熊野神社へは中央通り側からも入れるが、蓮馨寺を出て直進する。
大正浪漫夢通りの交差点を右折すると、すぐ先に石の鳥居が建っていた。
参道の両側には、足ツボを刺激する石が敷かれていた。
小石がいろいろな模様に配置され、手摺りも設置されていた。
その奥に次の鳥居があり、境内の奥に社殿が見えた。
拝殿の後に本殿があり、瑞垣の中に狛犬があった。
「天正18年(1590)紀州熊野から勧請したと伝えられているものだが、現在は摂社の大鷲神社の方が有名になった。大正年間、鷲ノ宮神社から分祀したといわれる神社で、縁日を新しくつくり人を集めようと、毎年12月3日を酉の市とした。」
境内の北側には、鳥居の方から、加祐稲荷神社、厳島神社(銭洗弁天)、秋葉神社、大鷲神社が並んでいた。
銭洗弁天の脇には寶池があり、柄杓が並んでいた。
大鷲神社の左側に、石柱に囲われて石碑が建っていた。
「境内には洛栗庵元杢網の歌碑がある。「山さくら咲は白雲散れば雪 花見てくらす春そすくなき」の狂歌が刻まれている。杢網は金子喜三郎といい、現在の東松山市に生れた。江戸へ出て、湯屋番をしながら勉強し、後に狂歌の判者となり、太田南畝、宿屋飯盛らと交わり有名になった。「言葉の本末」「明和狂歌会」などの著書がある。狂歌師らしい洒脱な書である。『三芳野名勝図会』によると、杢網は蓮馨寺門前町にあった笹の庵に一時住んでいたという。」
今回のコース12は、この熊野神社で終わる。
最新の画像もっと見る
最近の「川越散歩」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- 川越散歩(522)
- 散歩写真(508)
- 川越の四季(花・木・自然)(699)
- 川越の桜(152)
- 川越動物誌(201)
- 庭の花・実(127)
- すき間に生きる(51)
- 空と雲(6)
- 行事・イベント(80)
- 碑文を読む(24)
- 文学碑を歩く(7)
- 説明板を読む(34)
- 伝説を歩く(12)
- 石仏・石像・狛犬(14)
- 伊佐沼(37)
- 時の鐘(13)
- 町まちの文字(43)
- マンホールのフタ(15)
- 街中アート(20)
- 火の見櫓の風景(44)
- ポストの風景(9)
- 街の時計(7)
- 三十六歌仙額(36)
- 案山子(かかし)(51)
- 川越駅西口(89)
- ふれあい拠点施設(60)
- 川越の端っこめぐり(138)
- 赤間川・新河岸川下り(112)
- 安比奈線(40)
- 街道を歩く(12)
- 落し物・忘れ物(15)
- 現代の妖怪(6)
- PCでお絵描き(6)
- ホームページ(3)
- 川越関連本(34)
- 小江戸川越検定試験(36)
- その他(13)
バックナンバー
人気記事