kumaの「それなりにやってみようかな…」

子宮体癌経過観察中です。

告知(手術前)の補記

2008-04-02 | 告知
昨日、長々と書いたが、(読んで下さった方、お付き合い有難うございます)
心理的な面での書き残しがある。

それは「手術する」=「切除してしまう」ことに対する考慮期間が短い事。

当然、早く切るに越したことはない。
素人の患者に、手術法など判るわけはない。


”そんなこと、百も承知だ。”

だが、他の臓器と違い「女性であること」をある種、象徴している。
「命と引き替えに40代の経産婦が、何を今更青臭い!子供じゃあるまいし」
「どうせもう10年もしたら、あっても無くても機能しなくなるでしょ」



お医者様に色んな意識の人がいる。
友人は、同病ではないが、体の不調で婦人科開業医に罹っていた。

「どうせ、あと少しで生理もなくなるんだから…」

慰めなのか、医学的正論なのかは判らない、
が、男性医師に、それを言われると女性のことが判っているのか?と思う。
友人は、サッサと婦人科を変えた。


「病気です、切りましょう」と言われて、
「はいそうですか?じゃあ直ぐにリンパ節まで切ってください」って言える方は居るのだろうか?


4月2日(「死に」の日と勝手に命名)に言われて、
「4月は、もう手術予定は、いっぱいなので5月のいつにしましょう?」って。
機械的過ぎじゃないのかなあ…。





告知(手術前)

2008-04-02 | 告知
2008年4月2日

晴れていたかは、忘れたけれど、雨ではなかった、と思う。
心の中は、病院の帰りは、「霧」だったのではないかと思う。

そう、予告のない(予想もない)「告知」ってきっと、こんなものではないのかな…。
「思う」だらけで、確実に覚えていることは「癌です」って言われたことだけ。

昨日までの年度末の書類の山から、解放されて、
「あ~休みはうれしい!」とそんなことを道すがら考えて、病院に行った。(筈)



いつもと変わらず、受付機にカードを通し、機械から紙を受け取り、3Fへと何も変わらない手順。
そして、「○○さん」と呼ばれ、診察室へ。
いつもの担当のA医師と、もうひとり、若そうな男の人。


A医師 「今日は、私の助手が、1人居まして、エッヘッヘ」
   といつもと変わらない、明るい感じで、誰だか判らない方を紹介して下さった。

私  「はい。(4月に入ったから、学生さんか研修医さんかな?)」


{このそばに居た方、申し訳ないけれど本当に顔も何にも印象がない。
人生の大事な場面にいた人が「誰だか判らない人」だった事に、後悔している。
誰だったか聞いておくべきだった。}


A医師 「実は、この前の結果が1週間前から出ていて、お待ちしてたんですよ」

私  「(?。なんで、待ってたの?)はあ…」

A医師 「アデノカルチノーマなんですよ」

私  「……」先生の見ていたカルテを、無礼にも覗き込んだ。


{天変地異というのは、こんな時に使う言葉なのかも知れない。}


A医師 「これです。」
   といって、ドイツ語で書いてあるカルテをよく見せて下さった。
   「アデノカルチノーマ、ステージI、GI」です。

私  「(何の事?全く判らない)……」
   だって、
    先生、この前も、「掻爬延期してもいいですよ」って、
    先生、その前も、「大したこと無いと思いますけど、すっきりしておいた方がいいでしょう?」って。
   あれは、「嘘?」「演技?」「一体何?」

A医師 「なるべく早く手術した方がいいと思います」
私  「(この前までと全然、方針が変わってるよ!!!)……」
   「膣の方から子宮だけ取れませんか?先生、その方式の手術で有名でしょう?」

   {と、何だか、泣けるどころか、開腹手術回避に懸命になる私。
   実は、図書館で「ガイドライン」や「子宮」の本を借りてきて、研究していた。}

   「ホルモン剤は?卵巣は残せるんでしょう?」

A医師 「ダメですね。開腹手術でないと。子宮体部と卵巣は相性がいいので転移しやすい場所だから残せません」
   「開腹手術は、教授の担当ですので、これから教授にお話ししていただきます」
私  「卵巣1つでも残せないのですか。せめて子供の夏休み迄、待てませんか?掻爬だってしていなければ、仕事している間に夏休みになっていたでしょう?」
A医師 「そんな危ないことは出来ません。ご主人にも説明しないといけないので、いつ空いておられます?」



{教授を待つ間に、夫に空いてる日は?とメールを打った。}
{教授とA医師の二人を前にして、また同じ事を言う私。ホント、医師にしたら「始末の悪いバカ女」だろう}


K教授 「開腹手術になります。準広汎摘出で子宮、卵巣、卵管、リンパ節切除になります。」
私  「(しつこく)ホルモン剤は?」
K教授 「子宮を残せる状況があります。ホルモン剤は治療効果が不確実です。」
   「残せる方は、若い方で子供を望まれる方です。」
私  「(また)子供の夏休みまで待っていただけませんか?」
K教授 「(ちょっと鼻で嗤った気がする)…ステージングのため、CTとMRIを撮って下さい。ご主人にはそれからお話しします。」
私  「入院期間はどれくらい?」
K教授 「最低2週間です。」
A医師 「(だめ押し)上手くいってですよ!」
私  「リンパも取ったら、浮腫が…保険もきかないし。」
K教授 「保険がきくようになりました。浮腫外来も設置する方針です。」



涙を流して「先生、助けて下さい!」と頼む患者さんも、おられるだろうに、
延々と「往生際の悪い、聞きかじり知識で防戦する」はた迷惑な患者だった。
だって、掻爬してから調子はいいし、自分がなるなんて…。


※でも、今でも(切除後)思う。
キョン×2と同じ年齢の私。彼女がテレビに写る度、{先生は小泉今日子が相手だったら、同じ事を言っただろうか?}
年齢で差別されるのは、正直辛い。{もうお払い箱って事でしょ?}
「これから子供を産む、といえば残してくれますか?」といったが……。

先生方はいくつも「告知」してきたのだろう。
その度、何か考えるのだろうか?
「命」と引き替えなら、何でも切ってしまうのだろうか?


私には、TH大の1回の病理診断だけで、切ってしまう勇気がなかった。
失礼極まりないが、誰がどう診断したか判らない。せめて病理のセカンドオピニオンが欲しい。
と、切に思った。




  

内膜掻爬から告知まで

2008-03-31 | 告知
2008年3月21日掻爬

2008年4月2日「告知」

この間は、といえば、金融機関で仕事をしていたため、
年度末に向けて、毎日、仕事量は増え、早出or残業の日々

正社員の他にパートが20名ほど、その20名ほどのうちの1人。
21日は、「PTA」出席で有給を頂き、後は何食わぬ顔で仕事。
仕事上の先生だった先輩パートさん1名にだけ、事情は話してあったが、
他の方には、打ち明けず…。

だってねえ。仕事に行くからには、人に心配かけられないし。
年度末で、猫の手を借りたいくらいなのに。


正直、2月以降、下腹部痛は、午後から、頻繁になっていて、
腸だか、子宮だか判らないため、ブスコパンもセデスものみ、
おまけにワイパックスも服用。

席に座ってるする仕事が主なのだけれど、
何だか、微妙に痛くなってきて、血の気が引き「このまま痛くなり立てなかったら、どうしよう?」と思う日が多くなり、
やたら、席でも、薬をがぶ飲みして、「次は肝臓をやられそう;」という状態だった。



掻爬後は、心配したほどの弊害はなく、「人為的な生理」だったのかな?と思える範囲。
(※個人的感想ですので、痛い方や出血の多い方もあるようです。誤解・油断のないようお願い致します。)


でも、「人為的な生理」が起こったのに、普通の生理もちゃんと来た。
若干、早めだったけれど…。
病院の先生は、私が質問しなかったせいか、常識なのか、一言も説明はなかった。

それも、長年の古い皮?がなくなったせいか、とっても新鮮な感じでドロドロした物も出ず、「何だかとっても健康?」って思える、皮肉な感じ。

で、年度末の仕事に目途がつく筈の4月2日は、休みを入れておき、術後受診日として予約。