川越雑記帳2(川越見て歩き)

濯紫公園と坂下橋



 高沢橋から下流へ左岸の道を進む。
対岸に石垣があり、上に柳の木が並んでいた。
その奥は空き地のようだった。地図で見ると、濯紫公園とある。
たくし公園と読むのか、どこから付けられた名前だろうか。



 その先に、大きな階段があった。
岸から河原に降りる石段で、非常に幅がある。
公園の一部なのだろう、下の河原も広く造られている。
その左に橋があった。坂下橋である。
この橋を渡り坂を上ると、広済寺の裏に出る。



 橋から見た上流側は、濯紫公園下の河原が細くなりながらも、先へ続いている。
そこに小学生くらいの男の子が二人いて、川に向かってなにかしていた。
ここを行くと、高沢橋の方までいけるようだ。



 下流側は左に大きく曲がり、先が見えない。
左岸の家並みは切れて、その先の家が遠く見える。

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コメント一覧

通行人
公園名は、この付近に柳沢吉保(のちに大老)の家臣山東小市郎の別荘、濯紫園(たくしえん)があったことに由来する。
だそうです。
三芳野名所図会に由来が書かれているそうです。
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