

先ほどの交差点に戻って右折し、350mほど行くと大きな道にでる。
右折して少し行くと左側に「蓮光寺入口」の石柱があり、左へ入る細いY字路があった。
その道を進むと前方に大きな木があり、右手に門のようなものが見えた。

突き当たりを右折すると、新河岸川の堤防手前の左側に赤い門があった。
左手の植え込みに説明板があり「連光寺総門(市指定 建造物)」と書かれていた。


総門を潜って参道を進むと左てに山門があった。その右手に鐘楼が建っていた。
山門の両側には彩色された像があった。

山門を潜ると、正面に本堂があった。
「下野国山川村の長林寺の末寺で、山号を鷲嶽山といった。開山は室町時代。江戸時代に、寺領七石の御朱印を頂戴している。徳川家康がこの辺に鷹狩りにきたとき、門前でお茶を差し上げたので、お礼に懐から鼻紙を出して、そこに書いて寺領を与えたという。墓地には惣滑谷快天の墓がある。本寺の住職として、また駒沢大学の学長としても有名だが、難解な禅学思想を欧米に紹介するのに多大の功績をあげた。」

境内には箒をもった小坊主の石像があった。

「また、ひときわ大きな、大名の墓石と見違えるほどの立派な墓石は、高橋氏の墓である。江戸時代のはじめ頃から新河岸川の舟運を利用し、薩摩藩の御用商人として財をなしたといわれ、土地の人々は「薩摩屋敷」と呼んでいた。」
本堂の左手が墓地になっているが、入ってすぐのところに屋根付きの大きな墓石が並んでいた。