今 ここに いる ということ

今 ここに いる
みつけた
出会った
感じた
伝えたい

由比ヶ浜教会のごミサ

2011年12月11日 00時51分22秒 | 体験

母教会が 行事で 夕ミサが なかったので

由比ヶ浜教会の 御ミサに 行った

待降節 第3主日

祭壇わきの蝋燭が 3本 燈る

聖変化の時の 信徒の 跪き と

両形色のご聖体拝領 とが

当たり前のように 行われていたことに 感動

懐かしく 嬉しかった

祭壇わきの ご降誕の飾りつけ

飼い葉おけの中には まだ イエズスさまは いらっしゃらない

可憐なマリアさま

外に出たら もうすっかり 冬の夜

隠されていた 宝を 見つけた 気分でした

 


待降節

2011年12月05日 21時27分05秒 | 体験

キリストの降誕を待つ季節

教会の祭壇わきには ご生誕のエピソードを模す

クリスマスの飾りつけがされている

イブの夜までは 

飼い葉おけの中には 

イエズス様は いらっしゃらない

聖母マリアさまも 静かにご降誕を待っていらっしゃいます


聖ビルジタの祈り

2011年11月18日 23時52分34秒 | 体験

カトリックの信者が 結婚後 生まれてきた子供に洗礼を 授けるか否か と悩むことがある

両親ともに カトリックの信者である場合は 誕生後すぐに洗礼を授けることが当たり前だか

片親だけに 信仰がある場合は 洗礼を授ける機会を逸することがある

 

先日 ある会合で そんな悩みをお持ちの方と お話した

子供が 自分で判断できる年齢になるまで 待つべきだ とか

洗礼を受けることで頂く恵みは 測り知れないのだから なるべく早く洗礼を授けるべきだ とか

いろいろな意見 いろいろな考え方 がある

 

その日の夕方 しばらくご無沙汰していた 友人から 連絡が入った

「 10年ほど前 小冊子になった「聖ビルジタの15の祈り」を 頂いたのだが

もうボロボロになってしまって 困っている

新しい冊子を 送ってくれまいか 」

 

あぁ そういえば あの頃 自分も娘と一緒に 一年間 一日も欠かさず 祈ったなぁ

私は 一年でギブアップしたけど まだ続けている方がいるんだ!!

祈りを365日毎日続けた暁には 叶えてくださる お約束 があって

娘も私も 家族の救霊を願い よりよい人生を希望して 祈り続けた

その御蔭で 夫も息子も 洗礼を受けた

あの スウェーデンの聖人の祈りは 素晴らしいものがあったなぁ・・・

 

人は 人の心を 変えることが できないけれど

神さまに お願いすれば 

それが 神さまのみ心と一致しているならば

神さまは 人の心に働きかけて 下さるのだから

 

聖ビルジタの祈りは 日本的に言えば お百度参りみたいなものです

 

 

 


タラントンの譬え

2011年11月13日 20時26分16秒 | 体験

カトリック教会では 本日は 年間第33主日

マタイ福音書から タラントンの譬え が 朗読された

司祭の説教から

小さなものに 忠実であった 僕(しもべ)は

更に 大きなものを 与えられ

主人と一緒に 喜びに入る

 

どんな人であっても 神さまから タラントンを 預かっている

それは 才能だったり 環境だったり 色々な形の 恵み

 

長崎の 26聖人の彫刻を 作成した 彫刻家 舟越保武氏

 

先週の日曜日 NHKの日曜美術館で 取り上げられていた

以下、NHKのHPより 引用

東北が生んだ戦後日本を代表する彫刻家、舟越保武(1912-2002)。


キリスト教を題材にした「長崎26殉教者記念像」や静ひつで気品ある女性像など精神性の高い作品で知られています。

舟越の作品は、表面的な美しさだけにとどまりません。

人生においてさまざまな苦難と向き合ってきた舟越の作品の数々は「やさしさ」を持ちながら「静かな強さ」を秘めています。


舟越は長男をわずか生後8か月で亡くしことをきっかけに一家でクリスチャンになりました。

以降、キリスト教を題材にした傑作を生みだします。

そこには、辛い運命を懸命に生き抜いた人たちへの深い愛情といたわりが込められています。

精力的に作品を生み出していた75歳の時、舟越を病魔が襲います。

脳梗塞で倒れ、右半身の自由と視覚の一部を失ってしまったのです。

それでも、舟越は彫刻への情熱を失わず、左手だけで作品を刻み続けました。

新たに左手だけで制作した作品はこれまでとは異なる粗削りな造形の中に、舟越の彫刻への深い気迫が感じられます。

 

 苦しみの中にも 希望が見出せる 『ゴルゴダⅡ』

舟越氏は いつも 淡々と こつこつと 職人のように

デッサンをし 塑像を創り 作品を仕上げていたという

 

自分の 出来ることを 精一杯 ただ 淡々と 毎日毎日 すること

その忠実さを 神さまは 喜ばれる 

 

 

 


希望を語る@かまくら

2011年10月23日 20時08分00秒 | 体験

カトリック雪ノ下教会で行われた「希望を語る@かまくら」に参加した

 

カトリック司祭 山口道孝氏の司会で

三人のパネリストが 語る

パネリストは

鎌倉坂の下にある 御霊神社 禰宜 小林章子氏

鎌倉五山 浄智寺就職 朝比奈恵温氏

佐助にある 日本キリスト教団恩寵教会牧師 荒井仁氏

 

それぞれ異なる信仰の立場の中で

3.11の震災の後 鎌倉では 宗教人として

共にできることを模索し

4・11に 大規模な合同祈祷祭も 催された

今回は その延長線上の活動としての パネルディスカッションである

 

それぞれの自己紹介の後に

各宗教それぞれが 被災地・被災者に対して どんな活動 どんな救援をしてきたか

それぞれの宗教では 震災は どのように捉えられているのか

などが 語られた後

質問者の問いに答えた

原発事故をどう思うか

震災で子を失くし 子の亡骸も見つけられない母親に どんな祈りができるのか

個々の宗教人の活動が「希望」に結び付くためには連帯が必要と考えるが いかがですか・・・etc.

 

宗派が違うのだから 若干のニュアンスの違い 教義の違いは 否めない

しかし パネラーも聴衆も 違いに捉われず

相通じている部分 

人間 ひいては 霊の根源的な部分での 共通項を 見つけ出して

互いに共感し 励ましあった感があった

 

個人的には 神道についてほとんど知らなかったので

大変興味深かった

自分のDNAの中に 脈々と流れている日本人の遺伝子を感じ 宗教的感性で合点がいったこともある

また 不思議と キリスト教との近似点が いくつかあって これにも驚かされた

(「いのち」の「い」は「息」、「ち」は「霊」。「いのち=息の霊」・・・あっ、聖霊だ。ルアッハ)