着物で文化人気取り

諸事情により最近は着物を着る機会が減り、
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バベル

2007-06-15 22:16:29 | 映画
もしも今、本物の銃が目の前にあったとしたら、私達はどういう反応をするだろう。
狼狽、恐怖感、動揺・・・。銃による犯罪が増えたとはいえ、多くの日本人にとって未だ非現実的な道具だ。

しかしユセフとアブドゥラの兄弟にとって、それは生活に必要不可欠な物であった。モロッコの険しい山間で暮らす彼らの父親は、ヤギをコヨーテから守るため銃を息子達に渡す。放牧の合間に、的を定めて銃の腕を競い合う、という行為も彼ら幼い兄弟にとって特別な事ではなかったろう。悪意無き悪戯、無邪気なゲームの延長で放たれた一発の弾丸が、アメリカ、日本、メキシコの孤独な魂をつなぎ合わせる。


映画「バベル」
~~はるか遠い昔、言葉はただひとつだった。人間は神に近づくため、天まで届く「バベルの塔」を建てようとした。
怒った神は言葉を乱し、世界はバラバラになった~~
旧約聖書の創世記に記されたバベルの伝説。これを頭の片隅において観なければこの映画の意図するメッセージを読み取ることは困難だろう。

 最初から最後まで「言葉」はこの映画のキーワードとなっている。
何の脈絡もなく、場面は冒頭のシーンとはかけ離れたトーキョーの町に変る。
父親との確執に心乱す聾唖の女子高校生チエコ(菊地凛子)。彼女のとる奇異な行動は、音のない世界で、心を病んでいるとはいえ、私には理解も共感も出来ない。
 そしてさらにメリチャード夫妻の幼い子供マイクとデビーが、乳母アメリアの故郷であるメキシコに連れてこられていた。やはり言葉が通じない。
異邦人の中にぽつんと取り残された者にとって、言葉の壁はあまりにも大きい。
しかし・・・この映画は問い掛ける。
「言葉が通じれば心も通じているのか?」と。
スーザンとリチャード夫婦、チエコとヤスジロウ親子、アメリアの甥、サンチャゴの突き抜けた明るさ、そのどれもが不安定で心もとない。最も地に足がついた生活をおくっていたと思えるモロッコのアブドゥラ一家も、ほんの些細な出来事が発端となって全てが崩れていく。
そう「確かなもの」なんて何もないのだ。


ここまで書くと何とも重たくて救いようのない話と思われるかもしれないが、
再生への僅かな希望の光を与える事を監督は忘れていない。
この映画、最初から最後まで余計な説明は一切ない。
リチャード夫妻の不和の原因、チエコの苦しみの理由も明確にはされておらず、また彼女が刑事にそっと渡すメモの内容も最後まで明かされない。

観客は感度を鋭く、かなりの想像力を働かせて観なければ消化不良に陥るだろう。
好みがはっきりと分かれるとは思うが、私は好きな部類に入る。
言語、宗教、文化の違いによる誤解や偏見は確かに存在する。
それでもやはり、見えないところで世界はつながっているのだ。
皮肉にも、一発の弾丸がそれを証明した。

気がかりなのは、逮捕されて連行されるユセフの背中。
彼は、彼の家族はこれから一体どうなるのだろう

最後にこの映画を観て確信した事をもう一つ
「飲むなら乗るな、乗るなら飲むな
ねっ、サンチャゴ

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