中さん

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日記(5.13)

2024-05-13 13:17:12 | 日常
2024  5月13日  (月曜日)    雨
昨晩から降り出した雨
今日は関東などは夜にかけても雨が続くと・・・・

日本列島に合わせたように雲がびっしりかかっている。
さて雨降りは何をするか?困った。
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上毛新聞 三山春秋 12日のコラム
 ▼詩画作家・星野富弘さんの突然の訃報に、
  本紙「ひろば」欄には読者からの追悼メッセージが寄せられている。
  体操部で直接指導を受けた当時の生徒や千羽鶴を携えて入院先を見舞った女子生徒―。
  それぞれが胸に秘めた大切な思い出を語っている
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 ▼星野さんは1946年、旧勢多東村(みどり市)に生まれた。
  スポーツ万能で登山に熱中した。群馬大を卒業後は高崎市内の中学校に体育教師として赴任。
  体操の指導中に頸髄(けいずい)を損傷し、手足の自由を失った。

 ▼詩画を描くようになったきっかけは友人や生徒から届いた手紙に返事を出したいと思ったこと。
  入院から2年、初めて筆を口にくわえて「ア」という字を書いた。
  黒い糸の切れ端がもつれたようだった。

 ▼文章を書くのは大変で、便せんに余白があった。
  それを埋めるために描いたのが花だった。
  再び教壇に立つことはできないが、教師でありたいとの強い思いがあった。

 ▼〈わたしは傷を持っている/でもその傷のところから/あなたのやさしさが/しみてくる〉
   作品にいったいどれだけの人が励まされたことだろう。
   取材でお邪魔した高齢者宅に、小さな会社の事務所に星野さんのカレンダーが飾られていた
 ▼〈この道は/茨(いばら)の道/しかし 
   茨にも/ほのかにかおる花が咲く/あの花が好きだから/この道をゆこう〉。

   絶望のふちから希望を見いだし、命の尊さを訴え続けた人だった。


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★希望を見いだした・・・とあるが
 そんな簡単なことではない!
 私も星野氏と生まれは同時代で、自己管理ができていない
 自分を反省しながらだが後厄時に右脳内出血を患った。大きい出血で
 生死を分けた一瞬であった。
 しかし意識があったのですべての言葉が耳に記憶としてが残っている。
 ・・左半身が動かない。一瞬絶望を経験した。
 これが左脳であったら人生はなかったと・・・
 幸い麻痺は運動機能部分の主要部分を避けたが戻りは70%と告げられて
  又ショックであった。一寸苦しいリハビリを過ごしながら
  薄皮を剝ぐように治っていった感じであった。最後まで皮膚の感覚が微妙に戻らなかった。
 ただただ・・心の焦燥感は長い事消えなかった。子供がまだ小さかったこともあった・・
〇入院中に仲間や先輩が
 相田みつをの”人間だもん”と星野富弘の”詩画集”を差し入れてくれた。

平成元年当時のもので今も近くにある。
鈴の鳴る道も・・
 お見舞いは多くを語らずそっと本などを置いて行ってくれたのはうれしかった。
 ”辛いのは悪気はないのだが”頑張って”の言葉は刺すように響いた。
 精一杯頑張ってる最中だ!・・
 出来れば、同じような経験をした方の経験談が一番
 欲しかった事が思い出される。
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 喉元過ぎれば熱さを忘れ。ではないが
 それを戒めにして時折・・本も広げ当時を思い出す様にしている。
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