≪整心療法研究所≫自己治癒力により心身が整っていく

自己治癒力により心身が整っていく。量子力学・宇宙物理学・脳科学の観点から精神を捉えた新しい科学に基づいた療法。

468) 自分の人生を生きる

2017年08月29日 | 生き方
整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。

今日は《自分の人生を生きる》について書きます。

自分の人生を生きるとは、他者の人生に介入しないこと。
私たちは他者と何らかの形で関わって生きている。その時、自分の人生を生きることを忘れてはいないだろうか。目の前の他者との関係が近しければ近いほど、そのように生きてしまいがち。

例えば、彼(彼女)にもっとこうしたらいいのにと口出し、手出しする。
あの人にこんなこと言われた。きっとこう思っているに違いない、と悩む。
相手が頼んでもいないし、そのように言ってもいないのに。

相手の立場に立ってあれこれ想像している。この瞬間、想像している私は他者になっている。
「おせっかい」も同じ。

頼まれもしないのにあれこれするのは、まさしく他者の人生を生き、介入していることに他ならない。

貴重な自分の人生という時間。
悩みの種やおせっかいのために使うのはもったいない。同じ使うのなら、自分の幸せや他者の幸せのために使いたい。
そして、自分の人生を生き、時に他者と共に生きたいと考えている。


467) 落ち着きがなくてもいい

2017年08月19日 | 育児・子育て
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今日は《落ち着きがなくてもいい》について書きます。

育ち盛りの子どもは特にあらゆる事に興味津々新しい刺激に翻弄されているようなもの。
その刺激を睡眠中に処理しているのだとか。
大人は経験からその刺激を限定して生きている。それを適応すると呼ぶのかもしれない。

とまれ、子どもはその結果落ち着きがなく、注意散漫で、多動で、集中し続けるのも一時的。すぐに他のことに興味を移してしまう。
探索行動は自らの世界を作り上げる途上の行為やがて自分固有の世界を持つに至るだろう。

その時期は一人ひとり違い、その幅もかなり広い。その間、周りの大人が見守ることができるかにかかっている。余計な口出し手出しはしないでいられるか。

この意味において、あまり早くに落ち着いてしまうのは、大人が子どもの世界を限定することになりはしないか?早くに落ち着いてしまわなくてもいいのではないか。

その道の天才、エキスパートも素晴らしいが、人生90年も目前だと叫ばれる中、もっとゆっくり歩く視点も必要ではないかと考えている。

世界はすでに存在するのではなく、個々人が自ら描く幻想だというのだから。


466) 視野狭窄になった時に

2017年08月17日 | 家族
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今日は《視野狭窄になった時に》について書きます。

問題や悩みがある時、誰もがそのことに心が捉われる。意識するしないにかかわらず何時も頭の中を駆け巡っている。
この状態を視野狭窄と呼んでみる。
いわゆる視座が固定している状態。

こんな時、意識でどんなに離れようとしても無理がある。なぜなら、自らの意志でそれを気にしているのではないから。
それらの問題や悩みに捕捉されているから。
蛇に睨まれた蛙、ロックオンされた状態。
言い方を変えれば、受け身状態。能動の立場のそれらからはなかなか逃れられない。

そんな時に要請されるのが、第三の視点、あるいは第三者。
気分転換をしようにも重い荷物を背負っていてはなかなか晴れない。
荷物をおろすには第三者に断ち切ってもらうのが一番。
目から鱗、スッキリ。
自責の念からも解放される。
だって第三者が断ち切ったのだから。

視野狭窄になっていると気づいた時、このような方法もあることを思い出そう。