今 ここに いる ということ

今 ここに いる
みつけた
出会った
感じた
伝えたい

2 罪を痛悔する-その3-

2011年10月31日 01時05分06秒 | カンタラメッサ師

もしも 神の視点で 己の罪を眺めてみたら

わたしは どんな涙を流すだろうか

自分を憐れむ涙か

犯してしまった誤ちを悔やむ涙か

もう戻れない時を嘆く涙か

 

わたしは 罪に気づいたときでさえ 自分のことしか考えていない

 

まことに まことに 悔い改めは 聖霊の力によらなければ わたしには できない

聖霊の助けがなければ 自分の罪の意味を悟ることはできず

受けるべき 受けねばならない罰を 悲しむこと

それは 自己防衛でも 自己の正当化のためでもなく

ただ ただ 神を悲しませたこと

神の大きな愛に 背いたことへの 悲しみ

わたしの罪が イエズスを 十字架上で 耐え忍ばせたことへの 悲しみ

 

まことの悲しみは 愛のあるところにしか 生まれない

 

 

 

 


罪から脱出する5つのステップ 2の2

2011年10月30日 00時00分29秒 | カンタラメッサ師

2 罪を痛悔する その2

神は 

わたしについて

わたしの行い わたしの霊的な状態について

裁きを持っている

神だけが わたしの心の深みと

情状酌量すべき状況

わたしの責任を 見通せる

 

わたしが 切に 願うなら

聖霊に 真の 痛悔を 乞い願うなら

神は わたしに

神の心に入り込み

神の見ておられる通りの わたしの罪を 見させるだろう

神の基準を 神の裁きを 悟らせるために


罪から脱出する5つのステップ 2の1

2011年10月29日 23時13分53秒 | カンタラメッサ師

2 罪を痛悔する-1

罪をみつけた時 どうするか

もし それが 神を含め他者から指摘されたものなら

指摘した人が 正しいとわかっていても

素直に認められるだろうか

神は わたしに強制しない

罪を認め 悔むかどうか も わたしに任せられている

罪を認め 悔むことは 苦しい

心が引き裂かれるようだ

 

ナルニア国物語の中で 竜になった少年がいたけど

彼が人間に戻るためには 自分の鋭い爪で 竜の皮を引き裂かねばならなかった

 

竜の皮は 自我自慾の皮

自我自慾が 分厚く わたしを 覆っている 

皮に守られている わたしは 我儘で 自己中心的で 周りなど お構いなし だ

正しいのは自分で 悪いのは社会や周りの人たち

他者は 自分のためにいて わたしにサービスする

世界が わたしのために存在するかのように

 

こんなに 居心地がいいのに

或る時 これが 罪だと知らされる

それでもなお 罪の甘美さが わたしを 誘惑する

この誘惑は わたしが 断たなければならない

どんなに 苦しくても

どんなに 痛くても

 

 

 

 


罪から脱出する5つのステップ

2011年10月28日 21時39分37秒 | カンタラメッサ師

1.罪を認める

快楽に満ちたこの世の中で

罪に対して無頓着になる 

霊的無感覚

罪の麻酔にかかった状態の中で

罪から解放されることよりも

むしろ 罪の呵責から 逃れることに 気持ちは動いてしまう

罪を犯していながら

これは 罪ではないと 自分に言い聞かせながら

 

わたしと 罪

という命題に差し掛かった途端

逃げ出したくなる

かかわりたくない

眼をそむけたい

蓋をして このまま 知らない振りをして やり過ごしてしまいたい

罪が 扉の向こうで 待ち構えている

わたしを 捕まえようとして

罪は わたしの 傍らで 罠を 仕掛けている

 


子供が苦しむ時 苦しまない親があるだろうか

2011年10月26日 19時58分43秒 | カンタラメッサ師

まして 愛そのものである神ならば

御父と御子は ご受難のうちに 共におられる

イエズスは 御父が遠く離れていると感じて

「 どうして わたしを 見捨てられたのですか 」

と  叫んだ

しかし その瞬間こそ 御父は 御子の傍らに 寄り添う

その瞬間こそ 御子の人間的意志は 御父の神的意志に 最も一致しているのだから

 

神は 御子を 惜しまなかった

「後生大事な宝物」として 隠匿せずに

わたしのために

あなたのために

差しだされた

罪の深淵から 救い出すために


愛の痛み

2011年10月25日 19時15分40秒 | 真実

救い主は 人類を憐れんで この世に来られた

救い主は 

十字架を苦しむ前

わたしたちの肉をまとわれる前にさえ

わたしたちの痛みを 苦しまれた

もし そうされなかったのなら

人間生活を わたしたちと共にするためには 来られなかっただろう

神が わたしたちのために 初めに苦しまれた この苦しみとは なんだったのだろうか

それは 愛の痛み だった

忍耐と慈しみと憐れみに満ちておられる 宇宙の神である 御父も

何らかの仕方で苦しまれるのではないだろうか

それとも 神が人間の事柄にかかわられる時

人間の痛みを苦しまれるという事実を

無視するのですか

神は 愛の痛みを 苦しまれる

by オリゲネス

天変地異の続く昨今

天災を天罰と 捉える考え方がある

オリゲネスの言葉を 何度も読み返していると

気づく

神は 人の痛みを苦しまれている

人の罪が招いた結果を 苦しまれている

茨の冠を被せられたイエズスが 涙を流したように


聖書の神は“苦しまれる”

2011年10月24日 00時39分52秒 | カンタラメッサ師

“愛”そのものである 神 にとって

苦しみと痛みとは

その正反対である“痛みを感じない”ことよりも

もっと ふさわしい

神は

愛の痛み

つまり

実際に “お愛しになる”という事実から来る痛みを 苦しまれます

実際

神が 

泣きながら表明される 悲嘆にくれた悲しみが

聖書全体に

創世記の アダムとの出来事から

表わされています

神は 

人間にために 悩まれます

人間が 滅ぶのですから

神は 

純粋な愛のゆえに 悩まれます

ラニエロ・カンタラメッサ師『キリストにおける生活』

 


あなたへ

2011年10月23日 22時14分16秒 | カンタラメッサ師

 

いかなる努力も 

それが どんなに無益だと見えても

誠実なものである限り

決して 無価値ではありません

神は 一人ひとりを 秤にかけて 量っておられ

無駄だった百回の努力も

何でもなかったかのように

わたしたちが 最初から 再び やり直す勇気を持った その回数に応じて

ある日

ご自分の恵みを お与えになるでしょう

「 主に望みをおく人は 新たな力を得

鷲のように 翼を張って上る

走っても 弱ることなく

歩いても 疲れない 」

(イザヤ40:31)

 ラニエロ・カンタラメッサ師『キリストにおける生活』


希望を語る@かまくら

2011年10月23日 20時08分00秒 | 体験

カトリック雪ノ下教会で行われた「希望を語る@かまくら」に参加した

 

カトリック司祭 山口道孝氏の司会で

三人のパネリストが 語る

パネリストは

鎌倉坂の下にある 御霊神社 禰宜 小林章子氏

鎌倉五山 浄智寺就職 朝比奈恵温氏

佐助にある 日本キリスト教団恩寵教会牧師 荒井仁氏

 

それぞれ異なる信仰の立場の中で

3.11の震災の後 鎌倉では 宗教人として

共にできることを模索し

4・11に 大規模な合同祈祷祭も 催された

今回は その延長線上の活動としての パネルディスカッションである

 

それぞれの自己紹介の後に

各宗教それぞれが 被災地・被災者に対して どんな活動 どんな救援をしてきたか

それぞれの宗教では 震災は どのように捉えられているのか

などが 語られた後

質問者の問いに答えた

原発事故をどう思うか

震災で子を失くし 子の亡骸も見つけられない母親に どんな祈りができるのか

個々の宗教人の活動が「希望」に結び付くためには連帯が必要と考えるが いかがですか・・・etc.

 

宗派が違うのだから 若干のニュアンスの違い 教義の違いは 否めない

しかし パネラーも聴衆も 違いに捉われず

相通じている部分 

人間 ひいては 霊の根源的な部分での 共通項を 見つけ出して

互いに共感し 励ましあった感があった

 

個人的には 神道についてほとんど知らなかったので

大変興味深かった

自分のDNAの中に 脈々と流れている日本人の遺伝子を感じ 宗教的感性で合点がいったこともある

また 不思議と キリスト教との近似点が いくつかあって これにも驚かされた

(「いのち」の「い」は「息」、「ち」は「霊」。「いのち=息の霊」・・・あっ、聖霊だ。ルアッハ)

 

 


希望

2011年10月22日 21時49分03秒 | 良い知らせ

神は語られます

わたしを驚かせるものは 希望です

信仰は わたしを驚かせない

愛は わたしを驚かせない

しかし 希望は わたしを驚きで満たす

この哀れな被造物が どのように物事が進んでいくかを見ながら

明日こそ良くなると信じるとき

それは わたしを驚かせる

わたしは 驚きでいっぱいになる

希望に対して 

わたしの恵みは 真に 信じられないほど 偉大なものと ならねばならない 

シャルル・ペギー

 


復活の実り

2011年10月21日 21時32分55秒 | 良い知らせ

全世界は見 そして 認めよ

破壊された者が 造り直され

古かったものが 新しくされ

あらゆるものが 元の完全性に 戻されたことを 

ラテン教会の祈り

 

神ご自身が 

力強い手と 差し伸ばされた腕で

ご自分の民を

自由にするために

来られます

主イエズスの足と指し示す手を 見てください

なんと活き活きとした命に満ち溢れていることか


復活-御父とイエズス-

2011年10月20日 10時06分39秒 | カンタラメッサ師

復活は 御父の み心にかなう 愛する御子への 贈り物

十字架の 残虐な“分離”の後の 御父の抱擁であり

父としての 無限の慈しみ深い行いなのです

「永い間 御父は 沈黙を守り 声を立てず 自分を抑えてこられました

しかし 今 叫ばれます」(イザヤ42:14)

「わたしは 復活して なお あなたと共に います

あなたは 御手を わたしの上に 置かれました」(詩篇3:138)

「あなたは わたしの子

わたしは 今日 あなたを 生んだ」(使徒13:33)

御父は 墓の中のイエズスに近寄り

死の眠りから 目覚めさせられた

ラニエロ・カンタラメッサ師 『キリストにおける生活』

 


レクチオ・デヴィナ -創世記1:1~13から-

2011年10月19日 17時55分18秒 | インスピレーション

さくら並木のある町で 信仰の仲間と レクチオ・デヴィナをした   

創世記1章1~13節

この日 心が 止まった み言葉は

「 天の下の水は 一つ所に集まれ

 乾いた所が 現れよ 」

創造された方は

生物が 過ごしやすいように

まず 光 から 造られて

そうして 大空 を 造り

陸と 海とを 分けられた

なんと 細やかな お心遣いだろう

創世の 初めから なんと 愛に満ち溢れた 所作だろう

 

しかし と 同時に

 TVで見た タイの水害の映像 水没したタイの国土の地図 が

脳裏を よぎる

たくさんの人が命を失い

財産や 日常が 奪われる

 

あの 大洪水の原因が

地球の温暖化だとするならば

人は 創造主が 愛を込めて 造られたものを

めちゃくちゃ に してしまったのだ