中さん

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日記(5.4)

2024-05-04 08:21:50 | 日常
2024  5月4日  (土曜日)   晴れ

昨日、元気のないジャガイモのサクに肥料を入れて土寄せを6サク
やっただけで腰に張りが出ている。
無理が効かない体力不測の体だ!
〇追加の肥料購入でコメリにて20kの袋3袋を購入。重い!
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帰りに突然思いついた・・そうだ・運動靴も大分くたびれてきたので、
シユウプラザに寄ってみる。
はやりのヘラなしてスッと入るというものを買ってみた。
さて、慣れるかなこの靴。

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★朝の6時過ぎに自転車で走ると少々涼しいが帰り頃には気温がグングン上がってきた。
 〇野菜苗を甲南まで買いに出かけたが予定していたものがなく・・・トマト苗を数本求めて
  帰りの車内の暑い事・・他の用件もあってあっちこっち回った。
  こんな5月は珍しい。全国的に暑い。真夏日の場所が沢山出ている。
  体も暑さについていけない感じだ!
  早くから”暑熱順化”をしておかない夏が乗り切れないかも!
★なんだか感覚的には半世紀前に較べると花も何もかも1ケ月前倒しの感じだなあ~!
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新潟日報   日報抄  記事には
 もがいた3年間だったと打ち明けられた。
 演劇に携わる人たちと話し、感染禍の苦労を知った。
 劇場の幕を開けることができず、演じようとすればマスクを求められた。
 せりふも表情もマスクに阻まれ、苦しかったに違いない
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▼途切れてしまった世間の観劇習慣を元のように戻していきたいという。
 「もう一度盛り上げたいんです」との言葉を聞いた。
 ただ、東京で舞台を支える人は、気がかりがあると教えてくれた。
 運送業界の働き方改革の影響が読めないらしい
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▼トラックのハンドルを握る人たちの労働時間を是正する今春の改革だ。
 舞台セットを地方へ運んでもらうとき、
 ドライバーにきっちり休息を取ってもらうと、移動に費やす日が増える。
 移動日が増えた分、地方での公演日数を削るような調整も考えないといけないという。
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▼物流の変化に気をもむのは演劇業界だけではない。
 生鮮品のスピード輸送が難しくなるとの声もある。
 新潟から全国の消費地への野菜や魚の輸送にも変化が出てくるだろうか!
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これまでトラック輸送にどれほど助けられてきたことか。
 運転する人たちの残業の上に物流網が成り立ってきた。
 夜に届けてくれる人がいて、再配達してくれる人がいて、
 その踏ん張りに社会全体が頼ってきた

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▼古紙回収の場で多くの段ボールを見かける。引っ越しだったろうか。
 プレゼントが詰まっていたろうか。
高齢者を支える宅配だったかも。
 一つ一つに運んでくれた人がいる。

 その足取りが軽くなる春の改革にしなければ。
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日記(5.3)

2024-05-04 05:45:07 | 日常
2024  5月3日   (金曜日)    晴れ   気温上がる。
空は突き抜けるような青空だ。
庭先のキスゲが一気に天気に合わせて開いた。

こんなに沢山咲くのは久しぶり。

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一方空き家の増加が著しいグラフも

900万戸の空き家と・・・ある。
自分達も、
いつ体が動かなくなってくるかを考えておかねばかなあ・・
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記事は小さいが
星野富弘さんが亡くなったとある。
何度も訪れた美術館と買った本が手元にある。
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上毛新聞  三山春秋
 ▼あまりに過酷な環境では現実にとらわれ、
  将来を描くのが難しいときがある。
 「安全な所に行きなさい。若い人には次の時代を創ってもらわないとね」
  太平洋戦争の末期、疎開を渋る鈴木道子さん(92)は祖父の言葉に目が覚める思いがしたという。
 「私たちに次の時代が来るんだ」と
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 ▼穏やかに孫娘を諭したのは、終戦に導いた首相の鈴木貫太郎である。
  厩橋(うまやばし)学校(前橋桃井小)や群馬県中学校(前橋高)で学び、
  海軍大将や枢密院議長を歴任。この時すでに極秘の終戦構想を練っていた
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 ▼国力の差を熟知し、対米戦の無謀さを早くから説いた
  二・二六事件では銃弾4発を受けながら九死に一生を得た。
  陸軍の反対を押し切ってポツダム宣言受諾を取りまとめると、
  徹底抗戦を叫ぶ暴徒に私邸を焼き払われた

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 ▼「正直に腹を立てずに撓(たゆ)まず励め」。
   揮毫(きごう)した教訓碑が前橋桃井小に残る。
   首相は千葉県から転入したため、同級生から度々からかわれたらしい。
   この際、父の「短気は損気」との教えが、
   生涯の教訓「腹を立てずに」につながったようだ
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 ▼命日の17日、前橋鈴木貫太郎顕彰会が立ち上がった。
  腰高博会長は
  「戦争終結という難事業をやり遂げ、破滅を阻んだ。
   本県ゆかりの大宰相の功績を伝えるのが使命」
と強調する。
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 ▼国賊との非難を浴び、命を狙われる状況にあっても信念はぶれなかった。
  最期に発した言葉は「永遠の平和」だった。
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