≪整心療法研究所≫自己治癒力により心身が整っていく

自己治癒力により心身が整っていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。

491) 幸せへの近道は好きなことをすること

2018年02月26日 | 育児・子育て
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従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。

今日は《 幸せへの近道は好きなことをすること 》について書きます。

ある若い女性が「誰にも依存せず、幸せになるにはどうしたらいいですか?」と質問した。
すかさず「あなたの好きなことをすることです。」と返答した。

またある時、お母さんから相談を受けた。
「子どもがゲームばかりして困ります。休みの日には、食事もせずに8時間ぶっ続けでやってました。」
それにもこう答えた。「それだけの集中力があるとは素晴らしい。今はゲームだけど、いつか他の何かに変わったら楽しみですね。」と。

好きなことはこれほどの集中力や根気、持続力を引き出す。
誰かが好きなことをしている時にしてはいけないこと2つ。
邪魔をしないこと。
取り上げないこと。

何も言わずそっとしておきましょう。
好きなことをしている時ほど幸せな時はないのだから。

好きこそ物の上手なれ




490) 好きなことは行動する中で見つかる

2018年02月25日 | 生き方
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今日は《 好きなことは行動する中で見つかる 》について書きます。

「自分が好きなことが見つからない」と思う時、それを見つける方法がある。
それは、今少しでも関心があることをまずやってみること。

ほんの些細なことでいい。
「面白そうだな」
「やれるかも」
そう思ったらまずやってみる。
それが第一歩。

好きなことなら続く。
そうでなければ直ぐに止める。
続くことは結局好きなんだなぁと思う。
このようにして、探し続ければいい。

好きは幸せへの近道。


489) 白と黒の間

2018年02月18日 | 生き方
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今日は《 白と黒の間 》について書きます。

極端な性格を表す言葉に「白黒はっきりさせる」とか「白か黒しかない」というのがある。
かなり乱暴かもしれないが、白と黒を色の両極に例えてみる。
白は白紙。黒はあらゆる色の集合体。
白と黒の間には無数の色がある。


まるでノイマン型のコンピュータと量子コンピュータのようだ。
詳しいことはもちろん知らない。専門家からはお叱りを受けるかもしれないが、まったくの素人なのでお許し願いたい。
量子コンピュータは0と1の間のあらゆる数値を取り得るらしい。

白か黒のどちらかに決めてしまえばとりあえず世界は安定する。しかしあらゆる色を取り得るとすると、非常に不安定さを呼び起こすだろう。ある時は赤、ある時は黄色、はたまた緑などなど、、、、、
ホントのところ何色なのよ、と叫びたくもなる。しかしあらゆる色であり、どの色でもないということになる。

今度はこれを私たちの日々の生活に置き換えてみる。するとどうなるか。
ノイマン型のコンピュータを常識と置き換えてみるならば、量子コンピュータは常識に縛られない生き方に例えられるかもしれない。
常識にはまらない生き方は、常識を基本に生きようとしている人からすると、非常に不安を呼び起こすことになるだろう。あるいは自由でいいなあと思うかもしれない。

一方で、常識にはまらない人たちはそれに捉われることなく、あらゆる生き方を選択する。
彼らは時々の選択は、ただ一時的に自らの世界を固定したに過ぎないと考えているのかもしれない。

白か黒に早々に決めて生きるのもよし。あらゆる色を取り換えながら生きるのもよし。それ以外もあるかもしれない。
どれにしようかなぁと考えてみるのも時には楽しい。

488) 自らの情熱が人を動かす

2018年02月15日 | 生き方
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今日は《 自らの情熱が人を動かす》について書きます。

小さい子どもが一所懸命(情熱)頑張っている姿を見た時、多くの人は拍手や声援を送ってしまうだろう。
たとえ自分と縁も所縁もなかったとしても。
それは、その子どもの姿に自分の中の何かが引き出されたからといえるのではないだろうか。

自分の周りに協力してくれる人がいない時、ややもするとそれらの人のせいにする場合がある。
だが、もしかしたら自分の情熱が足りないのでは?と問いかけてみるのもいいかもしれない。

一途にひたむきに突き進む姿(情熱)に出遇ったとき、人は何か自分にできることはないかと考えてしまう。それが感動となり、応援や支援や協力、ボランティアなどに繋がっていくのだろう。

困った時、いつも協力者が現れる人は単に運がいいだけではなく、何よりも一所懸命だからなのではないだろうか。

『一念岩をも通す』





487) 自分を変えるより服を着替える

2018年02月13日 | 生き方
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今日は《 自分を変えるより服を着替える》について書きます。

自分(自我)は環境から取り入れたお気に入りの服のようなもの。自分という肉体の上に衣服を身につけている。
時々の気分と出かける先に合わせて服を選ぶ。
私たちはこのようにして日々暮らしている。
この視点から考えてみよう。

例えば、直面している問題に対して上手くいかないとき、自分を変えなければいけないと考えるかもしれない。ところが、自分を変えることは至難の業でとてもエネルギーが必要。
こんな時、直面している問題に相応しい服は何か、自分の服が相応しくないのでは、と問いかけてみる。
服にはフォーマル、スーツ、制服、普段着など用途に合わせて様々ある。
それらから相応しい服を選択するだけ。分からなければ知っている人に聞けばいい。
自分を変えなくても、身につけるものを変えるだけで他者は勝手にイメージを変えてくれるもの。

その場を離れたら、それらを脱ぎ捨て自分の好みの服に着替えればいい。
そんな時.このように口走っているに違いない。
「ああ疲れた〜」
緊張から一気に解放された瞬間だ。

人は慣れない服に縛られて気づかないうちに緊張している。だからその服を脱いで緊張を解放することが大切。

自分を変えるより着替える服を持つ方が、期間限定で省エネではないだろうか。