峡中禅窟

犀角洞の徒然
哲学、宗教、芸術...

第一次世界大戦開戦の日に寄せて...

2017-07-28 07:00:00 | 日記・エッセイ・コラム

はじめに、こちらを...

 

*Slovenian Press Agency、STA...

 

今日は、実は「第一次世界大戦の開戦の日」です...
この記事は、2014年のものですから、ちょうど百年目にアップされた記事です。

 

第一次世界大戦の発端となった「サラエボ事件」は、1914年6月28日に、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝・国王の継承者である、皇太子フランツ・フェルディナント夫妻が、当時オーストリア領であったサラエボを視察中、ボスニア系セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプによって銃撃され、夫妻ともに暗殺されてしまったという事件です...夫人は当時、妊娠中だったといいます...


オーストリアがセルビアに宣戦布告した日が、7月28日。

 

上の記事によると、第一次世界大戦の結果、9万人のスロヴェニア人が犠牲になったと書かれています。

イタリア軍による侵攻の最前線になったソチャ河は、第一次世界大戦でももっとも血腥い戦いの舞台になったといいます...

 

紛争が勃発するときには、当然、その背景にさまざまな社会的な矛盾、宗教的な対立、民族主義的な差別と排除、そして何よりも深い憎悪が渦巻いています。だから、ちょっとしたスイッチが入り、その瞬間、世界規模での悲劇が発生してしまいます。
「サラエボ事件」は、皇太子夫妻、要するに大公夫妻の暗殺ですから、大きな出来事ですが、その経緯は、驚くほどあっけないものです...

 

 

情報化社会においては、ちょっとした情報の揺らぎが、100年前の「サラエボ事件」の時とは比べものにならないほどの早さで、想像できないほどの規模で世界を揺さぶります...
今日では、銃や爆薬を用いた要人の暗殺を行わなくとも、世界規模でのカタストロフが発生する危険性がある...
それは情報操作によっても可能であるし、場合によっては、操作しようという意図すらなくとも、情報が一人歩きし、思わぬ民族間、国家間の衝突を引き起こすことがあり得るのです...

 

情報化社会の発展は、世界規模での情報の交換、共有が可能になりますから、世界中で人と人との相互理解が進み、戦争や紛争の抑止に繋がる...
そういう見解も耳にしますが、膨大な量の情報の海に呑み込まれ、発信源すら特定もできず、事実関係も検証されないままに、さまざまな「情報」が走り回るこの現状を見るにつけ、わたしたちの心の奥底に巣くっているさまざまな不安、恐怖、憎悪...こうしたものに火がつき、根拠なきデマによって、思わぬ事態が生起するのではないか...

たとえば、いまは、アメリカ合衆国のような、あらゆる意味において圧倒的な世界のスーパー・パワーを誇る国家の元首が、マス・メディアの報道が公平性を欠く、という主張の元に、ツイッターで直接世界中に情報の発信をする時代です...

直接的な発信は、確かに情報の歪みをある程度は回避する効果があることはわかります。しかし、ツイッターのようなリアル・タイムの発信は、一歩間違えば取り返しのつかない事態を起こしかねない...発信されてしまったならば、情報によっては、取り返しがつかないことがあり得る...

あるいは、文化的な背景が異なる国家において、その意味するところが正しく理解されるかどうか、誰にもわかりません。


アジアでも、中東でも、政治的、経済的、軍事的な緊張が、ここ数十年でも最高レヴェルに到るまで高まっています。

百年ほど前の、この戦争の頃と較べて、私たち人類はどれほどのことを学んだのか...

 

インターネットを通じた情報化社会は、世界を直接一つに結びつける...

そんな幻想を抱く人もかつては大勢いました。しかし、情報というものに対する向き合い方をきちんと整理し、しっかりしたスタンスで情報の大海を溺れることなく泳ぐ...それができない限り、かえって情報に振り回され、操作されてしまうことの危険が増大しつつあるのではないのか...むしろ、そういう危険性に対して、一人一人が真剣に向き合うべき時が来ているように思います...



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