昨日、気仙沼が生まれ故郷の友人Oから
支援物資を送った本吉町の皆様からと、
あの東北大震災のときの写真集や写真と一緒に
たくさんのお手紙を預かりました。
皆さんの感謝の気持ちと、生活の様子や、当時の気持ち、
そして今の気持ちがわかるお手紙でした。
ある方のお手紙の一部を、ここに抜粋させていただきます。
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津波からもう2ヶ月が経ちました。
職場で仕事中でしたので、幸い命を落とすことなく
生きてこられたのは恵まれていました。
本当に、住んでいた家丸ごと、一瞬に失い、避難所の天井をあおぎながら
毛布に休む暮らしが始まりました。
「事あるが人生」とはよく言われる話しですが、
まさか自分が「避難民」になるなんて・・・・。
長年住み慣れた、あって当たり前の場所は
3月11日以前は、さほど特別な感情を伴うものではありませんでした。
けれど、失って初めて思い知らされました。
その家は、その場所は、私を育み守ってくれた、大切な特別な場所でした。
私を成り立たせてくれている無言の大切な要素でした。
今回の津波は、私のこれまでの人生の中で
最大のつらい経験ですが、その一方で、ただ辛いだけではない面もありました。
たくさんの学びがありました。
この星は我々のものではない。
地震も津波も生きている地球の、絶え間ない変化の一つ。地球の地理。
私たちは決して主人公ではない。
つらい経験をしたからこそやっと判りました。
6代も続いて小泉の地に暮らせたのはとても幸せなことでした。
とても恵まれたことでした。
今小泉では、高台への集団移転の話が持ち上がっています。
去りがたい小泉の地への想いが
再びを作って暮らしてゆこうという気運に高まっています。
人とはその地に生えた草なのですね。
がれきだけが積み重なる風景を見ていると、胸がつぶれますが、
いつかこのがれきを一掃して
青々とした田や花に囲まれた家が立ち並ぶ風景を取り戻したい。
そんなひそかな想いを胸に抱いています。
くじけずに、こんな強い気持ちを持ち続けてこれたのは
私たちに、差し伸べられたあたたかい手が、
素直な、力強い手があったから。
私も自分の暮らしを立て直すことができたら
他者に対してそんな行動が取れる人間を目指します。
本当にありがとうございました ~~
あのような大きな津波を何度も経験してきた東北の人
すべてを失ってもなお、彼らはまたそこで生活を立て直し
生きてこられました。
彼らの強さと謙虚さと、そして優しさを改めて実感させられるお手紙でした。