昨日の夜は、2人の息子たちの野球のチームのピクチャーディで、バッファロー・グロ-ブのツイン・グローブ・ジュニアハイスクールで、恒例のチームの記念撮影があった。毎年4月のこの時期は、この学校の体育館は、バッファロー・グローブのリトルリーグ、BGRAのメンバーたちが総出の写真撮影でごったがえす。いつも1年ぶりになつかしい仲間たちに会い、「やあ、元気?息子は背が高くなったね。」などという会話をかわしながら、お互いの子供たちの成長を喜び合う。6年以上もバッファロー・グローブで息子たちが野球のチームでプレーをしていると、いろんな人たちと知り合いになって、地域の顔になる。
昨日は、1年ぶりに下の息子がかつてとても仲良かった近所のスコットとカイル親子に会う。スコットは、ステイ・アト・ホームダディ(専業主夫)で、奥さんがバリバリの出世頭のキャリアウーマン。スコットもバイトをしているが、2人のやんちゃな息子たちの子育てを一手に引き受けている。スポーツは何でもござれで、2年前ぐらいから、野球やバスケットの監督も毎シーズンするようになった。セント・ルイス出身なので、シカゴではめずらしくカーディナルスの大ファンで、真っ赤なカーディナルスのユニフォームを着て、うれしそうだ。去年もカーディナルスだったので、本人の希望かも。ここ数年お互いの息子同士がゆっくり遊んでいないので、「また、お互い子供たちをぜひ遊ばせよう!」と約束。
BGRAのドン、大柄のプレジデントのキースとその奥さんに会う。「今年もこのシーズンがやってきたね!天候が良ければいいが・・・」とうれしそう。キースの一家は、子供たちが小さい頃から、ずっとBGRAでプレーしてきて、20代になった息子は今でもまだBGRAでプレーしているという。いつもコンセッション・スタンドという売店を2人で管理し、みんなのボランティア指導もしてくれている。ずっとBGRAをささえてきているらしいから、一家で野球を本当に心の底から愛しているのだろう。
そして、とてもなつかしい人に会った。現在中学2年の上の息子が小学3年生のときのファーム・リーグのチーム、レッズの監督、ジョーイだ。話をするのは、4、5年ぶりか。私の顔は覚えていなかったが、息子の名前を言ったら、すぐに思い出してくれて、とてもうれしそうに、「息子は元気か?」と大きな笑顔がこぼれた。
ジョーイは、その当時BGRAでは、とても切れ者の監督で有名だった。コンピュータのように各選手のデータを頭に入れていて、ポジションや打順を完全固定し、試合を絶対に勝ちにもっていくというアメリカ人にはめずらしいタイプの監督だった。どちらかというと、日本人のやり方に近いかもしれないとその当時主人は言っていた。アメリカ人の監督は、小さな頃は、ポジションも回し、公平に打順も回すタイプの監督が多い。
よって、ジョーイがドラフトでとった選手たちもみんなうまい子供たちばかり。とくに、ジョーイの息子のジャスティンの才能はすごく、ピッチャーとしては、剛速球を投げ、ジャスティンが投げると、誰も打てなかった。ジャスティンは、ちょっと太めで、そうあのホワイトソックスのぶっとい守護神、ボビー・ジェンクスを彷彿させるようなタイプ。バッターとしても良く打っていた。息子を引き抜いてくれた理由というのが、ジャスティンの投げた球をファールだったが、打ったとそれだけの理由で、「息子に(バッティングの)才能を見出した。」と電話で大げさに説明してくれたのを覚えている。それだけ、他の子供たちはジャスティンの球にかすりもしなかったわけだ。私は、とのとき「息子に才能があるのかしら?!」と単純にいたく感激したのだが、よく考えてみれば、自分の息子ジャスティンがそれだけすごいピッチャーだとジョーイが自分で言っているようなもんだ。
BGRAのファーム・リーグというのは、コーチではなく、子供たちがピッチャーをし、コンペティティブへの入り口という感じで、それまで楽しく野球を始めた子供たちにとって、初めての試練を味あうリーグともいえる。上の息子も子供たちが投げる速い球に翻弄され、最初の打席でいきなり3三振をくらって、大泣きしていた。打順もジョーイに下位打線に回され、このシーズンは、とても悔しかったようだ。それで、「なにくそ!」と奮起して、それ以降こつこつ練習を始めた。とにかく、チームのみんながうまいアメリカ人だらけだったので、その時の自分の実力を思い知ったようだった。
主人は、このときの息子の体験があるからこそ、今のような実力がついた息子の姿があると言う。おとどしは、打順5番、去年は、4番で固定されたほど、のしあがってきた。
ジョーイが率いたレッズは、なんと信じられないことだが、ディビジョンもトーナメントも両方で優勝した。そんなことって、なかなかないものだ。大きなトロフィーを2つかかえたうれしそうな子供たちの姿は忘れられない。このときのもう1人のがっちりしためちゃくちゃカッコいいお父さんコーチは、フットボールの元シカゴ・ベアーズで活躍した人らしい。
しかし、他のアメリカ人の親たちは、ジョーイの打順やポジション固定をして勝ちにもっていくようなやり方は、子供たちにとってアンフェアだという意見が多く、かなりの批判をあびたせいか、ジョーイは、その次の年には、さっさと自分でトラベルチームを編成して、BGRAから脱退してしまった。それ以降、ジョーイと話す機会がなく、やっと会えたというわけ。
ジョーイは、野球だけでなく、フットボールや他のスポーツでも自分のチームを優勝させてしまうということで有名なカリスマ・コーチだった。その何年か後、ジャスティンは、バッファロー・グローブのフットボールでは、タッチダウンの記録をつくったとジョーイの奥さんから聞いた。ジョーイは、バッファロー・グローブのフットボールの総元締めみたいな感じで、今も君臨しているようだ。昨日は、フットボールの勧誘で、学校にきていたようだ。
ジョーイがうちの息子が野球をまだやっているかどうか聞くので、「とても楽しんでいる。」というと、とてもうれしそうにうなずいていた。去年のシーズン打率が5割8分までいったことを言うと、信じられないような顔で、息子の成長にびっくりしていた。「ジョーイのチーム、レッズが息子の転機になって、感謝している。」と言うと、本当にうれしそうだった。
ジャスティンがどうなったか知りたかったので、聞くと、なんと今年からもう野球はいやになってやめたという。フットボールとレスリングにしぼったという。なんだか狐につつまれたような感じだった。あんなに野球の才能があったのに・・・もしかすると、小さな頃からトラベルチームでやり続けて、野球漬けになって、いやになったのかもしれない。
子供にとって、やりすぎもよくないのだろうか。主人が言うには、「要は、自分でやるか、やらされているか。やらされていると感じるとよくない。」トラベルチームでやるのも、自分で望んでやるならいいけれど、親にそのように仕向けられると、いつかいやになる子もでてくる。最近のアメリカ人の親たちは自分の子供たちに小さな頃から野球を仕込んで、熱心で、小さな頃からトラベルチームに入れてとどんどんエスカレートしていくが、それも考えものだ。
いろんなアメリカ人のコーチに出会い、いろんな選手を見ていると勉強になる。
写真は、2003年のBGRAのファーム・リーグの息子が所属したチーム、レッズのピクチャーディに撮ったチームフォト。後ろの列の真ん中が監督のジョーイ。右隣が、元ベアーズにいたノベロフスキー氏(ファーストネームは忘れた)
昨日は、1年ぶりに下の息子がかつてとても仲良かった近所のスコットとカイル親子に会う。スコットは、ステイ・アト・ホームダディ(専業主夫)で、奥さんがバリバリの出世頭のキャリアウーマン。スコットもバイトをしているが、2人のやんちゃな息子たちの子育てを一手に引き受けている。スポーツは何でもござれで、2年前ぐらいから、野球やバスケットの監督も毎シーズンするようになった。セント・ルイス出身なので、シカゴではめずらしくカーディナルスの大ファンで、真っ赤なカーディナルスのユニフォームを着て、うれしそうだ。去年もカーディナルスだったので、本人の希望かも。ここ数年お互いの息子同士がゆっくり遊んでいないので、「また、お互い子供たちをぜひ遊ばせよう!」と約束。
BGRAのドン、大柄のプレジデントのキースとその奥さんに会う。「今年もこのシーズンがやってきたね!天候が良ければいいが・・・」とうれしそう。キースの一家は、子供たちが小さい頃から、ずっとBGRAでプレーしてきて、20代になった息子は今でもまだBGRAでプレーしているという。いつもコンセッション・スタンドという売店を2人で管理し、みんなのボランティア指導もしてくれている。ずっとBGRAをささえてきているらしいから、一家で野球を本当に心の底から愛しているのだろう。
そして、とてもなつかしい人に会った。現在中学2年の上の息子が小学3年生のときのファーム・リーグのチーム、レッズの監督、ジョーイだ。話をするのは、4、5年ぶりか。私の顔は覚えていなかったが、息子の名前を言ったら、すぐに思い出してくれて、とてもうれしそうに、「息子は元気か?」と大きな笑顔がこぼれた。
ジョーイは、その当時BGRAでは、とても切れ者の監督で有名だった。コンピュータのように各選手のデータを頭に入れていて、ポジションや打順を完全固定し、試合を絶対に勝ちにもっていくというアメリカ人にはめずらしいタイプの監督だった。どちらかというと、日本人のやり方に近いかもしれないとその当時主人は言っていた。アメリカ人の監督は、小さな頃は、ポジションも回し、公平に打順も回すタイプの監督が多い。
よって、ジョーイがドラフトでとった選手たちもみんなうまい子供たちばかり。とくに、ジョーイの息子のジャスティンの才能はすごく、ピッチャーとしては、剛速球を投げ、ジャスティンが投げると、誰も打てなかった。ジャスティンは、ちょっと太めで、そうあのホワイトソックスのぶっとい守護神、ボビー・ジェンクスを彷彿させるようなタイプ。バッターとしても良く打っていた。息子を引き抜いてくれた理由というのが、ジャスティンの投げた球をファールだったが、打ったとそれだけの理由で、「息子に(バッティングの)才能を見出した。」と電話で大げさに説明してくれたのを覚えている。それだけ、他の子供たちはジャスティンの球にかすりもしなかったわけだ。私は、とのとき「息子に才能があるのかしら?!」と単純にいたく感激したのだが、よく考えてみれば、自分の息子ジャスティンがそれだけすごいピッチャーだとジョーイが自分で言っているようなもんだ。
BGRAのファーム・リーグというのは、コーチではなく、子供たちがピッチャーをし、コンペティティブへの入り口という感じで、それまで楽しく野球を始めた子供たちにとって、初めての試練を味あうリーグともいえる。上の息子も子供たちが投げる速い球に翻弄され、最初の打席でいきなり3三振をくらって、大泣きしていた。打順もジョーイに下位打線に回され、このシーズンは、とても悔しかったようだ。それで、「なにくそ!」と奮起して、それ以降こつこつ練習を始めた。とにかく、チームのみんながうまいアメリカ人だらけだったので、その時の自分の実力を思い知ったようだった。
主人は、このときの息子の体験があるからこそ、今のような実力がついた息子の姿があると言う。おとどしは、打順5番、去年は、4番で固定されたほど、のしあがってきた。
ジョーイが率いたレッズは、なんと信じられないことだが、ディビジョンもトーナメントも両方で優勝した。そんなことって、なかなかないものだ。大きなトロフィーを2つかかえたうれしそうな子供たちの姿は忘れられない。このときのもう1人のがっちりしためちゃくちゃカッコいいお父さんコーチは、フットボールの元シカゴ・ベアーズで活躍した人らしい。
しかし、他のアメリカ人の親たちは、ジョーイの打順やポジション固定をして勝ちにもっていくようなやり方は、子供たちにとってアンフェアだという意見が多く、かなりの批判をあびたせいか、ジョーイは、その次の年には、さっさと自分でトラベルチームを編成して、BGRAから脱退してしまった。それ以降、ジョーイと話す機会がなく、やっと会えたというわけ。
ジョーイは、野球だけでなく、フットボールや他のスポーツでも自分のチームを優勝させてしまうということで有名なカリスマ・コーチだった。その何年か後、ジャスティンは、バッファロー・グローブのフットボールでは、タッチダウンの記録をつくったとジョーイの奥さんから聞いた。ジョーイは、バッファロー・グローブのフットボールの総元締めみたいな感じで、今も君臨しているようだ。昨日は、フットボールの勧誘で、学校にきていたようだ。
ジョーイがうちの息子が野球をまだやっているかどうか聞くので、「とても楽しんでいる。」というと、とてもうれしそうにうなずいていた。去年のシーズン打率が5割8分までいったことを言うと、信じられないような顔で、息子の成長にびっくりしていた。「ジョーイのチーム、レッズが息子の転機になって、感謝している。」と言うと、本当にうれしそうだった。
ジャスティンがどうなったか知りたかったので、聞くと、なんと今年からもう野球はいやになってやめたという。フットボールとレスリングにしぼったという。なんだか狐につつまれたような感じだった。あんなに野球の才能があったのに・・・もしかすると、小さな頃からトラベルチームでやり続けて、野球漬けになって、いやになったのかもしれない。
子供にとって、やりすぎもよくないのだろうか。主人が言うには、「要は、自分でやるか、やらされているか。やらされていると感じるとよくない。」トラベルチームでやるのも、自分で望んでやるならいいけれど、親にそのように仕向けられると、いつかいやになる子もでてくる。最近のアメリカ人の親たちは自分の子供たちに小さな頃から野球を仕込んで、熱心で、小さな頃からトラベルチームに入れてとどんどんエスカレートしていくが、それも考えものだ。
いろんなアメリカ人のコーチに出会い、いろんな選手を見ていると勉強になる。
写真は、2003年のBGRAのファーム・リーグの息子が所属したチーム、レッズのピクチャーディに撮ったチームフォト。後ろの列の真ん中が監督のジョーイ。右隣が、元ベアーズにいたノベロフスキー氏(ファーストネームは忘れた)