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里村専精師「浄土真宗にようこそ」No41

2015年07月14日 10時10分28秒 | 里村専精師の言葉

里村専精先生の「浄土真宗にようこそ」No41をお届けします。

善導(613-681)大師は、その晩年の業績が真っ白でした。
けれども、牧田諦亮先生(講談社・浄土仏教の思想)などの研究で新しい姿が見えてきました。
善導大師には、唐の都の長安周辺で有名なお弟子さんたちがいたことが分かってきました。
玄中寺以来の確かなサンガの流れが、大都長安にも形成されていたのです。
そして、それらのお弟子さんたちが亡くなった時に、幾つかの墓碑銘が残されました。
その墓碑銘には、何と善導大師の行実が書かれていたというのです。
大師は7世紀半ばに、長安周辺に住まれたのですが、則天武后の時代と重なります。
第三代の皇帝である高宗の皇后にまでのしあがった女性ですが、とかくの噂を否定できません。
権力というものを、一人の女性が結構気ままに振る舞ったもののようです。
この則天武后によって、洛陽郊外の龍門の石窟が開窟されたのですが…。
何とこの工事の責任者として、善導大師が選ばれていたというのです。
このことは法然上人も親鸞聖人もご存知ないことでした。
歴史というものは、思い掛けない秘話を宿しているものなのですね。
武則天と善導大師は、まず結びつかない間柄のように見られていました。
なのに、今に有名なあの龍門の石窟に聳えているブッダの像は、善導大師の働きによるというのです。
龍門のブッダは、則天武后の顔を模したものとさえ言われています。
善導大師には、大きなサンガが見えていたはずなのですが、武則天までがその中にいたのでしょうか。
阿彌陀仏の巨大なサンガは、三世十方の諸仏世界をも包むものです。
善導大師には、100万の人口を擁した長安で、堂々と物を言う強い意志がありました。
それらの意志の強さは、実にサンガを背景に培われたもののはずです。
一人で大唐の文化に、古今楷定の鉄槌を振われたのですが…。
則天武后という問題の権力にも、実に柔軟に相対されたものなのでしょうか。
今後、このことは深く検討されなければならないと考えています。


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7月の学習会は…

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