≪整心療法研究所≫自己治癒力により心身が整っていく

自己治癒力により心身が整っていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。

451) 祈る

2017年03月31日 | 家族

整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。

従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい視点から人間の精神にアプローチする方法を研究中です。

 
今回は『祈る』について書きます。
 
どんなに愛する対象であっても、その人の人生を生きることは不可能。人は自分の人生しか生きられない。
他者のためにとどんなに願っても思い通りにはならず、時には腹を立て、感情のままに吐き出すこともある。その対象が近しい存在であればあるほど、制御は難しくなる。特に女性、なかでも母親の子どもに対するそれは強いようだ。
口に出さずとも態度の端々から強烈に放っている。時にその気迫は言葉以上のものがある。
そのエネルギーを違う方向へ転換させることができたなら、、、
 
その1つが「祈り」。
口に出さずに心の中で念じ続けること。
 
ある人のエピソードを思い出した。
四柱推命を中心に様々な人生相談をしているおばあさんに占ってもらった時に言い含められたことだという。
 
あんたは非常に強い星の下に生まれている。あんたはとても強い念を持っている。あんたの一念で人を殺すことができるくらいの強い念だ。自分が出した念はやがて自分に返ってくる。その強い念を人の幸せのために使いなさい。
 
その真偽のほどは知らない。
ただ、一念岩をも通す、との故事ことわざもある。
「祈る」は、愛する対象に対してできることの1つ。そしてシンプルでありながら、時として意識をすり抜けて相手に緩やかに、しかし大きな作用を与えることがあるのではと考えている。
 
 

 

 


450) 捨てる、手放す

2017年03月31日 | 家族

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今日は『捨てる、手放す』について書きます。

頭では分かっているけど、行動できない。

手放すことの不安に直面している。その不安を手なずけることがなかなかできない。

エイッと決意しても、不安が押し寄せてくる。そして捕まってしまう。

どれくらい繰り返しただろう。

そこにエネルギーを費やしてしまい、やがて疲れ果てる。「もういいや」と腰を下ろす。

誰にもありがちなこと。

 

捨てる、手放すこと=何もなくなってしまう。

こんな公式がどこかであるのではないか。

なくなる=消滅=空っぽ=穴=吸い込まれてしまう=恐怖etc

 

しっかり握った手にはそれ以上入らない、開いた時あらゆるものを掴める可能性が広がる。

 

捨てる、手放すの向こう側に描く世界によってそれは決まるのではないだろうか。

次の欲しい何か(しあわせ)を掴むために今掴んでいるものを手放す。

次の何かが間違いなく掴めるならきっと手放すことだろう。

ということは、今ある何かを捨てる、手放すことの不安よりも次の何かを掴むことの不安が大きいと考えられる。

捨てられない、手放せないのは実は次の何かに対しての安心感を描けないから。

それを描ければきっと捨てられる、手放せる。

こんなことを考えてみた。

 

 


449) 夢と現実の世界を生きている

2017年03月29日 | 生き方

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今日は『夢と現実の世界を生きている』について書きます。
 
私たちの身体には自己治癒力と呼ばれるのものが備わっていると考えられている。
それと同じく心にもそれが備わっていると考えている。
心は身体と違ってその過程が見えない。
その見えない心をどのようにすれば自己治癒力を作動させることができるのか。
もしスイッチがあるとするなら、どのようにしてそのスイッチを押すのか。
もちろん自己治癒力を作動させるのもスイッチを押すのも自分自身であることは間違いない。
では、目の前のクライアントがどのようにすればそうするのか、整心療法家に出来ることはあるのか、ないのか。あるとすれば何か。
これらのことを常に考えている。
 
さて、私たちは日々眠ると夢を見ている。
夢の世界ではあらゆることが可能。現実の世界ではあり得ないこと、考えられないことが展開する。一方、支離滅裂でもある。
ところが、夢から醒めたらほぼ忘れてしまう。
でないと、現実の世界で生きられなくなる。
つまり、少なくとも私たちは現実の世界と夢の世界の2つの世界を生きている。
そして、現実の世界を生きている時も夢の世界は平行していると考えてみる。
そう、夜空に見上げる星のように。星は昼間もある、ただ太陽の光に惑わされて私たちには見えないだけ。
このように考えてみると、私たちも物理学者がいう多世界解釈を身近に感じられる。
 
この考え方を広げていくと、苦悩に直面している時は苦悩を描き出している1つの世界と、同時進行している楽しい世界、それ以外の世界がパラレルワールドとして同時進行していると考えられる。苦悩の世界を描き出している元の情報が解れば楽しい世界へ移行(?)できるはず。
ではどのような方法で。
色々あるようだ。
日々その方法を学び、実践し、研究している。
 

448) しあわせの物差し

2017年03月20日 | 育児・子育て

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今日はしあわせの物差しについて書きます。


しあわせは語ることではなく、味わうもの。

だから人それぞれ。共通の物差しはない。

私は私の物差しで測る。

あなたの物差しで私は測れない。

それを忘れないで。

そうすれば、この世界はもっと住みやすくなる。

私は私の物差しで私の世界を描くのだから。

すべての人はパラレルの世界を生きている。

交わることはある?

君の名は。のような形でしか交わることができないのかもしれない。


447) 出さずにはいられない

2017年03月20日 | 生き方

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 今日は出さずにはいられないについて書きます。

息を吸って吐く。

食べたら出す。
聞いたら言う。
貰ったら今度は出す。
溜まったら出す。
入ったら出す。
総ては入ったら出すようにできている。
入ったこと、湧いてきたこと、感じたこと、すべては出さずにはいられない。
そのようにできている。