整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《 自分の描いていることについて語っている》について書きます。
「お母さんってどんな人ですか?」
こんな質問をしてみた。
答えは様々。ところが、全く違う答えが返ってくることが多々ある。
どうして?
それには2つ考えられる。
1つ目は、お母さんの違う側面を表現している場合。
2つ目は、答えた人(以下Aさん)にはそのように見えている場合。
ここで考えてみたいのは2つ目の場合。
Aさんが描いているお母さんのイメージ像は◯◯だということ。
それは、これまでのお母さんとの関わりの中で集積したデータからAさんが描いたお母さんのイメージ像。
つまりAさんは、Aさんが描いているお母さんのイメージ像を通してお母さんを見ている、語っていると言える。
とすると、お母さんその人ではない可能性もある。Aさんが描いていないお母さんもいる可能性もあるということ。
もっと広げて言うと、語る人の数だけのお母さんがいるということ。
このように考えてみると、人は自分勝手にお母さんのイメージ像を作ってその像について語っているということになる。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《 自分の描いていることについて語っている》について書きます。
「お母さんってどんな人ですか?」
こんな質問をしてみた。
答えは様々。ところが、全く違う答えが返ってくることが多々ある。
どうして?
それには2つ考えられる。
1つ目は、お母さんの違う側面を表現している場合。
2つ目は、答えた人(以下Aさん)にはそのように見えている場合。
ここで考えてみたいのは2つ目の場合。
Aさんが描いているお母さんのイメージ像は◯◯だということ。
それは、これまでのお母さんとの関わりの中で集積したデータからAさんが描いたお母さんのイメージ像。
つまりAさんは、Aさんが描いているお母さんのイメージ像を通してお母さんを見ている、語っていると言える。
とすると、お母さんその人ではない可能性もある。Aさんが描いていないお母さんもいる可能性もあるということ。
もっと広げて言うと、語る人の数だけのお母さんがいるということ。
このように考えてみると、人は自分勝手にお母さんのイメージ像を作ってその像について語っているということになる。