HARI INI ?

じゃすみんの雑記帳

就職活動

2006-10-26 | HARI INI ?
金融街のあちこちでこのところ、投資銀行マンたちは実は大笑いしていた。格好のネタになってしまったのは、「アレクセイ・ヴェイナー(Aleksey Vayner)」という若者。大真面目な顔をした、米イェール大の学生だ。就職活動中の彼は数週間前、UBS銀行に応募して、11ページにわたる履歴書と一緒に、自分がいかに特別な人間かを説明する短いビデオクリップを提出していた。

それから数日もしないうちに、「Impossible is Nothing」という(アディダスCMからとった)タイトルのこのビデオは世界中にメールされまくり、YouTubeにも張られ、ものすごい大人気コンテンツになってしまった。

英米ビジネス界をかけめぐったこの流出ビデオを、まだ観てないという一部の方々に念のためご説明しましょう。主人公がひっきりなしに衣装替えをするという意味では、このビデオは、私が先週観た映画(同じく「仕事」がテーマだ)『プラダを着た悪魔』といい勝負だった。『プラダを着た悪魔』は「まあまあ笑える」程度のコメディだったのに対して、ヴェイナーさんのビデオは大爆笑ものだ。さらに言えば、作り話のはずの『プラダを着た悪魔』に出てくるウルトラ最悪な鬼婆上司には「まあ、ああいう人はいるかもな」と思えるリアリティがあったが、作り話ではない本物の就活学生ヴェイナーさんは逆に、こういう人が実在するとはにわかには信じがたいありえなさだ。

ビデオの中で彼はまず、グレーのスーツ姿で現れる。次にショーツ姿で、巨大なバーベルを上げ下げ。次には白いテニスウェアで、強烈なサーブを披露。さらにはタキシード姿で、キラキラなビキニトップの女性とダンス。しまいには空手衣で登場し、うずたかく積まれたレンガの山を素手でカチ割ってみせるのだ。

自分のこうした「技」を次々と披露する傍ら、ヴェイナーさんは「成功するには」と自らの哲学をトウトウと語る。「そんなことダメだという連中がいても、負け犬の言うことなんか無視すべきだ」 淡々と語るその口調は恐ろしげとも言えるほど。「失敗という選択肢はありえない。つらいと思うところまで自分を追い込むんだ」

ビデオは素晴らしく面白い。しかしビデオそのものよりも、銀行マンたちの大受けぶりのほうが、実はかなりおかしかった。これだけやる気満々の学生が目の前にいるのに、企業側の争奪戦がないというのも、かなり笑える現象だ。

あっという間に採用が決まるどころか、ヴェイナーさんはあっという間にインターネットの被害者となり、世界中の笑い者になってしまった。本人は今どこかの穴に隠れて、「プライバシー…」とか「訴訟…」とかブツブツつぶやいているらしい。

気の毒に……と同情するには、彼はちょっとひどすぎるので、そういう気にもなれない。

しかし、彼の「ひどさ」というのは、大手企業がこれまで「こういう人材が欲しい」と求めてきた資質にほかならないのだ。「Impossible is Nothing」(不可能は何もない)という言葉は(表現として矛盾しているが)、多くの会社が掲げる思想そのものだ。食品会社キャドバリー・シュエップスは最近出した社内ハンドブックで、不可能なことを毎日何かひとつでも実現するよう社員に求めているほどだ。よく働きよく遊び、自分の体はとことん鍛えるというヴェイナーさんのポリシーは、「一流」企業人にとっては、スタンダードともいうべき考え方のはずだ。

UBSのウエブサイトに行くと、思わず体がこわばってしまうような、あちこちがむずがゆくなってしまような「You & Us」というイメージキャンペーンがある。若い美男美女が、美しい雪山をバックに座っている。出てくるメッセージは「自由とは、自分の夢を実現する可能性です」「私は何事も優秀にこなします」など。

ヴェイナーさんは明らかに、自分の夢実現にかけて優秀な人材だ。なのにどうしてUBSは彼を採用しないのか、おかしな話だ。

ヴェイナーさんは、あるいはむしろJPモルガンに向いているのかもしれない。あの銀行は数年前、従業員ひとりひとりがいかに飛びぬけて優れているかをテーマにした連続CMを流していた。私のお気に入りは、「ナターシャ・スアカノーヴァ」という若い美女が出てくるもの。彼女は自分の「ミッション」について「ベストが手に入るのなら、ベターで満足したことはありません。まあまあ程度のものには一切関心がありません。シニカルで後ろ向きな人は、私にイラ立つのです。私は火をつける人間。私はJPモルガンで働いています」と語っていた。ナターシャとアレクセイ。なんと見事なベストカップルではないか。

ヴェイナーさんのビデオが、どうしてこんなに受けているのか。理由のひとつは、彼がバカモノに見えるから。もうひとつの理由は、企業が宣伝のためにアホ話をするのと、個人が自己PRのためにアホ話をするのとは、全くの別物だから。企業PRを真に受ける人はいない。企業が掲げるモチベーションや理念をそっくりそのまま、生きた人間が語り始め、実行し始めると、そこには奇妙を通り越して、何かおぞましい化け物じみたものが出現する。企業が求めているのは優秀な人材であって、変人ではないのだ。

企業側は、ヴェイナーさんの出現を警鐘として受け止めるべきだ。あれが欲しいこれが欲しいと言う前に、今一度、どういう人材が欲しいのか考え直すべきだ。「アレクセイ・ヴェイナー」とは、ありえないぐらい荒唐無稽になってきた最近の就職採用プロセスの、論理的な帰結点、必然的な産物なのだから。

人を募集するにあたって、企業側は要求をひたすら際限なく高く高くあげてきた。ごく一般的な仕事についても、企業側はありえないほど優れたコミュニケーション能力を要求するし、着実に成果を出してきたという実績を求める。多くの場合、応募フォームには「自分が優れたリーダーシップを発揮した事例」を書き込む欄があるので、応募者は何かをでっちあげなくてはならない。ともかく限界ギリギリまで大げさに自慢話をしてくださいと、企業側は応募者に求めているも同じだ。

その結果、誰もが目立とう目立とうと背伸びをし、企業側の思惑を探る能力ばかりが重視されるようになった。「自分は働き者だ」という応募者があちらにいたと思えば、こちらでは「自分はスタハノフ労働者(ソ連時代の生産性の高い労働者)並みに働く」とかと話が大げさになり、しまいにはヴェイナーさんみたいな応募者がやってくるというわけだ。

これはアメリカで始まった風潮ではあるけれども、今やアメリカだけの現象ではない。30年前のイギリスでは、子供たちに「自慢話はいけません。失礼ですよ」と教えたものだ。しかし今のイギリスの子供たちは、ちゃんと分かっている。

15歳になる私の娘が最近、ある応募用紙に書き込んでいた時のこと。自分を最もよく表している修飾語を3つ書き込んでくださいという設問があった。「怒りっぽい」「気まぐれ」「テレビ中毒」はどうかと私がアドバイスすると、娘はバカにしきった目で母親を一瞥(いちべつ)。母親を無視して娘は、「クリエイティブ」「意欲的」「優秀」などあれこれ試してみた後、もう一段階トーンダウンした言葉を選んでいた。つまり娘はもうコツをつかんでいるのだ。本当の自分よりも優秀な「自分」をアピールしつつも、相手を警戒させるほど過剰な演出は慎むべきだと。

これはまさに、制度としての自慢、システムとしての自慢だが、このシステムには弱点が二つある。応募者の言うことはどれも誇張されていて、どれも似たり寄ったりだから、本当に優秀な人材を選ぶための材料にはならない。「自分は目標達成型の優秀な人材で、リーダーとしても卓越している」と主張する応募者しかいない状態では、小石だらけの中から玉を見つけ出すのは至難の業だ。

私は心配だ。ヴェイナーさんは実は、時代を先取りしているのかもしれないからだ。彼みたいな自己PRビデオを使った就職活動が、これからは主流になってしまうのかもしれない。そうなったら人材採用というのは、リアリティー番組と出会い系ビデオをミックスしたものになってしまう。ばっちり完璧に見た目を整えて、カメラの前でリラックスできる、そんな人だらけになってしまう。ビデオに映る2分間だけは自分がスター……、そんな人ばっかりになってしまうではないか。

今話題の「Impossible is Nothing」ビデオなどなんでもない、そんな時代があっという間に来るのか。ああいうことをあっさりスマートにこなして、それでもバカモノに見えない。そういう人間なら、どんな仕事でも思うがまま。そういう時代が来てしまうのかもしれない。

   ―――【FT】これぞ究極の就活? 自己PR極めた学生こそ企業の理想では (1)─フィナンシャル・タイムズ(フィナンシャル・タイムズ)

私は第一印象がとても弱そうにみえるらしい。
そして、1ヶ月もするとその評価は誤ったものだと気づくそうだ。

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