私は、自分自身の人生の意味に対して確固とした自信を持つことができないでいて、それで哲学を志しました。
自己探求のその先に、ぶれないしっかりとした軸のようなものを自分の中に見つけ出すことができないか...そう思ったわけです。
最初は現代英米神学(P.ティリッヒ)をやり、神と信仰の世界に、学問を通じて迫ろうと思い、それでも足らないものを感じて、思索の力というものを信じて、あらゆる問題の根源に向かって徹底してものを考え抜くドイツ観念論の「絶対者論」に取り組みました。専攻はF.W.J.シェリング...それも、晩年のシェリングの「宗教哲学」です。
研究室では素晴らしい恩師や学友に恵まれ、学問としての哲学の奥深さ、知的な努力の積み重ねの伝統が放つ煌めきと凄みも体験できました。
そしてそれ以上に、最晩年の西谷啓治先生の謦咳に接し、その思索する姿に触れ、哲学の営みのもの凄さを感じ、戦慄するような「なにものか」を感じることができました。
先生に最後にお目にかかったのは、本当になくなる直前...その時私は駆け出しの新米哲学徒であったのですが、もの凄い勢いで私は先生に詰め寄られました...今思えば、それが先生の私に対する公案だったように思います。
しかし、結局、確固とした自信も、ぶれることのないしっかりとした軸も、その時の私は自分の中に見つけ出すことができませんでした...
その時私が哲学科の大学院生としてやっていたことは、結局「講壇哲学(Schulphilosophie)」つまり、大学機関での研究としての哲学、大学の講壇で教えかつ学ばれる教養としての哲学の訓練でしかなかったのですね。
私には、自分自身の人生の問題を何とかしたい、という、哲学に向かうだけの動機がありましたから、学生時代には真剣に、懸命に哲学と取り組みましたが、それはじつは「哲学」ではなく「哲学の研究」でしかなかったのです。
私は、自分が研究しているシェリングの思想に惚れ込んで、論文を書くときにはシェリングが乗り移らんばかりの思いを持っていましたし、ヘーゲルも、ニーチェも、ハイデガーも、読むたびに心が揺さぶられるような思いをいだいていましたから、自分の勉強を、ただの「学問的研究」...分析対象としての哲学の研究とは違うのだと思っていましたが、それでは本当に自分が「哲学」をしていたのか...といえば、そうではなかった...
私の書くものは、謂わば誰かの思索の継ぎ合わせ、「パッチワーク」でしかなく、私自身の内面から本当に湧き上がってくる言葉ではなかった...
研究者の卵であった私を厳しく親切に指導してくれた先輩...私にとっては、恩師なのですが...この先輩に、有る時、
お前の書くものは、確かに引用も幅広くきっちりしているし、なかなか面白いけれど、結局人の思想のパッチワークじゃないか...お前しか吐けない一句、一言で良い、お前にしか言えない一句を吐くことが、哲学の仕事じゃないのか...
と指摘され、悔しくて、しかし自分でもうすうすわかっていた本当の弱点をずばりと指摘されて、自分自身が不甲斐なくて、涙が止まらず、朝まで眠ることができなかったことがあります。
私の大学院生活は、いつかこの先輩に対して、「これが私の一句です!」というものを何とか呈示したい...そんな思いを底流に持っていました。しかし、結局、その願いは叶わず、自己嫌悪が高まるばかり...
カントやフィヒテ、シェリングやヘーゲル...ニーチェやハイデガー...私が取り組んだ哲学者たちは、誰もが口を極めて「講壇哲学」を徹底的に攻撃しています。
哲学は教えることも、学ぶこともできない...それは、一人一人の孤独な格闘であり、言葉だけを頼りに、徹底的に言葉に向き合う必死の努力なのである...
本物の哲学者たちから発せられるこうした言葉に深く共感しながら、自分自身は結局、本物の哲学はできていなかったのです...
要するに、私はとても「甘かった」のですね...
ものを考えることは好きだったし、哲学に対して激しいあこがれと情熱を持っていましたが、真剣に、命がけで取り組む、という事の本当の意味がわかっていなかった...
私の一生懸命は、要するに普通の一生懸命...
論文を生産し、しかるべきポストについて、講壇哲学を大学の講座で「教える」ことはできるが、ただそれだけのこと...そんなことであれば、「やらねばならないこと」とはいっても、自分の夢を実現するためならば、誰もがやらねばならない当たり前のことでしかありません。貧乏暮らしだの、連日の徹夜だの、ストレス漬けの出口のない毎日だの、そんな程度のことが我慢できなければ、何の世界であっても一本立ちなどできませんし、一流になることなど、夢のまた夢です...そんなものは、一生懸命、と大袈裟に言うほどのことではないのですね。
もちろん、大学教官になり、大学教官としての使命を全うするということは、実はとても大変なことです。生半可なことでは、「講壇哲学者」になることすらできません。その意味では、今から考えると、私は学者として生きていく、という点から見ても、「甘かった」のです。
それでは、何が問題であったのか...実は、「命懸け」と言っても、今ここですぐさま生命を投げ出さなければならない、という事ではありません。それは全く問題が違うのです。命を投げ出す、といっても、追い詰められた末での瞬間の決断であれば、蛮勇を持っての勢いで、あっさりできてしまったりするものです...そんなものは、実は命懸けでも何でもない。ただの勢いです。
そうではなくて、自分の人生のすべてを賭けて、その一点に立ち向かう...勝算があろうとなかろうと、自分が生きていることの意味がすべてそこに懸かっている、と肚を据えて覚悟を固めているかどうか...
命を捨てる決意を持って取り組み、そしてなおかつ、絶対に諦めない...どれほど駄目であっても絶対に命を捨てることなく闘い続ける事...ただそれだけの問題なのですね。とても泥臭い世界...
そこでは、本当に命を捨ててやる覚悟があれば、結果として生きたか死んだかなど、問題ではなくなっていきます。人間の命はとても儚いですから、ちょっとしたことであっけなく命を落としてしまったりします。だから、命を捨てるというのは、ただ死を選ぶことではないのです。命を捨てるとは、生「き死にを委ねる」、ということです。それでは、いったい何に委ねるというのか...
それがわかっていなければ、委ねるなどということはとうてい無理ですし、命を捨てるなどということはできようはずがありません。
命を捨てる、というのは、個人的な思い入れだけでできるようなものではないのです。それには、時節因縁がある...
生き死にを委ねる...その覚悟が本当にあれば、攻めて攻めて攻めて、それでも駄目ならば、退いて退いて退いて、負けて、服従して、身売りしてでも生き延びて、必ず反撃する...体力と気力と知恵...英知も狡知も駆使して五年でも、十年でも、二十年でも、なりふり構わず死ぬまで戦い抜く事ができる。
要するに、哲学から撤退して修行の道に入ったとき、私は落伍したのですが、それは私の覚悟が足らなかっただけのことなのですね。今思えばなのですが、自信がなくなろうが、論文が書けなくなろうが、忘れ去られようが、失踪しようが、私は、断固、撤退してはいけなかったのですね。徹底的に考え、自分と向き合うことはどこにいても、どんな境遇にあろうとできることですから...
哲学にせよ何にせよ、最後は覚悟の問題だと私は思います。そして哲学は、「考える」いうこと以外のすべてを剥ぎ取った素っ裸の状態で自分自身に覚悟を問う営みです。
そう考えれば、哲学は書物の上のことでもなく、新奇なアイデアを弄ぶことでもなく、評価される論文を量産することでもありませんね。誰もが日夜、自分自身の日常の営みを続けながら取り組んでいくこと...
覚悟があれば、待つことができる...それは、しかるべき時節因縁を待つのです。自分の「命を捨てる」つまり「生き死にを委ねる」ものが自分に到来するのを待ち続ける...怖れながら、待望しつつ...厭いながら、待ち望みつつ...引き裂かれ、宙ぶらりんになりながら、食い下がって考える...考えるとは、待つための儀式なのです...そして、待つとは、委ねるための祝祭なのです...祭りは、長ければ長いほどよい...果たされることのない、果たされることのできない約束のために、すべてを犠牲にして待つことができるか...そこに初めて、「信」が生まれ、「真(まこと)」が生起する...効率も悪く、正確な見通しも立たず、設計すらできない...しかし、これこそが一番大切なことではないかと思うのです。
これが、「哲学」の落伍者として、今思うことです...
同じ失敗は、繰り返してはならない...私にとってそれは、自分と同じ轍を踏まないように、来たるべき若者たちに、できる限りを伝えることなのです...この拙い文章が、誰かの役に立つならば、これほど嬉しいことはありません。
ありがとうございました。😺〜〜💐🌹
トランプみたいな男が大統領になったり、日本でも、やれ右傾化がすすんでいるだの、やれヘイトスピーチはけしからんだの、喧しいですが…「“近代”そのものに問題があるからだ」とは誰も指摘しません。問題が大きすぎるからですが。
それを戦前に指摘したのは。…本物の知性の凄みとはこういうものかと。