ギィヤァッ
ベッドで布団にくるまれ読書していた美路《みち》は顔を上げた。
「なんの声?」
横にいる剛生はすでに熟睡しているので返事はない。
ギィヤァッ
また聞こえたので、今度は起き上がって窓に近付き耳を澄ませた。
ギィヤァッ
「なに? こわっ。ちょっとたけちゃん起きてよ。変な声がするの」
肩を揺すると剛生が眉をしかめ、細く目を開けた。
「なんだよ? まだ起きてんの? さっさと寝ろよ」
「外でなんか変な声がするの」
「ネコだろ?」
「この辺りにネコはいないよ」
「じゃ鳥だろうよ」
剛生は布団に顔を埋めようとしたが、美路は布団の端を押さえてそれを阻止した。
「今は真夜中よ。鳥なんか鳴くはずないじゃない」
「お前知らないの? アオサギとか夜にも鳴くんだぞ」
「え、そうなの? って、アオサギって何?」
「ははは。お前は街生まれの街育ちだからな」
「あんたは田舎生まれの田舎育ちだもんね」
「ははは。アオサギって、オレの実家の田んぼに白いのよく見かけるだろ、あれ。
ゴイサギやトラツグミって鳥も夜に鳴くんだ」
「へえ、鳥は夜になんか鳴かないと思ってたわ」
「ふつうはそう思うよな。だから昔の人は鵺とか呼んで怖がってたんだよ」
「あ、頭がサルとかトラとかいうやつね」
「ははは。頭がサルでトラは胴だったかな。尻尾が――」
「ヘビっ」
「そうそう。今でいう都市伝説なんだろうな」
美路は剛生の話を聞きながら、再び声がしないか耳を澄ませていたが、もう聞こえてくることはなかった。
「ねえ、美路ちゃん、昨日たまたま夜更かしして聞こえたんだけど――」
高橋さんが門前の花壇に水を撒いている美路の肩を叩いた。ほぼ同年齢で新婚、まだ子供がいないという共通項で仲良くなったお隣さんだ。
「あ、叫び声ね」
「そうそう、美路ちゃんも聞いたの?」
「そうなの。怖くて旦那叩き起こしたわよ。旦那が言うにはね――」
そこにお向かいの岩城さんが自転車で買い物から帰って来た。年は離れているが明るくて楽しいお喋り仲間だ。
「ねえ、ちょっとちょっと聞いて。夜中にね――」
「「叫び声が聞こえたんでしょ」」
高橋さんと同時に言った後、「あはは、結構みんな夜更かししてるのね」と美路は笑った。
「たまたまよ」
そう高橋さんがはにかむと、
「子作りに励んでんだね。いいね、いいね」
岩城さんがうんうんうなずいた。
「もうやだわ、岩城さんったら――で、美路ちゃんの旦那さん、なんて?」
「鳥だっていうのよ。アオサギとかあと何だっけ――」
「ゴイサギとかね」
岩城さんが後をつなぐ。
高橋さんはエプロンのポケットからスマホを取り出し、検索し始めた。
「あ、ほんとだ。ほらこれ」
優雅に佇む白い鳥の写真が名称とともに載っているのを見て「うん。田んぼでよく見かけるやつだ」と剛生の言葉を思い出し、美路はうなずいた。
「ちょっと待って――」
高橋さんが再び何かを検索し、画面をこちらに向ける。
夜中 鳥 鳴き声
という検索項目の下に出てきた情報には、やはりアオサギやゴイサギといった名前があって、生まれてから一度も見たことない、これからもたぶん見ることはないであろうトラツグミという鳥やハクビシンやキツネなどの動物の名前まで載っていた。
「ハクビシンって割と民家にいるのよくテレビでやってるけど、キツネはこの辺にいないよね」
高橋さんの音読が終わってから岩城さんが訊く。
「自分たちが知らないだけで、結構見たこともない動物が徘徊してるかもよ」
美路が返すと岩城さんが「うわ、やだ」と眉をひそめた。
「ホントよね、こんな林や田んぼのないところでアオサギやゴイサギの声が聞こえるっていうのもおかしな話だし」
高橋さんがスマホをポケットに戻して首をひねる。
「わたしはもうずいぶん前から夜中に読書してるけど、あんな鳴き声聞いたの初めてだったわ」
「開発、開発で、自然を追われた鳥や動物が民家の近くに潜まざるを得なくなってきてるってことか」
美路の言葉に岩城さんがしみじみつぶやき、自分の言葉に自分でうなずいた。
「女性の叫び声ってこともあり得るかも。殺傷事件があったとか?」
高橋さんがいたずらっ子のようににやりと笑う。
「いやいやいや、そんなことあったら今頃この近辺、大騒ぎになってるわ」
「ううん、まだ発覚してないだけで――」
高橋さんが話を続けようとしていると、
「こんにちは」
二軒隣の山原さんが赤ちゃんを連れて通りかかった。肩からかけたハンモックのような抱っこ紐の中で、赤ちゃんがおくるみに丸ごと包まれていた。
「山原さんったら、まだ肌寒いちゃあ肌寒いけど、そんなに包み込まなくても大丈夫よ。逆に暑すぎて汗かいちゃうわ」
岩城さんが手を伸ばすと山原さんがそれを避けた。
「これでいいんです」
ほんの少しだけ不愉快な表情を浮かべた岩城さんだったが「いえ、こちらこそごめんなさい」と謝った。
「ね、ね、ね、山原さんは聞いた? 夜中の鳴き声」
雰囲気を変えようとした高橋さんが例の鳴き声のことを聞いた。
「子育てに忙しくて疲れてる山原さんが夜中に起きてるわけないでしょ」
先に岩城さんが返事するも、今度は高橋さんが明らかに不快な表情を浮かべる。
「どうせわたしには子供ができませんよ。ええ、ええ、子作りだけ励んでるエロい女ですよ」
目から涙がこぼれ落ちるのを見て美路は「そんなこと誰も言ってないよ」そう言って高橋さんの背中を撫でた。
「ご、ごめんね、そんなつもりで言ったんじゃないよ。ホントごめん」
岩城さんも慌てて高橋さんの手を握りしめた。
「うん、わかってる。ホントはわかってるよ。でも――」
子供をよほど欲しているのだろう。もしくは実両親や義両親に急かされて追い詰められているのかもしれない。
日頃は微塵も悩んだ姿を見せない高橋さんを立派に思いながら背を撫で続けた。
「すみません。この子夜泣きがひどくて、お騒がせしてしまって――昨夜、特にひどくて主人が怒り出したものですから、迷惑だと思いながらも外であやしてたんです」
「え? 違うわよ。赤ちゃんの泣き声じゃなくて、ぎょえーとかぎぃえーとか不気味な鳴き声のことよ」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながらきょとんとした顔で高橋さんは山原さんを見た。美路も岩城さんもその言葉にうなずく。
「ええ、だからうちの子です。ホントにもうっ、今頃すやすや眠るなんて」
山原さんがそっと顔にかかったおくるみをめくった。とても小さくて愛らしい寝顔に美路は思わず微笑んだ。
でも――山原さんの言ってる意味わかんないんだけど? なに? 冗談?
そう思っていると、突然赤ちゃんが目を覚ました。
つぶらな目が美路たちを見つめる。だがその瞳は黄色くてまん丸で、さっき画像で見た鳥と同じ目をしていた。
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