kumaの「それなりにやってみようかな…」

子宮体癌経過観察中です。

摘出手術(当日続きから、歩くまで)

2008-07-02 | 全摘手術
2008年7月2日(水曜)手術当夜、夜0時~歩行開始迄

<・22:30 そんなに痛くないが、前回より1時間経過したため、エピ⑤>で前編終了
今回は、2日0時以降です。

・ 0:00 そんなに痛くないが、徐々に痛くなってきた。エピ⑥

※エピを押した回数は、日ごとでなくて、入院中の通算にしています。

・ 0:12 37.9℃、ブドウ糖500mlに点滴交換、導尿のカップ処理

・ 0:30 氷枕代えてもらう(ノートには横にニコニコマークを書いていた。そんなに嬉しかったんだろうか?)

・ 1:30 夜勤の看護師さんに交代。そんなに痛くないが、早めのエピ⑦

・ 2:00 37.4℃。痛くないが、1時間位、かゆくてかゆくてかいていた(お昼と同じ)1:30から(エピ)押していないが、痛くない=かゆい

・ 3:45-5:45 ねた!(どうして入眠時間が判るのかと自分でも思うが、そう書いているので、そのまま載せました)

・ 5:45 37.5℃、血圧普通、採血右手あり。尿カップ処理。傷口と腸の動き確認。下からの出血確認。

・ 6:30 点滴が、ブドウ糖からラクテック500mlに交換。

・ 朝(時刻不詳)KレジデントDr、G研修医Dr、N主治医、各々回診。
 寝返りをして、腸を動かし、歩いて、導尿と足のパフパフを外す方針、とのこと。

 日勤Iナース(1年目だけれど、その分努力が見えていた、と後で思った)

・ 9:30 回復室(個室)から5○○の大部屋(4人用)の廊下側に移動。
     氷枕からアイスノンへ。吸い口は病院にお返し状態(部屋に置き去り)
     パンスポリン点滴追加。
     37.7℃、(リモコンで角度の変わる)ベット90度位の角度に位置を変更(歩行の準備)「あと30分位このままで、慣れたら歩いてみましょう」と言って看護師さん退室。

・10:20 N主治医回診。早朝採血分、Hb9.9につき「自己血を戻す」とのこと。(その時は260ml出血したのでって、前日は240だったんですが…まあ大差はない。)

・10:30 「30分後に来ますね」と言われた看護師さんを信じて、90度の姿勢のまま待つが、来られない。気持ち痛いのでエピ⑧。

・11:30 Iナースやっと来室。90度の姿勢で我慢して待っていた。「30分ほどが2時間経過」痛いのでエピ⑨、痛いので横に戻してもらうことを了解してもらう。痛み止めの座薬も頼む。

・11:40 自己血戻し始める(自分の血を点滴で輸血する)「約4時間位かかる」とのこと。座薬インテバン使用。

・13:10 エピ⑩
・13:45 自己血戻し完了(4時間より早かった)
・14:25 エピ⑪
    「痛い、痛い!ブスコパンの点滴にして下さい!」とナースに頼む。腸けいれんの時、内科で点滴してもらうと嘘のように鎮痛していたからだ。Iナースさんは「先生と相談しますね」と去って行った。「また待たせないでね~」と祈る気持ち。  

・14:50 G研修医Dr回診。点滴ブドウ糖に。

「ブスコパンは腸の動きを止めるものだから、動かそうとしているのに、逆効果なので絶対ダメです。」と言われた。そのうえ、「もう歩いてみましょう」とのお言葉。(以降、おに先生と呼ぶ、と書き込んで、横に角の生えた鬼の絵を描いている、吹き出しで「サッサと歩け!」と鬼にしゃべらせている。)  

    導尿を外してトイレまで往復。(お小水は出なかった)

※この日は、夫は仕事、尚、勤務体制は前述通り、子供中心勤務。「痛い、痛い」と何度もメールするも「頑張れ」だけ。もう少し心配してくれよ~~~。

同室になった、同じ日にOPされた若い女性は、朝からお母さんが付きっきりで「あーだ、こーだとIナースを'ナースコール’で呼びつけている。(面会時間は15時からです!なので余計に気に障る。’僻んでいる’が正解か?)卵巣の茎捻転らしいとあとで知る。

・15:20 パンスポリン点滴追加(16時頃終了)
・15:50 部屋発16:00戻り(トイレ行く)
     焦げ茶色のカサカサしたものがトイレットペーパーにつく(以下、TPと略)パッドにもついていた。

・16:30 産婦人科病棟階散歩(10分)ナースSTで、空の点滴とアイスノン代えてもらう。


○……訂正
エピネフリン(本文中で「エピ」と略)を「エペ」と、先程まで書いていました。
何だか、痛み止めらしいです。詳しいことは素人なのでよく判りません。私が使用した方法は「全摘手術(当日)」の中に書いたので…略させて下さいね。


☆……memo…後日談……

濡らしたティッシュをマスクに入れる技?はこの日も継続中。看護師長に「風邪ですか?」と聞かれたので「乾燥するので…」と返事。不審気な顔だった…。
でも、これは冬場、喉が痛い日、寝るときにする、喉の乾燥を防ぐ為のやり方として紹介されている。

今日は、「歩くまで」で終わりにした。
メモしすぎて長い!読む方も疲れるだろう。

何せ、{これは私の記録であって、他の方には当てはまらない。誰もが痛いとは限らない。}のだ。「もっと早く歩けたわ~。そんなに痛くないわ~」ってコメも頂ければ、もしかこれを読んだ方も参考に勇気づけられると思うのだけれど…。

しかし、夫はいつ読み返しても「冷たい」なあって思う。「いつまでもかゆいっていってられないだろう、やっぱり、痛くなってきたか」って返信。{どうして?次の日位、ちょっと抜けてくれても良いのに}と思って、この日以降、メールで症状を打つのを止めた。糠に釘ばかり打つのは止めたんだぁぁぁぁ。





摘出手術(当日)

2008-07-01 | 全摘手術
2008年7月1日(火曜)全摘手術当日

<術式…単純全摘(両付属器含む。但し、術中迅速診断により、広範囲、リンパ節郭清等事前承諾済み)>

・ 3:30 看護師さんの回診で目が覚める。
・ 5:00 浣腸
・ 7:00 タケプロン服用
・ 7:50 ラクテック500ml点滴開始
     (あ~これで、しばらく手に針が刺さった生活になる。早く旦那来ないかな)
・ 8:10 次の点滴、パンスポリン静注用1gパックS  

※若い男の先生(麻酔担当医?)とG研修医、N主治医が、個々、回診に病室を訪れてくださる。
 部屋は、2人部屋(大部屋希望だが術前はここが専用なのか、昨日、同室の方も手術へ、以降1人個室状態。)
 この日の私の担当はS山ナースさん(って、後で写真見て判りました。有難う。大変な日にお世話になりました。)

  ↓手術着に着替えて、ストレッチャーで手術室。

   (さすがに内膜掻爬の時ほど精神的余裕が無かったせいか、何時に部屋を出たか、どんな風景を見ていたかは、メモできていなかった。夫もいつ来たんだか…。どこまでついてきたのか、手を振ったんだか、何か最後に言ったかな。)

・EVで手術階に降り、OP室入室。担当看護師さん3名?が直ぐ駆け寄って来られて、担当の「○○です」と口々に言われ{覚えられず}頭の帽子?を被せてもらったり、心電図をつけてもらうのに?「冷たいですよ~」とか言われ、酸素濃度の器械を指につけられたり、凄くテキパキ作業、「早~慣れてる~」との印象だけ。

・硬膜外麻酔を入れるのに、丸まった姿勢で注射を打たれたが、全然痛いとか、そんなことも覚えていない。もちろん主治医の先生、レジデントDr、研修医Drの入室はいつからだったのだろう?

・TH大では、OP室内に音楽が流れていて、患者が希望すればそのCDが流してもらえるということで要望を聞かれ、「何でも良いです」と言っていたから、なんかインストルメンタルな曲が流れていたが、ここでは、「音無し」の様な気がしたけれど。それも怪しいなあ。もちろん麻酔前で意識のあった筈のことも、忘れている。脳の意識的消去なのかな?

・13:00 「○○さ~ん(名字の連呼)」で悪夢より覚醒。

多分先生方や看護師さんに「ありがとうございました」と言った筈(この時だけは、ちょっとだけ、いい人間に変わってたかも)

しかし悲しいかな、翌日午前中位まで「声が出ない」=気管挿管の関係でのどが森進一状態。かすれ声がやっと小さく出る感じ。何かベットに寝てる人間が「あうあう」言いながら頭をピョコピョコするイメージ。夫はお礼言ってくれたのかな?

・13:27 部屋に戻る。(但し、産婦人科の術後専用に使われている個室5○○、通常の部屋と変わりないような部屋、通称、回復室)
    血圧90/60? 35.9℃…電気毛布on いつからか肺塞栓防止用の、足をくるんで、空気圧でマッサージする「通称パフパフ」がついていた。

・13:50 子供のお世話を頼んでいた方等3名に「早い方の予定時間でOP終了しました」とメールしました。{本当は、まだいっぱい器械も装着しているのに御法度!ですが、心配もかけているし、子供のことも気がかりだし、NG承知です。皆さん!してはいけません。病院はまだ携帯禁止が多いです。}

・14:00 36.0℃…電気毛布off
     N主治医より「240cc出血しました」とのお話。

・15:30 36.9℃…電気毛布外す、血圧10?/68(この病院は余り血圧を具体的に教えて頂けません「うん普通ですね」が、標準対応) 
     パンスポリン生パック100ml、1本点滴開始
     「お腹が熱い!」感じ始まる。

・16:20 パンスポリン点滴終了。89/54?、37.4℃「氷枕」開始
     口をすすぐ(もちろん何も飲んではいけません) 
    
この頃から全身が痒くなる。足の甲まで痒い!夫に「爪でギーギー思いっきり掻いてくれ~」と頼み、蕁麻疹が出ていないか体を確認してもらう。

N主治医によると麻酔薬で痒くなることもあるらしいが、あまりブログで痒いって書いている方、見ないような気がするので、例外かも。

・17:10 N主治医回診(以降入院中も大体18時半頃までの回診多い。帰宅前?仕事の区切り?何だろう)

・17:35 37.3℃
・18:06 酸素止める。ラクソベリン、アナペイン100(痛み止め)点滴。エピネフリン①(以下エピ、○数字は何回目押すの略にします)
     Nナース準夜勤担当。37.6℃、118/70?

※エピネフリンは、硬膜外麻酔の続きらしい。背中の方から体内にチューブが入っていて(自分では見えないので最後までどこにだったか判りません)痛くなったら、自分で、手元の注射器様の道具を「ギュッー」って押す。自分で調節するように出来ているから、むやみに押せないよう、1時間に1回しか押せないように調節されている(押すところが戻る時間で調節するみたい)    
     
・18:30 夫帰宅(面会時間19時迄、子供は、小学校下校後、学童保育、その後、友人宅で着替えて習い事で、その迎えに19:30に家を出ないといけない。)

・19:20 エピ②
     G研修医Dr回診、腹部に聴診器「お腹=腸は少しずつ動いている」とのこと。

お腹が動いて、ガスが出ないと何も飲めない。(当然食べるのは、その後。おかゆから) 
      
・20:25 イタイ、イタイ(ノートもカタカナ表記だ)エピ③

・21:30 「痛すぎ」の書き込み。
     インテバン(痛み止め座薬)を入れてもらう。エピ④
     本当は、もっと前から痛かったが、出産しそうな方が2名居られて、言い出しづらい。看護師さん達も準夜勤に交代されて人数激減中。

インテバンは看護師さんによると15分位で効き始め、6時間位効果持続らしい。

・22:30 そんなに痛くないが、前回より1時間経過したため、エピ⑤

○……この日
術後、終日導尿、飲食禁止。エピ3回、インテバン1回。 


☆……memo…後日談……

0時を区切りとしているため「当日」編はここで終わり。但し、日付が変わってもまだまだ、3:45位まで寝ていない。

痛いと痒い(個人的みたい)が続いている。

口も渇いて、口すすぎをしてもらいたいのだが、今の看護師体制では”ナースコール”を押して夜中に「口をすすいでください」と呼びつける訳にはいかない。飲んではいけないため、吸い口から口に入れて、洗面器様のものに吐かないといけない。どうやっても1人では、術日当日はムリ。ベットの周囲を汚しそう。砂漠に居る感じ。水~水~って。

で、考えた技。術前に院内で風邪をもらわぬようにマスクをしていた。その中に濡らしたティッシュを入れてマスクする。なかなかいい感じ!と自分では思っていたが…。それを片手でするのも実は大変。足もパフパフに繋がれ、どうしたらいいかもわからない。外れたら大変だし。体は思うように動かないし、手の届く範囲で、片手でペットボトルの蓋を開け、そっーと傾け、死にものぐるいだったよ~。自動口すすぎ器も作ってほしいなあなんて、このご時世では言えませんねぇ。

こんなに頻繁に看護師さんも様子を診に来てくれるのだから、寝るわけないですね。




全摘手術(気持ち)

2008-07-01 | 全摘手術
全摘する時、つまり、

私の子宮・卵巣・卵管とのお別れの日。
術中迅速病理診断の結果如何では、リンパ節ともお別れだ。

不思議と「病気」とお別れする気分は、一つも起こらなかったし、当然「病気から解放される」気にもならず。

生理とお別れして「楽になる」という考え方もあるが(前向きっていうのかな?)、世の中に、女として存在しているのだから、特に「うれしい」なんて思わなかった。

歳がいけば、自然とお別れするものだから…。
生理の時は鉄剤を飲み、ひどければ鎮痛剤を飲み、工夫してやってこられたからなあ…。まあ失敗しての手洗濯も今となれば懐かしい思い出だ。

気持ちは、自分は「男」でもなく「女」でもない、生物学上、何に分類されるのかな?っていう、
お医者様に言わすと(本にも書いてあるが)、「女に決まってるでしょう。バカなことを考えてる」っていう、感傷か卑下だか判らないが、無い物ねだり、とでも言うのだろうか、そんな感じ。

ニューハーフの方は、わざわざ取ったりしているが、それは、自分が「男あるいは女じゃない!」と確信してのことだ。(性同一性障害の方は切実だろうけれど)


「男だ」と思えない私には、たとえ形骸上の一物になろうとも、精神的にはやっぱり必要なものだったんだなあと思った。

もちろん、妊娠して生理が無くなって、授乳期間中もある程度までは無い。
再開したとき、「授乳しているのに、下からも私の鉄分は出て行くのか」と正直ガックリした。
両方から血液成分が出て行くのは何だか不公平な気分。自分の栄養がムダに無くなる~って焦りもあり。
私は、ミルクなど全然必要ない、出過ぎるタイプだったから。乳腺炎にも何回もなった。直ぐ39℃台の熱が出る。
病気のメルクマールには、母乳が出にくい人も明記されていた…いっぱい出た私が?何で?おかしいよ、と思ったなあ。

他の方は、全然違う、前向きな気持ちで手術されているのかもしれない。

でも、私はこんな思いを持ちつつ、でも「当日」は、明るく、その日を迎えた。
執刀医の主治医の先生と、携帯で写真撮ったよ。(撮影は夫)
手術用のブカブカ服に着替えて、ストレッチャーに乗せられてから。

「先生1枚お願いします」って頼んだら、紳士的な物静かな主治医の先生は、照れ笑いをしながら一緒に写ってくださいました。(本当は、袖の下?渡されると思ってたんじゃないの?って今もちょっと疑ってます。それが、写真1枚お願いします!だから面食らったかしら?って。なんてたって、KG大学病院勤務だったし、私の手術時は公立病院勤務だけど。)

先生、今でもその時の気持ち聞いてみたいです。
「切られる」直前にいい歳した患者が、「1枚」なんて言ったこと無いですか?
「現実判ってるの?」って思いませんでしたか?

でも私も、人生でこれが最後の写真かも?ってちょっと思って、「命を預ける方」と最後に笑って撮っとこう!って思ってたんですよ。
そういえば、夫や子供とは、写真撮らなかったなあ…。何でかなあ…。
「謎」だなあ…。でも家族も写真撮ろうって言わなかったよ。
「まあ2週間程すれば帰ってくる」って、あの夫は軽く考えてたんだろうなあ。