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中さん

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日記(3.25)

2025-03-25 20:14:45 | 日常
2025   3月25日  (火曜日)     晴   ②
◆春に蒔く野菜種を買いに出かけて
 他に菜園で使う機材を選んだりで2時間ほどかかった。
◆夕方、家内通院の付き合いでクリニックへ
ついで先日受けた高齢者検診の結果を聞く。
 あっちこっちのデータが高め!最も悪いところをさがすのが検査だ。
 それにしても結果が数値で示されるのはイヤなものだ。
 心配していた前立腺肥大の血液中のPSA値も05と正常であった。
 70歳以上は4.0以上は問題だと・・先日の総合病院講習会で聴いていた。
 大腸がんも今は問題なさそうだ!
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◆その足で星渓園の隣の石上寺の熊谷桜を観に寄った。
 ここは早咲きの熊谷桜が有名で30本ほどの木がある。
 満開であった。

夕方で光の具合が今一歩だったが綺麗であった。

近々もう一度訪れてみよう。
数年前ここで先輩の葬儀が行われたのでやけに身近なお寺さん。
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帰宅前に近場の懐かしの揚げたてコロッケの西京屋で
 アツアツを数枚を買ってくる。
 ついでにヒレカツも買って夕方の食事。

◆北海道産の男爵ジャガイモを使っていてとても美味しい。
 コロッケ好きなのでどうしても多めに食してしまう。
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◉自由の女神像と題して
中國新聞  コラム天風録に・・ちょっと面白い記事が
 「自由を与えよ。しからずんば死を」
 250年前のきのう、今の米国で一人の議員が声を上げた。
 植民地支配していた英国に対する異議申し立ては、
 独立を求めるうねりを生んだ。
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メモ

パトリック・ヘンリーの言葉「自由を与えよ。然らずんば死を」
Give me liberty, or give me death!
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パトリック・ヘンリー(Patrick Henry、1736年5月29日 – 1799年6月6日)は、
アメリカ合衆国の弁護士、政治家である。
  ヘンリーの最も有名な演説は、1775年3月23日に行われたもので、
 バージニアはイギリスの支配に異議を唱える
 ニューイングランド地方の抵抗運動に参加すべきことを訴えて、

 特に有名な次の発言を演説の結びとした。
  Is life so dear, or peace so sweet, as to be purchased at the price of chains and slavery?
 Forbid it, Almighty God! I know not what course others may take;
 but as for me, give me liberty or give me death!

 ◆鎖と隷属の対価で購われるほど、命は尊く、平和は甘美なものだろうか。
  全能の神にかけて、断じてそうではない。
  他の人々がどの道を選ぶのかは知らぬが、
  私について言えば、私に自由を与えよ。然らずんば死を与えよ。
  特に最後の最後の「自由を与えよ。然らずんば死を」という
  発言は歴史に記憶される名文句となった。
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▲劣勢気味の米独立派は、英国弱体化を狙う欧州各国の厚い支えで息を吹き返す。
 数年がかりで英国の植民地から抜け出すと、
 ◆今度はフランスで自由を求める大きなうねりが起きる。
  民衆が立ち上がって、王制を倒した。


メモ
  民衆を導く自由の女神は、ウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた絵画。

1830年に起きたフランス7月革命を主題としている。
中心に描かれている、銃剣つきマスケット銃を左手に持ち
 フランス国旗を目印に右手で掲げ民衆を導く果敢な女性は、
  フランスのシンボルである、マリアンヌの姿の代表例の一つである。
  絵画としてのスタイル、フランス7月革命というテーマから、
  絵画におけるロマン主義の代表作と言える。
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 女性は自由を、乳房は母性すなわち祖国を、という具合に、
 ドラクロワはこの絵を様々な理念を比喩で表現している。
 一方で、彼女が被るフリギア帽は、フランス革命の間に自由を象徴
 するようになった。
 女性に続くシルクハットの男性は、ドラクロワ自身であると説明される事が多い。
 1874年から今日に至るまで、ルーヴル美術館に収蔵されている。
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   ◆今思い出した
    ルーブル美術館は運よく2回訪れられた。この絵も観られた。
    それ以外に、2回ともモナリザの絵を真近でゆっくり観られたのは幸運であった。
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▲独立支援で国家財政が破綻寸前になったことも、
 民衆が蜂起した要因のようだ。
 米国とフランス革命との関係は意外に深いといえようか。
 独立100周年のお祝いでフランスが自由の女神像を贈ったのも、
     つながりゆえである

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▲そんな両国の関係が今、揺らいでいる。
 「像を返還せよ」との発言がフランスの政治家から飛び出した。
 ロシア寄りの姿勢を鮮明にした米国への反発である。


 「低レベルの政治家」との批判が米政権から出たのは、
 痛いところを突かれたからだろう。
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▲女神像が手にする独立宣言は、万民が平等だとうたい、
 政府による権力乱用を戒める。
 米国は今、外国人の富裕層向けに永住権を高値で「売る」という
 「自由は金次第」の国に成り下がったのか。

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私には朝令暮改的なトランプ政権とも映る。
ディールも通じないロシア。

日記(3.25)

2025-03-25 13:27:33 | 日常
2025   3月25日  (火曜日) 晴
◆気温がどんどん上がって来る。 
◆朝のうちに畑でスナップエンドウのクネ立てを始める。
 そんな事をしていたら、花粉に喉・鼻・目を傷めた。
◆列島も黄砂に襲われるとニュースが流れる。
 中国・北京の黄砂の映像

ここは明日から酷くなりそうだ!

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◆2000年ごろだったか出張で北京を訪れた時
 凄い黄砂に遭遇した。
 香港から飛び立った飛行機が黄砂を避ける様に北京に降り立った。
 風も強く本当に一寸先の前が見えない!
 翌日、黄砂の嵐が通り過ぎたのかピカーと静かな青空が広がったのが不思議であった。
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上毛新聞   三山春秋 に ”城泊”という耳慣れない言葉が・・
 ▼山の頂にそびえる安土城を前に宣教師ルイス・フロイスは感嘆した。
 「その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、
  ヨーロッパの最も壮大な城に比肩し得る」と記している。

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 ▼築いたのは織田信長。ひと山を石垣で固め、
  高さ32メートルの「天主」の外壁は朱や青に塗られた。
  瓦には金箔(きんぱく)も使われたという。
  それまでの戦闘目的の城とはまったく異なる見せるための城
  多くの人が思い浮かべる日本の城の原点はここにあると言っていい
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 ▼見せるという信長の狙いは現代にも生きている。
  全国各地に点在する城は観光スポットとして人気が高い。
  そこへ、新たに注目されているのが「城泊」である
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 ▼天守や櫓(やぐら)に泊まって武将や殿様の気分を味わってもらうのが売りで、
  大洲城(愛媛県)や平戸城(長崎県)が代表例だ。

  国は城や社寺を見る文化財から使う文化財へと後押ししており、
  泊まれる城は増えていくかもしれない
平戸城;

どの城も立派な姿だなあ~
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 ▼歴史的な建造物や文化財をユニークベニュー(特別な会場)として貸し出す事業もあり、
  県内では富岡製糸場の西置繭所や臨江閣(前橋市)で行われている。
  独特の雰囲気がつくる空間とそこでの体験は唯一無二で、
  施設への愛着や保存への思いにつながる。活用が今後さらに広がるといい
   ◆臨江閣は昨年訪れたが泊まりたいとは思わなかったなあ~!

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 ▼城巡りが趣味の筆者。
   大洲城のプランを調べてみたら、
   2人で1泊100万円を軽く超えると分かり嘆息した。
   殿様気分は味わえそうにない。
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