午後4時から、新小岩の専福寺様に出かけました。
「無住住忌」とは、星野清師の教えをいただいた方々による讃仰の会。
ぼくは、毎年12月に開催されるこの会に、2009年から参加させてもらっています。
星野清蔵先生の略歴
明治21年9月15日、新潟県長岡市に生まれる。
幼にして学に志し、老荘を学び国学に達し仏典を究む。
大正末年、大谷大学文学部卒業の後、藤沢中学・東京千代田女専に教鞭をとる。
昭和5年(40歳)家を捨てて出家。
昭和7年(42歳)香牙精舎道場を開き、
次いで東京求道会専門道場を開いて有縁の人々を化導。
その後、行脚全国にわたり、その行くところ人を得て語らい、よく伝えよく導きて倦まず。
そのかたわら「良寛の詩境」をあらわし深く良寛禅師を讃仰。
自らも詩歌をよくし、その書は高識の士の深く愛するところ。
たまたま齢50を越え忽然として自然の美に驚き、
すなわち筆をとって画境三昧に沈潜すること数年、
たちまち天来の画境に悟達し、独特の画風を開陳す。
昭和20年(55歳)戦災のため横浜香牙精舎道場消失。
やがて群馬県邑楽郡舞木円福寺に移る。
同寺住職となりし頃より特に『教行信証』『正法眼蔵』等を講じ、
かたわら山野を 跋渉し写生に没頭。
そのものした山水自然の画風は高逸の筆になる即興の詩歌と相まって
清澄なる風韻を画面にあふれしめ、無住々散人と称せられるにふさわしい風格を示す。
昭和37年12月30日 藤沢市の寓居にて逝く。享年73歳
無住住散人(星野清蔵師)作 敬白文
「三世一切のものみなは眼前に交代し、乱転し、漸くもやむことなし。
而してそのよって去来する所しることなく、空なしく流転のうちに迷着す。
哀しきかな。」
「然るといえども、無碍の光耀一度、識心に、攬入すれば、
一切の顛倒の夢想たちまちに遠離しいて仏仏平等の証智、
明明朗朗、是れ、観自在菩薩の示現南無大悲観世音菩薩一心帰命礼」
世を捨てて 乞食となりぬ 無住住
訪ぬる人も 水の泡かな
記念講演は、
『救済と自証 曽我量深の教え 法蔵菩薩は誰か』の著者・那須信孝先生。
大谷大学大学院で曽我量深師の教えを学ばれた那須先生が、
師の教えと、龍樹の「空」、天親菩薩の「世尊我一心」、善導の「二河白道」の話を中心に、
唯識と浄土の教えが表裏一体であることを話してくれました。
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