整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究中です。
今回は『何でもできることの不幸』について書きます。
「何でもできることの不幸」
人を育てるという視点から考えた時、何でもできる人はその任に相応しくないということ。
なぜか。
それは他者を必要としないから。
あるいは、他者が入り込む隙がないから。
他者の側に立てば、必要とされないから成長しない。
人は必要とされていることで何とか役に立ちたいと知恵を絞る。
そのことが結果的にその人の成長を促すことに繋がる。
この意味において、何でもできる人は他者を育てるには相応しくない。
育てる立場に居る人にとって、このことに気づいていることが必須。
ここからあえて、不幸という言葉を使った。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究中です。
今回は『何でもできることの不幸』について書きます。
「何でもできることの不幸」
人を育てるという視点から考えた時、何でもできる人はその任に相応しくないということ。
なぜか。
それは他者を必要としないから。
あるいは、他者が入り込む隙がないから。
他者の側に立てば、必要とされないから成長しない。
人は必要とされていることで何とか役に立ちたいと知恵を絞る。
そのことが結果的にその人の成長を促すことに繋がる。
この意味において、何でもできる人は他者を育てるには相応しくない。
育てる立場に居る人にとって、このことに気づいていることが必須。
ここからあえて、不幸という言葉を使った。
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