Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

引越し完了!最後の買い物、そして日本人学校でのお別れ会へ~帰国への道その8

2008-10-31 | シカゴ日本人学校全日校
昨日は、住み慣れたアーリントン・ハイツのタウンハウスからの引越しであった。2002年2月の始めに日本から凍りつくような寒さのシカゴへ越してきて、6年9ヶ月。愛着のある家。大変便利であった。

シカゴ日本人学校まで車で6分。バスストップまで2、3分。日本クリニックやミツワもアーリントン・ハイツ・ロードで一直線。来る直前に免許を取ってきて、初めて運転する身にとって、本当に楽だった。ダンディーロードにたくさんのいいお店やレストランが散在。友達もパラパラぐらいで、日本人があまり多くなく、つかず離れずの居心地いい距離。近所にアメリカ人の友達も多く、日本人からもアメリカ人からも助けてもらった。

さて、引越しは、結構大変であった。福留選手取材、執筆、菊田俊介氏のインディアナでのゴスペル演奏取材と予期せぬ事態が起こり、大幅に準備が遅れてしまった。前回の船便は、準備をよくしていたので、早かったが、おかげで、今回は時間がかかった。

しかし、ヤマトの人たちが、すごい勢いで、荷物をつくり、あっという間に大きな家具類はだし、小物もあっという間にかたづいた。おかげで、私は、学校での用事、主人は買い物などができ、本当に助かった。途中、学校での荷物を取りに行く間、大方の作業が終わり、みんな待っているほどで、こちらの手際が悪く、申し訳なかったほど。

そして、クリーニングも専門業者の方が、すぐにし始めてくれ、あっという間に全部の部屋に掃除機をかけ、水周りを徹底的に掃除して、ピカピカ状態。冷蔵庫の中までやってくれ、本当に助かった。すべて、素晴らしい手際の良さだった。ヤマトのうちの担当のアラキさんは、いろんな面で気を配り、私にとって一番頼りになった。相棒のスドウさんは、細かいところまで気を配ってくれ、私たち顧客の要望をよく把握されていた。いたせり、尽くせりのサービスのヤマトさん、本当にありがとうございました。

今日は、シカゴ日本人学校の上の息子、中2のクラスのお別れ会。まず、外で、コオリおに。担任の先生も交じって、小学生のようにみんな走り回って、遊ぶ。とても楽しそうだった。先生も真剣に追いかけている。続いて、小体育館で、男女交じってドッジボール。女子に投げるときは、男子は左手でと、ハンデを補う。男子が投げる球は、中2とあって、なかなか迫力があった。こんな風に男女が一緒になって動きながら遊べるのも、シカゴ日本人学校ならでは。本当にいい雰囲気の学校とつくづく感心した。

その後は、教室で、みんなからの記念品を息子に渡し、息子がみんなに挨拶。いつものように淡々と話す息子だが、最後の方は、みんなへの励ましに変わっていた。息子らしい。どんなにか中3までいたかったろう。小1の2月からずっと日本人学校全日校に在籍。応援団長にずっと憧れてきて、中3でそれをやるのを目標としていた息子。文化祭でも主役をやりたかったようだ。これからは、日本で全日校の動向を静かに見守る。日本の中学でまた違う刺激をもらって、成長するだろう。

今日の最後の買い物は、やはりディックスにて、息子用のアンダー・アーマーのバカ高のズボン。このズボン、かなり値ははるが、形がいいので、息子がはくと足が長いため、(親バカですが)カッコいい。息子は最近、下の息子のお母さんの何人から「カッコいい」と言われる。とてもとてもうれしいのだが、思春期に突入し、口を開くと頭にくるようなことばかりを私に言う。ムカつく!お願いだから、黙っていてほしい!

そして、私が一番通った本屋、バーンズ・アンド・ノーブルにて、息子たちの本を物色。日本で、オンライン上のスカイプを通して、こちらの家庭教師の先生たちと週1回の割合で、この本を使って、授業をしようと計画している。はたして、時差の関係でうまくいくかどうか・・・せっかく身についた英語力をキープするため、親が努力するしかない。

とくに、下の息子が幼稚園時代からこつこつ身につけたフォニックスは、将来の宝。日本に帰って、英語が少し停滞するかもしれないが、定期的に復習していれば、いつかまたよみがえると信じている。この英語力も全日校の英語科の先生たちの努力が大きい。フォニックスを完璧にこなせるように日々努力されて、子供たちを教えてくださっている。ムラセ先生をはじめ、英語科の先生たち、本当にありがとうございました。

その後は、ブルース関係のDVDとCDをゲット。140ドルぐらいするブルースを網羅したDVDを買った。これは、シュンさん(ブルースギタリスト、菊田秀介氏)から聞いた「The Blues」というドキュメンタリーのブルースの流れがわかる映画。かの有名な監督、マーティン・スコーシーズがプロディースしたすぐれものらしい。シュンさんも出演しているらしいから、じっくり日本で見よう。シュンさんのCD、「Rising Shun」も友達に買ってきてもらう。もう、これで思い残すことはなし!

明日は、全日校恒例のハロウイーン集会が午後から。先生たちの仮装が毎年圧巻。午前中は、下の息子小3のクラスのお別れ会。午後は、上の息子の中学部全体でのお別れ会。最後のイベントを楽しみにしている。




ブルースギタリスト、菊田俊介のゴスペル演奏を聴く!~インディアナ州、ゲーリーのバプティスト教会にて

2008-10-28 | スポーツ一般・娯楽
福留選手のシカゴ日本人学校の訪問の興奮がさめやらないまま、次のエキサイティングな出来事を目撃した。引越しの準備で猛烈に忙しい中、かねてから行きたかったブルースギタリスト、菊田俊介氏のライブ演奏をダウンタウンのブルースのライブハウス、ブルーシカゴに聴きに行く。

シュンさん(菊田氏の愛称、親しみを込めてこうよばせてもらう)は、ブルース界の大御所、ココ・テイラーバンドのメンバーとともに、8月に大きな事故に巻き込まれ、顔や体に重傷を負う。シュンさんは、ココ・テイラーバンドの専属ギタリストで、ココとともに世界中をツアーで回ったりしている。この事故の詳しい内容は、彼のブログやQマガジンを読んでいただけるとわかるので、詳しくは書かないが、日本の新聞にも報道されるほどのおおきな怪我を負った。そのため、9月は活動を休止。復活されたのが、10月。私は、9月に観にいこうと思っていたので、大ショック!シュンさん、大丈夫かな・・・と心配していた。

が、そんな心配はふきとんだ!ライブハウスでのシュンさんは、ブルースフェスティバルで見たシュンさんと同じように全開!ギターの音もビンビンで、観客も大ノリで、シュンのギターに酔いしれる。



途中、ボーカルが、「シュン、ブルースをあびせろ!」と指示すると、観客の1人のアメリカ人の女の人の前に近づき、ブルースの真髄であるエレクトリックギターのたまらない音を全身で表現しながら、1人1人に投げかける。「エー、あんなことしてもらえて、いいなあ!」と私はやや嫉妬状態。次から次へとギターで女を渡り歩くギタリスト、シュン。かっこよすぎるではないか!横で、アメリカ人の女性カメラマンが取材で、シュンの写真をとりまくる。やはり、シュンねらいか?!

演奏の途中で、シュンさんと話す。顔の怪我も治り、傷もうすくなっているので、ほっとする。事故直後のブログの写真では、顔の傷が生々しくでていて、ミュージシャンの命である顔に傷が入って大丈夫だろうかと心配したが、いつものさわやかなシュンさんの笑顔は健在。ブルースギタリストというと、なんだか暗いイメージがあったんだけど、シュンさんは、話していて、有名なミュージシャンというおごりがまったくなく、気さくに私たちと話してくれるほど感じのいい方。

思い切って、「シュンさんの教会でのゴスペル演奏みたいんですけど」と切り出すと、「じゃあ、日曜日に行くから一緒に行きますか」「エー、いいんですかあ!」「インディアナなんだけど・・・」「なにー!インディアナあ~!」ゲーリーという町のバプティスト教会で毎週ゴスペル演奏をしているという。シュンさんの住むデスプレインからは約1時間。まだ、福留選手の記事も仕上げていない。その日は、車の売買もあって、引越し3日前。ウーン、どうしよう。しかし、本場のゴスペルを聴く機会はなかなかないだろう。よし、土曜日なんとか記事を仕上げて、行こう!

というわけで、近所の友達のやっちゃんにデスプレインまで運転してもらい、シュンさんの車ではるばるインディアナまで行った。あーあ、ジャーナリストとしての性か、見たいという衝動を抑えられない私。その日、主人と子供たちは、着々と引越しの準備、荷物詰めをしていたというに・・・

さて、ゲーリーという町は、かつて鉄鋼の町として栄え、かのマイケル・ジャクソンの出身地。しかし、経済の衰退とともに、町もさびれてしまったらしい。かつて栄えていた工場の建物がくずれ、幽霊のようにそびえたっている。殺伐とした雰囲気もある。きっと、犯罪率もかなり高い地域だろう。シュンさんの話だど、日本人は皆無。黒人が人口が高そうだ。こんな町で、なぜシュンさんは、毎週演奏しているのだろう。

きっかけは、4年半前、ゲーリーの新しい空港が開港されたときの式典で、演奏したときに、このモライア・ミッショナリー・バプティスト教会のジョンソン牧師が聴いていて、気に入られ、お抱えのギタリストとして、雇われたという。そのときの式典には、まだ無名のオバマ氏もいたという。バンドのツアーなどがない日曜日は必ずここの教会で演奏しているという。往復2時間の運転。よっぽど強い思いがないと、普通の人では続かない。

その日のシュンさんの格好は、やはりスーツ!いつものブルースの象徴でもある黒い帽子をかぶったシュンじゃない!バリバリのスーツ。まったくイメージが違う。でも、ブルースギタリストから一皮むけたって感じで、こういうシュンさんもいいなあ。



教会に入ると、全員が黒人の人たちだった。みんな一斉に私たち2人の日本人女性にびっくりしたように目を向ける。しかし、1人1人の目線は、優しい。目が合うと、笑顔であいさつをしてくれたので、ほっとする。席も「ここにおいで」と前の方の席まで案内してくれた。みんなおめかししてきている。若い人も年老いた人も。中には、ド派手な銀色のリボンの帽子をかぶったおばあちゃんもいた。

若い人たちの歌声で、礼拝は始まる。全然キリスト教という雰囲気がなく、普通のさりげない黒人の人たちのステージだ。さまざまなイベント情報をみんなに伝えながら、シュンさんたちの演奏が始まる。その出だしがとてもとてもさりげなかった。いつギターがはいったのかわからないほど。いつもの派手なブルースギター演奏と違って、黒子に徹している感じ。



シュンさんの話によると、雇われる前のトライアルで練習なしで、いきなり演奏をしたとき、キーボードのイントロに合わせてひいたという。勿論、一発合格。イントロの音だけで、次の展開を察知し、一緒に展開できるとは、プロとはすごいものだ。かの有名なボストンのバークレー音楽学院(これで日本語の正式名いいだっけ?)を卒業して、きちんと音楽を勉強しているシュンさんだから、どんな音楽でも完璧に合わせられるのだろう。卒業と同時にシカゴに移り、ストリートミュージシャンから実力ですぐにのしあがり、今のようにライブハウスで演奏をはじめたという。

もともとお父さんの影響でクラシックを小さな頃から聴いて育ったという。その後、中学時代では、松山千春やチャゲ&飛鳥などのフォークを中心に演奏。ギタリストの高中正義なども聞いていたらしい。(なつかしい!私たちも高中の曲、バンドでコピーしてかじってました。)高校時代は、ロックにはまる。私もハードロックが大好き。ロークのルーツをたどると、ブルースにいきつく。ストーンズもクラプトンもみんなブルースから影響を受けている。「(当時)スティーブ・ルカサーなんかもよくコピーしてたね」やはり、シュンさんもロックをコピーしていたんだ。私は、ロックとフュージョン両方を聴いていた。アドリブという雑誌を毎月買って、研究していた。スウェーデン出身で早弾きのイングウェイ・マルムスティーンの話も久し振りにして、私も昔のことを思い出して、またハードロックもじっくり聞きたくなった。

女の人のソロの歌が始まる。本当に心の底からわきでるスピリットが入った歌声といおうか、素晴らしい歌声だった。「ギブ・ミー・ストレングス」(私に力を!)という部分は、真にせまっていた。

礼拝のハイライトは、ジョンソン牧師のお話。内容は、私も疲れで眠くて意識がもうろうとして、全部わからなかったが、みんなをすごい勢いで励ましている。ときおり、すごい感情表現で、みんなをあおる。大声で、「ハレルヤ、ハレルヤ」と叫びながら、演奏が入る。すごい盛り上がり!シュンさんも立ったり、座ったり、そのときのみんなの雰囲気に合わせて、じっくりさりげなく演奏。ここでは、脇役に徹している感じだった。私たちも聖書を見せてもらいながら、言葉を繰り返し、なんだか敬虔な気持ちにおちいる。礼拝が終わると、みんなハグし合い、「きてくれてありがとう!」「また、もどってきてね」とかわるがわる言われた。


ジョンソン牧師とシュンさん

帰りの車の中で、シュンさんが言うには、今回の事故に合って大変だったけど、良かったという。シュンさんのそばにいたメンバーは大怪我をして、まだ病院にいるという。でも、シュンさんは、またこうやって普通に演奏の場にもどってこれた。自分にとって演奏することが、いかに大事かが身に沁みてわかったのだろう。事故によって、彼の人生観が変わったようで、「もっともっといい音楽をみんなに聴かせたくなった」と熱っぽく語る。そんな風に事故のことをとらえられるとは、1つのものをとことん追求する一流の人の精神力とは、私達の想像以上に高いのだろう。私もシュンさんからエネルギーをもらった。シュンさん、ありがとう!

昨日から、シュンさんは日本ツアーと台湾ツアーのため、日本へ旅立った。日本ではまだまだブルースが一般の人に認知されていないので、日本での活動をもっと広げていきたいと語る。11月18日ごろシカゴにもどってくるらしい。基本的に、月曜がキングストンマインド、水曜日がブルーシカゴにて演奏。(詳しくは下記のシュンのサイトかブログでスケジュールをチェック)皆様、ぜひ、一度シュンさんの演奏を観にいってください。日本人の一ギタリストが本場シカゴのブルースシーンを飾っている姿。きっとみんな元気になれると思います。

菊田俊介公式サイト:http://shunkikuta.com

菊田俊介ブルース日記(ブログ):http://ameblo.jp/shunkikuta/

写真もアップできたらしたいのだが、明日引越しで・・・これから、荷造り。
あー、でも書きたいことを書いたので、気分はすっきり!




福留選手の交流会、シカゴ日本人学校訪問の記事、US新聞に掲載!

2008-10-28 | メジャーリーグ
昨日、やっとシカゴ・カブス福留選手の交流会、及びシカゴ日本人学校全日校訪問の記事がUS新聞に掲載された。前日深夜3時までかかって、仕上げた。なにしろ、引越しの準備、手続きがあったので、なかなか記事を書く時間がなかった。こんなに集中力がそがれた記事ってないかも。写真も納得がいくいいのが見つからず、時間がかかった。

http://www.usshimbun.com/childcare/childcare-fukudome2008.html

しかし、福留選手がせっかく日本人学校にきてくれたし、生徒たちの真剣なまなざし、そして、最後の応援エールを見たら、「絶対、なんとしても仕上げる!」と自分に言い聞かせて、5時間ぶっ通しで、作業をした。

最後の一丸となった応援エールは、みんなのいつもの日々の努力が一体となって、本当に素晴らしい応援となった。応援団長のオチ君の声が一段と大きく、体も大きいので、みんなの団長という貫禄も備え、その声に引っ張られ、みんなのエールが1つになり、心の中にまですうっと入ってくるほどの強いスピリットを感じた。私は、福留選手の後姿しか見てないけど、彼が体全身で、それを受け止めていて、とてもうれしそうな雰囲気が伝わってきた。本当に日々の全日校の生徒たちの一生懸命にみんなで取り組む姿勢がすべてあの場に結集されていたんだと思う。

校長先生の話では、練習は、当日福留選手が到着する直前に数回だけだったという。1週間前に急遽訪問されるのが決まったので、準備する間もなかったらしいが、運動会での集中的な練習の成果があらわれたのだと思う。

シカゴ滞在最後にみんなの素晴らしいエールが聞けて、ジーンとした。みんなご苦労さまでした。福留選手もきっとみんなの熱い思いを受け止めてくれたと思うよ!

シカゴカブス、福留選手、シカゴ日本人学校を訪問!子供たちのエールに驚く

2008-10-24 | シカゴ日本人学校全日校
月曜日は、シカゴ日本人学校全日校生徒たちにとって、思いがけないイベントが待っていた。シカゴカブスの福留孝介選手が学校を訪問してくれたのだ。私もUS新聞記者として、この一大イベントを目撃!早速US新聞に速報を出した。www.usshimbun.com(表紙部分)

福留選手の講演内容は、追ってUS新聞で詳しく報告する予定。しかし、最後の子供たちの全員による応援エールは圧巻だった。福留選手も感激して驚いていた。また、記事がでたら、お知らせします。

日刊スポーツに記事をだしている、記者佐藤直子さんも取材されていて、日刊スポーツにもでているので、チェックしてみてください。

http://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20081022-421470.html


日本へのおみやげは、これ!COACH~帰国への道その6

2008-10-22 | アメリカ生活雑感
帰国準備で、結構大変な仕事が、日本へのお土産。すごい勢いで、ババッとチョコレートなどを大量に買う。隣近所への挨拶としては、ゴディバはちと高いので、あまりみかけないセンスのいい感じのチョコレートをターゲットでゲット。これは、航空便には入れず、自分がのる飛行機と一緒。船便、航空便、当日の飛行機分と3種類に綿密にグループ分けしている。

さて、やっぱり母親や妹たちへのお土産は、COACHにする。7年近くアメリカにいたんだから、そこそこの物を買うべきよね。自分だって、ここ15年以上もCOACHのバッグ買ってないもんね。主人が香港に単身赴任をしていたときに購入した、今となっては恐ろしくきたなくなったバッグがこのブランド。信じられないほど、買い物には無頓着な私。洋服も隣のコールズで安いもので満足。だって、買い物にかける時間とお金がもったいないもんね。買い物に費やす時間とエネルギーとお金を大学で消費し、勉強しているほうが、充実していた私のアメリカ生活。

しかし、やはり、アメリカ生活の自分へのご褒美として、最後に買うことにした。他の友達は、少しづつ着々とこの人気ブランドの商品をゲットしている模様で、かなり詳しい。

心優しい近所のママ友達が、車で40分かかるオーロラの人気アウトレットへ連れて行ってくれた。ここは、なんとまだ2回目。1回目は、家族で行ったので、まったくよく見れず。到着してすぐにCOACHへ直行。

いつも込んでいるという店が、すいている。じっくり1つ1つを吟味。迷いに迷って、値段も見定め、大小2つのバックを選び、妹のバッグ1つ、自分の財布1つ、母と義母の財布を1づつ、ウエスタン調のベルト、そして、日本の仲良しの友達へピンク色のハート型のキュートなストラップを5つ買う。これは、ヒットだ。売り上げは乳がん関係の団体に寄付されるというから、ますます買う気になった。

「今日は、50、30、20パーセントオフとかなりのディスカウントの商品が多い」と友達が言う。日によって、ディスカウントの割合が高い商品が多い日とそうでない日があるという。私が買ったバックは、友達とおそろいで、パッチワークで、デザインのわりに落ち着いた雰囲気。これが、なんと50パーセントオフ。やった!秋冬のシーズン物の小さなバックもパッチワークだが、ちょいワイルドな雰囲気。これも安い。お店の人の話だと日本では恐ろしく高いというから、もっと買うべきか。週末、福留選手の御家族も見えたとか。やはり、日本へのお土産かしら。

このブランドのリファンドポリシーというのが、すごい。買って1年後でも2年後でも、状態がきれいなら、リファンドができるという。日本にもって帰って、気に入らなければ、主人が出張できたときに、リファンドできるというわけ。ウーン、うまい商売手法。アメリカ経済が金融危機のため、かなりひどい状態だというのに、このブランドへの購買意欲は衰えない。アメリカ人はもとより、中国人、韓国人、日本人とアジア系のお客がすさまじいらしい。中国人もツアーでやってくるというから、すごい!

長時間ここにいたため、他の店に行く時間が短くなる。ウエッジウッドで食器を4枚とチョコレートを買って、さっそうと友達の運転で、アーリントンへましぐら。余裕で子供たちのお迎えに間に合う。

主人に真っ先に「COACH、800ドルぐらい買ったよ!」と報告したら、「フーン、いいんじゃない」と当然な目を向けた。ブランドには、私より詳しい主人。大昔COACHのことを教えてくれて、買うのを勧めてくれたのも主人。感謝、感謝!

1日で1000ドル分ぐらいの買い物をすると、なんだか、すべてのストレスが消えていく!「女の人って、こういうものよね」と友達と言い合いながら、お互い思い切り笑った。持つべきものは、友なり!連れて行ってくれて、ありがとね!



シカゴカブス、福留選手と野球キッズたちとの熱い交流会!

2008-10-21 | メジャーリーグ
昨日は、シカゴカブスの福留選手と野球少年少女たちとの待ちに待った交流会が、ANAの主催で、アーリントン市のダブルツリーホテルであった。とてもきさくで、ユーモアたっぷりに話す福留選手に子供たちは、リラックスした雰囲気で、日本人メジャーリーガーとのめったにない交流を楽しんだ。



息子たちもカブスのユニフォームと帽子をまとい、はりきって出かけた。子供たちとの質疑応答では、上の息子は、真っ先に手をあげ、最初に福留選手に指名される。この日のために、チームのユニフォームを船便で送ってしまい、ユニフォームがなかったので、急遽カブスのユニフォームを探して買い、(この時期なかなかなかった)近所の業者に(全日校中学部がジャパンフェスティバルで、ソーランを踊ったときに注文したハイファイブ)無理矢理、名前と31番の背番号を入れさせた。作戦成功!(といっても、前を向いていたから関係ないか!他のお母さんが言うには、息子から「野球狂の僕をあててくれ」オーラがでていたらしい)

息子は、開幕戦でのカブスが0対3で負けていたときの同点ホームランの感触、感想をそのときのカウント、ボールのコースまで詳しく再現しながら、聞く。「新聞記者みたいなことを聞くなあ」と福留選手感心しながら、「打った瞬間に入ると思った。」とうれしそうに話す。でも、次の回に1点入れられて、結果的にカブスが負けたので、「ヒーローになれたのをのがして残念だった。」と本音を教えてくれた。ウーン、息子め、私が一番聞きたかったことを聞きやがった。

あのときのホームランは私達の目に焼きついている。たしか2人走者がでていて、息子が「ここで福留がホームラン打てば、同点だけど。」と言った瞬間、痛烈なライナーのような外野センターに突き刺さるホームラン。また、あの目の覚めるようなホームランを見たいよ、福留選手。

~この項続く








もうすぐカブスの福留選手に会える!We will see Kosuke Fukudome soon!

2008-10-18 | メジャーリーグ
シカゴ駐在残りあと2週間というときに、大きな大きなイベントが待っていた。シカゴ・カブスの福留選手が、野球少年たちとアーリントン・ハイツのホテルで、交流会を行うというのだ。時は、10月19日の日曜日、あさって。

ANAの主催で、あの福留選手をまじかに見られる。去年の今頃は、カージナルス時代の田口選手が野球教室をやってくれた。これまたANAの主催。ANAよ、ありがとう!野球好きの私達の要求をバッチリと満たしてくれる。

福留選手がどんな話を野球小僧たちにしてくれるのか。少年時代、また学生時代の福留選手はどのような練習をしていたのだろう?息子たちもどんなことを聞こうかとても楽しみにしている。

あの開幕戦の同点ホームランの感触はどうだったのだろう?鮮烈なイメージが残っている。初めてのメジャーリーグ、言葉も含めてさまざまな苦労があったろう。でも、カブスの同僚ととても楽しそうにウオーミングアップをしたり、勝った試合は、外野の選手同士でやる恒例の挨拶、「腰のぶつけ合い」は、とてもうれしそうだった。

福留選手、日本へ帰国する前の忙しい中、きていただき、ありがとうございます!


On Sunday, Kosuke Fukudome from Cubs will give a lecture in Arlington Hts to kids, who played in the baseball teams this season. This is the first time to have such an event for him in Chicago.

We are soooooo excited to see him.


全力でシカゴの地をかけぬける!~全日校中学部駅伝大会

2008-10-17 | シカゴ日本人学校全日校
今日は、晴天の秋空の下、全日校中学部の生徒たちは、自己のすべての力をせいいっぱい出しきり、学校の周りを駆けぬける恒例の駅伝大会を盛り上げた。

毎年この時期に行われる自己への挑戦の駅伝大会。去年の自分の記録より、1秒でも速く走り、あわよくば、チームも区間も個人優勝もしたいと願う生徒たち。去年のベストタイムを更新できるか!

この日のために、みんな家の近所を黙々と走り、火曜、木曜の朝一で行われる6分走のタイムを上げている。うちの息子も近所のシカゴ・ベアーズの名クォーターバック、ウォルター・ペイトンがトレーニングしいたことで有名なペイトンズ・ヒルの急な坂を汗だくで駆け上がって、調整。他の友達も家の近所で距離を決めて、毎日走っていたという。みんな我が一番になろうと虎視眈々としていたろう。

ウォーミングアップは、なんだか和気藹々だった。息子たちのチームも気持ち良さそうに、ニコニコ笑顔でゆっくりウォーミングアップ。息子のクラスでクールな友達、カズキ君に聞くと、「かなり緊張している」と言う。同じく、ハジメ君も緊張気味。やはりそうなのか!

この中学部の駅伝大会は、男女がごちゃまぜで、個人の記録に基づいて、各チームに生徒たちをうまく配分していれているようだ。日本の中学に比べて、30人ちょっとと圧倒的に人数が少ない日本人学校中学部なので、男女が力を合わせて、力を補っていくしかない。各チームのメンバーで誰が先頭で誰がアンカーになるか、それぞれ話し合って作戦を練るという。

先頭ランナーは、息子の友達コウキ君がとばす。一緒に走る女子たちは、必死でついていく。私たち保護者は、スタートとゴールが一緒の駐車場で、待ちながら、写真撮影。

ランナーが見えてくる最後の一直線が、圧巻だ。歩道に沿って背の高い色づいた木々が整然と並び、最後の力をふりしぼって走る子供たちを見守る。子供たちが順に競い合いながら、ゴールへと向かう。「絵になりますねえ!」と校長先生と一緒に感心する。去年はもっと緑がおいしげっていた。今年は、黄色と赤の葉っぱがバックに美しく点在し、葉が落ちてしまった木もある。この駅伝大会が終わると、あっという間にシカゴの長い冬が訪れる。だから、みんな外で思い切り走れる快感を全身で味わい、英気を養うのだ。

さて、あっという間にアンカーの番。息子は、アンカーの1人。しかし、中3の速いメンバーたちがいる。息子は仲良しのカズキ君とも走る。アンカーの番がくる直前まで2人で談笑。去年も一緒に走り、競い合った。いつもツーカーの仲。勉強でもスポーツでもいつもお互い意識し合いながら、相手を知り尽くしている。

最後の方に駆け込んできたのは、中3の2人。この2人が速かった。いつも練習でトップを走る頑張りやのイダ君。そして、根性がすわったオチ君。他のチームとかなり差があったろうが、ぐんぐんとばし、最後のオチ君の走りはド迫力!みんなその走りに驚き、拍手喝采。

ふとみると、足にサポーターが・・・そういえば、駅伝大会の直前に肉離れを起こしたと息子から聞いていた。ウーン、すさまじい回復力と底力。オチ君のお母さんの話だと、いつも錘をまいて、トレーニングしていたという。努力は実を結ぶことを証明してくれた。というわけで、優勝はオチ君、準優勝はイダ君。この2人が去年の記録を更新した。

中学部部長のイイツカ先生が、閉会式で、昨日の朝日新聞で、水泳の北島選手が、「走ることが人生の基本」と言及したことを強調されていた。すべてのことにおいて、こつこつ足腰をきたえて走ることが、自分の人生の糧になるということだ。前の懇談会で、「毎日走ることを継続することが大事です。」と息子の担任の先生もおっしゃられていたのを思い出す。担任の先生は、とてもスリムで若々しいが、マラソンをライフワークとされていて、体をきたえて、この間のシカゴマラソンも完走された。一生懸命先生としての仕事も完璧にこなしながら、自分の世界も満喫されている姿勢が素晴らしい!そして、それを身をもって示されることで、「先生も頑張っている!」と生徒たちにもいい影響を与える。

息子が小学2年生のときの担任のヤノ先生もそうだった。さまざまなこちらのマラソン大会の年齢部門で優勝されていたほどのつわものだった。ヤノ先生の帰国がせまったときも、黙々とパラタインのダンディー沿いを走っている姿を車の中から目撃した。その凛とした姿が、衝撃的で忘れられない。今も毎日走られているだろうか。(ヤノ先生元気ですか?息子といまだに、ときどき先生のことを話しています。)

自己記録を更新した子は、さぞや気持ちがよかったに違いない。お疲れ様。息子は、いつもの調子がでず、残念ながら、入賞をのがしたが、去年の自己記録を大幅に上回ったという。1年間の努力は決して無駄にならない。息子よ、これを糧に日本でシカゴ魂を見せてくれ!私たちの心も熱くなった秋の最後の外での行事でした。




総力結集の全日校の文化祭その2

2008-10-15 | シカゴ日本人学校全日校
10月10日のシカゴ日本人学校全日校文化祭の午後は、全日校保護者が中心となって構成される「コール双葉」によるコーラスで始まった。いつものように全員が一体となった美しい歌声が大体育館に流れる。いつ見ても、聴いても、1人1人のお母さんたちは一生懸命だ。いつもは、誰々ちゃんのお母さんとして、ドライバーに徹し、家族のために働く。でも、コール双葉では、みんなお母さん自身が主役。だから、とても晴れ晴れとしたいい顔をしている。先生たちとのコーラスもうまくいった。今年もありがとう、コール双葉!

午後の最初の劇は小学4年生による「どろぼうがっこう」。おいのこ森のおかしなどろごう学校を描く。ちょっとボケていて、ドジで、失敗ばかりして、先生たちからしかられっぱなし。先生も生徒もみんなどろぼうに徹していて、かなりの熱演!最後は、どろぼうたちは、みんなつかまってしまい、その情けない顔もうまく演じていた。そのどろぼう学校が、今のシカゴ日本人学校となったというおち。4年生のスーパーな演技で、今日息子が、「みんなが日本人学校がどろぼう学校だったんだって言うんだよ!」と言うほどのインパクトを与えた。

次の小学6年生の劇「幸福のかぎ」は、小学部のほかの学年と打って変わって、シリアスな劇に徹する。人間にとって「幸福のかぎ」というものが本当に必要かどうか、みんなに思わず考えさせるような展開で、6年生1人1人が自分のことととらえたかのように、1つ1つのセリフを真剣に心を込めて演じていたような気がする。小学部のトリとなった劇だが、最後に6年生がしっかりと締めてくれた。

そして、文化祭プログラム最後の大トリ、中学部による劇「マイライフ」。毎年毎年、迫真の演技と凝った背景、大道具、効果音、照明などで、観客を感動の渦に巻き込む、中学部の劇。

今年のテーマは、中学3年生の「自分のこれからの生き方(人生)」。主人公ひろみがさまざなタイプの人間たちで構成するグループを見て、自分はどの生き方をしていくか悩む。ナレーターに答えるように、ひろみが1人舞台で演じる中、さまざなタイプの人間たちのグループは、後ろで静止している。茶髪型、猛勉型、3語型(携帯を持った女子高校生)行事型(行事にめちゃ燃えるタイプという意味)、ダンス型、オタク型、スポーツ型といまどきの若者のタイプもいろいろだ。1つ1つのグループの紹介が入り、それぞれの型を見せるのだが、(これが面白かった)終始一貫してみんなひろみを囲んで、人形のように静止した状態が続く。目玉さえ微動だにしない演技が、現代の無気力無感動な若者を象徴しているようで、すごかった。

ひろみは、はたして自分自身の生き方を見い出せるのだろうか。この劇は、中学部みんなが現在直面している問題でもある。とくに、これから受験して、日本に帰国する中3は、「この劇の中のロボットのような人間たちのようには、決してなるまい!」と思いながら、演技に徹していたことだろう。でも、みんなが舞台の上で、他のキャラに変身することの楽しさを味わっていたような気がする。ひろみ役のイイツカさん、ながいセリフを完璧に覚えての熱演、本当に御苦労様でした。ひろみが苦悩する姿がとても印象的でした。

最後の閉会式では、先生方の演奏に合わせて、みんなで「どんなときも」をペンライトを揺らしながら、大合唱。うれしいことに、校長先生もギター演奏に加わり、文化祭のスローガンのように、まさに総力結集の全日校の文化祭がこの歌で終了した。今年も素晴らしい文化祭をありがとうございました。全日校の文化祭の数々の思い出は、一生忘れません!

写真はまたじょじょにアップしますので、また見てください。

そうじ!そうじ!そして、またそうじ!~帰国への道その5

2008-10-14 | アメリカ生活雑感
先週は、送別ランチウイークであった。毎日、豪華なランチ、ランチ、ランチ。イタリアン、ブラジリアン、アメリカン、そして、フレンチ。ああ、おいしかったあ!満足じゃ!そして、週が変わり、今週は打って変わって、掃除ウイークに突入した。

1部屋ごとに徹底的に掃除をしておかねば!と思うのだが、なかなか思うようにいかない。とくにトイレとシャワールーム。普段忙しさにかまけて、さぼっていたから、シャワールームのカビがとれねえ!どうしよう!

うちの大家さんは、ハンズというとてもきれい好きな中国人。何でも直してしまうほどのハンディマンで、どんな職人より頼りになる。中国ではエリートで、アメリカに来て、ウエイターやベビーシッターなどをこなして、這い上がって、エンジニアとして成功し、アメリカンドリームを達成し、今はロング・グローブの豪邸に住む。ハンズにとって不可能という文字はない。「あんたにとって、唯一できないことは、妊娠することだ」と母親に言われたほど。「だから、君達もこの国にきたからには、アメリカンドリームを達成するのだ!」とこの家を借りた当初ハンズに言われた。「でも私たち駐在員なんだけど・・・」と言いづらくて、「そうね!がんばるわ!」とにっこり!

その完璧主義者のハンズの目に適うために、徹底的に掃除しないと!シャワールームを家にあるいろんな洗剤でこするが、ダメ!頑として、黒いカビがこびりついたまま。どうしよう!いつも優しいハンズのすごむ姿が想像される。そうだ、「Lysol」という洗剤を買ってこよう。この洗剤は、以前ハンズにすすめられて、トイレ用に使ったら、何もしなくてもトイレの汚れが、きれいさっぱりと魔法のように落ちた。なんて楽なの!と感動したものだ。

Lysolのバスルーム用を買ってきて試す。その洗剤のスプレーをかけ、しばらくおきこすると、少しづつとれてきた。なかなかとれない物も何回かやるうちにおちた!こすっておとしたのだが、こすらずにしばらくほっていて後から見ると、あーら不思議、きれいさっぱり、カビがまたしても魔法にかかったかのようにおちている。またしても感動する。もう、面白くなって、いろんなタイルに使ってみたら、ピカピカになった。なんだか、掃除も楽しくなってきた。やり始めると面白くて、夕飯の支度も忘れて、ずっとやっていたら、主人が「ごはんできたぞ」一日中働いていたので、主人が作ってくれたドレッシングあえおいしかったあ!

この調子でやれば、今週中にはなんとか水周りの掃除は終わるだろう。(3日も予定入っているけど)明日もがんばるぞ!次の課題は、キッチンだ。明日ハンズに手っ取り早い方法を教わろう。

掃除をしながら、疲れたら、気分転換に友達に渡す手紙を書いたり、お土産を買いに行ったり、荷造りをしたり、はたまた手続きをしたりと、あちこちやることをとばす私。まったく一貫性がない。このブログも気分転換でストレス解消。おっと、文化祭の続きを読みたかった方、すみません。投稿し忘れました。