今日のNHK「クローズアップ現代」は談合特集でした。この番組、現場の声をさまざま取り上げておりますが、 建設会社の各現場の中における「あきらめ」のようなおびえの声が聞かれました。「古いしきたりからの決別」 と建設会社の関係者は言っておりますが、完全に強化された独禁法におびえきっているわけです。この番組では、 年次改革要望書のことは一言もふれて居らず、談合摘発がさも疑いなき正義であるように表現していましたが、 取材している記者が本当にそう考えているのなら病は深い。後半には、一応「公共事業の質」という視点については、「厳しくチェックせよ」 と言っているものの具体論に欠ける。
ただ、この番組は建設会社にも様々なレベルがあり、去年、談合決別宣言をした「スーパー・ゼネコン」と、中小の談合依存業者とでは、 まったく一言に談合といっても全く違うということである。
要するに、中小の建設会社にとっては、「談合は福祉」であるということ。これが、巨大ゼネコンの談合と大きく違う点である。 ある地方での中小の談合システムについて解説があった。この談合システムは、地元大手の建設会社が「受注調整」 の順番を破ったことで崩れたのだが、巨大公共事業ではない、細かい公共事業についてはこのような受注調整は、 福祉の一環として非常に有効なのではないかという印象を持った。このシステムは、共存共栄の観点からは、特に地方においては、 積極的に表に見える形で行うべきではないか。裏に隠すから談合になるのであって、福祉政策の一環として表の世界に出してしまえばいい。
一方、大手ゼネコンは案外、地方の建設会社の談合破りが相次ぐことで、 中小が互いにつぶし合いをしてくれることを歓迎しているのではないか。中小が淘汰されれば、 巨大で価格吸収力のある大ゼネコンが利を得るという仕組みである。
ただ、その巨大ゼネコンも、三菱重工のような会社は橋梁談合事件の摘発によるマイナス・ イメージのせいで海外で受注を断られるということが多発し、社を挙げて談合脱却などコンプライアンスに力を入れているという。
こうなると、巨大ゼネコン同士の国際競争の次元であり、この背景には少なからず、年次改革要望書が進める談合罰則強化の流れで、 日本ゼネコンの体力を衰えさせるという国際資本によるねらいがある。
つまり、民族資本どうしの争いと、国際資本どうしの争いがあって、最終的に割を食うのが国内の中小建設会社であるという構図である。
このように、一言に談合といっても様々なレベルがある。イラクの復興事業の受注はそれ自体がハリバートンやベクテルによる談合であり、 談合を一言で悪と決めつけること自体が、間違っているのである。
特捜検察官たちは自らが正義と考える前に、もう少し、自分たちが所詮、権力の使い走りであることを認識した方がいい。
以上抜粋。
(私のコメント)
まず談合とは別の紐付き援助の問題がありました。日本の海外支援は紐付きだから間違っているという主張です。
しかしどこの国を見ても、紐付きでない援助なんてありません。日本は、税金を使って、外国との友好を築き、 同時に日本企業を育ててきたのに、これを放棄して日本の税金で外国企業を育てるようになったのです。
談合もまた同じ間違いなのです。紐付き援助の問題は、政治家や官僚へのキックバックで、談合もまたキックバックの問題なのです。 談合が無ければ、キックバックはあっても良いわけがありません。問題を取り違えてはならないのです。
税金の無駄遣いは、談合によるコスト高ではないのです。コストの試算ができない無能官僚が、コスト高を生み出しているのです。
実際、官僚が工事現場の視察に来ても、工事を知らないので、陰で手抜き工事をしてもバレやしないと笑われているのです (実際にはしませんが、鉄筋を減らしても理解できないとバカにさされています)。そもそも官僚は、調達コストからいい加減です。 出入りの業者しか使わないので、資材コストは跳ね上がるのです。
私案ですが、公共工事は、工事請負業者と資材調達業者を分離すると面白いと思っています。 工事請負業者に資材をチェックさせることができますし、資材調達の得意な業者は、より安く仕入れてくるからです。 とはいっても官僚が無能な限りは難しいでしょう。所詮、官僚は丸投げするだけなのです。