うちは転勤族なので、お医者さんには「新患」としていくことが多いです。
耳鼻科や歯科は傷跡が見えないから普通に行けるのですが、
内科系は「問診票」+「傷跡」でバレバレです
「問診票」を見た後の診察室の空気が一変するのが苦手です。
だから余計にお医者さんに行きづらい
耳鼻科や歯科は傷跡が見えないから普通に行けるのですが、
内科系は「問診票」+「傷跡」でバレバレです
「問診票」を見た後の診察室の空気が一変するのが苦手です。
だから余計にお医者さんに行きづらい
今年の夏は暑い!と毎年夏が来るたびに思います
話は変わって「がんスー○ーリンク」だったかのサイト参加の最初の質問に
自分ががんに罹患したのは「食べ物かストレスかどちらだ思うか?」というのが何年か前にはあったような…
サイトに参加するつもりがなかったため記憶が不鮮明です。
私の持病みたいな、何年もおつきあいしているのが「腹痛」
4月に風邪をひいたとき以来、おなか順調だと思っていたら、
夏の暑さと共にやってきたぁ
どうやら、暑い=ストレス負荷→腹痛の図式らしい。
もちろんガンの時も腹痛はあり。
これは子宮体がんの症状の一つに「腹痛」があるから、きっとそれだと思うんですが、
でも、もともと「腹痛持ち」の私は、
産婦人科で異常なしと言われ、消化器科で過敏性大腸の話を出したら、先生にそれそれ!とすぐさま診断され、
整腸剤、ブスコパン、鎮痛剤の3種類を飲んで仕事してました(なんて怖い)
今回も暑さがストレスと思わずにまた整腸剤とブスコパンのセットで過ごしてました
でも、もしかしてストレスから来てるのかも?と気が付いて
(子宮はもうないし定期検診も悪い結果は出ていない)
ワイパックスを服用してみたらマシになりました。
なんかね…
・放置して治るちょっとした不調の症状
・放置なんてとんでもない病気の初期症状
のどっちかな?って悩みます。
で、それがますます「気づかないストレス」を増幅してるような。
前までなら「気のせい」「すぐ治る」「何でもない」と思えたことが
病院に行くことなのか?って悩んでストレスの悪循環を生んでるようです
だいたい「お腹痛い」って一言も言わないようにして
自分のなかで「早く治って!」と願って辛抱してるから余計なんだろうなあ
話は変わって「がんスー○ーリンク」だったかのサイト参加の最初の質問に
自分ががんに罹患したのは「食べ物かストレスかどちらだ思うか?」というのが何年か前にはあったような…
サイトに参加するつもりがなかったため記憶が不鮮明です。
私の持病みたいな、何年もおつきあいしているのが「腹痛」
4月に風邪をひいたとき以来、おなか順調だと思っていたら、
夏の暑さと共にやってきたぁ
どうやら、暑い=ストレス負荷→腹痛の図式らしい。
もちろんガンの時も腹痛はあり。
これは子宮体がんの症状の一つに「腹痛」があるから、きっとそれだと思うんですが、
でも、もともと「腹痛持ち」の私は、
産婦人科で異常なしと言われ、消化器科で過敏性大腸の話を出したら、先生にそれそれ!とすぐさま診断され、
整腸剤、ブスコパン、鎮痛剤の3種類を飲んで仕事してました(なんて怖い)
今回も暑さがストレスと思わずにまた整腸剤とブスコパンのセットで過ごしてました
でも、もしかしてストレスから来てるのかも?と気が付いて
(子宮はもうないし定期検診も悪い結果は出ていない)
ワイパックスを服用してみたらマシになりました。
なんかね…
・放置して治るちょっとした不調の症状
・放置なんてとんでもない病気の初期症状
のどっちかな?って悩みます。
で、それがますます「気づかないストレス」を増幅してるような。
前までなら「気のせい」「すぐ治る」「何でもない」と思えたことが
病院に行くことなのか?って悩んでストレスの悪循環を生んでるようです
だいたい「お腹痛い」って一言も言わないようにして
自分のなかで「早く治って!」と願って辛抱してるから余計なんだろうなあ
病気に罹る(風邪でも胃炎でも傷でも何でも)
↓
早く治らないかなあ
昔はもっと早く治った気がするのに
歳を重ねる
↓
何か疲れが取れないな
と思うことが増えてくる。
まあガンに関しても、
「取ってしまってないもの(内臓+機能)はない!」
「人とは比べても仕方がない」
と思っていても、人様のおうちの芝生が青く見えるように、
「どうしてあの人はいきいきしてるんだろう」と羨ましく見えることばかり。
そんな私に(どこかの同じ思いの方にも)お薦め本
加藤諦三著「50歳から心を休ませる本」
体力や若さ、なくなるものを求めるからしんどくなる。
若さに執着することで、本来その年齢で味わえるはずのせっかくの喜びを捨ててしまう。
自分の力以上のことをしようとしている。だから明日が不安なのである。
↑
私が勤める施設には100歳超のご老人がおられる、そんな時代に
「50歳」が若いのか、老年寄りなのかの位置づけは非常に微妙だけれど
気持ちのどこかに「開き直り」的な部分を常備して
真面目に努力する自分の逃げ場を作っておくのもいいのかも。
「以前みたいに出来ない自分」に焦りとストレスを感じるのはやめた方がいいみたい。
時々会う、私より少し年下のガンとは縁のないママ友との会話は
「この頃体調はどう?」
「うーん、まあまあかな…」
「低気圧と季節の変わり目は最悪よね」
そして、
「前みたいには、できなくなったよね」です
蛇足
今日テレビで綾小路きみまろ氏が
ほくろはブローチ、しわはネックレスとか言われてました。
そこまでは開き直れません
↓
早く治らないかなあ
昔はもっと早く治った気がするのに
歳を重ねる
↓
何か疲れが取れないな
と思うことが増えてくる。
まあガンに関しても、
「取ってしまってないもの(内臓+機能)はない!」
「人とは比べても仕方がない」
と思っていても、人様のおうちの芝生が青く見えるように、
「どうしてあの人はいきいきしてるんだろう」と羨ましく見えることばかり。
そんな私に(どこかの同じ思いの方にも)お薦め本
加藤諦三著「50歳から心を休ませる本」
体力や若さ、なくなるものを求めるからしんどくなる。
若さに執着することで、本来その年齢で味わえるはずのせっかくの喜びを捨ててしまう。
自分の力以上のことをしようとしている。だから明日が不安なのである。
↑
私が勤める施設には100歳超のご老人がおられる、そんな時代に
「50歳」が若いのか、老年寄りなのかの位置づけは非常に微妙だけれど
気持ちのどこかに「開き直り」的な部分を常備して
真面目に努力する自分の逃げ場を作っておくのもいいのかも。
「以前みたいに出来ない自分」に焦りとストレスを感じるのはやめた方がいいみたい。
時々会う、私より少し年下のガンとは縁のないママ友との会話は
「この頃体調はどう?」
「うーん、まあまあかな…」
「低気圧と季節の変わり目は最悪よね」
そして、
「前みたいには、できなくなったよね」です
蛇足
今日テレビで綾小路きみまろ氏が
ほくろはブローチ、しわはネックレスとか言われてました。
そこまでは開き直れません
お久しぶりです。
といっても、誰もこれを見てないかもしれませんが…
ようやく、全摘から5年を無事経過しました
ガン宣告当時や全摘後は、自分の将来が不透明で、
「どうして?」「どうなる?」等、
頭の中は????のオンパレードでした。
判らないことだらけで、ネットや本、あらゆる情報で将来を模索している毎日でした。
そこで始めたブログでしたが、書いてると「がん」の二文字に縛られているようで自然と足が遠のき、自然のなりゆきにまかせて生活していました。
手術後に気になった症状、
・卵巣摘出に伴うホルモン備蓄激減→更年期障害のような各種の症状には、いろいろ悩まされましたが、今は実年齢に伴う更年期障害?みたいな感じになっています。
・手術瘢痕が盛り上がってファスナーのあるパンツや、ファスナーがなくてもパンツで、ある程度の時間歩き続けたら、傷に擦れて痛くなる。
腰痛のサポーターで締めたらもちろん痛い。
夏場はケロイドが痒くなる。
↑こんな症状は、些細なことと何年かは我慢していましたが、1年半くらい前に主治医の先生が形成外科を紹介して下さり、手術で取ってケロイドも無事なくなりました。
私は2aだったのですが、脈管侵襲がなく、主治医の先生の判断で、放射線治療や抗がん剤の治療は一切していません。
最初の病院では、最初から、術中迅速病理診断はせず、全摘+リンパ郭清すると言われたため、
別の病院に行ったのですが、結果的には良かったと思っています。
転勤や主治医の異動で最初の病院とは、全く違う地域の病院に行っているのですが、
「5年生存率」はどこでカウントされるのかな?というのが今の素朴な疑問です。
手術する前は「5年生存率」の数値が高いと助かる率が高い気がしていたのですが…
どこにもカウントしてもらえないのかな
とりあえず、5年生存の雑感を書いてみました
といっても、誰もこれを見てないかもしれませんが…
ようやく、全摘から5年を無事経過しました
ガン宣告当時や全摘後は、自分の将来が不透明で、
「どうして?」「どうなる?」等、
頭の中は????のオンパレードでした。
判らないことだらけで、ネットや本、あらゆる情報で将来を模索している毎日でした。
そこで始めたブログでしたが、書いてると「がん」の二文字に縛られているようで自然と足が遠のき、自然のなりゆきにまかせて生活していました。
手術後に気になった症状、
・卵巣摘出に伴うホルモン備蓄激減→更年期障害のような各種の症状には、いろいろ悩まされましたが、今は実年齢に伴う更年期障害?みたいな感じになっています。
・手術瘢痕が盛り上がってファスナーのあるパンツや、ファスナーがなくてもパンツで、ある程度の時間歩き続けたら、傷に擦れて痛くなる。
腰痛のサポーターで締めたらもちろん痛い。
夏場はケロイドが痒くなる。
↑こんな症状は、些細なことと何年かは我慢していましたが、1年半くらい前に主治医の先生が形成外科を紹介して下さり、手術で取ってケロイドも無事なくなりました。
私は2aだったのですが、脈管侵襲がなく、主治医の先生の判断で、放射線治療や抗がん剤の治療は一切していません。
最初の病院では、最初から、術中迅速病理診断はせず、全摘+リンパ郭清すると言われたため、
別の病院に行ったのですが、結果的には良かったと思っています。
転勤や主治医の異動で最初の病院とは、全く違う地域の病院に行っているのですが、
「5年生存率」はどこでカウントされるのかな?というのが今の素朴な疑問です。
手術する前は「5年生存率」の数値が高いと助かる率が高い気がしていたのですが…
どこにもカウントしてもらえないのかな
とりあえず、5年生存の雑感を書いてみました
「読売新聞・医療ルネサンス」
がん患者が支える(1)
『本音 語り合える「がん患者サロン」』
病院の待合室で患者同士で話していると、再発の不安や医療への疑問が口をついて出る。膀胱と腎臓のひとつをがんで摘出した島根県益田市の納賀良一さん(73)は、そんな経験から「がん患者が語り合う場があれば」と思い立った。
「がん患者サロン」と名付けて、地元の新聞で呼びかけると、20人ほどが集まった。
参加した患者は順に再発や転移の不安を訴えた。
その中で、暗い顔をした50歳代の男性は、「白血病でいつ死ぬかわからない。骨髄移植のドナーも見つからない」と言って泣き出した。たまっていた思いをはき出したためか、この男性は会の終わりに、すっきりした表情で「みんなでがんばりましょう」と口にした。
「患者同士話をするだけで、こんなに明るく気持ちが切り替わるのか」と納賀さんは驚き、サロンの意義を確信した。
2005年に月1回で始めたサロンは、翌年には、市の福祉センターから益田赤十字病院に場所を移し、「ほっとサロン益田」として、毎週開かれるようになった。
このころから、島根県内各地でがん患者による新しい患者支援の場として、「がん患者サロン」が続々と誕生し、現在は25か所になった。開催頻度は週1回から月1、2回などさまざまだ。
出雲市の島根大病院など二つのサロンにかかわる小林貴美子さん(61)は、卵巣、大腸、乳がんを乗り越えた。
「がん患者の心境はがん患者にならないとわかりません。家族がいても、孤立感を感じることがありますが、サロンには同じ病気を抱える仲間がいます。ほっとできます」という。話し合うことで、情報も得られる。
サロンが広がる中で、運営上のルールも自然に整ってきた。名前や病状は必ずしも尋ねないし、自分を語っても、人の話を聞くだけでもかまわない。
益田のサロンに通う佐々木孝子さん(59)は膀胱がんの夫を一昨年亡くした。
「家では当たり障りのないことしか言わないのに、サロンでは『がんはしかたがないが、一家の大黒柱が家族を支えられないのがつらい』なんて本音が出るので、夫の気持ちが知りたくて一緒に参加していました」と言う。今も、遺族の思いを語るために、サロンにやってくる。
島根県では、06年に全国で初めて「がん対策推進条例」ができ、行政や医療機関が患者の動きを後押しする。こうした、「島根モデル」の患者サロンは全国に広がり始めている。
(2010年9月9日 読売新聞)
---------------------
「読売新聞・情報プラス」
【がん患者支援活動の助成団体募集】
「正力厚生会」(理事長・辻哲夫)は、がん患者団体などによる患者支援の助成事業を募集している。患者サロンのスタッフの講習、公開講座やシンポジウムの開催、インターネットによる情報発信などの企画運営が対象。上限は50万円。申し込み締め切りは来月29日。 詳細はこちら。 問い合わせは、読売新聞東京本社内「正力厚生会事務局」 (電)03・3216・7122
【ほっとサロン益田の写真に出ていただいたみなさん】
ご主人を膀胱がんで亡くした佐々木孝子さん(59)(左端)は、「亡くなった後も、自分が知らなかった夫の姿を聞くことができる」と話す。「お子さんたちの方向を定めて立派に逝かれた。頭が下がりました」と主宰者の納賀良一さんは振り返る。納賀さんは、自分のがんは乗り越えてきたが、その後で、妻を肺がんで失う辛い経験をした。
胆管がんで治療を受けた又賀千代子さん(73)(中央)は、「今日という日があるのが不思議。1日1日を大事に生きていかんと、と感じますよ」としみじみ語る。ボーリングを楽しむ。2年前に、夫婦でがんが見つかり、一緒に入院していた時期もあった。夫は膵臓がんで逝った。
肺がんで手術を受けた土井ユイ子さん(71)(右端)は「ここで話をしているとほっとしますよ」と語る。サロンにもよく通い、バイクを運転して出歩いているという。
【がん患者サロンさまざま】
がんサロンは、世話役のキャラクターなどによって、それぞれに個性がある。記事の小林貴美子さんが主宰する雲南市の「陽だまり」は、「気軽におしゃべりして、ほっとできればいいと思ってやっています」という。一方、「ほっとサロン益田」は、月1度は病院の待合室を使って、「リハビリ医療」「がんのチーム医療」などのテーマで医師らから話を聞く勉強会を開いている。「患者も医療の知識を身につけた方がいい」という主宰者の納賀良一さんの考えからだ。複数のサロンを回る患者もいて、個性の異なるサロンがあることも、島根のサロンの強みと言えそうだ。
病院の待合室には、「ほっとサロン益田」の資料コーナーがある。
益田赤十字病院の待合室で開かれるサロンの勉強会
【島根県のがん対策】
県のホームページhttp://www.shimane-gan.jp/index.htmlはていねいに作られ、がんサロンのコーナーもある。
---------------------
このような会が全国的に拡がれば、患者の心理的負担が軽くなるのに、
といつも思うのですが、「最初の一歩」がなかなか踏み出せません。
子供が大きくなって、自分に余裕ができたら、
ぜひ、やってみたいです。(希望…)
がん患者が支える(1)
『本音 語り合える「がん患者サロン」』
病院の待合室で患者同士で話していると、再発の不安や医療への疑問が口をついて出る。膀胱と腎臓のひとつをがんで摘出した島根県益田市の納賀良一さん(73)は、そんな経験から「がん患者が語り合う場があれば」と思い立った。
「がん患者サロン」と名付けて、地元の新聞で呼びかけると、20人ほどが集まった。
参加した患者は順に再発や転移の不安を訴えた。
その中で、暗い顔をした50歳代の男性は、「白血病でいつ死ぬかわからない。骨髄移植のドナーも見つからない」と言って泣き出した。たまっていた思いをはき出したためか、この男性は会の終わりに、すっきりした表情で「みんなでがんばりましょう」と口にした。
「患者同士話をするだけで、こんなに明るく気持ちが切り替わるのか」と納賀さんは驚き、サロンの意義を確信した。
2005年に月1回で始めたサロンは、翌年には、市の福祉センターから益田赤十字病院に場所を移し、「ほっとサロン益田」として、毎週開かれるようになった。
このころから、島根県内各地でがん患者による新しい患者支援の場として、「がん患者サロン」が続々と誕生し、現在は25か所になった。開催頻度は週1回から月1、2回などさまざまだ。
出雲市の島根大病院など二つのサロンにかかわる小林貴美子さん(61)は、卵巣、大腸、乳がんを乗り越えた。
「がん患者の心境はがん患者にならないとわかりません。家族がいても、孤立感を感じることがありますが、サロンには同じ病気を抱える仲間がいます。ほっとできます」という。話し合うことで、情報も得られる。
サロンが広がる中で、運営上のルールも自然に整ってきた。名前や病状は必ずしも尋ねないし、自分を語っても、人の話を聞くだけでもかまわない。
益田のサロンに通う佐々木孝子さん(59)は膀胱がんの夫を一昨年亡くした。
「家では当たり障りのないことしか言わないのに、サロンでは『がんはしかたがないが、一家の大黒柱が家族を支えられないのがつらい』なんて本音が出るので、夫の気持ちが知りたくて一緒に参加していました」と言う。今も、遺族の思いを語るために、サロンにやってくる。
島根県では、06年に全国で初めて「がん対策推進条例」ができ、行政や医療機関が患者の動きを後押しする。こうした、「島根モデル」の患者サロンは全国に広がり始めている。
(2010年9月9日 読売新聞)
---------------------
「読売新聞・情報プラス」
【がん患者支援活動の助成団体募集】
「正力厚生会」(理事長・辻哲夫)は、がん患者団体などによる患者支援の助成事業を募集している。患者サロンのスタッフの講習、公開講座やシンポジウムの開催、インターネットによる情報発信などの企画運営が対象。上限は50万円。申し込み締め切りは来月29日。 詳細はこちら。 問い合わせは、読売新聞東京本社内「正力厚生会事務局」 (電)03・3216・7122
【ほっとサロン益田の写真に出ていただいたみなさん】
ご主人を膀胱がんで亡くした佐々木孝子さん(59)(左端)は、「亡くなった後も、自分が知らなかった夫の姿を聞くことができる」と話す。「お子さんたちの方向を定めて立派に逝かれた。頭が下がりました」と主宰者の納賀良一さんは振り返る。納賀さんは、自分のがんは乗り越えてきたが、その後で、妻を肺がんで失う辛い経験をした。
胆管がんで治療を受けた又賀千代子さん(73)(中央)は、「今日という日があるのが不思議。1日1日を大事に生きていかんと、と感じますよ」としみじみ語る。ボーリングを楽しむ。2年前に、夫婦でがんが見つかり、一緒に入院していた時期もあった。夫は膵臓がんで逝った。
肺がんで手術を受けた土井ユイ子さん(71)(右端)は「ここで話をしているとほっとしますよ」と語る。サロンにもよく通い、バイクを運転して出歩いているという。
【がん患者サロンさまざま】
がんサロンは、世話役のキャラクターなどによって、それぞれに個性がある。記事の小林貴美子さんが主宰する雲南市の「陽だまり」は、「気軽におしゃべりして、ほっとできればいいと思ってやっています」という。一方、「ほっとサロン益田」は、月1度は病院の待合室を使って、「リハビリ医療」「がんのチーム医療」などのテーマで医師らから話を聞く勉強会を開いている。「患者も医療の知識を身につけた方がいい」という主宰者の納賀良一さんの考えからだ。複数のサロンを回る患者もいて、個性の異なるサロンがあることも、島根のサロンの強みと言えそうだ。
病院の待合室には、「ほっとサロン益田」の資料コーナーがある。
益田赤十字病院の待合室で開かれるサロンの勉強会
【島根県のがん対策】
県のホームページhttp://www.shimane-gan.jp/index.htmlはていねいに作られ、がんサロンのコーナーもある。
---------------------
このような会が全国的に拡がれば、患者の心理的負担が軽くなるのに、
といつも思うのですが、「最初の一歩」がなかなか踏み出せません。
子供が大きくなって、自分に余裕ができたら、
ぜひ、やってみたいです。(希望…)
「読売新聞・医の値段」
☆Q 時間外診察料の仕組みは?
夜、ひどい腹痛に襲われたので病院を受診したところ、思いのほか高い金額を支払いました。時間外の診察料の仕組みを教えてください。
☆A 時間帯、年齢により違う
「時間外」とひと口に言っても、時間帯や年齢などによって金額が変わります。表をご覧下さい。
たとえば、大人が夜10時半に、初めて受診する病院で治療を受けたとします。
その場合の「初診料」は、日中なら810円(3割の自己負担額)で済むところが、夜10時以降は「深夜」にあたるので、2250円と高くなってしまいます。
もしこれが2回目以降の受診なら「再診料」になり、日中は207円ですが、深夜なら1467円になります。
さらに、診療時間外に処置や手術を受けた場合、処置や手術料が4~8割増しになり、そのための検査や画像診断料も割高になります。
近年では、緊急性はないのに、長時間待たされる日中を避けて夜間に受診する患者もいるようですが、時間外の受診は患者の金銭的負担が増えることは知っておいた方がいいでしょう。
一方、6歳未満の場合、初診料、再診料ともに6歳以上より高くなります。しかし、自治体が実施する乳幼児(地域によっては小中学生も対象)の医療費助成により、時間を問わず親の自己負担は大幅に減ります。
子を持つ親にとってはありがたい制度ですが、不急の場合は日中の受診を心がけたいものです。(弥)
(2010年9月9日 読売新聞)
---------------------
7年位前に、街の婦人科から高度医療病院へ「緊急で行きなさい」と言われて
夜の9時頃に某病院に行ったことがあります。
「腹痛」でした。
その婦人科で「点滴」治療を何日か受けていたのですが、一向によくならず、
返ってそのお薬が合わなくて、微熱と倦怠感がプラスされ、
尿に何か良くないものが混じっていると言われて、
女性の「腹痛」は、消化器と婦人科の両方に診ていただかないといけないので、
CT、超音波、内診、妊娠検査等々、
順番待ちや、検査結果待ちも入れて、精算したのは夜中の2時。
しかも、結局原因不明で、解決せず、
払った金額は2万円を超えました。
安易な夜間救急の利用も困りますが、当時、帰省していて、手持ちがなく、
実父に立て替えてもらいました。
2万円を越える金額…その年は医療費控除の申請をしました。
☆Q 時間外診察料の仕組みは?
夜、ひどい腹痛に襲われたので病院を受診したところ、思いのほか高い金額を支払いました。時間外の診察料の仕組みを教えてください。
☆A 時間帯、年齢により違う
「時間外」とひと口に言っても、時間帯や年齢などによって金額が変わります。表をご覧下さい。
たとえば、大人が夜10時半に、初めて受診する病院で治療を受けたとします。
その場合の「初診料」は、日中なら810円(3割の自己負担額)で済むところが、夜10時以降は「深夜」にあたるので、2250円と高くなってしまいます。
もしこれが2回目以降の受診なら「再診料」になり、日中は207円ですが、深夜なら1467円になります。
さらに、診療時間外に処置や手術を受けた場合、処置や手術料が4~8割増しになり、そのための検査や画像診断料も割高になります。
近年では、緊急性はないのに、長時間待たされる日中を避けて夜間に受診する患者もいるようですが、時間外の受診は患者の金銭的負担が増えることは知っておいた方がいいでしょう。
一方、6歳未満の場合、初診料、再診料ともに6歳以上より高くなります。しかし、自治体が実施する乳幼児(地域によっては小中学生も対象)の医療費助成により、時間を問わず親の自己負担は大幅に減ります。
子を持つ親にとってはありがたい制度ですが、不急の場合は日中の受診を心がけたいものです。(弥)
(2010年9月9日 読売新聞)
---------------------
7年位前に、街の婦人科から高度医療病院へ「緊急で行きなさい」と言われて
夜の9時頃に某病院に行ったことがあります。
「腹痛」でした。
その婦人科で「点滴」治療を何日か受けていたのですが、一向によくならず、
返ってそのお薬が合わなくて、微熱と倦怠感がプラスされ、
尿に何か良くないものが混じっていると言われて、
女性の「腹痛」は、消化器と婦人科の両方に診ていただかないといけないので、
CT、超音波、内診、妊娠検査等々、
順番待ちや、検査結果待ちも入れて、精算したのは夜中の2時。
しかも、結局原因不明で、解決せず、
払った金額は2万円を超えました。
安易な夜間救急の利用も困りますが、当時、帰省していて、手持ちがなく、
実父に立て替えてもらいました。
2万円を越える金額…その年は医療費控除の申請をしました。
『2010年7月10日
「働く」ことの意味―― がん患者として (下)』
また、仕事のおかげで自分の病気以外に考える(考えなきゃいけない)ことがあるという側面も、患者にとっては有り難いことです。
5月29日の[あお]さんのコメントにも、「抗がん剤治療中も仕事にいきました。職場の理解があったからこそですよね。恵まれていると思います。
仕事で病気以外のことを考えていたから、しんどいあの治療を受けられました。仕事がなければ、治療を乗りきれていたかどうか」とあります。
実は私も、このところ「初期転移の可能性」と指摘されたリンパ節のことばかり心配で不安で動けなくなってしまうことがあるのです。へたっている時もあります。けれど、仕事をしている時だけはそんな不安は吹っ飛んでしまっています。
おそらく、仕事がなければ、転移の心配ばかりを考えて不安の悪循環の中にどっぷり浸かり、次の検査まで乗り切れないだろうと思います。
◇
ただ、仕事は「生きがい」といった側面だけでなく、治療費を払い続けていくための糧といった面が強いのも現実です。
がん患者にとっての「働くこと」の意味とともに、必ずしも「職場の理解」を得て働き続けられる人ばかりではなかったり治療費のために働かざるを得ない実態と課題を訴えた記事を、5月25日付読売新聞夕刊(関東地区以外は翌日などの朝刊)に「がん患者も『働きたい』」と題して書きました。
◇
この記事の中でも触れましたが、濃沼信夫・東北大教授のがん患者6604人の調査によると、抗がん剤治療を受ける患者の年間自己負担費用は約133万円。経済的な理由が治療の選択などに影響した人が6%おり、うち4割が治療の変更・中止に至っているのだそうです。
実際、この記事に対し、昨夏に乳がん手術をした都内の50歳代女性から「パートの身で治療を続けながら働き続けられないと思い、抗がん剤などすべての治療を断念しました」とのお手紙をいただきました。
彼女は、「医師には(治療しないと)100%再発するといわれたけれど、働かないと食べていけない私にとって、『治療=死』です。再発するなら、それまでバリバリ働いて人生を楽しんで死ぬことにしました」と綴っています。
きっと本心ではなく、そう書いて送ることで、自分に言い聞かせているのではないかと案じます。
◇
よく「フランスでは抗がん剤の自己負担はゼロなんだって(正確には100%償還)」「デンマークでは……」などと、他国の羨ましい部分を引き合いに出して、日本の現状を嘆く場面を見聞きします。
一方で、フランスは軽度の病気の医薬品などは自己負担割合が7割と高かったり、欧米諸国は消費税が20%を超えているのがザラなど、“羨ましく見える”制度の裏には負担の仕組みもしっかりありますよね。
日本では、がん患者(だけではないけれど)らが「尊厳をもって生きる」ためにも働き続けられるようにするには、また、がんなど重い病気になっても経済的な不安なく必要な治療が受けられるようにするには、どうしたらいいのだろう――。
明日は選挙ですが、選挙の時だけ議題にあげるのではなく、待ったなしの対応が必要ですよね。みなさんは、どう思われますか?
---------------------
私も「がん宣告」までは、パートではありましたが、子育てしながら仕事に行っていました。
幸いにも「一家の大黒柱」ではなかったので、「がん」の烙印が自分の中で消化しきれず早々に辞めました。
辞めてから入院まで、約4ヶ月、悶々とした日々を過ごしました。
後から「ギリギリまで働く」ことの方が「仕事に逃れられたかも」と思うこともあります。
6,7月と短期パートに出て、現在は職探し中。
検査代も1万円札が飛ぶので、やはり働けるうちは、
「体力的にムリのない仕事」で自分の治療代は稼がないといけない気がします。
「疲れやすい」と感じることが昔より多いのは、卵欠症状のせいなのか、
それとも「単に体がなまっているせい」か、
「グータラ自分」を認めて、あきらめて現実逃避しているのか、
定かではありませんが、
「今を生きる」ことが大切だと気づかせてくれた病気、
それをムダにしたくないと考えています。
「働く」ことの意味―― がん患者として (下)』
また、仕事のおかげで自分の病気以外に考える(考えなきゃいけない)ことがあるという側面も、患者にとっては有り難いことです。
5月29日の[あお]さんのコメントにも、「抗がん剤治療中も仕事にいきました。職場の理解があったからこそですよね。恵まれていると思います。
仕事で病気以外のことを考えていたから、しんどいあの治療を受けられました。仕事がなければ、治療を乗りきれていたかどうか」とあります。
実は私も、このところ「初期転移の可能性」と指摘されたリンパ節のことばかり心配で不安で動けなくなってしまうことがあるのです。へたっている時もあります。けれど、仕事をしている時だけはそんな不安は吹っ飛んでしまっています。
おそらく、仕事がなければ、転移の心配ばかりを考えて不安の悪循環の中にどっぷり浸かり、次の検査まで乗り切れないだろうと思います。
◇
ただ、仕事は「生きがい」といった側面だけでなく、治療費を払い続けていくための糧といった面が強いのも現実です。
がん患者にとっての「働くこと」の意味とともに、必ずしも「職場の理解」を得て働き続けられる人ばかりではなかったり治療費のために働かざるを得ない実態と課題を訴えた記事を、5月25日付読売新聞夕刊(関東地区以外は翌日などの朝刊)に「がん患者も『働きたい』」と題して書きました。
◇
この記事の中でも触れましたが、濃沼信夫・東北大教授のがん患者6604人の調査によると、抗がん剤治療を受ける患者の年間自己負担費用は約133万円。経済的な理由が治療の選択などに影響した人が6%おり、うち4割が治療の変更・中止に至っているのだそうです。
実際、この記事に対し、昨夏に乳がん手術をした都内の50歳代女性から「パートの身で治療を続けながら働き続けられないと思い、抗がん剤などすべての治療を断念しました」とのお手紙をいただきました。
彼女は、「医師には(治療しないと)100%再発するといわれたけれど、働かないと食べていけない私にとって、『治療=死』です。再発するなら、それまでバリバリ働いて人生を楽しんで死ぬことにしました」と綴っています。
きっと本心ではなく、そう書いて送ることで、自分に言い聞かせているのではないかと案じます。
◇
よく「フランスでは抗がん剤の自己負担はゼロなんだって(正確には100%償還)」「デンマークでは……」などと、他国の羨ましい部分を引き合いに出して、日本の現状を嘆く場面を見聞きします。
一方で、フランスは軽度の病気の医薬品などは自己負担割合が7割と高かったり、欧米諸国は消費税が20%を超えているのがザラなど、“羨ましく見える”制度の裏には負担の仕組みもしっかりありますよね。
日本では、がん患者(だけではないけれど)らが「尊厳をもって生きる」ためにも働き続けられるようにするには、また、がんなど重い病気になっても経済的な不安なく必要な治療が受けられるようにするには、どうしたらいいのだろう――。
明日は選挙ですが、選挙の時だけ議題にあげるのではなく、待ったなしの対応が必要ですよね。みなさんは、どう思われますか?
---------------------
私も「がん宣告」までは、パートではありましたが、子育てしながら仕事に行っていました。
幸いにも「一家の大黒柱」ではなかったので、「がん」の烙印が自分の中で消化しきれず早々に辞めました。
辞めてから入院まで、約4ヶ月、悶々とした日々を過ごしました。
後から「ギリギリまで働く」ことの方が「仕事に逃れられたかも」と思うこともあります。
6,7月と短期パートに出て、現在は職探し中。
検査代も1万円札が飛ぶので、やはり働けるうちは、
「体力的にムリのない仕事」で自分の治療代は稼がないといけない気がします。
「疲れやすい」と感じることが昔より多いのは、卵欠症状のせいなのか、
それとも「単に体がなまっているせい」か、
「グータラ自分」を認めて、あきらめて現実逃避しているのか、
定かではありませんが、
「今を生きる」ことが大切だと気づかせてくれた病気、
それをムダにしたくないと考えています。
本田麻由美記者って?
以前も「新聞コラム」掲載されていたときに、何度か取り上げさせて頂きました。
コラムを書き続けることによって「常にがんと向き合わなくてはならない」
という悩みを書かれて、
自分自身と闘われ「新聞記者としてやっぱり、書き続ける」と決心されていました。
この「本田麻由美記者のブログ」開始のコメントは以下の通りです。
↓
「 私自身の乳がん闘病体験を通して医療のあり方を考える新聞コラム「がんと私」には、たくさんの反響をいただきました。連載は2009年6月に終えましたが、いただいた皆さんの声を生かさないではもったいないと、ブログとして再スタートすることになりました。私の近況もご報告しつつ、皆さんの声をもとに取材したりお便りの主を訪ねたりして、患者・市民の視点で日本の医療のこれからを一緒に考えていきたいと思います。」
---------------------
「がんと私 本田麻由美記者ブログ」
『2010年7月9日
「働く」ことの意味―― がん患者として (上)』
毎日、ジメジメとうっとおしい季節ですね。
取材で外回りをしていると、全身ベタベタになるだけでなく、ショートの髪の毛がプールからあがってきたみたいにビショ濡れになってしまうことも、たびたびです。
ずっと続けている乳がんのホルモン治療には、“ホットフラッシュ”という副作用があり、突然、カーっと熱くなって大量の汗をかくことがあります。
私の場合、最近は少なくなっていたのですが、暑い季節になると症状が現れることがあり、時折、周囲の目を気にしながら恥ずかしい思いをしています。
◇
さて、久しぶりの投稿となってしまいました。この2週間、何をしていたかというと、日々の取材の合間に、「日本乳癌学会」と札幌在住のがん患者さんの取材で札幌出張に行ったり、幾つかの医療関係の委員会やシンポジウム等で発言の機会をいただいたので、その準備に追われたり……でした。その一端をご紹介すると――
今月5日には「東京大学メディカルキューブシンポジウム~社会に開かれたトランスレーショナルリサーチの推進を目指して」(http://tri.u-tokyo.ac.jp/jp/index.html)に参加しました。
ここでは、新薬などにつながる新技術の最近の開発例と、患者に届くまでに必要な臨床試験や承認審査の体制に関して、日本が抱える様々な課題の報告や提言がなされ、大変興味深いものでした。
私自身は、新治療法開発への患者としての期待、一方で患者・国民の視点なしに研究者の論理で臨床研究が推進されることへの不安などを、事例を紹介しつつ発言させてもらいました。
また、同7日は、順天堂大学を中心に5大学で取り組んでいる「がんプロフェッショナル養成プラン」の外部評価委員会(私も委員の1人)でした。
この「がんプロ」は、患者たちが求めた「がん医療を担う専門医や専門スタッフの養成」を進めるため、がん対策基本法に基づいて文科省が進めている事業で、全国94の医療系大学が参加して18チームができています。
今年2月の文科省の調査では、全体で、がんの専門医422人(放射線治療専門医49人、薬物療法専門医161人等)、がんを専門とする医療スタッフ298人(がん専門看護師110人、がん専門薬剤師82人等)の養成が進んでいるといいます。
順天堂大チームの報告の中では、チームで専門的ながん医療を進めていくことをどう教えるか、開業医や地域の病院の医療スタッフともいかに連携するかについて、合宿や拡大キャンサーボードなどの工夫をされている点が印象的でした。
中でも、熱心に取り組んでおられる医師の「若手を教えながらも自分たちが学んでいることに気付けるのです」という言葉とその姿勢に、1人の患者として勇気と希望をもらえた気持ちになりました。
◇
これらの会合で学んだことは取材を加えて新聞紙面等で紹介していきたいと考えていますが、参加して何より強く感じるのは「仕事ができる喜び」です。
がん患者であり取材者である立場から発言や問題提起の機会をいただいたり、それを基に取材をさらに深めることができるという、「社会とつながり、何かの役にたてると感じられる喜び」と言い換えることができるかもしれません。
◇
以前、清水哲郎・東大特任教授の「臨床死生学と臨床倫理学」と題した講演を聞いた際、「人の尊厳」について「自らに価値があると感じること」「現在の自分の生を肯定できるというあり方」と説明されていました。
すると、私が抱いた「社会とつながり、何かの役にたてると感じられる喜び」は、がんを患い(物理的に、精神的に)できないことが増えたとはいえ、人としての尊厳が保たれている状況だと言えるのでしょう。
2008年の統計によると、がん経験者の4割強が65歳未満の現役世代だということですから、私のように「働くこと」が人間としての尊厳を保つことにつながっているという患者さんも少なくないはずです。<続く>
---------------------
この記者さんの生き方には、いつも感心することばかりです。
闘病しながら「記者」という激務をこなされ、
自分の闘病の悩みも吐露されて、一時期本当に苦しそうでした。
機会があれば、あの新聞コラムを一から載せてみたい!そう思います。
夏の暑い折、ムリしないで下さいね。
以前も「新聞コラム」掲載されていたときに、何度か取り上げさせて頂きました。
コラムを書き続けることによって「常にがんと向き合わなくてはならない」
という悩みを書かれて、
自分自身と闘われ「新聞記者としてやっぱり、書き続ける」と決心されていました。
この「本田麻由美記者のブログ」開始のコメントは以下の通りです。
↓
「 私自身の乳がん闘病体験を通して医療のあり方を考える新聞コラム「がんと私」には、たくさんの反響をいただきました。連載は2009年6月に終えましたが、いただいた皆さんの声を生かさないではもったいないと、ブログとして再スタートすることになりました。私の近況もご報告しつつ、皆さんの声をもとに取材したりお便りの主を訪ねたりして、患者・市民の視点で日本の医療のこれからを一緒に考えていきたいと思います。」
---------------------
「がんと私 本田麻由美記者ブログ」
『2010年7月9日
「働く」ことの意味―― がん患者として (上)』
毎日、ジメジメとうっとおしい季節ですね。
取材で外回りをしていると、全身ベタベタになるだけでなく、ショートの髪の毛がプールからあがってきたみたいにビショ濡れになってしまうことも、たびたびです。
ずっと続けている乳がんのホルモン治療には、“ホットフラッシュ”という副作用があり、突然、カーっと熱くなって大量の汗をかくことがあります。
私の場合、最近は少なくなっていたのですが、暑い季節になると症状が現れることがあり、時折、周囲の目を気にしながら恥ずかしい思いをしています。
◇
さて、久しぶりの投稿となってしまいました。この2週間、何をしていたかというと、日々の取材の合間に、「日本乳癌学会」と札幌在住のがん患者さんの取材で札幌出張に行ったり、幾つかの医療関係の委員会やシンポジウム等で発言の機会をいただいたので、その準備に追われたり……でした。その一端をご紹介すると――
今月5日には「東京大学メディカルキューブシンポジウム~社会に開かれたトランスレーショナルリサーチの推進を目指して」(http://tri.u-tokyo.ac.jp/jp/index.html)に参加しました。
ここでは、新薬などにつながる新技術の最近の開発例と、患者に届くまでに必要な臨床試験や承認審査の体制に関して、日本が抱える様々な課題の報告や提言がなされ、大変興味深いものでした。
私自身は、新治療法開発への患者としての期待、一方で患者・国民の視点なしに研究者の論理で臨床研究が推進されることへの不安などを、事例を紹介しつつ発言させてもらいました。
また、同7日は、順天堂大学を中心に5大学で取り組んでいる「がんプロフェッショナル養成プラン」の外部評価委員会(私も委員の1人)でした。
この「がんプロ」は、患者たちが求めた「がん医療を担う専門医や専門スタッフの養成」を進めるため、がん対策基本法に基づいて文科省が進めている事業で、全国94の医療系大学が参加して18チームができています。
今年2月の文科省の調査では、全体で、がんの専門医422人(放射線治療専門医49人、薬物療法専門医161人等)、がんを専門とする医療スタッフ298人(がん専門看護師110人、がん専門薬剤師82人等)の養成が進んでいるといいます。
順天堂大チームの報告の中では、チームで専門的ながん医療を進めていくことをどう教えるか、開業医や地域の病院の医療スタッフともいかに連携するかについて、合宿や拡大キャンサーボードなどの工夫をされている点が印象的でした。
中でも、熱心に取り組んでおられる医師の「若手を教えながらも自分たちが学んでいることに気付けるのです」という言葉とその姿勢に、1人の患者として勇気と希望をもらえた気持ちになりました。
◇
これらの会合で学んだことは取材を加えて新聞紙面等で紹介していきたいと考えていますが、参加して何より強く感じるのは「仕事ができる喜び」です。
がん患者であり取材者である立場から発言や問題提起の機会をいただいたり、それを基に取材をさらに深めることができるという、「社会とつながり、何かの役にたてると感じられる喜び」と言い換えることができるかもしれません。
◇
以前、清水哲郎・東大特任教授の「臨床死生学と臨床倫理学」と題した講演を聞いた際、「人の尊厳」について「自らに価値があると感じること」「現在の自分の生を肯定できるというあり方」と説明されていました。
すると、私が抱いた「社会とつながり、何かの役にたてると感じられる喜び」は、がんを患い(物理的に、精神的に)できないことが増えたとはいえ、人としての尊厳が保たれている状況だと言えるのでしょう。
2008年の統計によると、がん経験者の4割強が65歳未満の現役世代だということですから、私のように「働くこと」が人間としての尊厳を保つことにつながっているという患者さんも少なくないはずです。<続く>
---------------------
この記者さんの生き方には、いつも感心することばかりです。
闘病しながら「記者」という激務をこなされ、
自分の闘病の悩みも吐露されて、一時期本当に苦しそうでした。
機会があれば、あの新聞コラムを一から載せてみたい!そう思います。
夏の暑い折、ムリしないで下さいね。
「読売新聞・医療相談室」
☆Question 腹部に悪性の脂肪肉腫
先日、腹部に悪性の脂肪肉腫が見つかりました。お医者さんは摘出以外に治療法がなく、薬もないと話していましたが、今後どうすればよいでしょうか。(68歳男性)
杉浦英志 愛知県がんセンター中央病院整形外科部長(名古屋市)
☆Answer 残さず切り取る手術が中心
脂肪肉腫は、本来は脂肪細胞になるはずの細胞ががん化したものだと考えられています。質問者の場合は、後腹膜腔(くう)内(腹膜の後ろの空間)にできたものと思われます。
脂肪肉腫は、太ももやお尻のほか、後腹膜腔にもできやすいのです。
治療には手術、放射線、抗がん剤がありますが、手術が中心です。腫瘍(しゅよう)がしっかりと取り切れた場合と腫瘍が残ってしまった場合では、その後の経過は違います。もちろん、しっかり取れた方が経過が良いので、出来るだけ残さず切り取ることが重要です。
ただ、腫瘍が腎臓、肝臓、大腸、小腸などの重要な臓器にまで広がっていて、これらの臓器も一緒に手術しなければならないこともあります。
脂肪肉腫は放射線治療も比較的効果があり、手術でしっかりと取り切れなかった場合は、手術後に放射線治療を行うことがあります。
腫瘍の組織検査で悪性度が高く、転移しやすいタイプであった場合には、抗がん剤治療の併用も考えられます。
しかし、放射線治療や抗がん剤のみで腫瘍を根絶するのは困難で、あくまで手術に対する補助的な治療と考えてください。
後腹膜腔内の脂肪肉腫に対しては独立した専門科がなく、整形外科や外科、泌尿器科、腫瘍内科、放射線科など各科の連携で治療を行っているのが現状です。
手術に伴う危険性や手術が困難な場合の治療法について、主治医から説明を受けたうえで、どうするかをお決めになってください。
(2010年7月14日 読売新聞)
---------------------
世の中には、本当に色んな種類のがんがありますね。
細胞分裂の際に出来る「突然変異」が、がんの原因なら、
どこに出来てもおかしくないのですが。
「後腹膜腔内の脂肪肉腫に対しては独立した専門科がなく、整形外科や外科、泌尿器科、腫瘍内科、放射線科など各科の連携で治療を行っているのが現状です」とのこと。
大変ですね。
68才と書かれていますので、「手術で摘出」しなくてもと、考えられたのかもしれません。
年齢が上がるにつれて、「手術と体力とリハビリ等」を考えて、
「バッサリ切ろう」と踏み切れなくなるような気がします。
私ももっと高齢で罹っていたら、「あとどれだけ生きられるか」と天秤にかけて、
「進行が遅いのなら放っておこうかな?」と思ったと思います。
でも、「がんはどうなっているだろう?」と思う毎日を過ごすのも、
それはそれで苦痛でした。(宣告から摘出手術までの気持ちです)
☆Question 腹部に悪性の脂肪肉腫
先日、腹部に悪性の脂肪肉腫が見つかりました。お医者さんは摘出以外に治療法がなく、薬もないと話していましたが、今後どうすればよいでしょうか。(68歳男性)
杉浦英志 愛知県がんセンター中央病院整形外科部長(名古屋市)
☆Answer 残さず切り取る手術が中心
脂肪肉腫は、本来は脂肪細胞になるはずの細胞ががん化したものだと考えられています。質問者の場合は、後腹膜腔(くう)内(腹膜の後ろの空間)にできたものと思われます。
脂肪肉腫は、太ももやお尻のほか、後腹膜腔にもできやすいのです。
治療には手術、放射線、抗がん剤がありますが、手術が中心です。腫瘍(しゅよう)がしっかりと取り切れた場合と腫瘍が残ってしまった場合では、その後の経過は違います。もちろん、しっかり取れた方が経過が良いので、出来るだけ残さず切り取ることが重要です。
ただ、腫瘍が腎臓、肝臓、大腸、小腸などの重要な臓器にまで広がっていて、これらの臓器も一緒に手術しなければならないこともあります。
脂肪肉腫は放射線治療も比較的効果があり、手術でしっかりと取り切れなかった場合は、手術後に放射線治療を行うことがあります。
腫瘍の組織検査で悪性度が高く、転移しやすいタイプであった場合には、抗がん剤治療の併用も考えられます。
しかし、放射線治療や抗がん剤のみで腫瘍を根絶するのは困難で、あくまで手術に対する補助的な治療と考えてください。
後腹膜腔内の脂肪肉腫に対しては独立した専門科がなく、整形外科や外科、泌尿器科、腫瘍内科、放射線科など各科の連携で治療を行っているのが現状です。
手術に伴う危険性や手術が困難な場合の治療法について、主治医から説明を受けたうえで、どうするかをお決めになってください。
(2010年7月14日 読売新聞)
---------------------
世の中には、本当に色んな種類のがんがありますね。
細胞分裂の際に出来る「突然変異」が、がんの原因なら、
どこに出来てもおかしくないのですが。
「後腹膜腔内の脂肪肉腫に対しては独立した専門科がなく、整形外科や外科、泌尿器科、腫瘍内科、放射線科など各科の連携で治療を行っているのが現状です」とのこと。
大変ですね。
68才と書かれていますので、「手術で摘出」しなくてもと、考えられたのかもしれません。
年齢が上がるにつれて、「手術と体力とリハビリ等」を考えて、
「バッサリ切ろう」と踏み切れなくなるような気がします。
私ももっと高齢で罹っていたら、「あとどれだけ生きられるか」と天秤にかけて、
「進行が遅いのなら放っておこうかな?」と思ったと思います。
でも、「がんはどうなっているだろう?」と思う毎日を過ごすのも、
それはそれで苦痛でした。(宣告から摘出手術までの気持ちです)