新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

憲法改悪と山県有朋

2022年09月29日 | 革命のディスクール・断章

いわゆる「国葬」反対デモには結局参加できなかった。

労組の仕事を、先延ばしするうちに、ついに9月最後の3連休を迎えてしまった。集中すれば1日で終わる仕事なのだが、PCの前に向かう気力がない。3連休は、この労組の仕事で終わってしまった。

26日のデモには参加できるかとかすかに期待した。当日夕方に緊急の仕事が入ってきて、不可能になった。

27日は仕事をして過ごした。会社が半旗を掲げたら、解雇も辞さず抗議闘争を仕掛ける気だったが、特に動きはなかった。オーナーはアレの政策にかなり呆れていたし、当社にはアレ支持者は表向きいない(私が煙たく何もいわないのだろう)。会社としても、不毛な争いは避けたいらしい。

28日は朝から職場の労災二次健康診断だった。

主治医の先生に脂肪肝と診断され節酒を宣告された話は書いた。産業医の先生はこの3年間の血圧の上昇を問題視したらしい。上から目線で、他人に砂を噛ませるような言い方をする先生で、この人が主治医でなくてよかったとつくづく思った。もう二度と会いたくないので、節酒をがんばるつもりだ(ただし明日から)。総務氏が二次健診の話を言い出しにくそうにしていたのも、私なら喧嘩になりかねないと懸念したのかもしれない。若ければキレていたかもしれない。怒るにもエネルギーがいる。

病院の待合室ではテレビのニュースが流れていた。アレの国葬の話だったが、私もほかの人もスマホの画面を眺めている。

スカが出てきて、弔辞が始まった。隣の男性がスマホから眼をあげ、画面を見た。私もそうした。

「ふむ」

このスピーチは「エモい」と評判になったそうだが、たしかにそうだ。木で鼻をくくった答弁を繰り返し、官僚の作文を読むしかないスカしか知らなかったが、それは情緒的にすぎて感情の制御ができないカモフラージュするためのキャラクター付けだったのだろうと私は感心した。

権力やヤクザを相手にしているときの私も、スカと似たようなものかもしれない。いわゆる反社が職場に乗り込んできたとき、私が終始慇懃無礼で、爽やかな笑顔を浮かべて対応しているのに、私の気性を知る周囲の人たちは驚き、呆れ、感心していたものである。私は久しぶりに暴力を解放できるかもしれない喜びを抑えるのに苦労していただけだった。

「自由・平等・友愛(博愛)」というフランス革命のスローガンについて、この友愛とはヤクザの義兄弟のようなものだと誰かがいっていたのを思い出した。コロナ禍で死者を積み上げ、災害の被災者は見向きもしないくせに、朋友が死んだときには涙を流せる。徹底した身びいき、仲間びいきはヤクザの特質である。

しかし、議員会館のアレの部屋の机に、読みかけの岡義武の『山県有朋』があったというエピソードは、私に疑念を起こさせた。謝罪に追い込まれたあるキャスター氏のように、「電通の仕込み」を感じてしまった。こんなツイートをした。

くろまっく
@kuro_mac

アレが岡義武の『山県有朋』を読んでいたって、創作ぽいんだよなあ。岩波文庫だよ。100田のコピペ本で日本史学ぶ()ってアレにはハードル高すぎ。あの和歌を引いて「エモ」さを演出したかったんだろうが、よりによって国民的に不人気だった山県の伝記とは皮肉がきいている。

くろまっく
@kuro_mac
·
「年末年始はゴルフ、映画鑑賞、読書とゆっくり栄養補給したいと思います。 購入したのはこの三冊。」と書いていたのが、インチキコピペ本『日本国紀』。右でも左でもない普通のアレ支持者が喜びそうな『全体主義と闘った男 河合栄治郎』。歴史プレジデント小説らしき『信長の原理』だからなあ。


くろまっく
@kuro_mac
『信長の棺』のタイトルを挙げた小泉はセンスがあるし、読書家だと思う。『信長の原理』は信長に憧れるビジネスパーソン向けで、読む気が最初からしない。アレが秋山駿の『信長』を読む人だったら、なるほど、岡義武の『山県有朋』にも手を延ばしたかと思うんだけどね。

くろまっく
@kuro_mac
と思ったら、こんな記事が出てきた。なるほど。憲法改悪のために、ナチスの手法ならぬ山県の手法を学んでいたということか。創作説は保留。

安倍首相の「熟柿戦略」
9条改正へ山県有朋を研究
https://toyokeizai.net/articles/-/557851



山県については、松本清張の『象徴の設計』 (文春文庫) を読んだ程度の知識しかない。

しかしアレは、司馬遼太郎が描いた「光の明治」よりは、清張の描いた「闇の明治」にこそ惹かれていたのかもしれない。


山縣が軍人勅諭発布に果たした役割について、清張はこう書く。

「天皇を軍人の直接の頭首とした。軍隊を天皇の私兵化の形式にしたのは有朋だが、その意図こそ、有朋自身が陸軍を自己の私兵化していたのであった」

不敬罪がこうして成立していく。戒厳令の制定(1882年)が、外敵との「一朝有事」に備えるという表面上の理由以外に、「内憂」である自由民権運動弾圧の意図があったのは、自民党憲法改悪草案の非常事態宣言そのままである。

新聞紙条例の改悪も、メディア統制・弾圧につながる。

ツイッターを眺める限り、「国葬」反対派は、あのショボさを嘲弄するツイートばかりだ。
しかしより重要なのは、死の間際まで山県をむさぼり読んでいたという事実だ。憲法改悪を許してはならない。アレを人民裁判で公開処刑できなかったことが残念でならない。

林真理子が「週刊文春」にこんなことを書いていたそうだ。

「表参道を歩いていたら、『国葬反対』をシュプレヒコールするデモの列が続いていた。 『非業の死を遂げた元総理を悼もう』という思いがどうしてこんなに複雑になっているんだろう。」

「非業の死を遂げた元総理を悼もう」?
そんなものは最初からない。棺桶でなく監獄に送れなかったこと、トルなら自分の手でやれなかったことに対する、若干のお気持ちならあるが。かわいいコアラ画像でも貼っておくか。



最新の画像もっと見る