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法音カウンセラー 釋 真聴 《日乗》

カウンセリング研究会《くりのみ》
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主宰者の《日乗》

「唯一の宗教」 念仏

2016年05月11日 22時16分48秒 | 毎田周一師の言葉

『毎田周一全集』第六巻から
毎田周一師の言葉を味わう。

唯一の宗教

「世界は一なり」を、念仏に於いて味わう。

念仏とは何か。大愚の領解である。
私は何も解ってゐませんと、徹底的に頭が下がることである。
無知の告白である。
真理は、しかしそこにしかない。
これを釈尊は、無常と仰言った。
だから親鸞が念仏せられるとき、それはまさしく釈尊の無常観の領解である。
ここに於いて、念仏は真理の表顕である。
阿弥陀仏これである。
それは光明無量・寿命無量である。
念仏はかくして、徹底的に頭が下がったとき、
私達はこの世の真理と一つになり、永遠の生命と一つになる、
即ち私達の救ひを、意味する。
南無・阿弥陀仏である。

◆5月のカウンセリング研究会【くりのみ】
 親鸞とカウンセリングコース
 日時:5月28日(土)午前10時~12時
 会場:タワーホール船堀
 内容:『教行信証・総序』音読
    『正信偈』読誦
    楽談タイム(エンカウンター)
 会費:500円

*どなたでも参加でいる小さな学習会です。
 ぜひ、お出かけください。


毎田周一師の言葉

2016年04月25日 23時31分15秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉をお届けします。

*「愚禿」親鸞とは、愚かのまゝでよいといふことではない。
 愚かなる故に、愈々学ばずにはをられないといふことだ。

*釈尊は菩提樹下で何を悟られたか。
 人間は、一生学ぶべきものと。

『毎田周一全集 第9巻』より

釋真聴は、「よりあい」「かたらりあい」「うたいあい」を皆さんとご一緒に大事にしています。

主宰しています。
◆くりのみ会 親鸞とカウンセリングコース
◆くりのみ会 道元とカウンセリングコース

ぜひ、お出かけください。

 


『歎異抄』の音読学習会

2016年03月05日 22時29分52秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉。

*『歎異抄』は弟子が書いたものだから詰まらぬとはいへない。
 論語・仏典・聖書は。孔子・釈尊・基督が書いたものではないから。
*『歎異抄』に体系をつけようとする人がある。
 「と云々」とは無限といふことなのに。

【くりのみ会】のお仲間のカクムさんは、
『歎異抄』うたと語り合い を主宰しています。

毎週火曜日の夜、
南小岩コミュニティ会館(JR小岩駅、徒歩7分)で学び合いをしています。

学習会の柱は、
*『歎異抄』の音読&語り合い
*声明…大谷派・本願寺派の声明をうたっています。
*楽談タイム

どなたでも参加出来ます。
遅れての参加も大丈夫です。
ぜひ、お出かけください。


念仏は無碍の一道なり「

2016年02月21日 21時36分24秒 | 毎田周一師の言葉

「念仏は無碍の一道なり」
毎田周一師の書です。
皆さまご存知の通り、『歎異抄』第七章の言葉です。
本日、知り合いのお寺様の依頼で、42歳で旅立たれた奥様の七回忌の法要に出かけました。
ご主人、高校生のお嬢さん、奥様のご両親他、総勢7名の方々が列座してくださいました。
皆さま、『正信偈』『お念仏』をしっかりと口称してくださるご家庭でした。
法要後、ご主人が、高校生に成長したお嬢さんのお話を聞かせてくれました。
お母さんのお気持ちを受け継いでいるとの由。
ありがたい法要を勤めさせていただきました。
南無阿弥陀仏。


「沈黙」

2016年02月03日 22時49分11秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師のことば

海雲洞の研究会の特徴は、
長い間沈黙が続いても座の白けぬところにある。
こゝまでもってくるのに一苦労も二苦労もあった。

ボクは、
カウンセリング研究会【くりのみ】を主宰しています。
二つ学習会があります。
 *道元とカウンセリングコース
 *親鸞とカウンセリングコース
です。

同人として参加している学習会は、
 *歎異抄うたと語り合い 
 *願海庵やさしい仏教塾

どちらの会も、楽談(井戸端)を大事にしています。
一般に、「沈黙」は気まずいイメージで理解されるでしょう。
ボクは、カウンセリングの学びの中で、「沈黙」を楽しめるようになってきました。

主宰の【くりのみ会】で、同人で参加している学習会で、
「沈黙」を大事にしていきます。


迷いは…

2016年01月22日 21時45分08秒 | 毎田周一師の言葉

《毎田周一師の言葉》をお届けします。

*迷ひは、私が起こすのではない。
 起こってくるのだ。

*何かせねばならぬと思う。
 この世にせねばならぬことは一つもない。

*どこで人と人と結ばれるのであるか。
 お互ひに何も持ち合わせてゐないところで。

*人の最も欲するのは、人と人との無条件的結合だ。
 それを愛という。


「口称念仏」 毎田周一師の言葉

2016年01月07日 23時17分30秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉を引きます。(毎田周一全集・第二巻 396頁)

念仏を口称する限り、その人(念仏者に)真理そのものが働きゆくのである。
しかも絶対的真理として働くのである。
真理はその人の心身に浸透してゆく。
これが口称の意義である。
しかも口称易行の意義である。
凡夫にも可能なる易行として、それを軽蔑すべきではないどころか、
実にそこに絶対的真理の余蘊なき、
力強き、輝かしい表現あることに想到するとき、
これを尊び、その前に跪くのほかはないのである。
あのような、ぼろを着た、みすぼらしい、悲惨な、
そして無知・無学な凡夫が口称念仏していると、
蔑むどころか、絶対真理の体現者の前に、
私達はひれ伏さねばならないのである。

*カウンセリング研究会【くりのみ】
*『歎異鈔』&うたと語りあい
*《願海庵》やさしい仏教塾

には、宗教・宗派に関係なく、
「口称念仏」の仲間が集っています。

ぜひ、お立ち寄りください。

 


念仏とは何であるか。

2015年12月13日 23時08分51秒 | 毎田周一師の言葉

大学生の頃、気になって、惹かれて、『毎田周一全集』を購入したのですが、
いつもの如くの不勉強。本棚に“つんでく” “かざってく”の体たらくであります。(笑)
でも、ずっと ボクの“杖” “先達”だったのが、毎田周一師であったように思います。

幸いなことに、湯島の中山書房仏書林から、
文庫で普及版の『毎田周一撰集』が発行されていますのでぜひ手にしてください。

『毎田周一撰集』
「釈尊の心 一真海」からの引文
念仏とは何であるか。南無阿弥陀仏の口称である。これ一つしか私達には残されてゐないのである。
それ以外はすべて要らざること、全くの妄想・妄念の行として捨て去らるべきものである。
人間が如何に想念をめぐらし、思慮を尽くし、その頭脳で考え極めたとしても、
念仏以外の行はすべて、妄心の産物でしかない。
そのやうなものに、一向とりついてゐる必要はないのである。
何が意味があるかと、それに毫もかゝはるを要しないのである。
振り向いて見る必要もない、正に相手にせずして可なりである。
それは相対的な行である。
かゝるものには必ず他者が反対する、対向する。
そこに相対的な関係、やがて闘争が起り来るのみである。
人と人とが争ふことを惹き起す行など、この世に一つも必要としないのである。
人間的なすべての悪である。
それがこの世に決して平和をもたらさぬからである。 

南無阿弥陀仏


「道徳教育」  毎田周一師の言葉

2015年09月06日 23時56分37秒 | 毎田周一師の言葉

安倍政権の「教育改革」、大丈夫なのでしょうか?

道徳の時間を「特別の教科」に格上げして、
記述式の評価をして、
検定の教科書を使う、由。 

毎田周一師の言葉

ある先生が「道徳教育」に関するパネル・ディスカッションに出るというので、
君、その道徳「教育」といふ、あとにくっついてゐる二字が余計だよ。
「道徳」だけで沢山、それをうんと研究して来給え。
だって、「道」があれば、その働き「徳」があるに決まってゐるぢゃないか。
「教育」なんてつけるの蛇足だよ、といつあ。

ボクは、安倍政権の皆さんに、先ず、小・中学校で「道徳」の授業を学んでもらいたいと思います。コトは、その後です。(笑)

検定の教科書。気持が悪いですなー。(笑)


「人生観の深さは…」

2015年08月24日 23時48分44秒 | 毎田周一師の言葉

毎田周一師の言葉をお届けします。

◇人生観の深さは、どこまで死の問題と取つ組んでゐるかに比例する。

◇自分の姿が見えないで、思い上ってゐる所に滑稽が、
  卑下してゐる所に悲惨が、それぞれ成立する。

 (全集第9巻 407㌻)