今日、あるところで、数名の若者に、
数分お話しをさせてもらう機会をもらいました。
「お若い皆さんに、“時間”について考えてもらいたい。
“時間”には、二通りあるということです。
今、すぐに、答えは無理ですが、
心の隅にそっと一粒の種子(タネ)として播いてくれたら嬉しいです。
一つは、生活の中で使っている“時間”。
まあ、時計とか、カレンダーとか、年表等で示される“時間”です。
これは、社会生活を営む上で大事な“時間”ですよね。
厚生労働者は、「人生100年時代」と煽りますが・・・
因みに、信長さんの時代は、「人間50年」でした。
この“時間”は、自分(自己)が主役の“時間”です。
もう一つあります。
囲碁を打つ方は、即ピーンとくることです。
「劫」という “時間”。
“永遠の時間”といっても宜しいでしょう。
親鸞聖人は、『浄土和讃』の最初で、
弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまえり
法身の光輪きわもなく
世の盲冥をてらすなり
と示されています。
「劫」の十倍の「十劫」です。
この“時間”の主役は、阿弥陀如来になります。
自分中心の“時間”だけで日々をおくるのか!
何か不思議な“時間”に生かされて日々をおくるのか!
ちょっと考えてもらいたいです」
ナムアミダブツ なむあみだぶつ 南無阿弥陀仏
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