TAKE IT EASY

~Don't think,feel.

#506.ありがとう

2024年01月23日 22時29分52秒 | 2024

緑茶 飲んでる

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LINEの文章にはフツー「。」をつけないと言う記事を読んで見返したら、ホント若いこはみんな、ついてないんだな。
こんばんわんだふる。

久しくblogから離れている間の変化の一つ。
約2年前に実父が76歳で亡くなりました。

70歳あたりから認知症が進行して、そんな中での多発性脳梗塞、人工透析...
晩年は、本人も家族も大変な日々を過ごしましたが、
そこで教えられたことは本当にかけがえなく、父が身をもって残してくれた最後の教えだなと感じます。

亡くなる前の数年は、自宅から透析に通うのが困難になってしまい、透析病院に併設されている施設に入所しました。
その頃、コロナ禍がやってきて、面会もままならず。
そうこうしているうちに、認知症の進行が加速してしまいました。

亡くなる半年ほど前、敗血症になり、生死を彷徨ってICUのお世話になってからは、
ほとんど意思の疎通もできず、寝たきりになってしまった父と会えるのも週に一度10分程度。

そんな中、奇跡的に一度だけ父が言葉を発した瞬間がありました。

わたしが聞いた父の最期の言葉。

blogに改めて書いておこうと思ってその頃のFacebookの記事を見返したら、
そのときの感覚で書き記してあったので、これが全てだなと思い、以下に残します。

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ありがとうを胸に。

昨日、父がベッドから転落したという報告を受け。
今日は心配で父の施設へ行ってきた。
そんな後だったので少しだけ面会させてもらえることに。
普段の面会にはいつも継母かダンナさんが一緒なので。
私がたった1人で面会するのは珍しい。
父が声を発しなくなったのは、入院するよりもずっと前なので、2ヶ月以上前か。コロナで面会もままならなかったので、おそらくもう半年以上、父の声を聞いていない。
今日は、父以外に話す相手もいないので、面会の間、とにかく父に話しかけ続けた。言葉を返してこない父にもいつしか慣れてしまっている。
それでも。
今日は目を開けていることが多くて、たまにウンウンと頷いた。それだけでも反応があるということは嬉しいモンだ。
しばらく話しかけると、突然、父がスーッと手をのばして私の顔をナデナデし始めた。
驚いた。
いろいろな管を抜いてしまわないように手にはミトンをかけられているのだけれど。
その手を必死に動かして私の顔をじっと見つめて触っていた。
そこまで手を動かせることにも驚いたし。ナデナデできるんだ。
この歳で、そして今の父の状態で、父から頬を撫でられるなんて。
想像もしていなくて、涙が出てしまった。
本来なら面会するはずではなかった今日。
父がベッドから転落したおかげ?で思いがけず2人きりの面会。
私は、私に触れる父に、何度も「ありがとう」と伝えた。
しばらくしたら。
父が。
たった一度だけ。
絞り出すような声で。
「ありがとう」
と言った。
その声は。
マスク越しだったし。
本当に絞り出されたような声ではあったけれど。
間違いなく。
「ありがとう」
と言った。
眉間にシワを寄せて。
目をシバシバさせている父は。
私には少し苦しそうにも見えたけれど。
泣いているようにも見えた。
今となっては。
父がたった5文字の言葉を発することが。
奇跡のようだった。
「ありがとう」
父は確かにそう言った。
こんなことが起こるんだね。
父が絞り出したこの声を。
この5文字を。
私は生涯忘れないと思う。
また明後日面会に来るねと。
施設を出て。
大雨の中。
傘をさして歩き出した。
なんだか涙が止まらなくなってしまい。
泣きながら歩いて帰ってきた。
いろいろ迷いながら。
ここまできた。
これで良かったのか。
他に良い方法があったのではないか。
ああしてたら。
こうしてたら。
いろいろ考え続けてきたけれど。
私のそういう性格や。
迷いや。
後悔を。
全部見透かしていたのかもしれないな。
父が絞り出したありがとうに。
私はとても救われた気がしている。
ありがとうはこちらの方なのに、ね。
いろんなことがあるけれど。
これから私は。
このありがとうを胸に。
胸を張って。
まっすぐに。
生きていこうと思う。

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この日のちょうど5ヶ月後、父は誰に看取られることもなく、あの世へ行ってしまいました。
その日の朝まで普通にお世話をしていただいて、そのわずか10分後、次に施設の方が部屋へ行った時にはもう呼吸が止まっていたとのこと。

あの日、すでに父が他界していると知らずに施設に駆けつけて最初に父と対面したのはわたし。
その後、家族の到着を待つ間、もう息をしていない父と部屋に二人っきりで。
そのときの記憶は、もうあまりない。

その後、父の亡骸を施設から運び出したとき、
空は雲ひとつない青空だった。

コロナ禍でずっと外出できなかった父が。
やっと外に出た時には
担架の上で白い布に包まれていて
見送りに来てくれたお医者さんと施設の方が
深々と一礼してくださった姿を見て。

ああ、死んじゃったんだな、と。

空を見上げた。

その空があまりに青くて。

その瞬間。
恐ろしいほど急に悲しくなって。
涙が止まらなくなったのを覚えている。


それでも。
コロナ禍だったこともや。
少し複雑な家族関係もあって。

いろいろな決断も。
父の状態の変化も。
介護の時期はかなりしんどくて。

継母はうつ病になってしまったし。
父の命も。
家族の精神状態も。
みんながギリギリだったのだと思う。

父が亡くなった後は。
悲しみはもちろんだけれど。

どこか。
父と家族と共に。
戦い抜いた後、のような。
そんな感覚があったのも覚えている。


わたしも。
いつか人生をしまうときには。
ありがとう
と。
言える人でありたいなと思う。