『岡潔集』第五巻
昭和44年6月10日 初版発行
発行所 (株)学習研究社
昨日の更新の続きです。。
『岡潔集』からの、
真我(大我)を大事した芭蕉の俳句。
秋深き隣は何をする人ぞ
という芭蕉の句がありますが、芭蕉は小我を自分だと思っておりません。
真我こそ自分だと思っていたのです。
人と自分との間に情が通じ合う。
自然と自分との間にも情が通じ合う。だから、
秋深き隣は何をする人ぞ
という句の本当の意味は、
つまり芭蕉が一番強くいおうとしていることは、
秋も深まると隣の人が何をしているのだろうと非常になつかしい。
なつかしさというあたたかさがあるのです。
表面には何をしているかわからないという淋しさもありますが、
句の底にあるのはあたたかさなのです。
底があたたかくて、表面が冷たいーこれが芭蕉のいう「人の世の哀れ」であります。
これが芭蕉の俳句の真髄(心)です。
芭蕉の俳諧は万葉の心なりといっています。
だから万葉のころもそうだったのです。
また万葉は、日本に文字が伝わるとともにすぐに書き残されたものです。
だから日本においても上代もそうだったのです。
本当の日本人は情が中心であり、それが自分であります。
人と人との間にはよく情が通じ、
人と自然との間にもよく情が通じます。
昨今は、「情」も死語ですかねー?