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樺美智子のアルカイックスマイル

2021年06月15日 | 革命のディスクール・断章
今日、1960年安保の国会デモ闘争で、樺美知子さん(1937年11月8日 - 1960年6月15日)が亡くなった。享年22歳。

樺さんは、安保闘争の6・15デモに参加した一学生というだけではない。東大教養学部入学後、共産党員として活動し、ブント結成とともにブントの中心メンバーになったばかりでなく、ブント書記局の常任として組織の屋台骨を支えた人だった。党組織の中枢にいただけではなく、東大の文学部の自治会副委員長として東大学生運動を牽引し、1・16羽田闘争における逮捕にもめげずに闘争を貫徹している。彼女なくして安保闘争の爆発はなかったと島成郎書記長は語っている。

昨日のエントリで取り上げた70年安保世代の笠井潔は、「60年安保世代は大学をちゃんと卒業して就職している」とボヤいていた。それをいうなら、あなたがたは火炎瓶を投げても二泊三日で帰れたでしょう、階級闘争「冬の時代」の80年組や90年組ときたら、という思いはあるが、ブント世代に社会的経済的に成功を収めた人が多かったのは事実である。私も何かとお世話になった。

樺さんも学者を目指して、徳川慶喜に関する卒論に取り組んでいたという。最近、鹿島茂先生の『渋沢栄一』を読んで、慶喜に関する見方にも修正が必要だと考えていたところだ。樺さんのご高説をぜひ拝聴したかった。

島書記長の『ブント私史』には、樺さんの思い人に関するエピソードがある。この「Sさん」は、最近浮上した例の議長さんだろうか?


或る日、余りお喋りもしなかったその彼女が事務所から出ようとした私を追ってきて突然、「島さんは大人だから相談したいのですが、私、想いを寄せる人がいるのです……」と話しかけてきたことがある。不意のやや古風な告白に私の方がドギマギして「一体誰と……」と訊いた所、「Sさんです……」といって顔をあからめたまま事務所に入っていってしまった。(島成郎『ブント私史』p70〕


樺さんの遺稿集『人しれず微笑まん』が見つからず、新たに取り寄せることにした。タイトルの由来になった詩「最後に」を引用してみたい。

「最後に」

    樺 美智子

誰かが私を笑っている
こっちでも向うでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く

笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と

でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ

ただ許されるものなら
最後に
人知れず ほほえみたいものだ

「自分の道」への強い意志に、もしかしたら、樺美智子さんも、ミュージカル映画の「我が道を往く」を見たのかもしれないではないかと思ったりした。これも本が届いたら確認してみよう。

法隆寺を訪ねたとき、「アルカイックスマイル」という言葉を知った。左翼活動に身を投じてからは、「アルカイックスマイル」という文字列を見て思い浮かべるのは、奈良や京都の仏像ではなく、いつも穏やかな微笑を浮かべた同志樺美智子の遺影であり、この絶唱なのである。




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