新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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最後の将軍 辞めない議長 -人しれず微笑まん-

2021年06月21日 | 革命のディスクール・断章

『人しれず微笑まん』(「人知れず」ではなく「人しれず」だったね。前のエントリを修正しました)は、持っていたと思ったが、読んだことさえなかったかもしれない。

私の学生時代は、まだ三一新書の新刊も手に入った。しかし、よく考えると、本書だけは新刊も古書も、お店で見かけた記憶がない。しかし口絵ページに記憶がある。F社かサークルボックスか寮か、あるいは図書館で、見かけたことはあったのだろう。ちゃんと通しで読んでいたらローザの獄中書簡集のようにすぐ夢中になって、座右の書にしていたと思う。古書店で見かけなかったのもよくわかる。これは一度手にしたら手放したくない本だ。さすがに所有者が死ねば古書市場に出るだろうが、店頭に出たらすぐ売れてしまうにちがいない。

1959年の笹塚中学校における教育実習のレポートや生徒の感想文が実に面白かった。生徒と親しくなりすぎないようにした、生徒と担任教師の間に“2週間“だけの実習生が深く割り込むのは(生徒の)人間形成にマイナスの方が大きい、こう語る樺美智子さんは、現場労働者の苦労にも、生徒にも目配りが効いている。原則に忠実で、「節度」も弁えている。彼女の死後、「教え子」が彼女と彼女の両親に宛てた書簡は、本書で最も感動的な部分を構成している。生徒の感想文では、結構ダメ出しされている「樺先生」だが、きっといい先生になっただろう。

慶喜については、1959年のレポート「徳川慶喜論 -政治史的考察」が収録されている。
慶喜を「絶対主義的統治者」と捉え、仮説としての「明治の統治者慶喜」は、宇野理論も援用した生真面目な学究スタイルではあるけれど、いま読んでも面白い。フランス公使ロッシュが献策した現物納から貨幣納への転換、諸藩の兵権奪取による「終局的には領主制を解体すること」は、慶喜を支えた渋沢栄一による第二次革命「廃藩置県」によって実現させられるのである。「必然の中に自由がある」という彼女の言葉には含蓄がある。慶喜は左翼的にはボナパルティズムであろうが、そんな規定づけはどうでもいい。絶対主義から資本主義に急進した日本の特殊性のなかで慶喜は挫折した。しかし無意識的にせよ歴史の必然性を捉えて、その方向にアプローチした慶喜は、時代の制約を受けながらも「自由」だったのだ。慶喜の挫折と自由は一体のものだった。レポートは1959年3月30日提出。

このレポートを読んでいると、同志樺美智子は、運動的には昂揚しながらも、同年11月には分解過程に入っていったブントの破産を予見していたのではないか……という気さえしてくる。

慶喜をテーマに選んだ理由について、「そのきわめて聡明な、彼なりの理に適った行動に惹かれることが多かった」と彼女は書いている。彼女の思い人の「Sさん」が例の議長さんなら、伝え聞くエピソードを総合する限り、学生時代はそういう人として理想化されることもあったのだろうと思わせる。若い頃は面長のハンサムボーイで、慶喜を演じる草なぎくんに似ていなくもない。


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