kumaの「それなりにやってみようかな…」

子宮体癌経過観察中です。

手術の翌々日(長いのでご注意)

2008-07-03 | 治療入院中
2008年7月3日(木曜)くもり、窓を開けるとムシムシする感じ。予報・最高気温28℃
(…この頃になると「お天気」もメモするようになってます。)

・ 3:35 トイレ小①、飲み物3口

・ 5:00 トイレに行きたくて目が覚めた。その為、気がついて良かったが、
     点滴が空で、血が逆流していた。とりあえずトイレ小②を済ませてナースSTに直行。
     点滴その場で交換、ブドウ糖(前はソルダムでした)…お腹の動くお薬「パントール」入り。
     Yナースに「喉と頻尿」の話をする。「点滴中は頻尿はしようがない」とのこと。
     帰室。エピ⑬

・ 6:00 37.7℃、121/79。やっと「熱いタオル1枚」いただけました!。顔を拭きました!。お腹の音もOKでました。

・ 6:40 トイレ小③ TPに赤いもの付かず。
・ 7:20 エピ⑭
・ 7:40 エピ効いてきた感じ。

・ 7:55 KレジデントDr回診(たまっていた質問を書いておいたので、質問攻め)

     Q1.トイレ小が1.5h間隔で近いのは?
      「導尿していたせいです。」
     Q2.小の途中でお腹が「キュー」って痛くなります。膀胱炎は?
      「抗生剤も点滴しているので大丈夫」
     Q3.飲み物を飲むと喉が痛いです。
      「しばらく続きます」

     ☆先生から
     「どんどん動いて腸を動かしましょう。」
     「背中の麻酔(エピ)は本日外します。」(私の心「うっそぉ!」)

・ 8:00 トレドミン、ブスコパン服用(セレキノンはやめました)

本日、日勤Kナース(ナース1年生!こういう方はちゃんと朝来たときに、今日の担当の○○です。」と挨拶される。気持ちよい気がする。

・ 8:40 トイレ小④ 赤いものなし
・ 8:55 N主治医回診「お腹OK」とのこと。エピ⑮
・ 9:20 パンスポリン(抗生剤)点滴
・ 9:40 トイレ小⑤

・10:10 「おに先生」G研修医Drが来た!背中の硬膜外麻酔?エピ外し!!!
     普通に何気なく抜く。「痛み」も何にもない。抜いた後に「シュッー」って何か噴霧(消毒?液体絆創膏みたいなもの?不明)37.8℃、129/81。昨日買った250mlの飲み物終了。


※抜くにあたっての会話
私 「先生、コレがないと痛いとき困ります。もうちょっと付けて置いて下さいよ」
先生「ダメです。もう3日でしょ。エピなんですよ。」(って言われても素人の私には関係ない、なんだか判らないし。)
  「ほら(と言って液の入っている袋を指して、もうこんなに小さくなってるでしょう?」
  「もう1回最後に押しますか?ん?さっき押したのかあ、じゃあおしまいですね。」
…抜く…
先生「痛くなかったでしょう?」
私 「……。」
先生 シューって何か背中にかけている。
私 「いっぱい、いっぱい、かけといてくださいね」  

どこまでも往生際の悪い、おばさんなのです。先生ごめんね。しつこくて…。

・10:20 K看護師長回診「マスクチェック」質問(詳細は手術の日に書いていますので略)

・10:25 新たに250mlの飲みもの、始める。
・10:35 パンスポリンの点滴終了
・11:40 点滴「ソルダムA」始め
・12:10 トイレ小⑦

※10時過ぎから12時過ぎまで「ガス」がたまっている様だが、あと一歩で出ない。苦しい。

・12:20 流動食開始。よく判らないが離乳食みたいな感じでジャガイモのすりつぶし?とおだし?汁みたいなものと、とっーても甘い何か(忘れました、甘すぎて食べられませんでした)

・13:00 頓服「痛み止め、ポンタール1包」とセレキノン1錠服用

・13:30 トイレ小⑧
 ~:40 病棟階散歩 ちょっと汗かいた。

・16:20 トイレ小⑨

・16:35 自分で廊下のシャワー洗面台でシャンプー
     夫の面会まで待つと遅くなるし、15時までは、シャワーに入れる方がドライヤーを使用されるので、この時間に自分で洗うことにしました。汗もかくと気持ち悪いんです。しかし、片手は点滴台付き。根性女なんだか…。

※髪型は、入院前に美容室で、「入院してOPするので3日位洗わなくても大丈夫で、美容室に1ヶ月位来なくてもよい髪型にして下さい」と頼んだもの。
(当時は、肩甲骨位まで伸ばしていたが…。でも首のあたりで切られるかと思っていたが、枕で跳ねるということで、後はそんなに切られなかった。) 

・16:40 抗生剤パンスポリン点滴

・16:50 「ガス」(ノートに波線つき)

・17:20 トイレ小⑩ 37.4℃

・17:35 N主治医回診 「傷チェック」。G研修医Drを「おに」呼ばわりしていたことが何故かばれている。「おに!ちくったなぁ」

・18:00 点滴終了!!!決断はN主治医と「おに先生」とのこと
     自由に動ける!と思いきや、点滴の台を杖にして歩いていたので、正直困る。看護師さんに「台だけでも貸して~」と迫るも「ちゃんと歩けますよ」と流される。

・18:10 夕食(3分粥)挽肉のドロドロ?海草系のドロドロ?卵と人参のドロドロ?結局、1/2食べる。個人的にドロドロしたものが苦手で…。残りは面会に来た夫が一気に流し込んで食べました。

・18:15 面会に二人組が来た。子供はデジタルTVばかり見る。「何しに来たんだよ~」トレドミン服用
・19:10 面会から帰る。「ガス」トイレ小⑪
・19:30 「ガス」

準夜勤Dナース(この方も1年生よって詳しい私は、おばさん、か?)
・19:50 36.9℃「血圧OK」
・20:20 「ガス」
・20:50 トイレ小⑫、ゲップ3回
・23:30 トイレ小⑬、ポンタール1/2包、メイラックス、マイスリー(入眠剤)服用
・23:40 「ガス」




○……おさらい……術後翌々日
 エピ3回(入院中通算⑮)、インテバンなし、ポンタール(経口鎮痛剤)1、1/2回
 トイレ小13回、ガス5回
 10:10硬膜外麻酔?(エピ)終了。18時、点滴終了。
 昼食(流動食)、夕食(3分粥)
 
☆……memo…後日談……
腸が動く、目安に「ガス」って話。よく盲腸でも聞くお話。
でも、女の人って、普段から、人前で「プープー」って、やります?
私は、働いている期間も長かったせいか(職場ではムリでしょう?)何だか、便秘でも、そんな事はしない癖?がついていて(腸の動きが悪かったのでしょうか?)退院後はなるべく、家族の前でもやろうって心がけてるんですけど、今はまた、我慢してないのに、あんまり出ません。

もう一つ、点滴は準夜勤の方が、朝6時頃のナースの見回り時まで持つように速度調節してる様な気がした。夜勤の方は忙しいからなあ。あの気の合わないHナースは、あのあとしばらくして(自分の帰り際?)、部屋に来て、また点滴の速度チェックしていた。どうも、彼女の思惑通り、落ちないらしい。で、聞いた。「患者さんの手の置き方によっても違うんですよねぇ」って。だから「こういう風に置いておけば良いですか?」って確認したんです。なのにやっぱり…

エピの話。
おに先生によると「痛みを我慢しないで、どんどん押して、どんどん歩く等、回復に向けて体を動かした方が良い」そうです。最初から言ってくれれば、我慢しないで、もっと押したのに、ちょっと残した~残念です。

やっと今日の分書き終えた。無用に長くて失礼いたしました。「トイレ」と「ガス」の話題ばかりで申し訳ない。
私の場合、腸の動きが遅くて、看護師さん、先生、皆、顔を見ると「ガスは?」って聞くんです。1日(当日)で出る人もいるから、ご心配なく。それとお小水は、次の日、看護師さんが「何回出ました?」てお尋ねになりますので…脱水症状とかの心配なのかしら?。




手術後翌日(続き)

2008-07-02 | 治療入院中
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<・16:30 産婦人科病棟階散歩(10分)ナースSTで、空の点滴とアイスノン代えてもらう。>までを、カテゴリー「全摘手術」で載せた。

が、これからは、カテゴリー「治療入院中」でアップしていこうと思う。

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手術翌日 2008年7月2日(水曜)続き

・16:55 待望のガスが出た!小さな「プップッ」
     Iナースに報告するも、お腹に聴診器をあててみたら「ガス」と認められず

・17:10 「お腹の動き」をよくするお薬を点滴に入れる。(薬不明。18:10頃までには終わるらしい)うがいの励行の指示も。

・17:30頃 麻酔科のO研修医Drが、最後の麻酔科の回診担当。「気分、痺れ等」についての質問。

     「喉の痛みはない」と答えた。しわがれ声はこの日の午後から改善。
      (但し、この時はまだ、飲食つまり、喉を何も通過したものがなかった。
      後で、飲めるようになった時点で、喉が痛い、と気がついた。
      どちらにせよ大事に至るものではなかったので良かったが…。)

・18:30 準夜勤Hナース(若干無愛想、親切さに欠ける感じ、これは入院生活の中で度々感じた。合わない人って思えばよいか。)
     点滴、ブドウ糖に。37.4℃。

     トイレ小②(この日2回目の略)オレンジ色のおりもの。一瞬、いつもの持病のお腹の右側が痛くなる(汗;)



※導尿が外されると、点滴で水分補給されているため、自分で水分を摂るより、正確な補給のせいかトイレに行かなければならなくなる。

お腹はまだ痛い。リモコンでベットの上半身を上げて、ベットの柵に掴まって「よいしょっ」とかけ声をかけ、自分の上半身を起こし、足下のスリッパを、足で探す。看護師さん等が来て下さる度に、元置いておいた場所と違うところにいっている。(大抵ベットの下)でも下を向くとか、しゃがむなんて、まだまだムリ。それから、点滴台の棒を杖代わりに、ソロソロと前屈みにお腹もかばって歩く。廊下で誰か来ても避けられそうにない。こっちが、じっと待って避けてくれるのを待つ。わずかな段差でも点滴台が引っかかる。「おっとぉ~」が口癖。トイレもこうなると狭い。

そう、トイレに行くのは、一大イベント状態。時間をたっぷり見込んでおかないと粗相をしてしまうかもって感じ。

でも、導尿は出来るだけ早く外さないと、回復(尿の感覚の戻り)も遅くなる。

この頃は、腕の点滴と、背中から入っているエピの管、エピの手元操作の道具。点滴の管は寝ている分にはよいが、歩くには長い。エピの本体もある。点滴台に色んなものを自分でつまずかないように巻き付ける。


・18:45 面会終了ギリギリの時間、夫、子供着。一悶着。私、「ギリギリだよ!」「何のために{痛いメール}私は打ってたんだよ!」夫、タジタジ…。八つ当たりに驚いたらしい。

     予定表には、「体清拭」って書いてあるのに今日も何にもないので、気持ちが悪くて、夫に廊下のシャワー洗面台でシャンプーしてもらった。力任せの洗い方?でお腹が痛む。「加減してくれ!」と頼む。洗髪してサッパリした。

・19:15 洗髪のため、面会時間を過ぎて二人帰る。子供は「管だらけ」の姿を見て「病人だ」と思ったみたい。

・19:20 G研修医Drより「天使の一声…少しでもプップッて出たなら、何か飲んでも良いですよ」とのこと。ナースST前の自販機で飲み物を買う。

●Hナース、私が飲み物を必死で買いに行った帰り、廊下で…「○○さん!」と私を呼び止める。廊下で点滴落下速度チェック。そこへ友人ナースが通りかかった。「△△ちゃぁーん!」と比較的大きい声で友人ナースを呼び止めた。「明日さあ…」。「あ~○○さん(私のこと)もういいわ!」って、何か用事がまだあるのかと待っていた私に切り捨て口調。少々ムカついた。普通の職場でも廊下で友人にそんな口調で呼びかけたりしないよ!職業意識疑う!と書いた。

・19:30 トイレ小③薄赤液体、TPにつく。
     帰室後に飲んだ、自販機の飲み物…喉にもお腹にもしみる感じ。少しずつと言われていたが5口は飲んだ。

・20:30 トレドミン、術後初めて服用(飲食禁止だったから)若干お腹がグルグルいう。

・20:55 エピ⑫
・21:00 消灯前トイレ小④、薄赤TPにつく

この病院は、21時消灯だが、看護師さんが消灯に来るまで若干タイムラグあり。
窓のブラインドは、窓側の患者が日が暮れたら、自発的に閉める。TH大ではカーテン開けたままだった。しきたりは各々の病院であるのかな?

ここで2日目の記述終了。

  
○……おさらい……術後1日目(翌日)
 エピ7回、インテバン1回
 パフパフ&導尿中止(14:50頃)トイレ小4回
 自己血戻し(400ml)、声のかすれ、午後よりマシになる。
 飲み物やっと19時台に解禁

☆……memo…後日談……
 麻酔のかゆかった話だけれど、この日見てみたら、指の爪にしっかり、血がついていた。相当掻いたらしいが、どこの血だかは不明のまま。
 足についていた塞栓防止用の「パフパフ」は暑い!かゆかったから夜にゴム?ビニール?にまけているのかと看護師さんがタオルを挟んでくれたが、朝には見あたらず?ん?本当に挟んでくれたのかなあ?しかし、空気を送る装置がベットの下で「ブンブン」作動して、その音と振動が、また響いた。回復室から出たときに看護助手さんが、気を利かせて外してくれたのだけれど、後から来た先生だったか、看護師さんだったかに、また付けられた。ガックリした~。
 




摘出手術(当日続きから、歩くまで)

2008-07-02 | 全摘手術
2008年7月2日(水曜)手術当夜、夜0時~歩行開始迄

<・22:30 そんなに痛くないが、前回より1時間経過したため、エピ⑤>で前編終了
今回は、2日0時以降です。

・ 0:00 そんなに痛くないが、徐々に痛くなってきた。エピ⑥

※エピを押した回数は、日ごとでなくて、入院中の通算にしています。

・ 0:12 37.9℃、ブドウ糖500mlに点滴交換、導尿のカップ処理

・ 0:30 氷枕代えてもらう(ノートには横にニコニコマークを書いていた。そんなに嬉しかったんだろうか?)

・ 1:30 夜勤の看護師さんに交代。そんなに痛くないが、早めのエピ⑦

・ 2:00 37.4℃。痛くないが、1時間位、かゆくてかゆくてかいていた(お昼と同じ)1:30から(エピ)押していないが、痛くない=かゆい

・ 3:45-5:45 ねた!(どうして入眠時間が判るのかと自分でも思うが、そう書いているので、そのまま載せました)

・ 5:45 37.5℃、血圧普通、採血右手あり。尿カップ処理。傷口と腸の動き確認。下からの出血確認。

・ 6:30 点滴が、ブドウ糖からラクテック500mlに交換。

・ 朝(時刻不詳)KレジデントDr、G研修医Dr、N主治医、各々回診。
 寝返りをして、腸を動かし、歩いて、導尿と足のパフパフを外す方針、とのこと。

 日勤Iナース(1年目だけれど、その分努力が見えていた、と後で思った)

・ 9:30 回復室(個室)から5○○の大部屋(4人用)の廊下側に移動。
     氷枕からアイスノンへ。吸い口は病院にお返し状態(部屋に置き去り)
     パンスポリン点滴追加。
     37.7℃、(リモコンで角度の変わる)ベット90度位の角度に位置を変更(歩行の準備)「あと30分位このままで、慣れたら歩いてみましょう」と言って看護師さん退室。

・10:20 N主治医回診。早朝採血分、Hb9.9につき「自己血を戻す」とのこと。(その時は260ml出血したのでって、前日は240だったんですが…まあ大差はない。)

・10:30 「30分後に来ますね」と言われた看護師さんを信じて、90度の姿勢のまま待つが、来られない。気持ち痛いのでエピ⑧。

・11:30 Iナースやっと来室。90度の姿勢で我慢して待っていた。「30分ほどが2時間経過」痛いのでエピ⑨、痛いので横に戻してもらうことを了解してもらう。痛み止めの座薬も頼む。

・11:40 自己血戻し始める(自分の血を点滴で輸血する)「約4時間位かかる」とのこと。座薬インテバン使用。

・13:10 エピ⑩
・13:45 自己血戻し完了(4時間より早かった)
・14:25 エピ⑪
    「痛い、痛い!ブスコパンの点滴にして下さい!」とナースに頼む。腸けいれんの時、内科で点滴してもらうと嘘のように鎮痛していたからだ。Iナースさんは「先生と相談しますね」と去って行った。「また待たせないでね~」と祈る気持ち。  

・14:50 G研修医Dr回診。点滴ブドウ糖に。

「ブスコパンは腸の動きを止めるものだから、動かそうとしているのに、逆効果なので絶対ダメです。」と言われた。そのうえ、「もう歩いてみましょう」とのお言葉。(以降、おに先生と呼ぶ、と書き込んで、横に角の生えた鬼の絵を描いている、吹き出しで「サッサと歩け!」と鬼にしゃべらせている。)  

    導尿を外してトイレまで往復。(お小水は出なかった)

※この日は、夫は仕事、尚、勤務体制は前述通り、子供中心勤務。「痛い、痛い」と何度もメールするも「頑張れ」だけ。もう少し心配してくれよ~~~。

同室になった、同じ日にOPされた若い女性は、朝からお母さんが付きっきりで「あーだ、こーだとIナースを'ナースコール’で呼びつけている。(面会時間は15時からです!なので余計に気に障る。’僻んでいる’が正解か?)卵巣の茎捻転らしいとあとで知る。

・15:20 パンスポリン点滴追加(16時頃終了)
・15:50 部屋発16:00戻り(トイレ行く)
     焦げ茶色のカサカサしたものがトイレットペーパーにつく(以下、TPと略)パッドにもついていた。

・16:30 産婦人科病棟階散歩(10分)ナースSTで、空の点滴とアイスノン代えてもらう。


○……訂正
エピネフリン(本文中で「エピ」と略)を「エペ」と、先程まで書いていました。
何だか、痛み止めらしいです。詳しいことは素人なのでよく判りません。私が使用した方法は「全摘手術(当日)」の中に書いたので…略させて下さいね。


☆……memo…後日談……

濡らしたティッシュをマスクに入れる技?はこの日も継続中。看護師長に「風邪ですか?」と聞かれたので「乾燥するので…」と返事。不審気な顔だった…。
でも、これは冬場、喉が痛い日、寝るときにする、喉の乾燥を防ぐ為のやり方として紹介されている。

今日は、「歩くまで」で終わりにした。
メモしすぎて長い!読む方も疲れるだろう。

何せ、{これは私の記録であって、他の方には当てはまらない。誰もが痛いとは限らない。}のだ。「もっと早く歩けたわ~。そんなに痛くないわ~」ってコメも頂ければ、もしかこれを読んだ方も参考に勇気づけられると思うのだけれど…。

しかし、夫はいつ読み返しても「冷たい」なあって思う。「いつまでもかゆいっていってられないだろう、やっぱり、痛くなってきたか」って返信。{どうして?次の日位、ちょっと抜けてくれても良いのに}と思って、この日以降、メールで症状を打つのを止めた。糠に釘ばかり打つのは止めたんだぁぁぁぁ。





摘出手術(当日)

2008-07-01 | 全摘手術
2008年7月1日(火曜)全摘手術当日

<術式…単純全摘(両付属器含む。但し、術中迅速診断により、広範囲、リンパ節郭清等事前承諾済み)>

・ 3:30 看護師さんの回診で目が覚める。
・ 5:00 浣腸
・ 7:00 タケプロン服用
・ 7:50 ラクテック500ml点滴開始
     (あ~これで、しばらく手に針が刺さった生活になる。早く旦那来ないかな)
・ 8:10 次の点滴、パンスポリン静注用1gパックS  

※若い男の先生(麻酔担当医?)とG研修医、N主治医が、個々、回診に病室を訪れてくださる。
 部屋は、2人部屋(大部屋希望だが術前はここが専用なのか、昨日、同室の方も手術へ、以降1人個室状態。)
 この日の私の担当はS山ナースさん(って、後で写真見て判りました。有難う。大変な日にお世話になりました。)

  ↓手術着に着替えて、ストレッチャーで手術室。

   (さすがに内膜掻爬の時ほど精神的余裕が無かったせいか、何時に部屋を出たか、どんな風景を見ていたかは、メモできていなかった。夫もいつ来たんだか…。どこまでついてきたのか、手を振ったんだか、何か最後に言ったかな。)

・EVで手術階に降り、OP室入室。担当看護師さん3名?が直ぐ駆け寄って来られて、担当の「○○です」と口々に言われ{覚えられず}頭の帽子?を被せてもらったり、心電図をつけてもらうのに?「冷たいですよ~」とか言われ、酸素濃度の器械を指につけられたり、凄くテキパキ作業、「早~慣れてる~」との印象だけ。

・硬膜外麻酔を入れるのに、丸まった姿勢で注射を打たれたが、全然痛いとか、そんなことも覚えていない。もちろん主治医の先生、レジデントDr、研修医Drの入室はいつからだったのだろう?

・TH大では、OP室内に音楽が流れていて、患者が希望すればそのCDが流してもらえるということで要望を聞かれ、「何でも良いです」と言っていたから、なんかインストルメンタルな曲が流れていたが、ここでは、「音無し」の様な気がしたけれど。それも怪しいなあ。もちろん麻酔前で意識のあった筈のことも、忘れている。脳の意識的消去なのかな?

・13:00 「○○さ~ん(名字の連呼)」で悪夢より覚醒。

多分先生方や看護師さんに「ありがとうございました」と言った筈(この時だけは、ちょっとだけ、いい人間に変わってたかも)

しかし悲しいかな、翌日午前中位まで「声が出ない」=気管挿管の関係でのどが森進一状態。かすれ声がやっと小さく出る感じ。何かベットに寝てる人間が「あうあう」言いながら頭をピョコピョコするイメージ。夫はお礼言ってくれたのかな?

・13:27 部屋に戻る。(但し、産婦人科の術後専用に使われている個室5○○、通常の部屋と変わりないような部屋、通称、回復室)
    血圧90/60? 35.9℃…電気毛布on いつからか肺塞栓防止用の、足をくるんで、空気圧でマッサージする「通称パフパフ」がついていた。

・13:50 子供のお世話を頼んでいた方等3名に「早い方の予定時間でOP終了しました」とメールしました。{本当は、まだいっぱい器械も装着しているのに御法度!ですが、心配もかけているし、子供のことも気がかりだし、NG承知です。皆さん!してはいけません。病院はまだ携帯禁止が多いです。}

・14:00 36.0℃…電気毛布off
     N主治医より「240cc出血しました」とのお話。

・15:30 36.9℃…電気毛布外す、血圧10?/68(この病院は余り血圧を具体的に教えて頂けません「うん普通ですね」が、標準対応) 
     パンスポリン生パック100ml、1本点滴開始
     「お腹が熱い!」感じ始まる。

・16:20 パンスポリン点滴終了。89/54?、37.4℃「氷枕」開始
     口をすすぐ(もちろん何も飲んではいけません) 
    
この頃から全身が痒くなる。足の甲まで痒い!夫に「爪でギーギー思いっきり掻いてくれ~」と頼み、蕁麻疹が出ていないか体を確認してもらう。

N主治医によると麻酔薬で痒くなることもあるらしいが、あまりブログで痒いって書いている方、見ないような気がするので、例外かも。

・17:10 N主治医回診(以降入院中も大体18時半頃までの回診多い。帰宅前?仕事の区切り?何だろう)

・17:35 37.3℃
・18:06 酸素止める。ラクソベリン、アナペイン100(痛み止め)点滴。エピネフリン①(以下エピ、○数字は何回目押すの略にします)
     Nナース準夜勤担当。37.6℃、118/70?

※エピネフリンは、硬膜外麻酔の続きらしい。背中の方から体内にチューブが入っていて(自分では見えないので最後までどこにだったか判りません)痛くなったら、自分で、手元の注射器様の道具を「ギュッー」って押す。自分で調節するように出来ているから、むやみに押せないよう、1時間に1回しか押せないように調節されている(押すところが戻る時間で調節するみたい)    
     
・18:30 夫帰宅(面会時間19時迄、子供は、小学校下校後、学童保育、その後、友人宅で着替えて習い事で、その迎えに19:30に家を出ないといけない。)

・19:20 エピ②
     G研修医Dr回診、腹部に聴診器「お腹=腸は少しずつ動いている」とのこと。

お腹が動いて、ガスが出ないと何も飲めない。(当然食べるのは、その後。おかゆから) 
      
・20:25 イタイ、イタイ(ノートもカタカナ表記だ)エピ③

・21:30 「痛すぎ」の書き込み。
     インテバン(痛み止め座薬)を入れてもらう。エピ④
     本当は、もっと前から痛かったが、出産しそうな方が2名居られて、言い出しづらい。看護師さん達も準夜勤に交代されて人数激減中。

インテバンは看護師さんによると15分位で効き始め、6時間位効果持続らしい。

・22:30 そんなに痛くないが、前回より1時間経過したため、エピ⑤

○……この日
術後、終日導尿、飲食禁止。エピ3回、インテバン1回。 


☆……memo…後日談……

0時を区切りとしているため「当日」編はここで終わり。但し、日付が変わってもまだまだ、3:45位まで寝ていない。

痛いと痒い(個人的みたい)が続いている。

口も渇いて、口すすぎをしてもらいたいのだが、今の看護師体制では”ナースコール”を押して夜中に「口をすすいでください」と呼びつける訳にはいかない。飲んではいけないため、吸い口から口に入れて、洗面器様のものに吐かないといけない。どうやっても1人では、術日当日はムリ。ベットの周囲を汚しそう。砂漠に居る感じ。水~水~って。

で、考えた技。術前に院内で風邪をもらわぬようにマスクをしていた。その中に濡らしたティッシュを入れてマスクする。なかなかいい感じ!と自分では思っていたが…。それを片手でするのも実は大変。足もパフパフに繋がれ、どうしたらいいかもわからない。外れたら大変だし。体は思うように動かないし、手の届く範囲で、片手でペットボトルの蓋を開け、そっーと傾け、死にものぐるいだったよ~。自動口すすぎ器も作ってほしいなあなんて、このご時世では言えませんねぇ。

こんなに頻繁に看護師さんも様子を診に来てくれるのだから、寝るわけないですね。




全摘手術(気持ち)

2008-07-01 | 全摘手術
全摘する時、つまり、

私の子宮・卵巣・卵管とのお別れの日。
術中迅速病理診断の結果如何では、リンパ節ともお別れだ。

不思議と「病気」とお別れする気分は、一つも起こらなかったし、当然「病気から解放される」気にもならず。

生理とお別れして「楽になる」という考え方もあるが(前向きっていうのかな?)、世の中に、女として存在しているのだから、特に「うれしい」なんて思わなかった。

歳がいけば、自然とお別れするものだから…。
生理の時は鉄剤を飲み、ひどければ鎮痛剤を飲み、工夫してやってこられたからなあ…。まあ失敗しての手洗濯も今となれば懐かしい思い出だ。

気持ちは、自分は「男」でもなく「女」でもない、生物学上、何に分類されるのかな?っていう、
お医者様に言わすと(本にも書いてあるが)、「女に決まってるでしょう。バカなことを考えてる」っていう、感傷か卑下だか判らないが、無い物ねだり、とでも言うのだろうか、そんな感じ。

ニューハーフの方は、わざわざ取ったりしているが、それは、自分が「男あるいは女じゃない!」と確信してのことだ。(性同一性障害の方は切実だろうけれど)


「男だ」と思えない私には、たとえ形骸上の一物になろうとも、精神的にはやっぱり必要なものだったんだなあと思った。

もちろん、妊娠して生理が無くなって、授乳期間中もある程度までは無い。
再開したとき、「授乳しているのに、下からも私の鉄分は出て行くのか」と正直ガックリした。
両方から血液成分が出て行くのは何だか不公平な気分。自分の栄養がムダに無くなる~って焦りもあり。
私は、ミルクなど全然必要ない、出過ぎるタイプだったから。乳腺炎にも何回もなった。直ぐ39℃台の熱が出る。
病気のメルクマールには、母乳が出にくい人も明記されていた…いっぱい出た私が?何で?おかしいよ、と思ったなあ。

他の方は、全然違う、前向きな気持ちで手術されているのかもしれない。

でも、私はこんな思いを持ちつつ、でも「当日」は、明るく、その日を迎えた。
執刀医の主治医の先生と、携帯で写真撮ったよ。(撮影は夫)
手術用のブカブカ服に着替えて、ストレッチャーに乗せられてから。

「先生1枚お願いします」って頼んだら、紳士的な物静かな主治医の先生は、照れ笑いをしながら一緒に写ってくださいました。(本当は、袖の下?渡されると思ってたんじゃないの?って今もちょっと疑ってます。それが、写真1枚お願いします!だから面食らったかしら?って。なんてたって、KG大学病院勤務だったし、私の手術時は公立病院勤務だけど。)

先生、今でもその時の気持ち聞いてみたいです。
「切られる」直前にいい歳した患者が、「1枚」なんて言ったこと無いですか?
「現実判ってるの?」って思いませんでしたか?

でも私も、人生でこれが最後の写真かも?ってちょっと思って、「命を預ける方」と最後に笑って撮っとこう!って思ってたんですよ。
そういえば、夫や子供とは、写真撮らなかったなあ…。何でかなあ…。
「謎」だなあ…。でも家族も写真撮ろうって言わなかったよ。
「まあ2週間程すれば帰ってくる」って、あの夫は軽く考えてたんだろうなあ。