整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《自分の人生を生きる》について書きます。
自分の人生を生きるとは、他者の人生に介入しないこと。
私たちは他者と何らかの形で関わって生きている。その時、自分の人生を生きることを忘れてはいないだろうか。目の前の他者との関係が近しければ近いほど、そのように生きてしまいがち。
例えば、彼(彼女)にもっとこうしたらいいのにと口出し、手出しする。
あの人にこんなこと言われた。きっとこう思っているに違いない、と悩む。
相手が頼んでもいないし、そのように言ってもいないのに。
相手の立場に立ってあれこれ想像している。この瞬間、想像している私は他者になっている。
「おせっかい」も同じ。
頼まれもしないのにあれこれするのは、まさしく他者の人生を生き、介入していることに他ならない。
貴重な自分の人生という時間。
悩みの種やおせっかいのために使うのはもったいない。同じ使うのなら、自分の幸せや他者の幸せのために使いたい。
そして、自分の人生を生き、時に他者と共に生きたいと考えている。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《自分の人生を生きる》について書きます。
自分の人生を生きるとは、他者の人生に介入しないこと。
私たちは他者と何らかの形で関わって生きている。その時、自分の人生を生きることを忘れてはいないだろうか。目の前の他者との関係が近しければ近いほど、そのように生きてしまいがち。
例えば、彼(彼女)にもっとこうしたらいいのにと口出し、手出しする。
あの人にこんなこと言われた。きっとこう思っているに違いない、と悩む。
相手が頼んでもいないし、そのように言ってもいないのに。
相手の立場に立ってあれこれ想像している。この瞬間、想像している私は他者になっている。
「おせっかい」も同じ。
頼まれもしないのにあれこれするのは、まさしく他者の人生を生き、介入していることに他ならない。
貴重な自分の人生という時間。
悩みの種やおせっかいのために使うのはもったいない。同じ使うのなら、自分の幸せや他者の幸せのために使いたい。
そして、自分の人生を生き、時に他者と共に生きたいと考えている。