今 ここに いる ということ

今 ここに いる
みつけた
出会った
感じた
伝えたい

聖霊における祈り4

2011年12月28日 17時51分49秒 | カンタラメッサ師

旧約聖書に出てくる

祈りの人々は

己が 神によって 造られた 被造物 である

ということに 

はっきりと 気が付いていて

しかも

そのことを 受け入れている

存外 人は 

自分が 被造物であることに 気がついていない

神が 人を造ったのではなく

人が 神を作った と 断言する人もいる

精子と卵子とが結合して

物理的に 誕生した 

と のたまう人もいる

命を 頂いたものと見ず

生物学的に 生まれるべくして生まれた と 考える

 

生きとし生ける者すべてが

神によって 造られた 被造物である

と 素直に 信じられる

ということ自体が

まず 素晴らしい たま物 なのだ

 

神の創造を 目の当たりにしたアダムでさえ

神の叡智に 憧れて

神のようになりたくて

智慧の 木の実に 手を 出したくらいだもの

 


聖霊における祈り3

2011年12月27日 17時39分28秒 | カンタラメッサ師

聖書から祈り方を学ぼう

神の偉大な友人たち

アブラハムや、モーゼ、エレミヤ・・・etc.etc.

を 通して

彼らの

神に話す時に持っている 

深い信頼と

信じられないほどの 大胆さ とを

学ぼう

旧約聖書の時代

預言者たちの 大胆な祈りは

すがすがしい

 

人類を弁護して

神と

交渉し 直談判し 時には 取引する

脅しをかけることすら ある

神の盲点を 突いたりする

 

「 神は 生きておられる 」

旧約聖書に 何度も出てくる この 言葉は

実感が 伴っているのだ

深い信頼を持って 大胆に 神に 祈る者に とって

本当に 神は 生きておられるのだから

 


不思議な 置物

2011年12月26日 17時18分21秒 | 散策

駅のそばの 交差点の店先にある 置物

なに?

猫?

からすよけ?

池には 鯉がいるけれど・・・

通行人が 不思議がって近づいては 見てゆく

からすよけ ならず 人寄せ 猫?

ん? 招き猫?!


大西の吹く材木座海岸

2011年12月25日 17時03分57秒 | 日記

風が吹く中 海岸に夕陽を撮りに行った

風が強い日は ウインドサーフィンが出ている

そろそろ帰る人も

風は冷たく 砂が舞う

この人は サーファーかな

強風の中 ウインドサーフィンは この時とばかり

波を蹴る

白波が 勇ましかった


クリスマス深夜ミサ

2011年12月25日 02時02分57秒 | 日記

雪ノ下教会の25日深夜0時からの クリスマスミサに出かけた

教会聖堂の入り口の聖家族

もうイエズス様は お生まれになった

祭壇わきの 飾り

こちらにも イエズスさまが

祭壇には 蝋燭の明かりが 灯されていた

深夜ミサには 洗礼を受けていらっしゃらない方々が

たくさん参列し

神父様の祝福を 受けていました

どうぞ 良いクリスマスをお過ごしください


二人の赤ちゃん

2011年12月24日 09時38分09秒 | お話

1994年に 二人のアメリカ人が ロシアの教育省から招かれて

キリスト教に基づく道徳と倫理を 公立学校で教えることになった

その中には 100人ほどの子供たちが収容されている政府運営の大きな孤児院があった

その子たちは 親から捨てられたり 虐待されてきた子供たちだった

この話は その孤児院での 彼らの体験談だ

 

1994年の もうすぐクリスマスという頃

ロシアの この子供たちは伝統的なクリスマスの物語を生まれて初めて聞いた

 私たちは マリアとヨゼフが ベツレヘムに着いたところから

話し始めた

・・・・・ マリアとヨゼフは 宿屋に部屋がなかったので 馬小屋に行き

そこで 赤ちゃんのイエズスが 産まれた

揺り籠がなかったので

イエズスは 飼い葉おけの中に寝かされた ・・・・・

子供たちと世話係の人たちは この物語を

全身全霊を傾けて 聞き入っているようだった

一言も聞き漏らすまいと 椅子から身を乗り出して聞いている者もいた

 

物語の後 私たちは 子供たちに 小さな段ボールの紙を渡して

飼い葉おけを作ってみるように 言った

黄色いナプキンから切り取った紙やら

着古したナイトガウンから切り取ったフランネルの布

アメリカから持ってきた 赤ちゃんの人形の布 を使って

子供たちは 夢中になって 馬小屋を作っていた

 

やがて 私たちは 6歳の男の子 ミーシャのところに来た

彼は 既に 飼い葉おけを作り終えていた

しかし 驚いたことに 飼い葉おけには

赤ちゃんが一人ではなく 二人入っていた

通訳を通じて 私たちは ミーシャに訊ねた

「ミーシャ なぜ 飼い葉おけに 二人の赤ちゃんが 入っているのかい?」

 

ミーシャは

腕を組んで 自分の作った飼い葉おけを見下ろしながら

物語を もう一度 語り始めた

― こんな小さな子供が たった一度聞いただけで クリスマスの出来事を

正確に 覚えられるとは なんということだろう!! ―

しかし マリアと ヨゼフが 飼い葉おけに 赤ちゃんを置くシーンになると

ミーシャは アドリブで 話の続きを 作り始めた

・・・・・ そして マリアが赤ちゃんを飼い葉おけに置いた時

イエズスは 僕を見て

「君の場所はあるのかい?」

と 聞いてきた

「僕には パパもママもいないから 僕の場所はどこにもないんだ」

と答えると イエズスは

「君と一緒に いてあげよう」

と 言ってくれた

僕は

「それはできないよ 

だって 他の人みたいに イエズスにあげる贈り物が何もないもの」

と 答えた

でも 僕は イエズスと一緒にいたい って すーごっく思ったから

贈り物にできるものが 何かないか 考えてみたんだ

そうだ イエズスを あったかくすることが できるかもしれない

それは きっと すてきな贈り物かもしれない

そこで 僕は イエズスに 聞いてみた

「僕が あなたを あったかく してあげたら それは 贈り物になりますか?」

イエズスは 答えた

「それは 誰のよりも すばらしい贈り物になるよ」

僕は 喜んで 飼い葉おけの中に 入った

そしたら イエズスは 僕を見て

「いつも 一緒にいていいよ」

って 言ってくれたんだ ・・・・・

話し終えると

ミーシャの目から あふれる涙が 流れ落ちた

彼は 顔を手で覆い テーブルにうつぶせて

小さな肩を震わせて すすり泣いていた

 

 

 

 

 

 

 

 


もうじきクリスマス

2011年12月23日 07時41分07秒 | 祈り

この くらいきせつには ローソクをともしましょう

もうじき クリスマス・・・

ベツレヘムでおうまれになった イエズスさま・・・・

天使がはこんできた へいわのメッセージ・・・・・

ぼくたちを イエズスさまのところへ つれていってくれる ほし・・・・・

クリスマスのローソクを 見ながら

天国の光を おもうことができますように。

― 小さな おいのりのたび より -


聖霊における祈り2

2011年12月22日 22時31分20秒 | カンタラメッサ師

わたしたちの中で

密やかに沈黙の内に祈られる聖霊は

聖書の中で祈られる“霊”と 全く同じ方です

聖書のページに“霊感を与えられた”方は また

聖書における祈りにも 霊感をお与えになりました

“霊”に“波長を合わせて”聖霊が祈られるように祈ることを

聖書から 学びなさい

聖書には 

神が わたしたち人類にして下さったこと が

書かれているばかりではなく

創世の時代から 

人が 神とどのように 語り合ってきたか

神に どのように 祈ってきたか が 

綴られている

その祈りもまた 聖霊が 

諸聖人の口を通して 祈らせたもの

 

“霊”に“波長を合わせて”聖霊が祈られるように祈る

想像するだに 気持ちよさげなこと

 

 

 

 


聖霊における祈り1

2011年12月21日 22時16分25秒 | カンタラメッサ師

祈りとは

あらゆる徳における進歩のための不可欠の道具

瞑想にふけって 神という無限の淵の中で 我を忘れること 

魂の呼吸

幼いころ 祈りは 自分の夢を叶えてもらうことだった

七夕の短冊に 願いを書き

神社の賽銭箱に 小銭を投げ込み かしわ手を打って 祈った

祈りは いつも 懇願 だった

 

ミッションスクールで 学びながら 毎朝 決まった祈りの言葉を唱えた

深く考えもせず

ただ 呪文のように 毎朝 学校放送に合わせて 祈った

 

月日がたち 成長して キリストに出逢った

祈りが キリストへと 導いた

キリストを もっと身近に感じたいと 願い 始めた 「イエスの御名の祈り」

この極寒の国の 篤い祈りの習慣を

ただただ 無心に 繰り返した

「イエスの御名の祈り」は 未知の扉を開く鍵だった

扉は キリストのいる方へ 聖霊の導くほうへと

開いていった

 

人は 神に造られたものだから

祈りは 人の 奥の奥の部分を 安心させる

祈りとは 神と 語り合うことだから

わたしのことを わたし以上に知っていて

わたしが わたしを愛するよりも 愛し心配してくださっている方と

語り合うのだから

 

 


命を与える霊の法則

2011年12月20日 20時07分18秒 | カンタラメッサ師

キリストは 

ご自分が愛したように 

互いに愛し合いなさい

という掟を わたしたちに お与えになりました

この愛こそが

わたしたちを

新しい人 新しい契約の相続者 新しい讃美歌の歌い手にします

― by アウグスティヌス -

           


命を与える霊の法則27

2011年12月18日 15時02分52秒 | カンタラメッサ師

あなたがたの内にある 古いものを 取り除きなさい

あなたがたは 新しい讃美歌を 知っています

新しい人、 新しい契約、 新しい讃美歌

新しい讃美歌は 古い人に 属しません

それは 

恵みにより 新しくされた人

天の国である新しい契約に すでに属している 新しい人によってのみ

理解されることができます

― by アウグスティヌス


命を与える霊の法則26

2011年12月17日 11時06分16秒 | カンタラメッサ師

キリスト教のメッセージの新しさに翳りが帯びるのは・・・④

人が 義務を守った時

神が人に対して “感謝”という負債を負われる と

考えるとき

“~しなければならない”という事柄がある

旧約の時代に 神が お山で モーセに与えた 十の戒め

それは 人が 人らしく生きるために どうしたらいいのか 

何も知らずに 生きていったら 待ち受けているのは 死と 滅びだから

そこから 救うために 予め 神が 教えてくださったもの

キリストが 生涯かけて 説いた教えも 同じこと

人々が 人らしく生き

与えられた命を 豊かに 恵み多く 生き切るためには どうしたらいいのか

モーセのお山の十の戒めを 形だけ守るのではなく

心から 守ることが 必要なんだと

 

 

まだ 物事の道理がわからない 幼子が 包丁で遊んでいたら

良識のある大人は 

幼子から 包丁を取り上げ 

これは 触ってはいけない

危ないから 

怪我をするから

と 諭すだろう

 

次の時 幼子が もし 包丁で遊ばなかったら

諭した大人は 感謝するだろうか

 

わたしたちが 仮に 律法=掟=福音 を 完璧に守ったとしても

神から 感謝は されない

神からの 感謝を 期待してもいけない

 律法=掟=福音は わたしたちを 守るために 与えられたものなのだから

 

幼子は 

諭してくださった 大人に 感謝しながら

包丁で遊んではいけない という 掟を 守るべきだ