ヨブの友人たちは ヨブの不幸を聞いて 慰めるため
はるばる訪ねてきた
はじめの一週間は 沈黙していたのに
ヨブの不幸が収まるどころか ますますひどくなるのを見て
友人たちは 神について 長い熱烈な弁護を始める
神に有利で 人間に不利な 素晴らしいこと(綺麗ごと)を言って
ヨブを非難し 神に代わって神を弁護する
「 苦しみのあるところに 罪があったのだ 」 と
苦しみの火の中を通らなかった者の 神についての弁護は
根本的に 偽善であり 偽りである
同じ境遇に置かれる時
自分はもっと立派に振る舞うだろうと 確信している者が行う 自惚れた弁護である
この弁護は
『神にとって 聖なるものである苦しみ』への尊敬に欠けるので
神を ひどく 怒らせる
友人たちの祈りは 偽善者の祈り
唇で神を敬うが 心は 神から 遠く離れている者の祈り
神にへつらう者の祈り
心に 常に何かの利害を秘めている者の祈り
もしかしたら ヨブと同じ状態に陥るのを避けたいのかもしれない・・・
思い当たる節がある
わたしも ヨブの友人たちのように 振る舞ったことがある
他の方の苦しみに対して
口に出して言ったか言わなかったかは 定かではないけれど
少なくとも 面と向かっては言わなかったかもしれないけれど
わたしの 心の動きは ヨブの友人たちの様であった
神に対しても
友に対しても
わたしは 悪いことをした と 思う
ひどい奴だと 思う