サッダーム・フセイン元大統領は1937年4月28日、イラク北部のティクリート近郊のアル・アウジャ村で生まれた。アラブ諸国でアラブ民族主義が高まった1950年代に思春期を過ごし、1955年にバグダッドでバアス党に入党した。
1959年にアブドゥルカリーム・カーセム首相の暗殺計画に参加したが、逮捕を逃れてシリアとエジプトに逃亡。亡命中の欠席裁判で死刑判決を受けた。
亡命中にエジプト・カイロで法律を学んだ。1963年にバアス党がイラクの政権を握ると、サッダームは帰国し党の要職につく。この第一次バアス党政権が 1964年に失墜すると、サッダームは逮捕投獄されるが、獄中で党幹部となり、1967年に脱獄。1968年のバアス党と軍のクーデターでアフマド・ハサン・アル・バクルが全権を掌握し、大統領になると、サッダームは最高意思決定機関・革命指導評議会(RCC)の副議長に就任。1973年からは国軍司令官を兼ねる。1979年7月には党内クーデターを成功させ、アル・バクル大統領を引退させた後、自ら大統領に就任。政府内パージを敢行し、数百人を処刑したとされる。
大統領就任後は反体制派やイスラム教シーア派を激しく弾圧。政教分離の世俗的な、個人崇拝の政治文化を強制する。イラン革命翌年の1980年9月にはイランの石油資源や輸出要路をめぐってイランを奇襲攻撃。イラクは米欧ソの支援を受けるが、イランの徹底抗戦にあって、イラン・イラク戦争は88年に停戦した。
イラン・イラク戦争停戦から2年後の1990年8月、サッダームはクウェートを侵攻・占領。米国の猛反発を受け、翌1991年の湾岸戦争で敗退。米国主導の国際社会と国連は、イラクに経済制裁を科す。
2001年9月11日の米同時多発テロを契機として、米ブッシュ政権は国際テロ組織アルカイダとイラクを関連づけた主張を次第に展開。02年にはイラクが大量破壊兵器を保有・開発していると主張し、03年3月20日にイラク侵攻を開始。4月9日にバグダッドは陥落し、サッダーム・フセイン政権は崩壊。5月 2日にはブッシュ大統領が大規模戦闘終結を宣言したが、激しい戦闘はその後も続いている。
03年7月22日には、サッダームの息子ウダイとクサイが米軍の銃撃で死亡。サッダーム本人は同年12月13日、故郷ティクリート南郊の民家地下に潜伏しているところを、米軍に拘束される。身体検査を受ける映像などが公開された。
04年7月にイラク特別法廷の初公判が開かれ、05年7月に人道に対する罪で起訴された(イラン中部ドゥジャイル村で1982年に起きた暗殺未遂事件を機にしたシーア派住民148人の虐殺に関与した罪、およびクルド人18万人余を殺害した「アンファル作戦」を命令した罪)。
06年11月5日、特別法廷はサッダームをドゥジャイル虐殺について有罪と判断し(クルド人虐殺については審理中だった)、絞首刑による死刑判決を下した。翌月26日にイラク高等法廷が控訴を棄却したため、死刑が確定。同日に記者会見した高等法廷控訴院のシャヒーン裁判官は、執行日については「12月 27日から30日以内に、行政府が決定する」と説明した。
サッダーム・フセインと政権幹部の裁判は、弁護士が殺害され、判事が相次いで辞任あるいは交代したのをはじめ、イラク政府による干渉が指摘されるなど、その進行や手法、公平性を疑問視する声もイラク内外から挙がっている。
法廷でサッダームは自らを「元イラク大統領」ではなく、今でも「イラクの大統領」だと名乗り、特別法廷の正当性を否定。裁判は戦勝国・米国が仕組んだ「茶番」だと非難し続けた。死刑判決が下された11月5日に獄中で書いたとされる手紙では、「自分の魂を神への犠牲として捧げる。神が望まれるなら、殉教者と共に私の魂も天国へ送って下さるだろう」「(私を)殉教者として下されば、神はこの従順な魂に栄光をもたらして下さる」と書き、自分の死が「殉教」となることを期待する様子をうかがわせた。
手紙ではさらに「私を忠実で正直で親切で賢い」人間だったと「覚えていてくれる国民」に対して、「憎しみを抱かないように。憎しみを抱くと、人間は公平ではいられなくなる。憎しみは人を盲目にし、判断力を失わせ、バランスのとれた的確な選択ができなくなる」と呼びかけ、特に「私たちを攻撃した国々の人たちを憎まないように。その国々の指導者たちと国民たちは違うのだと、区別するように」と書いている。
―――サッダーム・フセイン略歴 権力と失墜(gooニュース)
英BBCや米CNNによると、イラクの地元テレビ局は30日午前、バグダッドで同日午前6時(日本時間同日正午)ごろ、サダム・フセイン元大統領の死刑が執行されたと伝えている。(gooニュース)
報道によると、米国系のテレビ局アル・フーラとアル・アラビーヤが元大統領の絞首刑執行を速報。米国出資で設立されたイラクの政府系テレビ、アルイラキーヤも約15分後に、死刑執行を報道したという。
執行の場所はまだ不明。イラク政府や法廷関係者、米軍関係者が立ち会ったという。
イラクなど多くのイスラム諸国では同日朝、巡礼明けのイード・アルアドハ(犠牲祭)が始まったばかり。
イラク政府とイラク駐留米軍は、フセイン元大統領処刑への報復攻撃や暴動を警戒し、イラク全土で厳戒態勢を敷いている。
米国主導のイラク戦争によって政権を追われたサダム・フセイン元大統領は03年12月13日、潜伏先で米軍に拘束された。05年7月にイラク特別法廷で、人道に対する罪で起訴された(イラン中部ドゥジャイル村で1982年に起きた暗殺未遂事件を機にしたシーア派住民148人の虐殺に関与した罪、およびクルド人18万人余を殺害した「アンファル作戦」を命令した罪)。
06年11月5日、特別法廷はサッダームをドゥジャイル虐殺について有罪と判断し(クルド人虐殺については審理中だった)、絞首刑による死刑判決を下した。翌月26日にイラク高等法廷が控訴を棄却したため、死刑が確定していた。
―――フセイン元大統領の死刑執行 地元報道(gooニュース)
「サッダーーーム・フセイン!!!」
某アメリカ系/トップガンのパロディ映画
※1で主人公が叫ぶ(で、爆弾投下だったかな?)のをみて、
子どもながらにアメリカの「悪」といえばこのひとなんかなー?と
考えていたことを思い出した。
※1チャーリー・シーン主演のホット・ショット
そういえば、チャーリー・シーンっていま???
だって、みてるひとがわかる「悪」じゃないと
意味ないでしょー。
日本人でいう、
「大黒屋、そちも悪じゃのう」
「お代官様こそ・・・ひっひっひ」
のセットみたいなものなのでしょうか。
(・・・違うな。)
サダムフセインの死刑執行がなされたところで、
中東問題がこれで決着するかといえばそうではなく、
まだまだ平和は遠く、社会的弱者や難民も増えるかもしれない。
個人的には緒方貞子さんの「いかにも聖心的な英語」が好きです。
きちんとしたお上品な言葉なんだけれど押しが強い(笑)
下品だったり、そもそも自国の言葉ですら満足に使えないヒトが多い中で
あのお年で女性で頑張っていらっしゃる方ってあこがれの的です。
今日の天気
晴れても寒い、それが冬。