川越雑記帳2(川越見て歩き)

12-11 熊野神社と元杢網歌碑

「蓮馨寺と中央通りをはさんで反対側が熊野神社である。」


 熊野神社へは中央通り側からも入れるが、蓮馨寺を出て直進する。
大正浪漫夢通りの交差点を右折すると、すぐ先に石の鳥居が建っていた。


 参道の両側には、足ツボを刺激する石が敷かれていた。
小石がいろいろな模様に配置され、手摺りも設置されていた。


 その奥に次の鳥居があり、境内の奥に社殿が見えた。


 拝殿の後に本殿があり、瑞垣の中に狛犬があった。
「天正18年(1590)紀州熊野から勧請したと伝えられているものだが、現在は摂社の大鷲神社の方が有名になった。大正年間、鷲ノ宮神社から分祀したといわれる神社で、縁日を新しくつくり人を集めようと、毎年12月3日を酉の市とした。」


 境内の北側には、鳥居の方から、加祐稲荷神社、厳島神社(銭洗弁天)、秋葉神社、大鷲神社が並んでいた。


 銭洗弁天の脇には寶池があり、柄杓が並んでいた。


 大鷲神社の左側に、石柱に囲われて石碑が建っていた。
「境内には洛栗庵元杢網の歌碑がある。「山さくら咲は白雲散れば雪 花見てくらす春そすくなき」の狂歌が刻まれている。杢網は金子喜三郎といい、現在の東松山市に生れた。江戸へ出て、湯屋番をしながら勉強し、後に狂歌の判者となり、太田南畝、宿屋飯盛らと交わり有名になった。「言葉の本末」「明和狂歌会」などの著書がある。狂歌師らしい洒脱な書である。『三芳野名勝図会』によると、杢網は蓮馨寺門前町にあった笹の庵に一時住んでいたという。」

 今回のコース12は、この熊野神社で終わる。

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