里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No51をお届けします。
仏教の基礎について、随分問題になる言葉があります。
たとえば四聖諦ですが、
苦と集と滅と道いう四つの聖なるサトヤ(諦)なのですが…。
「苦」と言う言葉が、インドでは考えられない展開を示しました。
中国とか日本では、「苦」という文字通りの意味に解されます。
が、ブッダやサンガが、苦痛を聖なる覚りと受け止めていたのでしょうか?
人生は苦だというのも、ブッダの教えではありません。
そんな聖諦だったら、五比丘たちは一週間もかからないで一度で分かったはずです。
なのに彼ら五比丘全員が覚るためには、
全部で二週間かかっていたと言われています。
アンニャコンダンニャという人が覚るのに、一週間もかかっているのです。
ブッダのこの時の説法は初転法輪と呼ばれていますが、
二週間語られ続けたものなのです。
苦も集も滅も道も、翻訳された文字で考えられない意味を持っていたのです。
学校では、教える人も学ぶ人も苦は苦と教えられます。
なのにもともとの苦の原意は、“dukkha”というものでした。
「考えられないもの」という意味なのです。
もっと大切にそれを言い直せば、「説明しがたいもの」という意味なのです。
「生・老・病・死」は、苦ではありません。
これを苦だと教えられ、学んだところで何がえられるのでしょうか。
思いを超えた存在の偉大さの証拠、
この四つのdukkhaをブッダは諦(サトヤ)として教えられました。
いわば存在の尊厳をたどる手がかりが、
誰にでも与えられている「生・老・病・死」なのです。
人生は苦なのではなくて、
我々の思いだけでは簡単にとらえられないものだというのです。
真実の道理(諦)に即して、この身の尊厳が見いだされます。
思いを超えた四つのdukkhaを手がかりに、
生存の意味を見つけるのに二週間かかったのです。
そして五比丘たちは、ブッダがそうであるような尊厳に覚めます。
「この時地上に6人の阿羅漢が存在した」と仏伝は伝えています。
ブッダも五比丘も、
伴に偉大なダルマ(dharma)に基づいて平等に居並んでいたのでした。
そのダルマの肝心な一点こそ、「縁起の教え」だったのです。
縁起の法は、ブッダが世界に始めて説かれた人間存在を明らかにする教えでした。
それらの教えに生きるサンガが、大きく動き出したのでした。
【聞者くりのみ】が関わっている学習会の紹介です。
☆主宰しています。
*カウンセリング研究会【くりのみ】…タワーホール《船堀》
親鸞とカウンセリングコースは、毎月最後の土曜日午前中に開催です。
『教行信証』の音読、『正信偈』読誦、楽談etcが内容です。
☆同人として参加しています。
*『歎異鈔』&うたと語り合い…会場:南小岩コミュニティ会館
週火曜日・夜(午後7時~9時)の開催です。
『歎異鈔』の輪読、聖教の読誦、楽談etcが内容です。
*《願海庵》やさしい仏教塾…「願海庵」文京区本郷3ー30-9
月第一金曜日 午後5時30分~7時30分
『正信偈』読誦、『念仏・和讃六首』、楽談タイムetc
どなたでも参加できます。
各人の宗教・宗派は関係ありません。
遅刻・早退も大丈夫です。