参照好きの私…今日も参照編…休日ブログにしては、重いし長いです。
(昔のレポート提出みたい!参考文献でページ数稼いだ!)
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婦人公論11/7日号
これは、見出しのうちの一つ「正しいお母さんを頑張りすぎないで」を読みたくて予約した。(こちらは育児ブログに書くつもり。)
この号に<特別企画>「家族が余命を宣告されたら」が載っている。
中川恵一氏(東京大学医学部附属病院放射線科准教授・緩和ケア診療部長)が執筆。構成、南山武志氏・撮影、中央公論新社写真部
{中川先生の略歴…東大医学部卒、85年東大医学部放射線科入局、がんの高精度放射線治療を専門とする、TV等を通じて緩和ケアの啓蒙活動にも力を入れる}以上、誌面より。
◎重要!!!
勝手に内容を省略しているので誤解のなきよう(私の個人的解釈に惑わされぬよう)お願いします。
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私が医師として働き始めた23年前は、本人に正確な病名や余命の告知を行うことは少なく、(中略)がん=死というイメージが強かったからでしょうか。しかし、私のまわりでは「積極的に告知しよう」という”運動”が展開されていたのです。
-----------------中川先生(以下、「先生」で表記)や他のお医者さんは、昔、告知して患者さんを辛い目に遭わせた(=ご自身も辛い目に遭われたと私は思う)ことがあるそうです。
その時、私が学んだのは「人の心にはつらさを受け入れられる許容量がある」ということ。一気にその限界をこえてしまうと、失望し動揺を極め、人によっては考えられないような行動をとることもある。(中略)患者さんは”生身の弱い人間”なのだということを、医療従事者は忘れてはならないと思っています。
-----------------現在の先生は厳しい現実を話される場合には、患者さんに「柔らかく時間をかけて」伝えるように心がけておられ、徐々に核心に迫り、一緒に病と向き合う決意を固めてもらうようにされているそうです。
真実を知ることに対する患者さん側の抵抗感が薄れ、医療技術も日々発達(中略)日本のがん医療は最善の状態なのかといえば、残念ながらまだその途上にある(中略)なかでも大きな問題のひとつとして、患者さんと医師・医療スタッフとの間に溝ができ、深まっているということが挙げられると思います。
今の告知では、患者さんのメリットのためというよりも、医師側が事実をきちんと伝えて置いたほうがいいと考えるために(中略)「万が一問題が起きたら、訴訟問題に発展するのではないか」という、医療関係者の、ある種のリスク回避意識が現場に蔓延しているからです。
一方、患者さんや家族の側は(中略)医師やスタッフに対して不信感でいっぱいという場合が、少なからずあるのではないでしょうか。相互に疑心暗鬼な状態。(中略)いまやがんは日本人の3分の1がかかるというメジャーな病気ですが、みなさん驚くほど知識が欠落しています。そのうえ、多くの間違った情報に踊らされ、思いこみに支配されている。(中略)
ちなみに医師が口にする余命は徐々に短くなる傾向にあります。「あと3年と見立てたのに半年しかもたなかったら、下手をすれば医療ミスを疑われる。保身のためと思われるかもしれませんが、そう対応せざるをえない現実もあります。(中略)
・小見出し…{誰にでも命の終わりはありますが、「その時」が見えているのであれば、できるだけ悔いのない終焉を迎えてほしい}
どんなにつらい真実であっても、それを受け止める力があるのであれば、積極的に余命告知を受ける意味は大いにあります。その力を養ってほしいというのが私の思いなのです。
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「そんな感じがする」が私の「今」の印象。
主治医は、いつも冷静に、気を使いながら、事実(現実)を少しずつ、しかも、事実としての希望を織り交ぜながら、話してくださるような…。
いまは、これ以上「どうしようもない」こと、の状態(私は同病者の中では重病ではないけれど、気分は、重病に陥りがち)。で、それは事実で、余計な希望はあえて出さない。「漢方も専門ではない」は主治医の一種の防御かも。(正直に、いい加減な処方はしないのかも。だって、同じ時間使って、処方箋1枚書けば、医療報酬の点数はもっと上がって病院経営にプラスになるはず。)
でも「傷は順調に治っています」と強調して「いい面もあるよ」と安心させてくれたのかもしれません。
中程の小見出しに「相互不信は損なだけ」と書かれています。
主治医の先生の言葉は、正直「ちょっと冷たい」と感じることもあります。もうちょっと、蜘蛛の糸をたらしてほしい気持ちのときも。
でも、それは、主治医から私への「ここまでは大丈夫」っていう、いい意味での見極めかも知れません。
余計な心配ばかりする、機関銃のように質問する私、ちょっとやりすぎたかも。
今日も反省。(今日だけかな?)
(昔のレポート提出みたい!参考文献でページ数稼いだ!)
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婦人公論11/7日号
これは、見出しのうちの一つ「正しいお母さんを頑張りすぎないで」を読みたくて予約した。(こちらは育児ブログに書くつもり。)
この号に<特別企画>「家族が余命を宣告されたら」が載っている。
中川恵一氏(東京大学医学部附属病院放射線科准教授・緩和ケア診療部長)が執筆。構成、南山武志氏・撮影、中央公論新社写真部
{中川先生の略歴…東大医学部卒、85年東大医学部放射線科入局、がんの高精度放射線治療を専門とする、TV等を通じて緩和ケアの啓蒙活動にも力を入れる}以上、誌面より。
◎重要!!!
勝手に内容を省略しているので誤解のなきよう(私の個人的解釈に惑わされぬよう)お願いします。
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私が医師として働き始めた23年前は、本人に正確な病名や余命の告知を行うことは少なく、(中略)がん=死というイメージが強かったからでしょうか。しかし、私のまわりでは「積極的に告知しよう」という”運動”が展開されていたのです。
-----------------中川先生(以下、「先生」で表記)や他のお医者さんは、昔、告知して患者さんを辛い目に遭わせた(=ご自身も辛い目に遭われたと私は思う)ことがあるそうです。
その時、私が学んだのは「人の心にはつらさを受け入れられる許容量がある」ということ。一気にその限界をこえてしまうと、失望し動揺を極め、人によっては考えられないような行動をとることもある。(中略)患者さんは”生身の弱い人間”なのだということを、医療従事者は忘れてはならないと思っています。
-----------------現在の先生は厳しい現実を話される場合には、患者さんに「柔らかく時間をかけて」伝えるように心がけておられ、徐々に核心に迫り、一緒に病と向き合う決意を固めてもらうようにされているそうです。
真実を知ることに対する患者さん側の抵抗感が薄れ、医療技術も日々発達(中略)日本のがん医療は最善の状態なのかといえば、残念ながらまだその途上にある(中略)なかでも大きな問題のひとつとして、患者さんと医師・医療スタッフとの間に溝ができ、深まっているということが挙げられると思います。
今の告知では、患者さんのメリットのためというよりも、医師側が事実をきちんと伝えて置いたほうがいいと考えるために(中略)「万が一問題が起きたら、訴訟問題に発展するのではないか」という、医療関係者の、ある種のリスク回避意識が現場に蔓延しているからです。
一方、患者さんや家族の側は(中略)医師やスタッフに対して不信感でいっぱいという場合が、少なからずあるのではないでしょうか。相互に疑心暗鬼な状態。(中略)いまやがんは日本人の3分の1がかかるというメジャーな病気ですが、みなさん驚くほど知識が欠落しています。そのうえ、多くの間違った情報に踊らされ、思いこみに支配されている。(中略)
ちなみに医師が口にする余命は徐々に短くなる傾向にあります。「あと3年と見立てたのに半年しかもたなかったら、下手をすれば医療ミスを疑われる。保身のためと思われるかもしれませんが、そう対応せざるをえない現実もあります。(中略)
・小見出し…{誰にでも命の終わりはありますが、「その時」が見えているのであれば、できるだけ悔いのない終焉を迎えてほしい}
どんなにつらい真実であっても、それを受け止める力があるのであれば、積極的に余命告知を受ける意味は大いにあります。その力を養ってほしいというのが私の思いなのです。
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「そんな感じがする」が私の「今」の印象。
主治医は、いつも冷静に、気を使いながら、事実(現実)を少しずつ、しかも、事実としての希望を織り交ぜながら、話してくださるような…。
いまは、これ以上「どうしようもない」こと、の状態(私は同病者の中では重病ではないけれど、気分は、重病に陥りがち)。で、それは事実で、余計な希望はあえて出さない。「漢方も専門ではない」は主治医の一種の防御かも。(正直に、いい加減な処方はしないのかも。だって、同じ時間使って、処方箋1枚書けば、医療報酬の点数はもっと上がって病院経営にプラスになるはず。)
でも「傷は順調に治っています」と強調して「いい面もあるよ」と安心させてくれたのかもしれません。
中程の小見出しに「相互不信は損なだけ」と書かれています。
主治医の先生の言葉は、正直「ちょっと冷たい」と感じることもあります。もうちょっと、蜘蛛の糸をたらしてほしい気持ちのときも。
でも、それは、主治医から私への「ここまでは大丈夫」っていう、いい意味での見極めかも知れません。
余計な心配ばかりする、機関銃のように質問する私、ちょっとやりすぎたかも。
今日も反省。(今日だけかな?)