整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究中です。
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今日は『捨てる、手放す』について書きます。
頭では分かっているけど、行動できない。
手放すことの不安に直面している。その不安を手なずけることがなかなかできない。
エイッと決意しても、不安が押し寄せてくる。そして捕まってしまう。
どれくらい繰り返しただろう。
そこにエネルギーを費やしてしまい、やがて疲れ果てる。「もういいや」と腰を下ろす。
誰にもありがちなこと。
捨てる、手放すこと=何もなくなってしまう。
こんな公式がどこかであるのではないか。
なくなる=消滅=空っぽ=穴=吸い込まれてしまう=恐怖etc
しっかり握った手にはそれ以上入らない、開いた時あらゆるものを掴める可能性が広がる。
捨てる、手放すの向こう側に描く世界によってそれは決まるのではないだろうか。
次の欲しい何か(しあわせ)を掴むために今掴んでいるものを手放す。
次の何かが間違いなく掴めるならきっと手放すことだろう。
ということは、今ある何かを捨てる、手放すことの不安よりも次の何かを掴むことの不安が大きいと考えられる。
捨てられない、手放せないのは実は次の何かに対しての安心感を描けないから。
それを描ければきっと捨てられる、手放せる。
こんなことを考えてみた。
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今日は≪しあわせの物差し≫について書きます。
しあわせは語ることではなく、味わうもの。
だから人それぞれ。共通の物差しはない。
私は私の物差しで測る。
あなたの物差しで私は測れない。
それを忘れないで。
そうすれば、この世界はもっと住みやすくなる。
私は私の物差しで私の世界を描くのだから。
すべての人はパラレルの世界を生きている。
交わることはある?
君の名は。のような形でしか交わることができないのかもしれない。
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今日は≪出さずにはいられない≫について書きます。
息を吸って吐く。