今 ここに いる ということ

今 ここに いる
みつけた
出会った
感じた
伝えたい

新年 あけまして おめでとうございます

2012年01月01日 00時00分00秒 | 良い知らせ

謹んで 新年のご挨拶を 申し上げます

2012年が あなたにとって 幸多い年となりますように

主があなたを祝福し、あなたを守られるように。

主が御顔を向けてあなたを照らし
あなたに恵みを与えられるように。

主が御顔をあなたに向けて
あなたに平安を賜るように。


希望

2011年10月22日 21時49分03秒 | 良い知らせ

神は語られます

わたしを驚かせるものは 希望です

信仰は わたしを驚かせない

愛は わたしを驚かせない

しかし 希望は わたしを驚きで満たす

この哀れな被造物が どのように物事が進んでいくかを見ながら

明日こそ良くなると信じるとき

それは わたしを驚かせる

わたしは 驚きでいっぱいになる

希望に対して 

わたしの恵みは 真に 信じられないほど 偉大なものと ならねばならない 

シャルル・ペギー

 


復活の実り

2011年10月21日 21時32分55秒 | 良い知らせ

全世界は見 そして 認めよ

破壊された者が 造り直され

古かったものが 新しくされ

あらゆるものが 元の完全性に 戻されたことを 

ラテン教会の祈り

 

神ご自身が 

力強い手と 差し伸ばされた腕で

ご自分の民を

自由にするために

来られます

主イエズスの足と指し示す手を 見てください

なんと活き活きとした命に満ち溢れていることか


キリストは 復活された!

2011年10月19日 09時39分43秒 | 良い知らせ

肉体の復活を 理性で受け入れることは 難しい

わたしたちは 死すべき体の持ち主だから

生まれた瞬間から 死に向かって 歩んでいるのだから

身体の奥の 芯が 

復活という 不自然な 

自然の摂理に反する 出来事を 拒絶する

 

しかし 

キリストは 復活した!

復活したのでなければ

死者の中から 甦ったのでなければ

ご受難の時の 弟子たちの態度と

復活後の 弟子たちの態度との

明らかな 違い は 説明できない

少しの物音にもおびえて

灯もつけずに 息をひそめて 隠れていた 弟子たちが

どうして 人前で 堂々と

キリストを 宣べ伝えることが できるだろうか

どうして 死をも恐れず

迫害者に キリストの真理を 語れるだろうか

 

今日 世界中に キリスト教が 伝播したこと自体が

キリストの復活の 証しである


神に捉えられた牧師

2011年10月16日 15時03分56秒 | 良い知らせ

田越川のほとり 新逗子駅南口から すぐのところに

この教会は ある

日本キリスト教団 逗子教会

友人に誘われ

特別伝道礼拝に 参列

講師は当教会牧師 小宮山 剛師

説教「究極の救い」

マタイによる福音書から  ブドウ園の労働者の譬え が 朗読された後

壮年の牧師が語り始める

特別伝道集会だけあって 初めに この譬え話の 解説

あぁ このまま 終わってしまうのかぁぁぁ

と 思いきや

(大丈夫。 プロテスタントは お説教が 長い)

要所要所に ポイントを 伏線のように 語られる

神の物差しは 人の物差しとは違う

神は 何が何でも ブドウ園に 人を送りたい

「 わたしは この最後の者にも あなたと 同じように 支払ってやりたいのだ 」

そうして 

この譬え話の中の どの登場人物が 自分なのか

と 問いかける

「私は 人様に 迷惑をかけずに 生きてきた。  あの罪びとたちとは違う」

と 考えている人は 朝早くから 雇われた者のよう

「あぁ わたしには愛が足りない。  わたしには 神に祝福される資格はない」

と 感じている人は 夕方5時に雇われていた人、

彼は 本来 神に 救われるべき資格がないのに  

神は 彼を 救われた・・・

牧師は ここから 突然 己れの生い立ちを 語り始める

幼少期 病弱で 死にかけた時 両親が招いた牧師の祈りにより 奇跡的に回復したこと

少年期 信仰の篤い両親と 教会に 当たり前のように通っていたこと

青年期 近代的な思想の洗礼を受け 神から離れ 神を忘れ 生きていた時のこと

そして 二度目の 死の淵の体験

死の淵に立って初めて 忘れていた 信仰を思い出し  魂から 神へ呼びかけたこと

再度 命を助けられたにも かかわらず  彼のベクトルは 神には向かない

しかし 

まるでキリストが遣わしてくれたかのような幼馴染との再会や  

熱心なキリスト者である雇用主との出会い、 両親や 偶然出会った方々が

みな キリストから送られたのだと 気づいた時

神に包囲され 捉えられている自分を知る

《 わたしは 神を忘れ 神がいない とさえ 思った者なのに 》

その時 ただ

雛が 雌鶏に 抱えられているような あたたかな 優しい気持ち

に なったという

生きて 一人ひとりを 導かれる 神

「 わたしは この最後の者にも あなたと 同じように 支払ってやりたいのだ 」

 

 

 

 

 

 

 

 


無垢の人の苦しみが わたしの 罪の 許し となった

2011年10月16日 14時31分43秒 | 良い知らせ

わたしの高慢

わたしの 創ってくださった方への反逆

あらゆる肉欲  あらゆる偽善  あらゆる不正

あらゆる暴力  あらゆる虚偽  あらゆる憎しみ

これらの罪を 

キリストは

 自分の中に 自分のものとして

受け入れた

その罪のゆえに 

神は 不在となる

完全な孤独

完全な闇

神との隔絶

キリストの魂の受難

 

わたしたちには わからないだろう

あれほど 神と親しかった方が 神と切り離された状態に おかれる 苦痛を

 

聖書的な人にとって

神の沈黙 

神の無視

は 死に値する

 

無垢の人の苦しみ

この苦しみだけが 

わたしの 罪の 許し となった

 


今や 恵みの時

2011年10月15日 14時13分25秒 | 良い知らせ

どの人にとっても

命の初めは

キリストが 彼のために 生贄として 献げられた時です

しかし

キリストが 彼のために 生贄として 献げられるのは

彼が 

恵みを 認め

その 生贄によって

自分のために 獲得された命に 

気づく時なのです

-4世紀  教父の言葉-


Who are you?

2011年10月14日 12時59分57秒 | 良い知らせ

想像してみよう

罪という深淵から 九死に一生を得て 救い出された 自分を

瀕死の思いから 漸く 目を開けると

そこに

自分を救い出して下さった方がいた

 

どのようにして どうやって救ってくださったのだろう

わたしの体には 傷一つない

しかし

その方の体には

茨の棘がささったあと  手足には釘のあと 脇腹には槍の後

そして 無数の 鞭打ちの傷あと が

 

わたしを救おうとして こんなに

全身に 傷を負ったのですか

なぜ?

どうして?

 

「 わたしが あなたを 創った

わたしの 愛を注ぐために

あなたが 滅びるのを 黙って見ているわけにはいかない

あなたが とても 大切だから」


それでは どうすれば いいのだろうか

2011年10月13日 10時38分31秒 | 良い知らせ

      「人は だれも 自分を 買い戻すことはできない」(詩篇49:8)

罪の奴隷である者が 

どうして 

自分の身代金を 自分で支払うことができるだろうか。

 

しかし

既に

わたしたちは 救出され 助け出され 保護され 守られ 

安全なところに 連れてこられている

 

「あなたは 既に 救出されているのだから

助けられたことを 信じて

助けてくれた方を 見上げてごらん」