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しなやかによりしなやかに美しく

ディスポ医療機器 京中貿易(1992年設立)を主題に会社のこと、
製品のことを。小田個人の太極拳も併せて。

2013年5月30日(日)モデル工場

2013-05-30 14:11:43 | Weblog
FDA

暑い中、合肥市のFDAが視察に来られた。
京冷は安徽のモデル工場になりつつある。
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2013年5月22日(水)高級魚なんですけど。。

2013-05-22 14:10:05 | Weblog

4日続けて食べた魚です。(食べた人中村)
これ、高級魚なんですけど。。。。(コメント小田)


食堂が気持ちよく稼動し始めた。


「いつも清潔に!」 貼り紙が必要だわね。
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2013年5月17日(木)南京~杭州

2013-05-17 13:41:28 | Weblog

ホテルの広場で舞うお二人は、古い気功「五禽戯」の
「鳥」のところを練習中。


木々の向こうは「太湖」
海のような湖だが、小雨で対岸は見えなかった。
お天気でも広い湖の対岸は見えないかもしれない。


太湖のパーキングに停車中のトラック。
はあ~~、蛇のように長いトラックだ。

長年行きたかった中原は色んな意味で素晴らしかった。
中国の大きさ、長い歴史に育まれた成熟した文化を感じた。
それを造り上げてきた人々の心も。

同行してくれた楊小京、鄭敏、そして京冷の皆さんの協力、
高速道路と三菱オートランダ―のお陰だ。(謝々!)
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2013年5月16日(木)南京は美しい

2013-05-16 13:27:22 | Weblog

南京の町を取り囲む城壁。
城市と呼ばれる都市は、このような城壁で取り囲まれていた。
有名なのは北京の長城。
南京の城壁も良く保存されていて、町中のしっとりした緑と
併せて美しい。


緑に囲まれたホテルは、国際会議などに使用される。
南京のプラタナスの街路樹は古くて大きくて緑のトンネルだ。
洋風の建物も多く残り栄えた時代を感じさせる。
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2013年5月15日(水)徐州博物館2F&全旨博物館

2013-05-15 13:26:12 | Weblog

楽しげに楽曲を仮名で踊る女人たち。いい時代だったのだ。。

西方の様子を思わせる風俗の人形たち。
於:徐州博物館2F




「科挙」の制度が長らく支配していた中国。
「及第」という言葉はこここから来たのかな?


藍色が何ともいえずいい。
明の時代のものは洗練されている。
於:全旨博物館
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2013年5月15日(水)徐州博物館1F

2013-05-15 13:24:31 | Weblog

徐州博物館 




鎧を身に付けた兵士と馬。


大砲

博物館の1Fは武具が並ぶ。今ある武器類はすべてある。
種類の豊富なこと、また戦いの道具として完成されていること。
予想外だった。鉄器、青銅器が発達した訳だ。


権力者は死後、「玉(ぎょく)」の石で編まれた衣服を纏い
お棺に入れられた。しかし息が詰りそうだ。
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2013年5月15日(水)雲龍山

2013-05-15 13:23:09 | Weblog

徐州博物館開館前に登った向かいの小高い丘は「雲龍山」 
頂上には古いお寺とがあり、ここは古い町だと思わせる。


「雲龍山」に建てられた抗日戦争殉死者の碑。
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2013年5月14日(火)ヨーロッパの森のような湖畔

2013-05-14 13:15:58 | Weblog

西湖を模した湖は、ヨーロッパの森を思わせる。
のどかに釣りをするひとの姿が見える。


王後陵

すでに高度に発達した武具の数々も収められている。

奥さんの「王後陵」の入り口。
44年かけて造ったという「陵」は、排水設備も整っている。
馬や武具、生活の各部屋も立派だ。もちろん祭事を行う
部屋には、細工を施した品が並んでいる。
しかし、厳重な石扉にも関わらずほとんどが盗掘されてしまった。
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2013年5月14日(火)永城市・梁孝王陵

2013-05-14 13:10:08 | Weblog
柳の綿毛
ふわふわと飛んでくるのはポプラの綿毛か?

木にも綿毛が止まって雪のようだ。日本には無い光景。

ホテルを出て暫く走ると平原の中に小高い丘が見え、
頂上は大きな像が見える。ワオー!!「項羽と劉邦」のあの「劉邦」だ。
彼は今の時代でも英雄なのだ。
畑では農作業の姿でのどかな風景だった。

呉服の元は漢服(漢民族の服)だったとは・・・
その呉服は日本に来て和服と呼ばれるようになった。

漢民族はその昔、漢民族とは称されておらず、中原の黄河流域に
暮らす部族で華夏族と称されていた。(紀元前546年)
のっけから広大な歴史が飛び出してきた。フゥー・・・

「梁孝王陵」「陵」は日本でも天皇のご陵で同じ意味だが、
規模がケタ違い!


長い階段を登った丘陵一帯に、「梁孝王陵」、奥さんの「王後陵」
息子の「梁共王陵」の墓地が広がる。
日本の墓地の概念ではなく、規模といい、金銀財宝といい、死後の
世界も生前と同じようにとした、エジプトのピラミッドを想像した
方が分かりやすい。
この一帯は「永城市MANTANG山漢文化旅遊区」、
全国重点文物保護単位。国家AAAA級旅遊景区、に指定されている。
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2013年5月13日(日)PM毫州市~永城市

2013-05-13 13:06:17 | Weblog

午後はひたすらあの三国志の舞台となった「中原」へ向かう。
何年も前から行ってみたかった「中原」に期待が膨らむ。

道路脇の家々が次第に簡素になっていき、麦畑が続く。
家々は数軒~10数軒かたまっていて小さな村落のようだ。
ポプラの並木と麦畑が延々と続く。ワオー!!!






「曹操運兵道」の入り口

東漢(後漢)の末に造られた「曹操運兵道」
地下に掘られた運兵道は抗日戦争の時にも使用されたとか。
両側から掘り始め狂いもなく一本のトンネルとなった、と。
全容は未だだが現時点で8000m、地下2,3m~6m、軍事施設や
通気孔の整った地下道は「地下長城」と称されている。

この日は、安徽~毫州市~永城市(泊)
チケット チケット
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