Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

長野早川俊二展開催!~チェリスト藤原真理コラボコンサート大成功~その3!

2015-06-15 | アート
芥川氏の講演会の記事は後日詳しくレポートし直すとして、注目の6月6日の藤原真理コラボコンサートをレポートしよう。



藤原真理氏は日本を代表する世界的なチェリスト。
チェロの女王とも呼ばれ、フランスのバイオリニスト、ジャン=ジャック・カントロフ、メンデルスゾーンの子孫であるルーマニアのビオラ奏者、ウラディーミル・メンデルスゾーンという2人の巨匠と「モーツァルト・トリオ」を組むほどの実力の持ち主。

最近ではNHKの大河ドラマ「八重の桜」のエンディング・テーマソングを坂本龍一と共に演奏。
クラシックはもとより、宮沢賢治へのオマージュと幅広いジャンルで活躍している。

その藤原真理の演奏が早川絵画に囲まれた静謐空間に流れるという夢のような贅沢極まりないビッグイベントがついに実現した。

コンサート会場は北野カルチュラルセンターの1階で、早川絵画ファンと共に藤原真理ファンも全国から駆けつけたようで、このジャンルの違う芸術のぶつかり合いがどういう化学反応を起こすか興味津々といった面持ち。
2階は吹き抜けになっていて、2階にいる人々もコンサートの音が楽しめるような構造になっている。
ベートーベンの『モーツァルトの歌劇「魔笛」の主題による7つの変奏曲』から始まった。
コンサートホールのように演奏者が段上ではなく、小さなスペースで観客と同じ床で演奏するので、その透き通ったチェロの波動が直接私たちの体に響く。

世界の藤原真理が手の届く場所にいるという高揚感もあり、いつものコンサートより迫力を感じる。
藤原氏の背景に見えているのは、早川氏の初期の暗い重々しい絵の具のまだ発展途上だった女性像。
その女性像のイメージの残像が2009年の洗練された女性像と重なり合って、穏やかなチェロの音色と呼応し合う。



藤原氏を囲んだ早川絵画の女性像が呼吸し、空間に漂い、その無数の色彩の渦が舞っていくかのようだ。



早川絵画とのコラボの頂点はやはり「バッハ無伴奏チェロ組曲」。
一台のチェロという楽器が奏でる無限の広がりを感じされるような音の宇宙が生み出されるため、この曲は「チェリストたちの金字塔」と言われる。

1978年第6回チャイコフスキー国際コンクールで2位入賞した藤原氏は、この「バッハ無伴奏チェロ組曲」の録音で文化庁芸術祭作品賞を受賞。
藤原氏にとっても特別な曲らしく、毎年自分の誕生日にはこの曲を演奏する。



そして、元々この曲を敬愛し、長年さまざまなチェリストの演奏を聴き続けてきた早川氏。
藤原氏のコラボコンサート開催が決まって以来、藤原氏の「バッハ無伴奏チェロ組曲」を聴きながら、ある種のインスピレーションを得て、創作に没頭したという。

3月のメールで早川氏は、「伝わってくる音色の小さな波動と大きな波動が聞こえてくるようだ。自分の絵がそれと同じように、光の波動が二重に発散するような絵を描きたいと思っている」と記している。

私が感覚的に藤原氏のチェロの音色と早川氏の絵画の印象が重なり合うのではないかと思ったのは間違いなかったように思う。
このときの感覚はうまく言葉では言い表せないが、絵画と音楽の融合による無限の宇宙への広がりは増幅され、崇高な光が発せられたかのような瞬間が各観客には訪れたのではないか・・・

藤原氏も静謐な絵画空間に囲まれ、気持ちよく演奏できたようだ。



具体的な藤原氏と早川氏の感想と演奏写真などはUS新聞に掲載予定なので、ぜひ後日読んでほしい。

この項追加します。








読売新聞編集委員芥川喜好氏、早川俊二氏を日本近代美術史上稀有な作家と絶賛!!~その2

2015-06-14 | アート
長野の早川俊二展の続きで、世界的なチェリスト藤原真理氏の6月6日のコラボコンサートをフォーカスして書こうとおもっていたのだが、とんでもない速報が入ってきたので、取り急ぎお知らせします。

昨日6月13日、読売新聞編集委員芥川喜好氏の講演会での発言。



いまだに興奮冷めやらずって感じのことを芥川氏は淡々とした口調で言ってのけたのだ。
最初は雑談風の話で、私は写真を撮るのに専念していたら、いつの間にやら日本近代美術史における早川俊二の立ち位置にまで発展していき…

かいつまんで言うと、早川氏のパリでの42年間の修行は、過去も現在も含めて他の日本作家が成し得なかったとてつもないことなんだそうだ。
あの浅井忠しかり、小出楢重しかり、そして岡鹿之助も早川氏にはまったく及ばないと。
みな欧州に行って何年か滞在して修行するが、途中であきらめて、日本へ帰国していたと。
「(早川氏は)稀有の人である。驚異の人、比類ない、空前絶後の人である」と断言。
この言葉を何回か繰り返すほどだったので、これはもう「巨匠になるべき人」と断言したようなものじゃないか!



いやあ、びっくりしたなあ。
芥川氏は長年読売新聞で美術記者をやってきて、11年続いた「日本の四季」で日本記者クラブ賞受賞、現在は読売新聞の人気コラム「時の余白に」を執筆中という美術界では影響力のある書き手。
その人がここまで早川氏を評価しているとは!
私も前にUS新聞で「巨匠になるのを感じさせるような作家」と書いたけど、その直感は正しかったのかもと1人でジーンと感動に浸っていた。



講演会には、早川氏を見いだしたアスクエア神田ギャラリーの伊藤厚美氏とその才能を最初に評価し、月刊美術に記事を書いた群馬県立近代美術館長の井出洋一郎氏もいて、久しぶりに3人で再会を喜んでいた。




この講演会は録音したので、後日藤原真理コラボコンサートとともにもう少し詳しく投稿します。




早川俊二展開催!~長野の北野カルチュラルセンターにて~その1

2015-06-10 | アート
週末長野の北野カルチュラルセンターでの「早川俊二 遥かな風景の旅」展に友達と行ってきました。

なんて表現したらいいのでしょうか・・・

早川絵画から生み出される不思議な力強い磁力によって、私たちの身体と心が美術館の空間と一体化し、目に見えない風となり、それが小さな竜巻のごとく体中を駆け巡っているような感じ。
しばらく足が宙に浮き、体がフワフワしていたような高揚感。
とにかく言葉が見つからないほどよかった・・・



今まで数年おきに狭いスペースのアスクエア神田ギャラリーでの作品発表で、そのたびにファンが広がり、コツコツ実績を積み上げてきたパリ在住の作家が早川俊二。
決して既存の美術団体には所属せず、日本での商業主義的なものから離れ、パリに住み続けて40年という独立独歩の道を選ぶ。



24歳で渡欧し、本場のミケランジェロやダビンチの西洋絵画の名作に衝撃を受け、黙々とデッサンに励み、20代はデッサンを確立するのに費やす。
自分なりの絵具の色を探し求めて、その色を探求し続けた30代。
その後もとほうもない時間を美の普遍性の創造に費やしてきた。
私たちには想像もつかない40年間の日々の努力の成果がこの回顧展には結実しているといえよう。
この展覧会は、3年前に長野で生まれ育った早川氏の同級生が中心となって、全国のファンを中心とした人々に呼びかけ、500人もの市民の協賛金や作品のカレンダーやハガキなどの収益金で開催された。
市民による手作りの稀有な展覧会であるといえる。

さて、展覧会の会場である北野カルチュラルセンターは、善光寺境内の参道から続く道に位置し、和情緒溢れる環境の中、3階建のクリーム色のモダンな建物が人々の目を引く。
この建物の1階から3階までのスペースが早川氏の人物画の大作や静物画の小品で埋め尽くされ、日本でのデビュー以来の63点もの作品が展示されるという贅沢な異空間となっている。



1階はデッサンの大作や1997年の名作「アフリカの壺」を含む初期の作品で始まり、私が1992年ジャパンタイムズの取材で取り上げた「右向きのアトランティック」という作品に23年ぶりに再会した。
水色を基調とした厚いマチエールでアトランティックという少女を立体的にテンペラ画風に重厚に描かれた作品は衝撃的だった記憶がある。



23年もの月日が経っても今だに変らない存在感を感じさせるこの少女とひとしきり対話でき、ある種の懐かしさを覚えた。

2009年の前回のアスクエア神田ギャラリーでの個展では、神々しい女性像の大作群が反響を呼び、読売新聞や月刊美術などでも大きく取り上げられ、私もUS新聞にインタビューを含む長い展覧会レビュー記事を書いた。その時の大作が1階と2階に数点展示されている。
人物像から発する神秘的な光によってか、風景へと通じる宇宙観も感じられる。
みずみずしい透明感に満ち、聡明できりりとした女性像と宗教画に出てきそうな穏やかな表情の女性像の対比が私たちを惑わせる。



その横には、早川夫妻の愛猫が愛らしくまどろんでいる。



年々早川氏の絵画技術は向上しているのだろうが、2009年の個展以前の作品も秀作ぞろいだ。

一緒に観ていた女友達と私が一致して気に入ったのが、1998年の「着衣するVera ・ Ⅱ」という幻想的な作品。



夢の中でゆらめく女性像が私たちの心の奥にしまっておいた母性のような何かを解放し、引き出してくれる。
たおやかな女性像は観るものの心に自然に同化し、私たちの心身をすっぽりと包みこんでいく。

一つの宇宙観を奏で、空気感をはらむ静物画も私たちの気持ちを落ち着かせる強い魔力を持つ。
そして、早川俊二の作品を観た者は、自分の精神を解放し、自分なりの解釈を考え、それぞれの言葉を紡いでいく。
そう、誰もが自分の感性を研ぎ澄ませた詩人にもエッセイストにもなれるのだ。
それが早川絵画の最大の魅力ではないだろうか。

この投稿に写真追加します。