると性的だというので、バッスル (婦人用スカートの後部を膨らませるために用いる腰当て)とかクリノリン(スカートの広がりを支えたペチコート) を使ってスカートを膨らませたり、ロングスカートにより脚が露出しないようにしたという(『ジャポニカ』参照)。

 英語に“bowdlerize”(「わいせつ部分を削除する」)という言葉があるが、イギリスのシェークスピア学者バウドラー (1754―1825)が性的な部分をすべて削除した『家庭向けシェークスピア』を出したりして出版物から性を追放しようとしたからだ。 しかし、その裏面ではポルノグラフィーが流行し、ロンドンには8万人の売春婦がいて40万人の男がこれに関係し、 1851年にはイングランドとウェールズの成人女子の8%が私生児を産んでいたという。

 そして、ズロースの時代になる。“drawers”というと「ドロワーズ」が正しい発音だと思われがちであるが、「ドゥローズ」 で日本語はしっかりしていたのである。元はイタリアの女性が乗馬の時に穿いたといわれる。考えてみたって、 何も穿かないで馬の堅い鞍に乗るわけにはいかない。鞍なしだと馬の方が背中がくすぐったくて仕方がないだろう。

 なお、18世紀のオランダにはズロース条例というのがあったそうで、「ズロースを他人が穿いているのが分からせるべからず。ただし、 次の場合は着用が判明しても可とする。(1)高いところに立って窓を拭くとき(2)スケートをするとき」だったという。ただし、 ニーナというプリマバレリーナが踊ってズロースが見えて、逮捕されたともいう。

 1848年、アメリカのミラー夫人によって始められ、1849年にアメリカの男女同権論者ブルーマー女史(A.J.Bloomer) がブルーマー服なるものを提唱する(考案したのはエリザベス・スミス・ミラー夫人)。 女性の地位向上のために改良された衣服でズボンの採用が特色だった。ブルーマー女史は「スカートの下には必ず、 活動的な下履きをはきましょう」と提案した。しかし、当初ニューヨークでは受け入れられず、1851年ロンドンで発表するに及んで、 大きな反響をよんだ。おかげで、日本でもちょっと前まで、腿の部分にゆとりのある「提灯ブルマー」が女子高生のシンボルだったが、 おじさんがそう思っていただけで女性たちはあまり好まなかった。

 フランスでは1880年以降、自転車の普及とともにスカートをはかない女性が生まれてきた。同時に、 スカートを膨らませるクリノリンが廃れてしまい、 プジョーなどもともとクリノリンを作っていたメーカーは自転車メーカーになっていったという (プジョーがクリノリンに関わっていたことは公式ページに書いてある)。

 性を汚らわしいものとしたビクトリア朝の考え方は、第一次世界大戦後のマスコミや交通の発達、ジャズや映画の流行、 女性解放などによって消え去り、性をありのままのものとして受け入れる傾向が広まった。

 “panties”という語が記録されるのは1845年だが、実際に広まったのは1924年以降、つまり、「フラッパー」 と呼ばれる新しい女性たちの出現と深い関係がある。シャネルがファッション的に満足のいく下着を次々に発表したといわれている。

 1959年のオットー・プレミンジャー監督映画で『或る殺人』(Anatomy of Murder)では「パンティ」 という言葉が恥ずかしくて使えない状況が描かれている。「レイプ」を扱った事件なのだが、法廷で何て呼べばいいか問題になる。「レイプ」 という言葉も最初「トラブル」と言いかえられた時代なのだ。裁判官がジェームズ・スチュワート演じるビーグラー弁護士とジョージ・C・ スコット演じる検事を呼んで相談するがまとまらない。“アンダーウェア”という案も出てくるのだが、「それは一体何だ?」「パンティだ」 という議論がされ、すったもんだする。“アンダーウェア”ではレイプの緊急性が出てこない。フランス語案も出てくるのだが、 よけいイヤらしい感じが出てしまうとかで避けられる。結局、判事は「パンティ」(“OK, Mr. Biegler, you've got your panties in evidence now. ”)を使うことにして裁判を続ける。なお、 この映画で判事を演じたのは実際の弁護士のジョーゼフ・ウェルチで陸軍の弁護士としてマッカーシー上院議員を叩きつぶしたことで有名だった。


 日本人はパンティを履く習慣がなく、脱がす楽しみももたなかった。『古事記』には「帯、衣、褌」の文字が出ているが、「褌」 といっても袴みたいなものだったらしい。大宝律令(762年)の衣服令には女性は膝まである上衣と帯と肩掛けをして、 下には腰巻き状の布を巻くと記述されている。平安時代の十二単の下はノーパンだった。

 慶応2年に福沢諭吉はズロースの存在を知って効用を説いているが、 日本女性はスカートをはくようになってもズロースをはじめとする様式の下着にすぐになじめず、下には腰巻きをしていた。鷲田清一は 「洋装下着の受容と身体感情の変容」(『近代日本文化論3 ハイカルチャー』岩波書店2000年)で次のように書いている。

それは、きものが身体にふんわりとまとうものであって、身体に密着し、 それをしっかり梱包するという感覚に乏しかったからかもしれない。しかし被われるべきプライヴェートな身体という観念、あるいは「秘部 (ATOKで変換できず!)」という表象になかなかなじめなかったということが、より大きな理由として考えられるかもしれない。じっさい、 わたしが幼児であった昭和二〇年代後半には、まだまだ近所に上半身はだかで夕涼みするひと、 きものの裾をめくり上げて後ろ向きに立ち小便する女性が、道ばたにごくごくふつうにいた。

 1932年2月23日に白木屋火事(99年に閉店となった東急日本橋店の前身)が起き、下から見られるのが嫌で、 そのまま焼死したり、和服の裾を押さえようとして墜落死した女性が14名もいた(朝日新聞百年史の中にこの記事が載っている)。 それまでは毎日閉店後に掃除婦が掃くと野球のボール大のヘアが集まったそうだ。この事故の後、パンティを履くことが奨められたが青木英夫 『下着の文化史』(『下着の流行史』改訂・雄山閣書房)によればせいぜい1パーセントという。ただ、東北の女性は「もんぺ」とか「もんぺえ」 という下履きを履いていたようだ。やっぱり寒いからだ。「もんぺ」が普及するのは第二次世界大戦中だったが、これは国防と深い関係があった。

 なお、井上章一は『パンツが見える』の中でこれが伝説だとしている。パンチラを恥じる女の羞恥心、 それを悦ぶ男の助平心という図式が成立するのは井上によれば1950年代で実はつい先日のことだという。それ以前の一般的パンツ観は 「股間を隠蔽(いんぺい)する保護膜」以上のものではなかった。 それがどのようなプロセスと力学によって高度の記号的変換を遂げるに至ったのか?一週間後、 白木屋の山田専務が新聞記者に語った談話が次のようだという。つまり、責任をパンツのせいにしてしまったのだ。

 「女店員が折角(せっかく)ツナを或はトイを伝わって降りて来ても(略)下には見物人が沢山雲集(たくさんうんしゅう) して上を見上(あげ)て騒いでいる、若い女の事とて(和服の=藤森注)裾(すそ)の乱れているのが気になって、 片手でロープにすがりながら片手で裾をおさえたりするために、手がゆるんで墜落をしてしまった。(略) こうしたことのないように今後女店員には全部強制的にズロースを用いさせる積(つも)りですが、 お客様の方でも万一の場合の用意に外出なさる時はこの位の事は心得て頂きたいものです」

 隠すだけならそれまでの腰巻きでも十分なのに、なぜ女性はパンツをはくようになったのか。

 パンツは防犯用に使ったという。パンツが急速に普及する昭和10年代から戦後にかけての時期、今は死後になった「ブリキのズロース」 というすごい言葉があって、男相手の接客業の女性たちが二枚、三枚と重ねていたという。敗戦後は、アメリカ兵対策として良家の子女が二枚、 三枚と履いたという。似たような話が井上ひさし(「いのうえ」というのに「いのした」が気になるのだろうか)の『青葉繁れる』 にはデートするのにワンピースの水着を着ていく女の子の話が出てくる。

 ヨロイのようなものであって、パンツが見えること自体は何ら恥ずかしくはなかった、と井上章一はいうの。ただ、例外は野坂昭如で、 世間のほとんどがパンツをヨロイとしか見ていなかった時期にいちじるしくパンツ・コンシャスで、 脚の魅力に敏感な谷崎と対抗的な資質だと指摘する。そして結論は「パンチラが、新しい眼福として公認されるのは、やはり、 一九五〇年代後半からであったろう」だという。


 しかしながら、上には上がいるもので、鹿島茂は『関係者以外立ち読み禁止』(文藝春秋)の「白木屋ズロース伝説について」 でフランス人が同じような話をボン・マルシェ(このデパートについて詳しくは鹿島茂『デパートを発明した夫婦』講談社現代新書) の話として聞いたという。

 ようするに、十九世紀の末のフランスにおいても、戦前の日本のように、パンティの類は一部の女性の間では普及していたものの、なお、 それをまったく身につけない女性がかなりのパーセンテージで存在していたのである。そして、 こうした認識が広く社会に受け入れられていたからこそ、若い女性が多数いる大型デパートなどで火事が起きると、 下半身が丸だしになることを恐れた女性が焼死したり転落死したりしたという伝説が生まれたのだ。あるいは、ボン・ マルシェが火事になった一九一五年でも事態はそう変わりはなかったのかもしれない。

 都市伝説が生まれるのは、それをいかにもと思わせる社会構造が存在しているときである。 もっともらしさのほうが真実よりも流布するスピードは速い。これだけはいつの時代も変わらないようだ。

 僕自身は朝日新聞に掲載されていた『フジ三太郎』がパンチラにあれほどこだわる理由が分からなかった。 留学生たちにも若い女性がパンティを見せないようにするのは奇妙だといわれたことがある。だって、パンティを履いていたら、 別に変なもんが見える訳ではないじゃないか!


 こうして、現在に至るのだが、こんなことは言語学の話ではなく、歴史学の問題だ。

 なお、ズボンの起源については米原万里が『ガセネッタ&シモネッタ』(文藝春秋)の「フンドシチラリ」 で馬上民族のモンゴル起源説をチラリと述べている。


 文学の問題になるかどうか知らないが、丸谷才一には「パーティでパンティが脱げたら」というエッセーがある。 他人の家のパーティでパンティが脱げてしまった時の対処法をいろいろ考察してあるのだが、 パンティがそんな簡単に脱げるものとは考えられない。

 と思っていたのだが、ある時、同級生が「あの時はびっくりしたなぁ」という。小学校5年生の時、 担任のI先生が教壇で何かパニックしたのはしっかりと覚えているのだが、何が起きたのか、後ろの席の僕には分からなかった。

 いわゆる三十年ぶりの真実となったのだが、その時、I先生のパンティが突然、床に落ちたのだという。

 文学には通暁しておくものだと感心した。


 ところで、加藤主税の『日本語七変化』(中央公論新社1999)によると、最近の若い女性はパンティをはかないのだそうだ。

 下穿きはちゃんとつけるのだが、世俗の垢で下穿き以外のニュアンスのほうが強くなってきたせいなのか、「パンティ」と呼ばずに 「パンツ」という女性が増えてきているのだと書いている。

 しかし、この記述は必ずしも正確ではない。というのも女性が元々、パンティを「パンティ」と呼んでいたかどうか怪しいのである。 確かに特に区別する必要があれば「パンティ」ということがあるが、女性どうしの話でも「下着」といったり、「パンツ」と言っていたのである (ただ、彼女らは「ズボン」のことも「パンツ」といって困ることがある)。


 つまり、最初からオジサン言葉だった可能性がある。

以上抜粋。

(私のコメント)

共同通信の記事ですが、『「ワッソ」は「来た」を意味する韓国語で、「わっしょい」の語源とされる』という嘘を記事にしています。 NHKもニュースで報道したようですが、これは、民間学者の俗説ですし言語学的にも否定されるものです。

つまり共同通信にもNHKにも、もはやジャーナリストは存在しないのです。 そういえば創価学会が週刊新潮は捏造記事だらけで何一つ信用できる記事はないと主張していますが、これに習うならば、 共同通信もNHKも捏造記事(ニュース)だらけで何一つ信用できる記事(ニュース)はないと言えます(創価学会員は、当然、 そう思うことでしょう)。


 


三輪中の虐めは、未解決で終わる

2006年11月04日 21時58分19秒 | 社会

「虐め自殺」は日教組と解同が原因!

 気になる情報についてコメント欄に書き込みがありました。

 いじめで自殺者を出した三輪中学は地区で日教組が強いそうです。
 いじめたほうがその後もいじめを繰り返しているとニュースで報じられていました。変だと思ったらやはりそういう事情があったようです。 同和問題には朴記者も関わっていました。佐賀県、福岡県、九州は在日、、日教組問題まんさいのようです。解決方法があるのでしょうか? テレビでは三輪中学が地区とは一切報じていなかったと思います。
Posted by 大変です。 at 2006年11月03日 18:48

 福岡の三輪中学の亡くなった生徒の本来の担任教師は(非難を浴びている田村は正規の担任の代わりらしい) 解同の専従をしていたらしいですね。

 だから、ズブズブの関係にある日教組同様に虐めた出身生徒7人と同様、必死で隠匿するつもりらしいです。
Posted by 憂国者 at 2006年11月03日 20:58

 他にも御二方ほど同じ書き込みがありました。私もこの事件については、 マスコミ報道だけでは何故かしっくりしないものを感じていました。学校側の二転三転と迷走するその姿勢、 また何よりも教師自らが生徒をいじめていたという、その異常な行為に非常な違和感を感じました。

 この中学生の自殺に関しては、早くから「いじめにあった」という遺書があったので、ただの厭世的な自殺でないことは明らかだった。 最初は生徒によるいじめとばかり思っていたが、すぐに担任の教師がこの自殺した生徒をからかっていたことも明らかとなった。

 生徒達にしてみれば、先生がいじめているわけだから、自分達がいじめをしても構わないと短絡的に思ったかも知れない。 何とも書くほうも気の重い話題だが、これが指摘されるような背景があるとしたら絶対に許せない。

 私はこの福岡県の三輪中学が地区にあることは、まだ自分では確めてはいないが、これは間違いなさそうだ。実は 『クライン孝子の日記』という有名なサイトがあります。
http://www.takakoklein.de/

 この方が『極右評論』を取り上げてくれたので、このサイトからたくさんの人が来ています。私も今回初めて読ませて頂きましたが、 今この三輪中学問題を取り上げていました。

 昨日のその記事を紹介しましょう。

 三輪中学校は地域に地区を抱える校であり、昔から日教組や団体が強い影響を及ぼしていました。 そういう背景を認識していたからこそ、二転三転する校長の会見、事実を語ろうとしない学校の体質に人権至上主義、組合管理の影を見たのです。 とK氏は語っています。
 
 ここから見えてくるものは、校であり、日教組の組合員が多数いて、従前から県教委の方針と対立して指導に従わない風潮が蔓延していて、 今回の「いじめ早期発見チェックリスト」も県教委の指示ということで学校現場で無視され、 記者会見の発言が二転三転したのも日教組教員の圧力の結果ではないか、と言うことが見えてきます。

 以上のような事実を情報公開で求めているさなか、 三輪中を管轄する出先の北筑後教育事務所の野田人事管理主事が再三にわたってK氏に圧力をかけ、 10月28日土曜日の午後6時半前にも電話してきて

「このようなときに三輪中の組織率を出したら、人事管理上の支障が出る」
「開示したら自分は職を辞めねばならない」

「あなた方の活動にも悪い影響が出る」

などと請求の取り下げを強く迫ってきました。
これは明らかに、県民の請求権の侵害であり、脅迫行為であり、妨害行為であります。公開請求を拒否できるのは、 法に定められている場合のみで、それ以外は拒否できる理由は存在しません。

早速、福岡県教育庁北筑後教育事務所へ抗議の電話をしました。

 これはこの問題を追及している方がメールで投稿した文章であるようです。

 この「虐め」事件の背景に解放同盟と日教組があることは間違いないと思います。差別とは多数の人が少数の人を、 強い者が弱い者に対して、理不尽な虐めを繰り返すことによって生まれてきたのではないか。

 そのことに対して長年戦って来たと自負してきた、彼ら解放同盟のその理念とは一体何であったのか。今、 関西で連続して発覚した利権問題より深刻な問題である。

 彼ら解放同盟の目指してきたはずの、人間の解放とか尊厳さを訴える戦いは嘘だったのか。 関西では一部の特殊な人間による犯罪ということで決着を図ろうとしている。

 しかし、この問題はそのような個人の資質のせいにして逃げることは許されない。 彼らはこの問題の根本に横たわる問題を直視しなければならない。

 それは彼ら自身が人間の尊厳を踏み躙ってきたという厳然たる事実だ。真相を隠蔽することは、 彼ら自身のこれまでの存在を全否定することにも等しい。それこそ自殺行為となる。

 既に解放地区においては、青少年への愛すら見失っている。これでは犠牲者は浮かばれない。命を絶ってまで訴えようとした者に、 解放地区では応える言葉さえも消失してしまったのか。

 現代日本は全てに渡って異常づくめだ。それが反日勢力と密接にリンクしている。 我々はこれらを少しづつでも解体していかねばならないと思います。

<福岡いじめ自殺>事件後も別の生徒に繰り返す 同グループ

 中2男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した福岡県筑前町立三輪中で、 この男子生徒をいじめていたとされるグループが事件後も別の生徒にいじめを繰り返していたことが分かった。学校側は遺族側に 「再発防止を目指す」と繰り返しているが、いじめ対策が進まない現状が浮き彫りになった。
 複数の関係者によると、新たないじめを受けているのは自殺した男子生徒と同じ学年の別の男子生徒。暴力的な行為はないものの、 言葉によるいじめだったという。
 男子生徒の自殺後、間もなくいじめグループが別の男子生徒を対象にしたいじめを始め、見かねた他の同級生が保護者に相談し、 保護者が学校側に通報した。学校側はこの保護者に「実際に新たないじめがあるかどうか調査中」と説明しているという。
 同級生の保護者によると「いじめのやり方は亡くなった男子生徒と全く同じと聞いている。学校は一体何をしているのか」と憤っている。
 自殺した男子生徒は自殺直前に7人の生徒からいじめを受けていたことが判明している。 同中にはこの7人を含む多人数のいじめグループがあり、新たないじめもこのグループの生徒が繰り返しているという。
 男子生徒は死の直前まで「消えろ」など言葉によるいじめを繰り返し受け「いじめが原因です。いたって本気です。さようなら」 などと記した遺書を残し、先月11日に自殺した。自殺した男子生徒の父親(40)は 「また息子と同じようないじめが起きているとすれば許せない。つらい思いをするのは私たちで十分だ」と話している。

以上抜粋。

三輪中の虐めは、在日・・日教組が背景にあります。政治家・官僚・マスコミの殆どは、タブー視して黙るだけです。このままでは、 未解決で終わることでしょう。特に公明党が、在日・という点で、邪魔するのは目に見えています。

実際、学校の責任は問われるものの、虐めた張本人の責任は問われていません。だから虐めを繰り返すのです。

期待するのは、共産党と週刊新潮です。共産党は、歴史的に・日教組を批判してきましたし(共産党の存在意義は、ここでしょう?)、 週刊新潮はこうしたタブーに切り込んできました。是非頑張ってほしいものです。


医療制度崩壊と改革案

2006年10月30日 19時18分20秒 | 社会

余波というより津波

奈良事件は福島事件と並ぶ大事件であると感じています。他にも堀病院事件からの助産師問題や川崎こんにゃくゼリー訴訟もありますが、 今年の医療界の大事件としては双璧だと思います。福島事件以来、 医療問題を追っかけている者にとっては出来る限り書いておきたい重大事件です。同じテーマが長く続いていますが、 あくまでもこれはブログですから、私の興味が一番向くものを追いかけさせて頂きます。

(略)

コメントを頂いたのは昨夜のことですが、改めて再掲します。

ついに始まりましたよ。

一人で救急指定病院で当直(バイトという立場で)の応援は嫌だとうちの医局の医師たちが拒絶し始めました。 だったら医局を辞めるそうです。続出しているようです。入局説明会で実はこういった病院での当直はあるかと研修医の先生方が質問が続出し、 紛糾しました。来月からそちらの病院(複数ですが)にお断りせざるをえません。

少なくとも個人病院で救急指定の看板をおろすという話は今月になり増えてきました。 それがいいですと新聞を読まない連中以外もう誰も止めません。

転送を断っても警察から事情を聞かれ 書類送検の可能性ありでは仕方ないです。 救急センターの集約化といっても都内の大病院の救急センターで小児科や産婦人科の先生たちが加わっているセンターは知りません。 もう人を出している余裕もなくなってます。

こういったケースでどういう風に治療すべきか方針を明示できる産科の医師もいないそうです。

(略)

◆同日の投稿した勤務医のコメント

私のコメントを取り上げていただいて有難うございます。
都心の方がとっくに崩壊現象が起きているというのが私の持論です。1次 2次 3次救急といいますが、 個人病院の救急は一次救急が主体でほとんどが医師が一人で夜間対応しています。大学病院でマイナー外科と卑下される眼科や耳鼻科の医師たち (私はそうは思っていません。)は病棟や外来が忙しいので平日昼間に生活費をかせぐのにバイトに出かけるのは困難です。 外科や内科の医師も足りないのでそういった専門の医師にも救急当直の声がかかります。単なる病棟の管理当直(救急の診療はみなくてもよい) のみのために医師にバイト代を払う私立病院なぞありません。
人口が多いと潜在的な患者さんも多く 救急隊からの依頼もその分増加し、 ひどいと一晩で一人の医師が5-10台救急車をむかえることもざらです。これとても「甘いよ!」とお叱りをうけるかもしれません。
昼間だと一見病院やクリニックだらけに見える駅前の商店街も夜間の医療状況は極めて寂しいものです。
従って眼科が当直医だからという理由でことわれないのです。ましてや昨今の風潮でしょうか 電話連絡もなく独歩にて来院し、 納得されるまで帰らない患者さんも多いので一台でも救急車が来ると転院に手間取れば他の患者さんから非難の嵐です。
こういった内容を本当に公開していいのかなと思ってました。 地域住民の方がパニックに陥らないのも マスコミが恣意的に情報を封印しているのかなとも疑っています。
中堅の医師だって 民間会社で医師の斡旋を行う会社の存在は皆知ってます。同じ都内の病院に逃げ出すのはとても簡単です。
派遣病院(とりわけ救急指定病院と標榜)から 来月で病院も医局もやめまーすと言われ 後任人事の手当てがつかず、 それではさようならと派遣打ち切りになる例が多いのは何も私の病院だけではありません。 出せたとしても 麻酔科の常勤の医師がいないと手術もできない病院もあります。
近隣の大学病院ともお互いの腹の探りあい 押し付け合いです。
派遣やバイトを拒否する彼らがまともで それでも行けよとは誰もいえません。 刑事事件になるか書類送検になって誰が責任を取ってくれるんだと言われ、年長者である私どもに返す言葉もありません。

都内のど真ん中 女性が誰でも職場にしたいという神戸か青山の公的病院ですが、http://www.aoyamahosp.metro.tokyo.jp/ をよーく見てくださいね。
もう産科は閉鎖してるんです。別の大学病院(超強烈な)の医局人事をもってしても人手が足りないんです。
これが私のevidennceです。

(私のコメント)

事件を端に、割に合わないアルバイトの拒否と、おりからの産科医不足により、医療制度の崩壊です。 勤務医さんは医者不足を理由にあげていますが、根本的な原因は別にあると思います。

医療費問題について、世間の常識では、薬価代が高いことが問題となっています。しかし医薬業界においては、薬価代ではなく、 医療技術の進歩が、医療費の増大を生んでいると言われています。

医療技術の進歩により、これまでなら死んでいた人が死なずにすむことは、道義的には素晴らしいことに違いありません。しかし政治では、 少数を切り捨てて多数を救うという決断をしなければならないこともあります。政治家が、1億円で1人だけを救うことよりも、 同じ1億円で1万人を救うことを選ぶのは仕方がないことでもあります。

何が言いたいかと言えば、全ての医療を保険で可能にすべきなのか?ということです。最新医療技術で金持ちから金をふんだくって、 そのお金でより多くの貧乏人を救うシステムがあっても良いのではないのか?と思うのです。 親としては目の前に子供を助けられる医療技術があるのに何故?と思わずにはいられないはずですが、 10年前は助からなかったが今なら助けられる、 あるいは今は助けれられないが10年後なら助けられるという理不尽さと同じではないでしょうか?

そして、この延長にある考えとして、厳格に刑事事件として罪を問うべき案件とそうでない案件をきちんと線引きすべきだと思うのです。 いわゆる枯れた医療技術のミスは厳格に問うべきですが、最新医療技術に関しては厳格に問わなくてもと思うのです。 件の事件がどちらに該当するのかは、私は医療の専門家ではないのでわかりませんが、医者が拒否するくらい不可解な裁きであるのなら、 考え直した方が良いと思うのです。


単位未履修問題は、高校が不要であることを意味する

2006年10月28日 20時48分28秒 | 社会

高校未履修問題 政府が救済策検討 深刻化で方針転換

政府は二十八日、全国の高校で必修科目の未履修が相次いで発覚した問題で、単位不足が懸念される生徒に対する救済策の検討に入った。 安倍晋三首相が二十七日、伊吹文明文部科学相を首相官邸に呼び、指示した。文科省は教育委員会向けに示す対応策の内容を検討するため、 各地の実態把握を急いでいる。

 伊吹文科相は救済に否定的な考えを示していたが、全国の都道府県教育委員会の二十七日時点の集計で、 未履修の高校が四十一都道府県の約四百校に上り、単位不足の恐れのある生徒が七万人以上となる見込みであることが判明。 事態の深刻化を受け政府は方針転換を迫られた。

 文科省初等中等教育局は「(世界史などの履修に必要な)七十時間の授業は、大学入試シーズンが一段落した後、 三月末までに行う補習で十分対応可能」としている。

 ただ、中には盛岡市の私立校のように一部の高校三年生が四科目、三百五十時間分の補習をしなければならないような「想定外」 のケースもあり、未履修の生徒全員が来春の卒業までに指導要領通りの時間数をこなすのは困難。政府はこうしたケースに対し、 どのような救済が可能か検討する。

 安倍首相は二十七日、官邸で記者団に「学校側に原因があり、教育委員会もチェック機能を果たし得なかった」と指摘。その上で 「子どもたちの将来に問題が発生しないよう対応すべきだと考えているし、指示している」と強調した。

 与党内では「もう一度授業を受けさせるようなことは必要ない。世界史の本でも読み、論文を出してもらうなど、 寛大な措置を取るべきだ」(森喜朗元首相)などの声が上がっている。

◆以上引用

(私のコメント)

まず確認ですが、単位未履修は、今年発覚しただけであって、以前からの問題です。昨年度以前の数多くの卒業生もまた、 単位未履修で大学に進学しているのです。

さて今回の単位未履修騒動の論評は、どこもかしこも「単位を履修し、高校を卒業しなければならない」 という前提でなされているように思われます。しかし大学への進学は、 「大学入学に関し高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認められる者」(昭和23年文部省告示第47号)なら誰もができるのです。 制度としては、(1)文部科学省の指定校、(2)大学入学資格検定、(3)大学入学個別審査、の三通りあるのです。

ここで取り上げたいのは、(3)大学入学個別審査です。フリースクールや民族学校の問題に絡んで、 喧々諤々の議論があったことは記憶にあるかもしれません。もし大学側が、個別審査で許可したとしたらどうなるでしょうか?  法的には中卒かもしれませんが、大学に入学することは合法です。制度化以後の入学生はもちろん、 制度化以前の入学生もまた追認ということになるかもしれません。

大学は、独立行政法人化され、生き残りを懸けて、トヨタ自動車の豊田工業大学のように、企業と組むようになっています。当然、 優秀な学生の確保は、必要不可欠です。だから大学は、単位未履修で高校を卒業できないとしても、優秀であれば欲しいはずです。 企業もプッシュするはずです。そして、これを逆手にとって高校側が大学に行脚して、個別審査を経て生徒の大学入学資格を認定させれば、 何一つ問題はなくなるのです。

さて、こうなってくると、高校は予備校と同義になります。そしてまた中学卒業後、即大学入学という新しい道も感じられます。 旧学制の復活を予感させます。結果として、高校の存在意義はなくなるのです。

以上より、高校不要論を唱えたいと思います。