法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

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主宰者の《日乗》

カウンセリング考

2008年03月08日 08時10分20秒 | 日乗

client(クライアント)を辞書で引くと、「弁護依頼人」「広告代理店の顧客」「広告主」「カウンセリングを受けに来た人」・・・とある。
今でこそ、この言葉もいろいろの分野で使われるようになったが、ロージャズの翻訳を日本で最初取り組まれた友田不二男先生は、「クライアント」の日本語訳をどうするか随分と苦心されていた。
当初は、「患者」とかの訳語も考えられたそうだが、病院の「患者」と重なりしっくりといかない。
で、そのままに「クライアント」として使われたと伺ったことがある。

 また、クライアントとは、先の辞書や「患者」ではなく、「学習者」であると教わったものだ。

 私は、この考えを支持し、今でも大事にしようと考えている。

クライアント=学習者

 私の好きな毎田周一に次の言葉がある。
「永遠なるものを求めて 永遠に努力するものを 菩薩という」

「菩薩」という言葉は今の時代には合わないので、「援助職」(カウンセラーや教師等)と置き換えて理解しいているところである。

 話はとぶが、親鸞聖人は『御臨末の御書』で次のように書かれている。
一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし。その一人は親鸞なり。
我なくも法(ノリ)はつきまじ和歌浦 あおくさ人のあらんかぎりは

このところ親鸞聖人の著作を読むことが多いのだが、(親鸞聖人は「超クライアント」だったのだろうなー)と私は受け止めたい。だからこそ、(親鸞聖人は「超カウンセラーだったのだろうなー」)と考えている。

親鸞聖人を「クライアント」にしたり「カウンセラー」にしたりすると、宗門の方やカウンセリングの専門方にはしかられるのかもしれないが、私はそう思うのである。

(親鸞聖人がいつもそばにいてくださる)という大安心。

青草人=クライアント

ですよね。

これから、[くりのみ会]教育とカウンセリングコースに出かけます。
大事なことなのにまとまりのないブログになってしまいました。
また、機会を作って、何回も取り組んでいく終生の課題ですので、とりあえず全くの未熟ですが更新しておきます。

 

 

コメント
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