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≪整心療法研究所≫自己治癒力により心身が整っていく

自己治癒力により心身が整っていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。

269)秋葉原無差別殺傷事件3加藤智大(月刊精神分析)

2012年09月03日 | 事件・事故・ニュース

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

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*明日(4日)から6日まで関西方面へ出張です。近隣の方はご連絡ください。
連絡は携帯へお願いします。(signifiant-eros@ezweb.ne.jp  090-1951-1978)
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今日は、「秋葉原無差別殺傷事件3(月刊精神分析)の紹介と、分析家として感じていることについて書きます。
(詳しくはこちらhttp://agency-inc.com/akihabara3/

この事件は、まだ記憶のどこかに衝撃的な事件の一つとして、残っていることと思います。
ここでは、
加藤智大(以下「彼」と呼ぶ)の養育環境が特別ではない」ということを書きたいと思います。

「彼」の母の養育を『月刊精神分析「秋葉原無差別殺傷事件2,3」』から一部引用してみましょう。

1、男女交際禁止。中1、中2の時彼女ができるが母親から交際をやめるよう迫られる。交際を続けるなら転校させる。彼女から来た手紙を冷蔵庫の上に掲示される。脅迫と見せしめである。交際反対の理由は異性に関心を持つと勉強の妨げになるから。
2、友人を家に連れてくる事を禁止される。
3、門限あり。
4、クラブ活動の禁止。中学校時代、母親から部活動は反対されるも、友人に無理やり軟式テニス部へ入部させられ秋の新人戦で好成績をおさめた。新聞に名前が掲載されると母親は手のひらを返すように応援をはじめた。
5、視聴が許されたテレビ番組は「アニメ日本昔話」と「ドラえもん」
その他
作文指導の「10秒ルール」、ローカの新聞紙の上へぶちまけた食事を食べさせられたエピソードetc

これだけ読めば、かなり極端な養育環境であり、虐待だとさえ思うことでしょう。
ところが、今や日本の大半の家庭で、同じようなことが行われていると言ったらどうでしょうか。
《我が家は絶対違うと》言えるでしょうか。

私なりに読み替えてみたいと思います。
「彼」の養育環境を精神分析の観点からいうと
『主体性の剥奪』です。
ちょっと難しい表現ですが、
「彼」の「~したい」という欲望をすべて奪われ、母の言いなりになるしかなかった状況(環境)を指します。
もっというと
子どもの気持ちを無視し、親の言いなりにコントロールすること、です。

このように書くと、どうでしょうか?
子どもに自分の想いを押し付けていませんか。
・ゲームや遊びやおやつ、食事、服装、時間の制限をする
・塾や習い事を勧める
・早くしなさいと急き立てる(早く食べなさい、塾や習い事へ行きなさい)
・友達を選ぶ(あの子と遊んではダメ)etc

このように言うと、大抵のお母さんは
黙っていたら、際限なくゲームをしたり、自分の好きなことだけしかしない。
そうすると食事もまともにせず、宿題もせず、お風呂にも入らず眠ってしまう。
私は子どものためを思って言ってるんです。
このように反論されます。

「彼」の母親と、どれだけ違っているでしょうか?
このような環境の中で育った子どもは、将来どうなっていくかは想像できるでしょう。
誰かに指示されないと意見を言えない、動けない=指示待ち、受身の人
果ては、いじめられたり、人が怖くなる=対人恐怖、視線恐怖、広場恐怖など
人が怖くなると、人に合わないようにする=引きこもる
押し殺していた怒りが爆発=家庭内秒力、リストカット、虐待、非行、殺人「彼」(加藤智大)

こうして「彼」(加藤智大)へと繋がる道筋が予測できるのです。
だからといって、すべての人が彼のようになる言っているのではありません。
ただ、
《子どものために》との想いが、
気が付かないうちに、彼と同じような環境の中にわが子を追い込んでいる可能性がある、
のではないだろうかと問いかけてもらいたいのです。
そして、あなた自身はどうだっただろうか、と問いかけてもらいたいのです。
もし、私も同じだったと、思い当たる人が居たなら、その人は
かなり高い確率で、誰かに(ほとんどが我が子)同じ想いをさせていると言えるでしょう。

それらに気が付いたなら
今からそれを書き換える方法があります。
それが「オールOK子育て法」です。
シニフィアン研究所では「オールOK子育て法」を全国へと展開中です。
子どもの年齢に関係はありません。
詳しくはこちらまでお問い合わせください。
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オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/
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266)作家・浅田次郎に聞く“原発と日本人”ー古舘伊知郎との対談(報道ステーション)

2012年08月28日 | 事件・事故・ニュース

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「作家・浅田次郎に聞く“原発と日本人”ー古舘伊知郎との対談(報道ステーション)」 について書きたいと思います。    http://www.dailymotion.com/video/xt3f0x_yy-yyyyyyy-yyyyyy_news参照)

内容についてではなく、
浅田次郎氏が語った言葉の中で、印象に残った言語を取り上げたいと思います。
その言語(言葉)とは
意志」「決断」「情緒的なものの入る隙間はない
この3つです。
対談の中の言葉を一部引用すると

1)意志
 我々の父の世代は、「この厳しい現実は私たちの現実だ。これを子どもたちに申し送ってはならない。」という強い意志で復興してきた。

2)決断
 日本の決断を世界は注目している
 日本の決断は人類の歴史を左右する決断となる

3)情緒的なものの入る隙間はない
 過去と現在と未来、これを正しく見つめなければならない。
 そこに「子どもは可愛い」とか「子どもに罪はない」というような情緒的なものの入る隙間はない

3)の 情緒的なもの=折に触れて起こる様々な感情的なもの=感情的
と読み替えてみると、その対義語として、「理性的」が思い浮かびます。
とするなら、
情緒的なものが入る隙間はない=理性的
といえるでしょう。

そこで3つを整理すると
「意志」「決断」「理性」となります。
この3つは、何かを成し遂げるために必須のものではないでしょうか。
それらに「覚悟」を加えて、
人が生きていく上で必須のものだと言いたいのです。
向き合わなければならない事柄に直面した時
≪理性的に考え、決断をし、強い意志力をもって向き合う覚悟を持つこと≫
これはまた、父の機能に必須のものでもあると思います。

浅田次郎氏と古館伊知郎氏の対談を聞いて
人が生きる上で何が大切で必要であるかを再認識した気がしました。

父の機能についてはこちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/woman/#151
オールOK子育て法http://signifiant-lab.com/raise/#29
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/

 


255)子どもが親に殺意を抱くとき

2012年08月02日 | 事件・事故・ニュース

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「子どもが親に殺意を抱くとき」について書きたいと思います

 

母親の首を絞め殺害 18歳アルバイト少年逮捕「しつけが嫌だった」
産経新聞 8月1日(水)8時54分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120801-00000536-san-soci

事件の詳細は不明ですが、母親を殺す子どもの心中はどうなっているのでしょう?

母親は子どもからすれば、最初の愛の対象だと言われています。
母親にとっても、わが子は(古い言い方かもしれませんが)、
お腹を痛めて産んだ子どもであり、可愛い愛の対象のはずです。
それが、どうしてこのような殺人にまで至るのでしょうか?

精神分析的視点から考えてみたいと思います。
「しつけ」と称して、子どもを自分の思うとおりに操ろうとする親の姿が浮かんできます。
「泣き止まないから」
「言うことを聞かないから」
という理由で、乳幼児を殺害した事件も多々ありました。
親の側からみれば「しつけ」でも
子どもの側からみれば「いじめや虐待」となる場合があります。

子どもは親と比べて、圧倒的な弱者の立場にあることが、問題を見えなくさせていると言われます。
親(大人)の世話を受けなければ、生きていけない存在であること
それは、家庭内(一種の閉鎖空間)で受けるのが基本であること
これら2つのことがあるために
より積算されていくのでしょう。
それらがある限界にまで達したとき、
それまでの積算された「親への怒り」が一気に放出されることになります。

ある少年が言いました。
「いつか、仕返しをしてやる、思い知らせてやる、と心に決めていました。」と。
その少年が、母親に暴力を振るい始めたのは
母の身長を1センチでも超えた時からでした。
それまでは、自分が悪いんだと言い聞かせ、
我慢に我慢を重ねてきたけれど、
やっぱり、どう考えても自分は悪くない。
そう思ったと言いました。
その時は
それまで育ててもらったとか、優しくされた一片の記憶などは消えうせていたそうです。
それは「仕返し」です。

事件の18歳少年は
「しつけが嫌だった」と母親の首を絞めています。
果たして「しつけ」だったのでしょうか?
少なくとも、適切な「しつけ」だったなら、殺すまでには至らなかったのではないでしょうか?
人は経験から学びます。
愛されることで、愛することを
憎まれることで、憎むことを学ぶのです。
首を絞めて殺害したという事実から考えると
そこから見えてくるのは
「窒息と抹殺」

少年はこの二つを学んでいたということになります。
「あの母親のしつけから逃れる方法は、永遠にこの世から抹殺するしかない。
そして、その手段は、窒息させること」
と考えたのではないでしょうか。
つまり、
少年は母からの「しつけ」を窒息するようなものと受け止めていた。
そのように考えられないでしょうか?

これら、青少年の事件を見聞きするたびに、
どの家庭でもありうることではないかと感じます。
自分の「つもり」と、受け取る側の「つもり」の相違はないでしょうか?
もしあるとするなら、その相違に気付いてますか?
このような問いかけを持ってみることも必要だと思うのです。

家族や友だちなど、何か気になることがあれば、
シニフィアン研究所までご連絡ください。
お手伝いできることがあります。http://signifiant-lab.com/
思春期の子どもさんをお持ちの方はこちらへhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
小さい子どもさんをお持ちの方はこちらへhttp://signifiant-lab.com/raise/どうそ。


251)ロンドンオリンピック開幕

2012年07月28日 | 事件・事故・ニュース

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「水泳200mバタフライ代表 松田丈志」について書きたいと思います

いよいよスポーツの祭典、ロンドンオリンピックが開幕しました。
早朝からライブでご覧になった方も多かったことでしょう。
なでしこジャパンはじめ、多くの期待を寄せる競技、選手がある中
水泳200mバタフライ代表選手 松田丈志選手について書きたいと思います。

彼は「金メダル」を獲得するでしょう。
なぜなら、
「金メダルを取る」という言語が、彼の脳裏(辞書)に登録されているからです。

先日、図書館の新刊書の棚で、たまたま
「『自分超え 弱さを強さに変える』 松田丈志、久世由美子共著 新潮社」を見つけ、
読んで、そのように確信しました。
少し、この本の紹介をしたいと思います。
松田選手が久世コーチと共に歩んだ20年以上の歴史とハードワークの結晶が、
それぞれの視点から書かれています。
単なる歴史の羅列ではなく、
選手とコーチがひとつの目標に向かって互いに創りあげてゆく、心の軌跡が読み取れます。
それはまったく、子育てと同じです。
最初は、常に側に居て、片時も離れることなく「オールOK」する。
この段階で創り上げるもの=信頼関係

そして、成長に従って、親も子どを認め、親も変化し続ける努力が必要です。

以下、著書から引用します。

松田選手が、
僕は、コーチを変えるという変化が必要だと思ったことがありません。それは久世コーチが、ずっと同じやり方で指導してきていないからだと思います。僕の年齢が上がっていくに従って、教え方やトレーニングを変えていける柔軟性が久世コーチにはありました。(p72)
と書けば、久世コーチは
初めはコーチが上で、選手が教えてもらうという関係から始まります。しかし年齢に応じてだんだん選手の人格ができあがってきたときには、選手の考えをコーチが認めなければいけません。これは子育てと同じです。(p87)
と書いています。

取れたらいい、ではメダルはとれない
なんのために泳ぐのか
この問いかけに、松田選手は選手生活断念の危機を乗り越え
ついに、
「オリンピックに出て金メダルを取ることがボクの仕事です」
と言い切れるに至ったと書いています。(p178)
そして、最後に久世コーチは
私の資本は気持ちです。人の気持ちに背かない気持ちです。いつでも一生懸命やります。だからこそ、自分の力の及ばないところもわきまえています。できないことは人に頼むしかありません。正直にお願いすることで道が開けたという経験を何度もしています。(中略)みんなを巻き込むと不思議なことに、できないことが、できることに変わっていくのです。(p187)
と結んでいます。
松田選手と久世コーチはまさしく母子関係だとも言えるでしょう。
ただ二人の世界に閉じこもっているのではなく、
「金メダルを取る」との一つの目標(言語)に向かって
それぞれの役目をしっかり弁え、周りを巻き込んで不可能を可能に書き換えていく。
それは、久世コーチの始まりの言葉に表現されています。
私の頭の中には金メダルを取ることしかありません。
ロンドンオリンピックの表彰台で君が代を聴きたいと思います。(p23)

「世界を驚かす泳ぎをしたい」
この言葉が、松田選手のオフィシャルサイトに書かれています。
http://takeshi-matuda.com/category/message/

さあ、松田選手と久世コーチの20年以上にわたる集大成がまもなくみられます。
日本選手の活躍と応援はもちろん、ロンドンオリンピックをお互い楽しみましょう。

シニフィアン研究所では
オールOK子育て法を中心に、人の心を育てる教室を開いています。
こちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/#10
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232)橋下市長「大阪独自の脱法ハーブ規制始める」

2012年06月29日 | 事件・事故・ニュース
シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
 
今日は「酩酊と夢中」について書きたいと思います。
 
最近、メディアで「脱法ハーブ」の報道が目立つようになりました。
いくつか検索してみました。 
運転中「脱法ハーブ吸った」 2人はねた容疑、男逮捕
脱法ハーブ影響と判断 伏見の人身事故で地検
脱法ハーブ吸引:医師戒告、看護師は訓戒 県立病院機構処分、病院長ら3人厳重注意 /山梨
<大阪知事>脱法ハーブ規制、9月議会に提案へ
橋下市長「大阪独自の脱法ハーブ規制始める」
枚挙に暇がないくらいです。
特に、運転中の事故が増え、街中で誰もが簡単に手に入ることもあり、
東京都初め、大阪市の橋下市長も動き始めたようです。
「脱法ハーブ」に関する是非はともあれ、
今日はこの「酩酊と夢中」について書いてみたいと思います。
 
酩酊は、「ひどく酒に酔うこと」
夢中は、「夢の中・自覚を失うこと・物事に熱中して我を忘れること」
と辞書にあります。
意識がなくなったり、飛んだり、覚えていないという状態になるということでは
アルコールで酩酊することも、
何かに夢中になって我を忘れるのも、
失神するのも同じではないかと思います。
 
では、どうしてこのようなことをするのでしょう?
それは
心の緊張が高まったとき、
人は何らかの方法で、その緊張を緩和(開放・放出)することが必要だからです。
でないと、心が悲鳴をあげてしまうでしょう。
 
そこで、
スポーツや応援やライブ、アルコールでの盛り上がりなど様々な方法が用意されています。
(少々、後にその余韻を残すかもしれませんが)
状況に合わせて切り替えができる限り、有効な方法でしょう。
この時期だと大人は「ビアガーデンや居酒屋で盛り上がろう」
と、発散するのではないでしょうか?
酩酊・夢中になっている間だけは、そのことを忘れていられる、考えなくてもよい
自分では制御できない何かから逃れられる。
アルコールなどの力を借りて、騒いだり、泣いたり、大声をあげたり、歌ったり、
その勢いで眠ったりする。
このようにして、心の緊張を緩和しようとするのです。
 
ところが、過度の飲酒や薬物や脱法ハーブなどは
本人はもちろん、
他者をも巻き込んだ迷惑行為となる可能性が高いのは言うまでもないことです。
このような方法をとってしまうのは
「これしか知らない」からではないでしょうか?
 
スポーツやお祭りなどで発散する方法もありますが、
それらは、ある制約(ルール)が必ずあります。
その制約の中で許される事柄です。
そこで
・「制約を守る」のがめんどうくさい
・勝手気ままに発散したい
となり、手っ取り早くできる方法として「酩酊」を選んでしまうのではないでしょうか?
これらは、幼児性を表現する言語でもあります。
ここから、
「めんどうくさい」「勝手気ままにしたい」との行動が過剰な場合
その時、幼児の心の状態にあるといえるのではないでしょうか?
このように考えていくと
「酩酊」や「夢中」になっている時は幼児の状態に戻っている
そのように思えるのです。
 
時には、人は幼児の状態に戻って、開放することによって
自分を取り戻す必要があると思います。
その方法の一つが、「何かに夢中になる」ことだと思うのです。
「酩酊」はその手段を選ぶ必要があることは当然でしょう。
「夢中」を選ぶか「酩酊」を選ぶかは
幼少期の緊張の緩和の方向付け(ルールがあることの自覚)が
少なからず影響していると思われます。
このことについては、次回にしたいと思います。
 
シニフィアン研究所のサブサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/も参照ください。