法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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主宰者の《日乗》

くりのみ会道元とカウンセリングコース&田中逸平

2010年04月23日 23時44分13秒 | 日乗

先程、4月の「道元とカウンセリングコース」から帰宅しました。

本日の出席は、tenjin先生を囲んで11名(女性5名 男性6)で『正法眼蔵・光明』を教えていただきました。

『光明』の巻の講義は2回目です。
本日は、仏教が中国に初めて伝えられた状況並びに日本に仏教が伝えられた状況を教えていただき、『光明』の講義をしていただきました。

 学習会の後は、定例の懇親会。参加者は、9名でした。
懇親会の会場は、「築地植むら船堀店」。
お食事とアルコールをいただきながら盛り上がります。

 さて、皆さんは「田中逸平」というお名前をしっていますか?
実は、会員のお一人に中東に強い方が参加しています。
お名前は、Iさん。アラビア語の先生です。
本八幡までの地下鉄で、「田中逸平」に関する論説集を見せていただきました。
不勉強で、「田中逸平」という名前を知りませんでした。

帰宅して、webで検索をしているところです。
先程、地下鉄で見せていただいたのは、論創社より復刻された『イスラ巡礼 白雲遊記』だったようです。
webで検索すると、次の箇所がヒットしました。
http://sakurakaido.kt.fc2.com/dr-ippei.htm

本書の中で、略歴を次のように紹介されているようです。

1882(明治15)年2月2日、小金井村(現在の小金井市)に生まれる。
1900(明治33)年、台湾協会学校(拓殖大学の前身校)に第一期生として入学。
1902(明治35)年、服部宇之吉に従い中国大陸へ渡航し、北京で遊学生活を送り中国思想の研究を深めた。
やがてイスラームに傾倒し、1926(大正13)年、山東省の清真南寺において正式に受戒してムスリムとなった。同年、聖地マッカ(メッカ)へと向かい巡礼を果たす。このときの記録が本書『白雲遊記』である。1926(大正15)年、大東文化学院(大東文化大学の前身校)講師に就任する。1933(昭和8)年12月に、病身をおして第二回目となるマッカ巡礼に出発、翌34年3月にマッカに到着。帰国後の9月15日に逝去。10月20日に日本で最初のイスラーム葬で葬儀が執りおこなわれた。

実は、年齢を重ねるごとに、何も知らない自分・不勉強な自分に直面します。
限られた時間ですから、ジタバタしても仕方がありません。
しかし、最近はweb検索で何でも分かりますし、図書館にでかければ司書の方々が親切に教えてくれます。

あわてても仕方ありません。
分からないことを一つ一つ調べていこうと思っているところです。

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コメント
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