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新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃん姉妹とお父さんの日々。

【資料】紀野一義『名僧列伝(三)』 講談社学術文庫版まえがきより(2001年)

2025年03月24日 | アーカイブ
私は昭和十八年十一月の末、学徒動員で軍隊に召集される直前にこの吉野の里を訪れている。ぎりぎりまで東京帝国大学の講義を聴講し、十一月二十日頃に下宿を整理し、奈良へ向かった。その頃、南朝の悲歌に私たち若者は魅かれていた。国が亡びようとしていることを敏感に感じとっていたのは、十六歳から二十二歳までの若者たちだったから、その頃の日本のありさまを、まさに亡びようとしていた南北朝時代の南朝(吉野を根拠地とした . . . 本文を読む

番太郎

2025年03月18日 | アーカイブ
メモ。仕事の合間に見つけた。「番太郎……お若い方は御存じありますまいね」と、半七老人は説明してくれた。「むかしの番太郎というのは、まあ早く云えば町内の雑用を足す人間で、毎日の役目は拍子木を打って時を知らせてあるくんです。番太郎の家は大抵自身番のとなりにあって、店では草鞋でも蝋燭でも炭団たどんでも渋団扇しぶうちわでもなんでも売っている。つまり一種の荒物屋ですね。そのほかに . . . 本文を読む

【資料】司馬遼太郎 大阪城公園駅陶板レリーフ 碑文

2023年09月12日 | アーカイブ
大阪城公園駅 おごそかなことに、地もまたうごく。 私どもは、思うことができる。この駅に立てば、台地のかなたに渚 [なぎさ]があったことを。遠い光のなかで波がうちよせ、漁人 [いさりびと]が網を打ち、浜の女 [め]らが藻塩 [もしお]を焼いていたことども。秋の夜、森の上の星だけが、遙かな光年のなかで思い出している。 夏、駅舎の前の森の露草の花の青さにおどろくとき、またたきの間 [ま]でも茅渟 [ちぬ . . . 本文を読む