整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《考えるということ》について書きます。
通常、人が考えるという時、2通りある。
1つは想像(感情)的に考える方法、もう1つは論理的に考える方法。
想像(感情)的に考える方法とは、言葉通り想像や感情で考える方法。
例えば、あんな風ににできたらいいなあ、できるかな、やりたいな、いいなあ、好きだなどなど。
その反対もある。
これらはすべて想像の域を出ていないので、必ずと言っていいほど、その反対の想像や感情の間で揺れ動くことになる。
その結果、迷い悩む。
もう一方の論理的に考える方法は、事実を基にして可能性や方向性を導き出す。
数学的なものの考え方に似ている。
そこには少なくとも感情は入り込まない。
その結果、できるかどうか、やるかどうかの結論に至る。
考えるということはどういうことか。
考えているつもりでも、実は考えているのではなく想像している感じているだけなのかもしれない。
少し乱暴な分け方かもしれないが、普段どちらの方法を使って判断し、行動しているだろうか。
時にはこのように問いかけてみるのも自らに気づく一つの機会になるかもしれない。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《考えるということ》について書きます。
通常、人が考えるという時、2通りある。
1つは想像(感情)的に考える方法、もう1つは論理的に考える方法。
想像(感情)的に考える方法とは、言葉通り想像や感情で考える方法。
例えば、あんな風ににできたらいいなあ、できるかな、やりたいな、いいなあ、好きだなどなど。
その反対もある。
これらはすべて想像の域を出ていないので、必ずと言っていいほど、その反対の想像や感情の間で揺れ動くことになる。
その結果、迷い悩む。
もう一方の論理的に考える方法は、事実を基にして可能性や方向性を導き出す。
数学的なものの考え方に似ている。
そこには少なくとも感情は入り込まない。
その結果、できるかどうか、やるかどうかの結論に至る。
考えるということはどういうことか。
考えているつもりでも、実は考えているのではなく想像している感じているだけなのかもしれない。
少し乱暴な分け方かもしれないが、普段どちらの方法を使って判断し、行動しているだろうか。
時にはこのように問いかけてみるのも自らに気づく一つの機会になるかもしれない。