午後、区立の中央図書館に出かけて一冊借りてきました。
インターネット持仏堂
『いきなりはじめる浄土真宗』 内田樹×釈徹宗
本願寺出版 2005年3月23日 第1刷発行
若い頃、新渡戸稲造の『武士道』の読んだ時から、ボクが仮説としてあたためている箇所が、本書の釈さんの文章で見つかりました。
『武士道の』最初のところに、新渡戸がベルギー人の法学者に、
「あなたがたの学校に宗教教育というものがないのなら、いったいどうやって道徳がありえるのか」と質問されて立ち往生したときのエピソードが紹介されています。
新渡戸は、「武士道がある」と答えたものでした。
ボクは、新渡戸はキリスト教者であるので、仏教と答えづらかったと思ったものです。
これが、ボクの仮説です。
以来、このことをずっとあたためているのですが、釈さんの文章に、ボクの仮説と重なる箇所を偶然見つけました。
武士道の』最初のところに、新渡戸がベルギー人の法学者に、
「あなたがたの学校に宗教教育というものがないのなら、いったいどうやって道徳がありえるのか」と詰問されて、愕然としたことを書いています。それから、稲造は考えた抜いた結果、日本人の道徳心が武士道であるとの結論に至ります。
この武士道のみならず、華道や茶道から落語や演歌ににいたるまで、肌感覚化・無自覚化した仏教をを見ることができます。(本書 87頁)
さて、文科省は、道徳教育の特別の教科化に熱心です。
ボクは、三つの点で、文科省の教科科に反対です。
①道徳教育と宗教との関係が明確でない。
②政府・文科省の主導の道徳教育は、権力者側に都合の良い授業内容になりがちである。
③道徳教育を教えるだけの資質をもった教師がいない。不慣れ。
繰り返しになりますが、文科省が作製した『指導書』で全国一斉に・画一的に、道徳授業をされたらたまりませんね。