![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/fb/3ec4dfa173e6011f1fb654e2db0a7465.jpg)
4日続けて食べた魚です。(食べた人中村)
これ、高級魚なんですけど。。。。(コメント小田)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/11/f4ba85802c29d108bf02d60eeed73687.jpg)
食堂が気持ちよく稼動し始めた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f7/b2849a3924d5075519f6cebb366b7bfb.jpg)
「いつも清潔に!」 貼り紙が必要だわね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/90/0bdbbf6b7d2d08efe0b76e3e9b85c4b1.jpg)
ホテルの広場で舞うお二人は、古い気功「五禽戯」の
「鳥」のところを練習中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/96/34425ef6398c79a1ca5d960f585535c8.jpg)
木々の向こうは「太湖」
海のような湖だが、小雨で対岸は見えなかった。
お天気でも広い湖の対岸は見えないかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/dc/190b00bf1a7b3c5655e913cb9ef12f37.jpg)
太湖のパーキングに停車中のトラック。
はあ~~、蛇のように長いトラックだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_sup.gif)
長年行きたかった中原は色んな意味で素晴らしかった。
中国の大きさ、長い歴史に育まれた成熟した文化を感じた。
それを造り上げてきた人々の心も。
同行してくれた楊小京、鄭敏、そして京冷の皆さんの協力、
高速道路と三菱オートランダ―のお陰だ。(謝々!)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/18/df149330200b4610993a3ccd3fb641f5.jpg)
南京の町を取り囲む城壁。
城市と呼ばれる都市は、このような城壁で取り囲まれていた。
有名なのは北京の長城。
南京の城壁も良く保存されていて、町中のしっとりした緑と
併せて美しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/68/88095c467d108f3da7309d3cd23baf7d.jpg)
緑に囲まれたホテルは、国際会議などに使用される。
南京のプラタナスの街路樹は古くて大きくて緑のトンネルだ。
洋風の建物も多く残り栄えた時代を感じさせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/07/f7305187a9694bc74f0a27c2eb6396fe.jpg)
楽しげに楽曲を仮名で踊る女人たち。いい時代だったのだ。。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/19/3662740068ed2000e76d927df5c0cdb6.jpg)
西方の様子を思わせる風俗の人形たち。
於:徐州博物館2F
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/84/499b8e7a34b9f7ba96d29898c77f7984.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/ce/6c07f9fc9c454d88be83e28b79b7a9ce.jpg)
「科挙」の制度が長らく支配していた中国。
「及第」という言葉はこここから来たのかな?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/81/4b23e33ed800f02720a6e20a91704c07.jpg)
藍色が何ともいえずいい。
明の時代のものは洗練されている。
於:全旨博物館
チケット
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/52/cf912d00b12a0b0da05caed8c297f988.jpg)
徐州博物館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/40/07552569a7eddb99f6c781036905a585.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/11/f915d1ed5d33320c473c589e8d0246ba.jpg)
鎧を身に付けた兵士と馬。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/10/c42ec12523838401a580b405439f226f.jpg)
大砲
博物館の1Fは武具が並ぶ。今ある武器類はすべてある。
種類の豊富なこと、また戦いの道具として完成されていること。
予想外だった。鉄器、青銅器が発達した訳だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/2f/b6ad5da59c7b4d351c27c137a6af4a5c.jpg)
権力者は死後、「玉(ぎょく)」の石で編まれた衣服を纏い
お棺に入れられた。しかし息が詰りそうだ。
チケット
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/d5/c1d09e3543cfc4535943b3bc1a361d2b.jpg)
徐州博物館開館前に登った向かいの小高い丘は「雲龍山」
頂上には古いお寺とがあり、ここは古い町だと思わせる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/49/daf5f78334c1a7f65c61d491883833b3.jpg)
「雲龍山」に建てられた抗日戦争殉死者の碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/ac/31f5b0e3ce235073cbe113bc2186fe8a.jpg)
西湖を模した湖は、ヨーロッパの森を思わせる。
のどかに釣りをするひとの姿が見える。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/b5/eefaae150268fef1347c6cbd4d00e93a.jpg)
王後陵
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/55/3fbf24461a84eb9357784966bff877fc.jpg)
すでに高度に発達した武具の数々も収められている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/49/ab32a10249e67c91075b278cd0f7750f.jpg)
奥さんの「王後陵」の入り口。
44年かけて造ったという「陵」は、排水設備も整っている。
馬や武具、生活の各部屋も立派だ。もちろん祭事を行う
部屋には、細工を施した品が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/mirror.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/girl_ring.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/girl_pierce.gif)
しかし、厳重な石扉にも関わらずほとんどが盗掘されてしまった。
柳の綿毛
ふわふわと飛んでくるのはポプラの綿毛か?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/77/0b32ae108cd5a7bd60f2d88f19b3fb98.jpg)
木にも綿毛が止まって雪のようだ。日本には無い光景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/3c/71ae533140c5f5320cdb2332edd76933.jpg)
ホテルを出て暫く走ると平原の中に小高い丘が見え、
頂上は大きな像が見える。ワオー!!「項羽と劉邦」のあの「劉邦」だ。
彼は今の時代でも英雄なのだ。
畑では農作業の姿でのどかな風景だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/d4/64b51d3b049d3a54eea2060a3ddeb7d4.jpg)
呉服の元は漢服(漢民族の服)だったとは・・・
その呉服は日本に来て和服と呼ばれるようになった。
漢民族はその昔、漢民族とは称されておらず、中原の黄河流域に
暮らす部族で華夏族と称されていた。(紀元前546年)
のっけから広大な歴史が飛び出してきた。フゥー・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/22/a4b192e0133c4bb72ac5367810809bad.jpg)
「梁孝王陵」「陵」は日本でも天皇のご陵で同じ意味だが、
規模がケタ違い!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/78/89cb11da0e34095b658606056ac64388.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/cb/cbe5c81359d97bc7765b5e58dc594126.jpg)
長い階段を登った丘陵一帯に、「梁孝王陵」、奥さんの「王後陵」
息子の「梁共王陵」の墓地が広がる。
日本の墓地の概念ではなく、規模といい、金銀財宝といい、死後の
世界も生前と同じようにとした、エジプトのピラミッドを想像した
方が分かりやすい。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
この一帯は「永城市MANTANG山漢文化旅遊区」、
全国重点文物保護単位。国家AAAA級旅遊景区、に指定されている。
60元/人 チケット
ふわふわと飛んでくるのはポプラの綿毛か?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/77/0b32ae108cd5a7bd60f2d88f19b3fb98.jpg)
木にも綿毛が止まって雪のようだ。日本には無い光景。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/3c/71ae533140c5f5320cdb2332edd76933.jpg)
ホテルを出て暫く走ると平原の中に小高い丘が見え、
頂上は大きな像が見える。ワオー!!「項羽と劉邦」のあの「劉邦」だ。
彼は今の時代でも英雄なのだ。
畑では農作業の姿でのどかな風景だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/d4/64b51d3b049d3a54eea2060a3ddeb7d4.jpg)
呉服の元は漢服(漢民族の服)だったとは・・・
その呉服は日本に来て和服と呼ばれるようになった。
漢民族はその昔、漢民族とは称されておらず、中原の黄河流域に
暮らす部族で華夏族と称されていた。(紀元前546年)
のっけから広大な歴史が飛び出してきた。フゥー・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/22/a4b192e0133c4bb72ac5367810809bad.jpg)
「梁孝王陵」「陵」は日本でも天皇のご陵で同じ意味だが、
規模がケタ違い!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/78/89cb11da0e34095b658606056ac64388.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/cb/cbe5c81359d97bc7765b5e58dc594126.jpg)
長い階段を登った丘陵一帯に、「梁孝王陵」、奥さんの「王後陵」
息子の「梁共王陵」の墓地が広がる。
日本の墓地の概念ではなく、規模といい、金銀財宝といい、死後の
世界も生前と同じようにとした、エジプトのピラミッドを想像した
方が分かりやすい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
この一帯は「永城市MANTANG山漢文化旅遊区」、
全国重点文物保護単位。国家AAAA級旅遊景区、に指定されている。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f0/d55d49f134cf25afd86d48b73b60f7ca.jpg)
午後はひたすらあの三国志の舞台となった「中原」へ向かう。
何年も前から行ってみたかった「中原」に期待が膨らむ。
道路脇の家々が次第に簡素になっていき、麦畑が続く。
家々は数軒~10数軒かたまっていて小さな村落のようだ。
ポプラの並木と麦畑が延々と続く。ワオー!!!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onigiri_2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/onigiri_1.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/6e/4e4f5f2e3e847482c9d4fe42823726d0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/54/8f661085a84a13d2a4fd306f486e78ab.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/b5/e323f0a3b168282e4f2775c7eed046c5.jpg)
「曹操運兵道」の入り口
東漢(後漢)の末に造られた「曹操運兵道」
地下に掘られた運兵道は抗日戦争の時にも使用されたとか。
両側から掘り始め狂いもなく一本のトンネルとなった、と。
全容は未だだが現時点で8000m、地下2,3m~6m、軍事施設や
通気孔の整った地下道は「地下長城」と称されている。
この日は、安徽~毫州市~永城市(泊)
チケット チケット